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痩せた男は離れの中を見回した。先ほど女が入って行った部屋だ。もちろん女の姿は見えない。どこかに隠れているのだろう。

上は高い格天井で、欄間には竹林の風景、左右の襖で回廊のどちらにも出られるようになっている。使っていない客間のようで、広くてがらんとしている。大きめの座卓に座布団が数枚あるきりだ。座卓の下を覗いてみるが、もちろん女はいない。男は外の激しい声や破壊音を聞きながら、油断なくナイフを構えた。

……あの娘でもいいんだ。荷物の場所を聞き出すにはな。

部屋は書院造りになっており、花瓶や壺の飾られた違い棚や、明かり障子の張り出し窓、掛軸の架かった床の間、戸棚などがある。

……確か、納戸に隠れろと言っていたな。

男は順に違い棚の上の作り付け戸棚を開けていった。だが、いない。今度は張り出し窓の下の戸棚を開けていく。やはりいない。掛軸をめくるが、後ろはもちろんただの壁だ。他には収納らしきものは見当たらない。もしかして、この部屋に入ったとみせかけて、反対側の襖から抜け出たということもある。

ふと気づくと、回廊の破壊音が止んでいる。勝負がついたようだ。

男は襖のそばに寄り、回廊の様子を窺った。ナイフを油断なく構える。

『チャラリーラリ。チャラリラリラー』

緊迫した空気になんとも不似合いなチャルメラの音が、すぐ近くで鳴り響く。男はニヤリと笑みを浮かべた。

「そこだ!」

襖ごと破って外へナイフを突きだす。だが、想像した手ごたえはなく、男の腕が襖に突き刺さっただけだった。

「何っ!」

腕を引き抜き、襖を開けてみると、すぐ下にあのガキが使っていた音と光の出る機械がある。廊下の先には仲間が大の字で伸びていた。周り中に瀬戸物の欠片が散らばっている。破壊音はこれだったらしい。

「おい!」

声を掛けてみるが、返答はない。痩せた男は一歩廊下へ出た。

何かが降ってきて、男は衝撃を受け、意識を失った。


「ふーっ」

渓一朗が額の汗をぬぐっていると、廊下の突き当たりの扉が開いた。庭へ通じる扉かと思いきや、扉の向こうは室内のようだ。朱音が顔を出す。実はこれこそが書院の納戸に通じる扉なのだった。

「この人、中で一生懸命戸棚を開けてたよ」

すっかり安心した様子で、朱音は渓一朗の方に走り寄ってきた。

「ま、普通納戸って言ったら、モノをしまう場所を想像するよな」

「まさか明かり障子の向こうにもう一つ小部屋があるなんて思わないから。この時代も座布団とか置いてあって、納戸として使われてたわ」

「よく、子供の頃、隠れたよな。だからアヤも覚えてると思って」

「もちろん。この離れって昔、殿さまが泊まった部屋なんでしょ? だから四方の壁は、回廊と納戸で囲われてて外に面してないんだって」

「敵から守るってことか」

「うん。それにしても」

朱音はくすっと笑った。

「よく、あんなとこに居られたね」

廊下の格天井の隅を指す。

「忍者みたい」

「忍者も大変だと思ったよ」

渓一朗は額の汗をもう一度拭いた。

「オレはこのザイル・ストラップがあったから、カラビナを天井の釘にひっかけて足を欄間に掛けて支えられたけど、ちょっとコレなしじゃ無理だ。いくら飾りが多くてつかまるとこには困らなくても、上がつかえてる。岩壁の方がマシだな」

渓一朗はスマートフォンを拾い、ザイル・ストラップを取り付けた。

「納戸に縄かロープみたいなものはあったか?」

「うーん、ビニールひもならあったけど……」

「じゃあそれでいい」

渓一朗は大柄な男と細身の男の手足をぐるぐる巻きに縛ったが、これでは全く心許ないな、とため息をついた。

「もう行くぞ」

朱音の肩を押すようにして、渓一朗は二人の男を転がしている廊下を後にした。この後、こいつらが気が付いたとしても、連れまわしながら来たので、しばらくは迷って時間がかせげるはずだ。


◆◇◆   ◆◇◆


「じいさん、警察! 警察に電話したか!?」

台所の戸を開けるやいなや、渓一朗は怒鳴った。

のーんびりくつろいで、作ってもらったおにぎりを食べていたらしいじいさんは、渓一朗の剣幕にびびったようだ。

「いや、まだじゃが……そんなに急ぐのか? 焼き場に行っている親戚に警察官がいるから、そいつが戻ってからにしようかと思っておったんじゃが」

「不審者が入り込んでるぞ! 北の離れの回廊に手足を縛って置いて来たから、気をつけろ! ここにはこれしか人がいないのか?」

見回すと、旅館並みに広い台所にじいさん、妙ちゃん、他女性が三人ばかり。

「ああ、じゃがもうそろそろみんな焼き場から戻ってくる頃じゃ」

「ならいい。大人が何人か揃ったら、男が二人倒れているから捕まえに行ってくれ。けど、今はここを開けられないようにな!」

言い残すと、足早に朱音と玄関に向かった。元の世界に戻る! 今、すぐに! これ以上アヤを危険な目に遭わせるわけにはいかない!

玄関で朱音に「帰るぞ」と告げる。

「帰るの? もう?」

いつの間に付いてきていたのか、渓一朗の後ろに妙ちゃんがいた。

「妙ちゃん! だめだ、じいさんたちと一緒にいないと」

「どうして? どうしてもう帰るの? まだお葬式は終わりじゃないでしょ?」

「ごめんね、妙ちゃん。もう行かなくちゃ。おじいちゃんのとこに戻ってね」

朱音はまた少し涙ぐんでいるようだ。渓一朗は男たちが今にも起き上がって追ってくるんじゃないかと気が気でなく、廊下の奥を睨んでいる。

「行くぞ」

朱音をうながして外へ出た。妙ちゃんは上がり框のところで泣きそうな顔をして手を振っている。朱音と渓一朗も振り返した。


すでに薄暗くなりかけた前庭を横切り、二人は急いで七ノ蔵へ向かう。土蔵前の小道を四ノ蔵、五ノ蔵、六ノ蔵と過ぎ、竹林を抜けようやく七ノ蔵にたどり着いた。開いたままの中を覗くとかなり暗い。

「ふーん、そこにあったんだ」

ぞくっとするような声。あの恐ろしい女のものに間違いなかった。

驚いて二人は振り向いた。派手な朱色の着物が、薄闇の中、はらはら落ちる枝垂桜の下に鬼火のように浮かび上った。女は白い顔と紅い唇でキツネの面のようにニイッと笑う。そしてその手はしっかりと妙ちゃんの両肩を掴んでいた。

「妙ちゃん!」

朱音の悲鳴が上がる。妙ちゃんは怖いのを我慢しているのか、無表情だ。

「この娘がどうなってもいいのかい? さっさと蔵に入りな!」

「いや、ここには……」

「入りなって言ってんだよ!」

二人は仕方なく、真っ暗な七ノ蔵に入った。だが、ここには例の荷物はない。

渓一朗は女に向かって言った。

「いいか、ここには荷物はない。屋敷の中だ。今、オレが取ってくるから、待っていろ」

「いい加減なことを言うな。あの二人はどうした?」

「あ……いや……離れで寝ているよ」

「お前がいいようにあしらったんだろう? その手には乗らない。さっさと荷物を出しな」

「だから、本当に無いんだって」

その時、妙ちゃんが横を向き「あ」と言った。

「おじいちゃん!」

「何っ!?」

女が怯んだ隙に、妙ちゃんはたたっと渓一朗たちの方へ走り寄り、そして蔵の扉を閉めた。

「妙ちゃん!?」

「何するんだ!?」

「大丈夫! おじいちゃんも、他のおじちゃんも来たから!」

外では、「そいつだ!」「捕まえろ!」などという大勢の人の声がする。だが、また徐々に蔵の扉が輝き始めた。

「妙ちゃん、妙ちゃん!」

「アヤちゃんたち、蔵から来たもんね。だから蔵に帰るんでしょ? また会える?」

妙ちゃんの声が少し遠くに聞こえる。

輝きが強く、目が開けていられなくなってきた。渓一朗は目をつぶったまま、可能な限り大声を出す。

「また会えるよ!」

未来で。曾ばあちゃんと曾孫として。

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