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1話その3

 昼休み。それは一時間もの自由を与えられた、心のオアシスである。

 改めて考えてもみれば、学校では朝から教室という閉鎖的な空間に数十人もの生徒と詰め込まれ、ずっと机に座らされているのだ。ときおり挟まれるインターバルは十分しかなく、その短時間では心身ともに磨り減ってしまう。

 まして学生の本分たる勉強などは、どうしても<楽しい>よりは<退屈>に軍配が上がるもの。午後の授業で放課後を待ち望むのと同じように、午前では昼休みを拠りどころにしても仕方がないだろう。さらに人間の三大欲求である(しょく)を満たすことができるのも、育ち盛りの高校生としては欠かせない、重要なファクターだ。

 時計の短針が(いただき)をまたぐ、(いこ)いの一時。つまり昼休みとは、大多数の高校生にとって、(いや)しやゆとりの象徴なのである。

「よーし、午前中はひとまず終わりだな。書記になったやつは板書を写して、後で出してくれ。それじゃあ解散!」

 担任の掛け声があり、ほぼ同時に間延びした音が教室全体を埋めつくす。

 そして辺りは、にわかに活気付いた。いつもなら俺も、おっしゃー飯だ飯食うぞ~、とテンションマックスになるところだが、今はその到来を全く喜べないでいる。

 朝一に家を出てきたので弁当を持ってきていないし、そもそも食欲がない。

 頭の中が妹と司の恋愛関係であふれ返って、寝不足なのに眠れない。

 さらに気分を落ち込ませる原因が、二つもある。

 一つは、授業を受けるよりも楽なはずのホームルームで行われた、委員会決めでのこと。司に『一緒に体育祭実行委員やらね?』と振られたのが、きっかけだった。蛇足になるが、そのときはちょうど、美奈と司が恋人になったら当然ゴニョゴニョなことも……と思考が暴走しかかっており、うわの空だったのも(わざわ)いして『一緒に……ヤらね?』と要所だけピックアップされて脳内に伝達されてしまったのだ。すぐに冷静になって状況を理解したものの、なんだと!? と骨髄レベルの反射で叫んでしまった後だったので、かなり恥ずかしかった。

 委員会は通常、男女のペアでやるものだが、このクラスは男子の方が二人多い。単純な組み合わせで考えるなら、理には(かな)っている。その上、体育祭実行委員は毎年6月初旬に行われる体育祭の準備や雑用を行うもので、期間中は居残りはあるし、荷物運びが重労働で、体育祭を進行するという責任もある。それさえ終わってしまえば後は楽なのだが、一年生のときに大変そうだったメンバーたちの姿を思い返せば、なるべく譲りたいのが皆の本音だろう。

 人が敬遠する役回りをあえて自分たちで受けようとするとは、さすが司だ。素直な好感と、妹の想い人という複雑な感情のせめぎ合いの中で、ぼんやりと(うなず)きかける。

 正しくは、ところが司、だった。

 次の瞬間には、女子から『てめぇ辞退しろ……』という殺気を、男子から『枠が空くし受けろよ!』と半ば脅迫めいた視線を浴びせられたのだ。

 どちらに転んでも角が立つ、板ばさみな状態。それも普段の司が美少女の間で繰り広げている、ピンク色のものと比べるには、あまりにも格差があった。冷や汗をかき、口を動かすにも神経を使う、ドス黒い感情の嵐に晒されたあの状況で、もし晶子が俺の肩に手を置いて『あみだくじで決めれば大丈夫』という言葉と共に、天然のダイヤモンドよりも貴重な微笑みをくれていなければ、色々と諦めていたかもしれない。

 そう、ただ。

 結局はあみだくじで、体育祭実行委員になった。十以上もある委員会の中からピンポイントで引き当ててしまう自分の強運を呪うしかない。おかげでほとんどの女子から、視線を合わせるたびに親の(かたき)でも見るような目をされる。

「おい純也、飯食べよーぜ」

 喧騒(けんそう)に負けないような大きめの声で、司から呼びかけられた。

 もう一つの原因は、今まさに迫っているこの状況だ。

「今日弁当忘れたし、あんまり食欲ないし、いいわ。おまえらだけで食べとけよ、俺もたまには図書室にでも行ってくるつもりだし」

 司と、その後ろで彼ら二人分の弁当を手にしている晶子を、あらかじめ用意しておいた台詞で追い払おうとする。

 つい先ほど司が口を開いた瞬間から、騒がしさが半減しているので、意識せずとも声がよく通った。それだけ、女子たちがお喋りをせずに耳を澄ましているのだろう。

 委員会決めの件で学習済みだったので、理由はいとも簡単に導けた。

 昨日は始業式だけの午前上がりだったから、今日が二年生になってから初の昼休みになる。司と昼食を共にし、あわよくば手作り弁当を食べてもらおうと目論(もくろ)む乙女たちにとっては、これからが勝負なのだ。

 いまだ、機会をうかがって互いに牽制(けんせい)し合っている状況にあるが、いつ爆発するとも限らない。自らを(いまし)める意味でも、同じ(てつ)など踏むものか! と心の中で叫んでおいた。

「その食欲がないってのは、いつからだよ」

 しかし司は、形の良い眉をひそめて訊ねてくる。こういうときの親友は元々の顔立ちが整っているせいか妙に迫力があって、まるで自分がイタズラをして(しか)られている子供のように思えてしまうのが不思議だった。

「いや……まあ……昨日の昼からだが」

 真正面からじっと顔を向けられると、どうにも歯切れが悪くなり、顔を()らしつつもこぼしてしまう。

 口を割らせるのが、上手いやつなのだ。急ごしらえの決意など、全く意味がなかった。

「……ったくもう、あんま美奈ちゃんとトラブル起こすなよ。弁当分けてやるから食べとけって、体持たないぞ?」

「実は私の手作り」

「いや、知ってるぞ」

 晶子が俺の机に二つの弁当を乗せ、無表情でアピールしてくるが、相当今更な話だ。

 一年生のころも昼食は一緒だったし、司の弁当が晶子の手作りであることは校内では有名な話でもある。

 ちなみに晶子は料理ならどのジャンルでも一通りこなせるらしいのだが、特に和食が得意らしい。司の家に遊びに行ったときに食べさせてもらったことがあるが、本当にプロ級の腕前だと思った。

「でもそれだと、おまえの分が足りなくなるんじゃないか?」

 ありがたい申し出だが、このまま流されては二の舞になる。そう考えての台詞は、予想以上の結果をもたらした。

 すなわち、司が俺に弁当を分けると足りないなら、自分が作った弁当を食べてもらえるのでは!? という論理で、ついに女子たちが動き出したのである。恐ろしいほどの反応速度で司の取り囲んだ彼女らは、

「司君! 足りなくなるんだったら、私のを食べて!」

「実は今日ちょっと作りすぎちゃったから、もしよければ!」

「いいの。ダイエット中だから、あげる!」

「むしろ私を食べて!」

 と鬼気(きき)迫る勢いでまくし立てだした。

 どこか不純物が混じっているそれを、司は得意の苦笑いでなだめようとするが、女子たちもなかなかに手ごわい。というか、あまりに興奮しすぎていて話しなんぞ聞いてくれそうにもなく、沈静化するにはさすがに骨が折れそうだ。

「俺やっぱり図書館行ってくるわ」

「あ、純也……」

 晶子にだけ聞こえるように耳打ちして、なるべく目立たないように、そろそろと輪を抜け出す。どうせ女子たちは、司しか見えていないのだろうが。

 そうして案外簡単にミッションを達成し、集団から少し離れたところで――誰かと、すれ違う。

 背筋が伸びていて、よどみない足取り。後ろに(たば)ねたポニーテールが揺れて、ほのかな花の香りを残していく。こちらに一瞥もくれず、まっすぐに司と女子の群れへと突き進む姿は、凛としていた。

 彼女は、木ノ下百合。同じく高校二年生だが、クラスが違うので本日初お目見えとなる。

 百合も一年生のころは昼食を共にしていたので、そのうち来るだろうとは思っていた。彼女こそは前回の<平崎司の初彼女は誰だ!?>アンケートにおいて序列第一位に輝いた、晶子と合わせて二大巨頭と称される猛者(もさ)だ。

 クールな印象を与える目元と、鼻筋の通った美人で、女子剣道部に所属しており去年のインターハイで個人優勝したという、とんでもない実力者である。

 身長も160cm後半でモデル顔負けの体系であり、なにより男子たちを()きつけてやまないのは、その豊満な胸だった。制服を内側から押し上げる立派な膨らみは、一説によるとGカップだとかで、なおも成長中らしい。

 彼女の存在に気が付いた女子たちは、司への道を無言で譲る。あくまで客観的なものとはいえ、ハーレム内では順位がはっきりしているため、ある種の階級のようなものが出来上がっているのだ。中でも二大巨頭は別格の待遇であり、百合の人柄も考慮すれば、彼女はこの場における機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナに例えても大げさではなかった。

 ハーレム社会も、厳しいものだ。

「一緒に昼を取ろう」

 百合が発したそれは、司本人への承諾を求めることよりも、『私が彼と同席するのだ』と宣言をするための言葉だった。

「あ、ああ。いいよ」

 司は少し戸惑いながらも、誘いを受ける。

 女子たちの憧れと羨望(せんぼう)が向けられても、百合は物怖(ものお)じせずに堂々としていた。

 ……結局は、司・百合・晶子の3人で昼食を取る形に収束しそうである。まあ、パワーバランスの面ではそれが一番だろう。

 あまりにも人垣が綺麗に割れていたので、百合の肩越しに司と視線が合ってしまい、どことなく気まずくなった俺は、逃げるようにきびすを返した。そのまま昼休み中、どこへなりとも雲隠れしようとしたとき、教室の扉が勝手に開く。

「――あ、お兄ちゃん」

 現れたのは、妹だった。

 妹は一瞬、俺に笑顔をくれたものの、すぐに滑るように移動した視線が奥の集団を捉えたのだろう、表情は苦笑いに変わる。

「朝、弁当忘れていったでしょ? 持ってきたよ」

 その両腕に()げられた大小の包みが、これから繰り広げられる戦いを予感させた。


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