ひな鳥
昭和十七年ラバウル
深緑のジャングルが眼下に広がり、南国の澄んだ海がきらめいている。ついっと私の横に並んだ田中一飛曹の機体に目をやると身振りで三番機を指をさした後、自分の大きな鼻を指差して手を交差させる。模擬空戦させろと言っているらしい。
中攻隊の護衛に夜明け前に飛び立っての帰路、一四三〇時。よくもまあそんな元気があるものだ。
今日は敵さんが上がって来なかったので燃料はまだ余分にある、本土から送られてきて3ヶ月、松崎三飛曹が激戦を生き残れたのも、訓練の賜物だけに止める理由もない。
私が大きく頷くのを確認してから、田中が左右にバンクして松崎と共に緩降下するのを見ながら、スロットルを開いて上昇。
クルリ、クルリと閃く銀翼のダンスを眺める特等席に機体を引き上げる。
ひな鳥を見守る親鳥みたいだな。ふとそんな事を思ったその時、頭上に嫌な気配を感じてラダーを蹴った。
ザアッツという嫌な音と共に、左前方を火線が流れ、風防正面に一機の黒い影が飛び込んで来た。白い牙のついた大きな口の塗装が目に焼きつく。
「ちっ」
周囲もう一度見回して敵が一機なのを確認してから、左に捻り込むと敵を追って急降下に入る。
私のことを全く意にも介さず、カーチスは眼下の二機目指して逆落としに降りてゆく。
急降下では追いつけないのを承知で、私は二〇㎜を発砲した。田中か松崎が気がつけばそれでいい。
ズム、ズム、ズム
翼を揺らす振動と共に、二〇㎜機関砲のアイスキャンディほどある大きな曳光弾がひな鳥の輪の中に飛び込んでゆく。
「散開!」
ろくな性能が発揮できないのを承知で、喉電話を押さえつけて私は叫んだ。
すいっ、っとダンスの輪が崩れ、ひな鳥達が上空から降ってくるカーチスを見事に避ける。
拍手したい程の成長だった。嫌な予感、嫌な空気、虫の知らせ、何と呼ぶかは知らないが、それでも逆落としのカーチスの弾幕を彼らは見事に捌いてみせた。
急降下、急降下、栄が吼える、
長く美しい翼が震える、フラッター。
「堪えろ」
照準環に入るカーチスに七.七㎜を叩き込む、ツタタタタタタ、軽い音と共にカーチスの右翼に火花が散る。火はでない、アメさんの機体だけに嫌になるほどクソ丈夫にできていやがる。
フラッター、フラッター、操縦桿が重くなる。黒い敵機が遠ざかる。
「くそっつ!」
スロットルを閉じて減速、銀色に輝く南洋を背にひな鳥たちを連れて基地に戻る。生きている、それだけでいいじゃないか。
昭和二十年沖縄
私は増槽を抱いた紫電改で田中と松崎の上空を飛んでいた。南洋の激戦を生き残り、彼らは私の眼下を飛んでいる。あの日と同じ銀翼を閃かせ、ツワモノ達が私の眼下を飛んでいる。
私の後ろには二機の紫電改、松崎と田中の後ろはそれぞれ予科練上がりの雛鳥達。
ズム、ズム、ズム
高射砲が花火のように上がり私達の周りに黒い花火が広がる。
あの日と同じように、田中が私の隣に来るとニヤリと笑って手を振った。キラリ、と零戦二一型の銀翼が輝き、田中と松崎が急降下。南洋の青い海にめがけて急降下。
「二時上空、敵機」
喉電話を抑えて叫ぶと私は増槽を捨てる。ザリザリザリ、耳障りな雑音。
「了解、中尉お元気で。ありがとうございました。」
奇跡のように松崎の声がして、ひな鳥たちが青い海に白い航跡を残す敵艦隊に降ってゆく。
南洋の地獄を生き残り、親鳥になった若者達が降ってゆく。
「ああ、また会おう」
紺碧の海に降ってゆく若者達を残して、私はスロットルを開け海と同じ色の空に駆け上る。誉が高い音を立て、プロペラントが空気を切り裂く。
真ん中から折れた翼、空に溶ける色のコルセアが私の雛鳥たちに降りて行く。生きている、それがいいかどうかは判らないが、それでも私は翼を駈り、生きている。
ラダーを蹴り、左に滑らせて二〇㎜を紺色の影に叩き込む。ボッと炎が上がり、火達磨になって落ちてゆく敵を見つめながら私は泣いていた。
紺碧の海と空に全てが溶けてゆく。