第八話:聖女の覚醒と、新たな光
広場に響き渡る拍手が一瞬途切れる。聖女マリアベルの瞳に、焦りではなく、怒りの炎が宿った。
「……こんな、はずは……!」
その声は震え、指先からほとばしる魔力が周囲の空気を歪める。集まった人々が一歩後ずさり、固唾を飲む。王子イグナスの顔も強張った。
「マリアベル! 落ち着け!」
だが、もはや彼女の暴走は理性を超えていた。
マリアベルが空に手を掲げると、黒い光の渦が渦巻き、周囲の人々の足元に激しい風が吹き荒れる。テントや旗が宙を舞い、子どもたちの悲鳴が広場を満たす。
「や、やめろ……!」
セリオは咄嗟にルシアの前に立った。黒い光が迫り、彼の体を強く押し倒す。全身を貫く衝撃に、膝から崩れ落ちる。
「セリオ!」
ルシアが叫ぶ。胸の奥から熱い力が湧き上がる。それは彼女の意思と感情が結集した“本物の力”だった。
ルシアの瞳が光る。風が一瞬止まり、光が黒い渦に突き刺さるように伸びていく。マリアベルの魔力が、逆に吸い込まれるかのように乱れ、渦が縮小し始めた。
「な、なに……?」
マリアベルの顔に恐怖が走る。魔力の制御を失い、黒光の渦が暴走し始めた。
ルシアは声を荒げず、しかし確固たる意思で告げる。
「やめなさい。誰も傷つけてはいけません。私たちは、互いに守るために生きるのです」
その言葉と意思の波動に、群衆も自然と息を合わせる。子どもたちの声、青年たちの声、常連たちの声──すべてがルシアの背中を押す。
黒光は収束せず暴れ、広場の石畳を裂き、瓦礫が飛び散る。セリオは吹き飛ばされそうになりながらも、ルシアの姿を見失わなかった。
「俺は……守る!」
立ち上がるセリオ。だが力の限界が近い。全身に痛みが走り、再び膝をつく。
その瞬間、ルシアの周囲に白い光が広がる。光は優しく、しかし揺るぎなく、まるで聖女そのもののように人々を包む。
「私は……私の信じる道を進むだけです!」
ルシアの声に合わせて光が広がり、黒光を弾き返す。マリアベルの魔力は逆流し、彼女自身を縛りつけるように渦巻き、暴走を止められなくなる。
イグナスも唖然と見つめる。
「……これは……」
広場に静寂が戻ると同時に、ルシアの白い光が消えた。彼女は堂々と立っている。崩れた石畳の前で、セリオが駆け寄る。
「大丈夫か……ルシア」
傷一つなく、ただ静かに、しかし強く立っているルシアを見て、セリオの胸が高鳴る。
遠くで、マリアベルは膝をつき、力なく地面に伏せた。初めての敗北の色──いや、恐怖と羞恥が混ざり合う。
「……こんな、はずじゃ……」
誰も助けに来ない。魔力も、自分を守る者もいない。群衆の視線はルシアに集まっていた。セリオはルシアの手を取り頷く。
広場には彼女を支持する声が満ち溢れ、それは確かな希望の光となった。子どもたちの笑顔、青年たちの声、常連たちの歓声──すべてがルシアを後押しする。
広場には、まだ震える石畳と散乱した瓦礫が残っている。黒光を制御できなくなったマリアベルは、膝をついたまま身動きもできず、群衆の視線に晒されていた。
「……ま、まさか……私が……!」
声は震え、かすれた怒りと羞恥で混ざり合う。
その横で、ルシアは静かに立ち、白い光の名残が周囲を淡く照らす。清廉で、揺るぎない佇まい。誰もが自然に視線を向ける──それはまさに“聖女のような存在”だった。
セリオは胸を張り、ルシアの隣に立つ。
「これで、みんなが安心できる……」
その言葉に、群衆は大きく頷き、拍手と歓声が広場に響き渡った。
マリアベルは悔しさに顔を歪めるが、もう手は出せない。彼女の美しさは残っているものの、男たちを惹きつける色気も、群衆の目には虚しく映る。誰も味方はいない。彼女の“聖女”の名は、今や皮肉と笑いの対象となっていた。
一方、ルシアはまるで光の中心に立つかのように、周囲の人々に安心感と信頼を与える。子どもたちが駆け寄り、常連客たちが次々に微笑む。初めて、ルシアが“本物の聖女”として周囲に認められる瞬間だった。
「本当に…ルシアがいてくれてよかった」
セリオの低い声が、耳元で温かく響く。
ルシアは少し笑みを浮かべ、しかし威厳を失わずに答える。
「私も…あなたがそばにいてくれて心強いです」
群衆は次第にルシアに近づき、自然と拍手や声援を送る。かつてマリアベルが築こうとした“聖女の神格”は、完全に逆転した──その中心には、ルシアの清らかさと勇気があった。
イグナス王子も驚きの表情を浮かべ、そして静かに頭を下げる。
「……この街に、新しい光が現れたようだな」
広場の騒ぎは収束し、マリアベルは無言でその場を去る。彼女が後ろを振り返ると、ルシアの姿がまぶしく輝き、誰もが尊敬の眼差しを向けていた。
セリオはルシアの手を取り、軽く握る。
「俺はこれからも守る」
ルシアが頷く。
夕陽が広場をオレンジに染める中、街の人々は互いに安堵の笑顔を交わす。小さな奇跡のように、ルシアは今日、この街に確かな希望を刻んだのだった──。
***
その夜、カフェ「オーブリエ」では、穏やかな時間が流れていた。
窓の外には夕暮れの街並みが優しく染まり、店内では常連客たちが自然と笑顔を浮かべて談笑している。ルシアは柔らかな灯の下で食器を磨き、微笑みを浮かべる。セリオがそっと彼女の隣に座り、手を添える。
「今日のこと、街の人たちはずっと忘れないだろうな」
「ええ……でも、私たちも忘れずに歩き続けないと」
外には、石畳の瓦礫も片付き、夜風が街の隅々まで届いていた。ルシアの背筋には聖女としての誇りが宿る。街の人々の信頼と尊敬が、彼女を真の守護者として押し上げていた。
小さな奇跡の余韻の中、ルシアとセリオは肩を寄せ、街の灯を見つめる。今日刻まれた希望は、明日も、この街を照らし続ける──そう確信しながら。




