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自我なき変革が巻き起こる世の中

作者: P4rn0s
掲載日:2025/12/21

彼は古い市庁舎の地下にある資料保管室で、一人きりになっていた。

昼間は人の出入りが多い場所だが、この時間帯になると、ここは世界から切り離されたように静かになる。

天井の低い通路、錆びた書架、紙と埃が混ざった匂い。

それらは彼にとって、不思議と安心できる空間だった。


棚の奥から引き出したのは、何世代も前の統計資料と、手描きの社会構造図だった。

そこには理想論も、思想も、正義も書かれていない。

ただ、人が生き延びるために選び続けてきた配置だけが、無機質に並んでいる。


農を担う者。

武を担う者。

技を担う者。

言葉を紡ぐ者。

命を守る者。


国も宗教も文明段階も違う。

それなのに、最終的に落ち着く役割分担は、驚くほど似通っていた。

通信手段がなかった時代、他文明の存在すら知らなかったはずの人類が、同じ構造に辿り着いている。

その事実が、彼には何より雄弁に思えた。


最近、彼は街の至る所で聞く。

「役割は固定されるべきじゃない」

「昔の分担は抑圧だった」

「全部、作り直すべきだ」


言葉だけを聞けば、正しく見える。

自由、平等、選択。

どれも否定できない価値だ。

だが彼は、その言葉の奥にある空白が気になっていた。


では、代わりに何を置くのか。

壊した後、誰が担うのか。

誰が責任を負うのか。


そうした問いに、明確な答えを持つ人は少ない。

多くはただ、今ある構造を「不快だ」と感じただけなのだ。


彼は思う。

人類が長い時間をかけて築いてきた役割分担は、思想ではない。

実験の結果だ。

無数の失敗と崩壊の上に、ようやく残った形だ。


不適切な分担は、滅びた。

過度な理想は、維持できなかった。

結果として、似た構造だけが、生き残った。


それを、なぜ今になって「間違いだった」と断じられるのか。

通信もなく、交流もほとんどなかった世界中の人間が、同じ配置を選んだという事実を前にして、

なおもそれを否定するなら、そこには同等の根拠が必要なはずだ。


彼は変化を拒んでいるわけではない。

技術が進み、環境が変われば、役割の中身は変わる。

かつての狩人は、今では別の形で社会を守る。

かつての語り部は、別の媒体で物語を残す。


だが、「役割そのものを不要とする」という発想は、別だ。

それは骨格を否定することに等しい。


自由とは、骨のない身体ではない。

骨があるからこそ、手を伸ばせる。

制限があるからこそ、動きに意味が生まれる。


資料室の奥で、彼は一冊の分厚い年表を閉じる。

そこには、役割分担が崩れた時代に起きた混乱が、淡々と記されていた。

理想を掲げ、分担を曖昧にし、責任を共有しすぎた結果、

誰も決断せず、誰も守らず、誰も食料を確保しなくなった社会。


彼はそのページを指でなぞり、静かに息を吐いた。


人は、自分が担っていない役割ほど、軽く見える。

そして、自分が担っている役割ほど、息苦しく感じる。

だから壊したくなる。

だが、それは構造の欠陥ではなく、人間の感情だ。


彼は地上へ戻る階段を上りながら思う。

役割分担は、人を縛るために存在してきたのではない。

人が集団として生き延びるために、必要だっただけだ。


長く続いたものには、理由がある。

それを否定するなら、

「気に入らない」ではなく、

「より良く維持できる形」を示さなければならない。


夜の街に出ると、誰もが自由そうに見えた。

好きな言葉を使い、好きな理想を掲げ、好きな役割を否定する。

それでも、街は回っている。

誰かが電気を保ち、誰かが食料を運び、誰かが秩序を守っているからだ。


彼はその「誰か」であることを、誇りにも、悲劇にも感じなかった。

ただ、必要だからそこにいる。

それだけで、十分だと思っていた。


世界は、正しさではなく、機能でできている。

そして人類は、機能する形を、何度も何度も選び続けてきた。

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