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いつも親戚が集まるときに宴会場になる母屋は、お通夜の会場として全ての襖が取り払われて大広間になっていた。一番奥の床の間の前に祭壇が設けられて、ばあちゃんが寝かされている。渓一朗はそばまで行って、ばあちゃんの顔を覗き込んだ。
……ばあちゃん。最後の言葉、何なんだよ。暗号なのか……?
心の中で問いかけるが、もちろんばあちゃんは答えない。
「おい、渓一朗。突っ立ってないで、こっち手伝え」
振り返ると父・高志が、凧でも持つかのように軽々と襖を何枚も持って通り過ぎるところだった。渓一朗も手伝いに入る。
百畳はあろうかと言う大広間のばあちゃんの寝かされている奥半分は、全て座布団を置いてお焼香の場とし、手前半分に宴会卓を置いて精進落としの場とするらしい。その間にだけ仕切りの襖が残された。
しばらく宴会卓の設置などしていた渓一朗だったが、本家の孫の拓弥兄ちゃんに呼ばれた。
「正司じいちゃんがケイを呼んで来いって。今、家の方の自分の部屋にいるから」
「はあ……」
またか……と渓一朗はため息をついた。行きかけると、母の弟の貴矩叔父さんが声を掛けてきた。
「おっ、じゃあケイ、ついでに座布団も持ってきてくれ。十枚くらい」
「わかった」
叔父さんは葬式だからか、いつもの無精ひげをきれいに剃っていて、ダンディっぷりに磨きが掛かっている。オレ内「ああなりたい大人の男ベスト1」だ。断じてオヤジではない!
仕方なく、本家の人たちの住居棟へ向かう。
何度聞かれても、知らないもんは知らないんだけどな。
江戸時代中期から建っているというこの望月家の屋敷は、ただ広いだけでなく、時代時代で建て増しているので、迷路さながらだった。もちろん、渓一朗達いとこ連中は、子供の頃から鬼ごっこやかくれんぼで遊んでいるので、全ての場所を把握している。大人が通れないような小さな抜け道さえも。
正司おじさんの部屋は、確か脇廊下の奥の部屋だった。
戸の前に立つと、中から怒鳴り声が聞こえる。
「モノは何なんだよ!」
引き戸に掛けた渓一朗の手が止まった。驚いてしばし立ちすくむ。中で言い争う声が廊下にまで響いている。
「何やってるの? 正司おじさんいる?」
背後から急に声を掛けられ、渓一朗はぎくりとして振り返る。いつの間に来たのか、すぐ後ろに朱音がいた。思わず口に人差し指を当てて見せた。
「どうしたの?」
朱音が小声で訊ねてくる。目ですぐそばの戸を示した。
「当主になったら見せてくれる約束だったろ、兄さん!」
次男の紀夫おじさんの声だ。朱音が分かったというように、ちらりと渓一朗を見たので、頷いてみせた。
「だが、今は無理だ。こんなにごたごたしていては。落ち着くまでは……」
「じゃあ、全部済んだら、ってことだな」
「ああ」
「必ずだぞ!」
「……ああ」
中から人の出てくる気配があったので、渓一朗はとっさに向かいの布団を仕舞っておく部屋の引き戸を開けた。その中に朱音と二人で滑り込む。
ピシャッ。
部屋の戸の閉まる音がして、紀夫おじさんが廊下をドスドス遠ざかる音が聞こえる。戸のそばで聞き耳を立てていたが、足音が消えたので二人は顔を見合わせた。
渓一朗の息が止まる。
朱音の吸い込まれそうな漆黒の瞳がすぐそばにある。さらさらの長い黒髪が腕に流れ落ちてきて、渓一朗はちょっとばかり焦って身を離した。
「ぎりぎりセーフ!だったな」
ふざけた声で言って、親指を立てる。内心のどきどきを上手く誤魔化せただろうか?
朱音は少し驚いているようだった。
「今のって……」
「当主になったらってことは、多分、あれだろ。家宝」
「じゃ、やっぱり本当にあるの? ある前提の話じゃなかった?」
「そんな感じだな。……でも、紀夫おじさんに何の関係が?」
「見せて欲しいみたいだったね」
「オレも正司おじさんに来いって呼ばれたんだけど、行ってもなぁ」
「そうね」
考え込んだ様子の朱音が、ふと思い出したように言った。
「あっ、いけない。正司おじさんにお坊さんが何時に来るのか聞くんだった」
「七時だよ」
奥の方から座布団を取り出しながら、渓一朗は言った。
今日は大勢の親戚が泊まるとあって、布団部屋からは大量に布団が持ち出されていた。普段は布団や座布団がうず高く積み上げられていて室内は暗いのだが、今は障子の明かりでも十分、明るい。渓一朗も朱音も、小さい頃、よくここに隠れて鬼が通り過ぎるのをやり過ごしたものだった。
「そうなんだ、サンキュー助かったわ。私も持つよ」
「じゃあ、ほい」
渓一朗は朱音に四枚持たせ、自分は十枚くらい積み上げた。
「そんなに持てるの!?」
「平気、平気」
二人で布団部屋を出たところで、声が上がった。
「けっ、渓一朗! 朱音と二人でそこで何してた!」
二人で声の方を見ると、廊下の端に小型のスーツケースを持った細身の男子が呆然と立っている。異国風の彫りの深い顔立ち。侑人だ。今、着いたらしい。
「座布団取りに来ただけだけど」
「お手伝いしているだけよ」
二人はわなわな震えている侑人の脇を澄ましてすり抜け、大廊下へ出た。
持っている座布団の山にあごを乗せて、渓一朗はニヤリと笑った。
「あいつを引っ叩いたんだってな」
朱音はさっと顔が赤くなった。
「な、なんでそのこと知ってるの!?」
「さあ……来海に聞いたんだったか、陽人に聞いたんだったか……」
「陽人でしょっ! あいつめぇぇえ」
「おお、怖っ!オレも気を付けないとな」
「何をよ?」
二人で追いかけっこをしながら、母屋へ座布団を運んで行った。