自我なき変革が巻き起こる世の中
彼は古い市庁舎の地下にある資料保管室で、一人きりになっていた。
昼間は人の出入りが多い場所だが、この時間帯になると、ここは世界から切り離されたように静かになる。
天井の低い通路、錆びた書架、紙と埃が混ざった匂い。
それらは彼にとって、不思議と安心できる空間だった。
棚の奥から引き出したのは、何世代も前の統計資料と、手描きの社会構造図だった。
そこには理想論も、思想も、正義も書かれていない。
ただ、人が生き延びるために選び続けてきた配置だけが、無機質に並んでいる。
農を担う者。
武を担う者。
技を担う者。
言葉を紡ぐ者。
命を守る者。
国も宗教も文明段階も違う。
それなのに、最終的に落ち着く役割分担は、驚くほど似通っていた。
通信手段がなかった時代、他文明の存在すら知らなかったはずの人類が、同じ構造に辿り着いている。
その事実が、彼には何より雄弁に思えた。
最近、彼は街の至る所で聞く。
「役割は固定されるべきじゃない」
「昔の分担は抑圧だった」
「全部、作り直すべきだ」
言葉だけを聞けば、正しく見える。
自由、平等、選択。
どれも否定できない価値だ。
だが彼は、その言葉の奥にある空白が気になっていた。
では、代わりに何を置くのか。
壊した後、誰が担うのか。
誰が責任を負うのか。
そうした問いに、明確な答えを持つ人は少ない。
多くはただ、今ある構造を「不快だ」と感じただけなのだ。
彼は思う。
人類が長い時間をかけて築いてきた役割分担は、思想ではない。
実験の結果だ。
無数の失敗と崩壊の上に、ようやく残った形だ。
不適切な分担は、滅びた。
過度な理想は、維持できなかった。
結果として、似た構造だけが、生き残った。
それを、なぜ今になって「間違いだった」と断じられるのか。
通信もなく、交流もほとんどなかった世界中の人間が、同じ配置を選んだという事実を前にして、
なおもそれを否定するなら、そこには同等の根拠が必要なはずだ。
彼は変化を拒んでいるわけではない。
技術が進み、環境が変われば、役割の中身は変わる。
かつての狩人は、今では別の形で社会を守る。
かつての語り部は、別の媒体で物語を残す。
だが、「役割そのものを不要とする」という発想は、別だ。
それは骨格を否定することに等しい。
自由とは、骨のない身体ではない。
骨があるからこそ、手を伸ばせる。
制限があるからこそ、動きに意味が生まれる。
資料室の奥で、彼は一冊の分厚い年表を閉じる。
そこには、役割分担が崩れた時代に起きた混乱が、淡々と記されていた。
理想を掲げ、分担を曖昧にし、責任を共有しすぎた結果、
誰も決断せず、誰も守らず、誰も食料を確保しなくなった社会。
彼はそのページを指でなぞり、静かに息を吐いた。
人は、自分が担っていない役割ほど、軽く見える。
そして、自分が担っている役割ほど、息苦しく感じる。
だから壊したくなる。
だが、それは構造の欠陥ではなく、人間の感情だ。
彼は地上へ戻る階段を上りながら思う。
役割分担は、人を縛るために存在してきたのではない。
人が集団として生き延びるために、必要だっただけだ。
長く続いたものには、理由がある。
それを否定するなら、
「気に入らない」ではなく、
「より良く維持できる形」を示さなければならない。
夜の街に出ると、誰もが自由そうに見えた。
好きな言葉を使い、好きな理想を掲げ、好きな役割を否定する。
それでも、街は回っている。
誰かが電気を保ち、誰かが食料を運び、誰かが秩序を守っているからだ。
彼はその「誰か」であることを、誇りにも、悲劇にも感じなかった。
ただ、必要だからそこにいる。
それだけで、十分だと思っていた。
世界は、正しさではなく、機能でできている。
そして人類は、機能する形を、何度も何度も選び続けてきた。




