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弓之助じいさんの車はフォードT型と呼ばれる幌付きのオープンカーだった。コーヒー色で渋いんだが、乗り心地ときたら、全く最悪だった。道も舗装されてない土のままなので無理もないのだが。
「ところでじいさん。家宝って何なんだ?」
じいさんは運転しながらジロリと渓一朗を見たが、すぐに前に向いた。
「茶碗じゃ。抹茶茶碗」
「なんだ。あの茶道とかに使うヤツ? 宝石か小判かと思ったよ」
「なんだとはなんだ。先祖代々の家宝をけしからん」
じいさんの運転はかなり危なっかしいが、他に車は走っていないし、人も少ない。土煙をあげながら、フルスピードで駅に向かった。
◆◇◆ ◆◇◆
駅舎へ車を横付けすると、渓一朗たちは中に飛び込んだ。列車はまだ発車しておらず、駅員たちが騒ぐ乗客を宥めながら、先頭車両を調べている。
「ちょっと、望月さん、困りますよ、あんな電話されちゃ。イタズラなんでしょ?」
顔見知りなのか、駅員の一人がじいさんに駆け寄って来た。
「おお、駅長。いや、重要な人物がここにいるんじゃよ。ちょっと中を調べさせてもらうぞ」
「早くして下さいよ。時間過ぎてるんですから。おい、協力しろ」
駅長が他の駅員と一緒にじいさんの後に付いて行った。じいさん意外と顔が利くんだな。渓一朗は感心した。
じいさんが駅員と先頭車両から入って行くのを見て、渓一朗は朱音を振り返った。
「アヤは妙ちゃんとここにいて、列車から荷物を抱えた美人が出てきたら、大声で騒ぐんだ。オレは後ろの車両から順に見てくる」
「わかった」
朱音は肯くと、妙ちゃんの手を握り、車両の真ん中辺りのホームに立った。
渓一朗は、駅員と一緒に一番後ろの車両の端の扉から中に入ると、順に乗客の顔を見て行った。
すると、渓一朗の来るのを待っていたように立ち上がった男がいた。紺の絣の着物を身に着け、陽に焼けた大柄な男だ。右に行こうとすると、右に来て、左に行こうとすると、左に来る。
「おっとっと、おにいさん気をつけてくんな」
はっとして、渓一朗は先の車両を透かし見た。何両か向こうの車両の女と一瞬、目が合った。
……あいつだ。
四角い大きな風呂敷包みを抱えて、開いている窓から外へ出ようとしている。
「どけ!」
男をバスケのフェイントの要領でかわし、先の車両へ走る。だが、一歩遅く、女はするりと窓から外へ出てしまった。
「アヤ!」
渓一朗が窓枠に手を掛け、車内から声を掛けるのと、女の悲鳴が一緒だった。
「アンタ、何すんだよ!」
どうやら朱音は女の荷物を奪取するのに成功したらしい。ホームを先頭車両方面に走っている。その後を派手な朱色の着物の女が追いかけていく。妙ちゃんは言い聞かされたのか、ホームの端の方でちゃんと待っている。駅員はポカンと見ていて、まったく役に立たない。渓一朗は辺りを見回した。
「ケイちゃん!」
妙ちゃんが指差す方を見ると、駅舎の外に自転車が数台置いてあるのが目に入る。あれだ。
「妙ちゃん、サンキュ!」
駅を飛び出すと、列車から騒ぎを聞きつけてホームに出てきたじいさんに、フェンス越しに声を掛けた。
「じいさん! 荷物は今、アヤが持ってる。妙ちゃんは、そこだ。あと、これ借りるから!」
後の言葉はそばの駅員に向けて言って、さっと自転車に跨った。
鉄道と並行している道沿いに自転車を飛ばして行くと、線路脇を走っている着物の女とアヤが見えてきた。女は着物に草履というハンデのせいか、ワンピースにスーツの上着という出立ちのアヤにまだ追いつけないでいる。だが、アヤの抱えている風呂敷包みは抹茶茶碗にしては大きく、スイカでも丸ごと入りそうな包みで、次第に距離を縮められていた。
「アヤ、こっちだ!」
渓一朗はアヤと並行して走りながら呼びかける。アヤも気付いて走り寄ってきた。
「待てええええ」
渓一朗は女の鬼気迫る気配をすぐ背後に感じた。既に美人というより鬼女のようだ。
「後ろに乗れ!」
完全に自転車を止めると、恐ろしい女に追いつかれそうで、渓一朗は速度を落として並走した。アヤは走りながら、荷台に飛び乗った。一瞬、車体が沈み、朱音の腕が腰にぎゅっとしがみ付いたのを確認すると、渓一朗は猛然と漕ぎ出した。昔の自転車は車体が大きく重く、漕ぐのにかなり力が要る。負荷のかかった自転車こぎトレーニングの気分だった。
「渓一朗、大変。向こうも自転車で来たわ」
横座りで荷物を膝に抱え、荷台に乗っているアヤが渓一朗に知らせてきた。渓一朗もちらと後ろを振り返る。例の仲間らしき男が二人、自転車で駅の方からやって来る。
そうだ、駅には三台自転車があった! 他の二台をパンクさせておけば良かったのか。そこまで気が回らなかった。
「あの女を乗せたわ。こっちに来る!」
一人乗りの自転車が一台、猛然とこちらに向かってくる。渓一朗を足止めした大柄な男だ。女を乗せた二人乗りは後からゆっくり来るようだ。
「撒くぞ」
渓一朗は細い路地の続く町中へ自転車を向けた。
どこをどう走ったのかさっぱり分からなくなってきた頃、付いてくる自転車は見えなくなった。
「渓一朗、誰も付いてきてないわ。休みましょ」
朱音の言葉に渓一朗はどっと疲れて、自転車を止めた。
「疲っかれたー!」
小さなお堂と広場があったので、道から死角になるように回り込んだ。自転車を茂みに隠すように留め、お堂に寄り掛かり、しばらく休む。
「でも、ここはどこ?」
朱音は茶碗が割れるといけないので、ずっと荷物を抱えたままだ。渓一朗は辺りを見回す。入り組んだ細い路地は見通しが悪く、どこまでも町並みが続いているように見える。
「わっかんね。めちゃめちゃに町中を走ったからな」
渓一朗はネクタイを緩めて、首の所のボタンを外し、腕まくりした。暑い。
「おじいちゃんちに戻らなきゃ」
「だけど、今どこだかもわかんないぞ」
「じゃーん!」
朱音は声と共に黒いワンピースのポケットからピンクの可愛いスマートフォンを取り出した。
「これを見ましょ」
朱音は荷物を一旦、渓一朗に預けた。持ってみるとかさばるが案外軽い。
「おいおい、ちょっと待て。この時代に電波は飛んでないし、全地球測位(GP)システム(S)使えないぞ」
ほら、オレのだって……渓一朗は本来、緯度・経度・高度まで今現在の位置が把握できるはずのアウトドア用のゴツいスマートフォンの圏外表示を見せた。
朱音はにっこりした。
「大丈夫! 市内に買い物に行く時のために、おばあちゃんち周辺の地図をダウンロード済みよ。いちいち繋げながらだと電波が来たり来なかったりで面倒じゃない? 今、見てみるね」
何やらぶつぶつ言いながら、地図を拡大したり縮小したりしている。
「わかった! 私たちはとにかく、川に出なくちゃだわ。おじいちゃんの家に行くには橋を渡らなきゃいけないみたい」
「そういや、いつもばあちゃんちに来るとき、川を渡るな。なんて川だ?」
「それがねぇ、載ってないのよ。ただ画面コピーしただけの画像だから、ちょうど写ってなくて」
「まあじゃ、とにかく川を目指そうぜ」
「今、お昼くらいでしょ? 太陽はだいたい南にあるから、うん、こっち!」
渓一朗は歩きながら自転車を押し、朱音は荷物を抱えて歩き出した。