表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/5

1話その2

 俺には、血の繋がらない妹がいる。

 名前は今江美奈(いまえみな)。年は俺より一つ下の15歳で、今春から同じ高校に通うことになった。

 美奈の本当の両親は、彼女が3歳のころに交通事故で亡くなった。しかし当時、親戚の中で彼女を積極的に引き取ろうとする者はいなかったらしい。そのままどこかの孤児院にでも預けられそうになっていたところ、家族ぐるみで付き合いのあったうちの両親が見るに見かねて名乗りを上げたのだ。

 『美奈ちゃん』と呼んでいた子が妹になったときのこと――同時に、『純也くん(おれ)』がお兄ちゃんになったときでもある――は、昨日のことのように思い出せる。そしてそのときに俺は、妹を絶対に守ると誓ったのだ。

 だから今日に至るまで、妹が少しでも幸せを感じられるように努力してきた。

 例えば、妹に虫を近寄らせないようにすること。彼女は昔から虫と呼ばれるもの全般が苦手なのだ。だから兄としては、ありとあらゆるところから迫ってくる奴らの侵攻を食い止めるのはもちろん、彼女が用を足したいそぶりを少しでもしたら、殺虫スプレー片手に女子トイレに突貫(とっかん)することぐらい、当然じゃないだろうか? 街でナンパな男に声を掛けられていたとき、悪霊退散と叫びながら塩をまくぐらいの義務は、果たすべきじゃないだろうか?

 周囲から変態シスコン野郎と(ののし)られても、妹さえ元気でいれば構わない。むしろそんな罵倒(ばとう)でさえ、俺が妹をどれだけ大事にしているのかを表す勲章(くんしょう)のようで、小気味よい。

 こんな兄だが、妹だって(した)ってくれていた。

 ――俺が妹を手放さない限り、この関係はこれからも続くのだろう。

 勝手にそう思い込んでいた昨日までの自分を、殴りたい。


 俺には、誰よりも信頼している親友がいた。

 名前は平崎司(ひらさきつかさ)。同い年の高校二年生で、小学生のころからずっと一緒の連れだ。

 (つや)のある髪を男にしては伸ばしていて、やや切れ長の目は、海を凝縮(ぎょうしゅく)した色合いの宝石をはめ込んでいるようだった。鼻は低すぎず高すぎず形重視でまとまっており、淡く薄い唇は、笑顔のときに綺麗に三日月になる。

 中性的に整った顔立ちは、いわゆる美形というのだろう。合唱曲でアルトパートを歌えそうな声と、170cm前後の微妙なラインの身長は、その印象に拍車(はくしゃ)をかけていた。

 さらに平崎司がすごいのは、その外見だけではない。天才並みに頭が良くてテストは常に学年トップだし、運動神経が神がかっておりスポーツは何でも出来る。とどめに女の子に優しいフェミニストであることを加えれば、向かうところ敵なしだ。

 ただ、もし平崎司がパーフェクト超人であるだけなら、彼が残している様々なモテモテ伝説は生まれてこなかったはずだ。校内の女子の大半を巻き込むようなハーレムは、形成していなかっただろう。

 俺は思うのだ。親友の本当の魅力は、どこか謎めいた神秘的な雰囲気をまとっているところにある、と。

 そして、ここまで語ってから一つ、平崎司に関する重大な項目を付け足しておこう。

 平崎司には、恋人がいたことがない。

 いない、ではなく、いたことがない。

 つまりは年齢=彼女いない暦で、おそらくは、誇り高く(けが)れない大日本帝国チェリーボーイ協会の、同胞である。驚くべきことだが、<平崎司の初彼女は誰だ!?>アンケートなるものが学校で定期的に実施されているぐらい周知の事実である。

 話の流れで女の子の好みを聞いてみたことがあるが、それは秘密らしい。

 ――あいつは誰と付き合うつもりなんだろう。まあ、俺には関係ないか。

 余裕ぶって客観視していた昨日までの自分を、蹴りたい。


 妹の衝撃的な告白から一夜明けて、俺は早朝から学校にいる。

 昨日はあれから飯も取らずに部屋にこもり、布団を被りながら悶々(もんもん)と過ごしていた。何もかも忘れて眠りたい気分だったのに、頭を離れない思考に邪魔されて、結局一睡も出来ないままだ。スズメの鳴き声で朝の到来を知らされてから、家族、特に妹に見つからないよう、こっそりと家を出てきた。

 まだ二日目の教室の空気は慣れないもので、他に誰も居ないという静けさもあり、寂寥感(せきりょうかん)が身にしみる。季節は春とはいえ朝はまだ肌寒く、寝不足もあいまってに心が折れそうだった。

「はあ……」

 妹との接し方が、分からない。

 思春期の妹を持つ兄として色んな悩みや相談を受けてきたが、こんなことは初めてだった。なにせ妹がまだ小学生のとき、太陽が昇る前に起こされて『お兄ちゃんどうしよう? おしっこが出るところから血が……』と泣きそうな顔で言われたときでさえ『美奈、落ち着こう。血が出ているなら傷があるはずだから、とりあえず拭いて、消毒する必要があるな? でも大丈夫、全部俺が舌でやってあげるから』と務めて冷静に対処していたというのに。

 ……弁解しておくが、当時の俺は父さんの『そこらの怪しげな薬品なんぞ使わなくても、傷なんて唾つけておけば消毒できるものさ』という言葉を、格好良いという理由で盲目的に信じていたし、女の子のアレコレな知識を全く持ち合わせていなかったのだ。それに幸い、尿意を(もよお)して目を覚ましてきた母さんが、慌ただしい空気を察知して部屋を(のぞ)いてきたことにより、事態は未遂に終った。

 いやしかし、俺が妹を引っくり返してパジャマを脱がせようとしているのを発見したときの母さんといったら、まさしく鬼のような形相(ぎょうそう)で、冗談抜きに死を覚悟したものだ。全身あざだらけで済んだのは、僥倖(ぎょうこう)だった。

 ただ今回は『お兄ちゃんの親友が好きです』と告白されただけで、特段協力してくれと頼まれたりしたわけでもない。この件について現在俺がとりうるスタンスには、いくつかの選択肢が与えられている。だからこそ、妹とどう向き合うのか、悩んでいるのだ。

 視界を黒く塗りつぶし、まずは賛成した場合について考えてみる。

 美奈の隣に司が立ち、俺は後ろで指をくわえているという生々しい状況が、まぶたの裏にちらつく。二人は他人ではない距離で互いを見つめあい、満面の笑みをこぼしている。そして振り返った親友は、俺のことを『義兄(にい)さん』と呼び――

 却下だ。

 目を見開いて、寒気がするようなイメージを払拭(ふっしょく)するように頭を振る。

 司は間違いなく優れた人物であるし、どこの馬の骨かも分からないような(やから)に任せるよりは遥かに安心できる、という理論は構築できる。しかし、それと感情は別物だった。

 反対したいのだ。自分よがりになるなら。妹の感情を、除けば。

 だが俺が反対したら、妹はどうするだろう。分からず屋の兄だと憤慨(ふんがい)するだろうか、同意を得られないことを悲しむだろうか。

 妹を守りたいのに自分で傷つけてしまうなんて、果てしない矛盾だ。その可能性が少しでもあるのなら、絶対に避けて通りたい道である。

 だから次に、賛成とも反対とも言わないことを吟味する。つまりは妹の自主性に任せるわけだが、態度を決めずに決断を先延ばしにしているだけで優柔不断だ、とも取れる。それに俺としては妹の事に無関係でいることは避けたいし、経験上、あまりにも歯がゆくて黙っていられなくなるだろう。となれば、賛成か反対かぐらいは決めておいた方がいいのだが……

 ぐるぐると回る思考のループ。いつまで経っても結論が出ないことは昨日から実証していたのに、どうしても陥ってしまうスパイラル。繰り返すたびに負の感情が少しずつ蓄積していくのを、悪態として吐き出さずにはいられなかった。

「くそ、司め……」

「なに朝から負のオーラ()き散らしてんだよ」

 真後ろから突然の声。耳慣れた響きの出所を、俺は驚きと苛立ちを覚えながら辿る。そこには、平崎司当人が立っていた。

 ああ。

 制服姿の男子が、どこか不敵な表情で教室にいるだけ――たったそれだけの姿が、先ほどまでの呪詛(じゅそ)を感嘆のため息に変えるぐらい(さま)になっていて、有名な絵画を切り取ってきた光景のようだ、とさえ思ってしまう。

 本当に認めざるをえない。妹が親友に()れていることは、思春期の少女にありがちな、恋に恋するという<勘違い>の(たぐい)ではないのだ。

 改めて突きつけられた現実に一瞬眩暈(めまい)がして、司に対応するのが、少し遅れた。

「……ったく、おまえな、朝教室に入ってきたらあいさつぐらいしろよ。いきなり後ろから声かけられたらびっくりするだろ」

 平静を(よそお)って(とが)めながら、横目で時計を確認する。いつのまにか大分時間が経っていたようで、他の生徒の姿もぽつぽつと見かける頃合になっていた。

「したさ。不景気な面を張り付けている純也くんは、考え事に夢中で気が付かなかったみたいだけどな」

 にやり、と擬音が付きそうな笑みで一拍。

「また、美奈ちゃん関係か?」

 司はしたり顔で話を促してくる。さすがに10年来の親友なだけあり、こちらの悩み事などお見通しのようだった。しかし今回の件については、司に相談することなどは論外である。むしろ、おまえのせいで俺は悩んでいるんだ、と大声でなじれたなら、どれだけ楽だったろう。常なら頼もしい親友の存在が、こと、この場面ではひたすら憎たらしかった。

「別に、おまえには喋る必要もないことだ」

 とぼけつつも、視線には妙な力がこもってしまう。すると目は口ほどにものをいうらしく、司はあきれたような表情になった。

「ほーう。じゃあ、とりあえずその男に捨てられたオカマみたいな顔は止めることだな。気持ち悪いし」

「断じてそんな顔はしてないぞ!」

「――でも、落ち込んではいるみたい」

 机を叩きながら抗議すると、どこからか鈴を鳴らしたかのような声が上がる。繊細で透き通った、小さいながらも脳裏にこだまする音色。

「大丈夫?」

 その声の持ち主は、倉内晶子だ。

 彼女は司の後ろからずれるように現れ、感情の機微をほとんど悟らせない顔で問うてくる。司と同じく彼女とも長い付き合いなのだが、なんとなく心配してくれている、かも? という程度にしか気持ちを汲み取れない。

「ああ、大丈夫だ。心配いらない」

「ならいい。おはよう」

 まあ、司の周りにいる女子はなぜか皆レベルが高いのだが、晶子もその例に漏れていない。端的に言えば、美少女だ。

 何もかも見透かされているような大きな目と、腰まで届きそうなさらさらとした直毛が特徴的で、身長が目測(正確な数字は教えてくれない)145cmほどしかなく表情に乏しいこともあり、よく<人形>みたいだと形容されている。

「おはよう……今日もお二人さんは一緒に登校か、仲が良くて羨ましいねぇ」

「はあ? 春だからってあまり頭沸かしていると不審者として通報されるぞ?」

「たぶん生理」

 確かにたちの悪いチンピラのような台詞だった自覚はあるが、それに対する二人のあまりの言い草に、俺は思わず脱力して机に伏せた。

 少しぐらい、毒を吐いてもいいじゃないか。俺の頭が沸いてるとしたら原因は司自身だし、男に生理なんてものはない。

 晶子はいつも、世話焼き女房さながらに司の面倒をみているし、それに、それに――二人は同じ家で暮らしているのだ。いかに家庭の事情があるとはいえ、思春期の男女が一つ屋根の下であれば、下衆な勘ぐりも多少は生まれてくるだろう?

 何を隠そう、晶子は前回の<平崎司の初彼女は誰だ!?>アンケートにおいて第2位にノミネートされている、親友のハーレム要員の二大巨頭なのだから。

 俺は二人が話しかけてくるのを無視して、朝のホームルームが始まるまで不貞寝を決め込んだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ