新たな謎
リントヴルムから降りた僕達は、族長の住む家に向かうために龍の里を歩いていた。
「……正直、帰りたいところだ」
ヴィルさんは青い顔をしてそう言った。チロル曰く、族長はヴィルさんのお父さんらしい。しかも、厳格で、いかにもドラゴンっぽい性格の人だとか。
「うわぁ……あっ!」
「エマ⁉︎」
舗装されていない道路は歩きにくい。だから時々、僕は躓いていた。
「ありがとう、チロル」
「いいよ。その靴、ここだと歩きにくそうだね」
龍の里は、一言で説明するなら「フェアシュヴィンデンらしくない」だった。屋根には煉瓦ではなく、瓦という物で埋まっていて……里の住人は、【和服】と呼ばれる伝統衣装を着ていた。遠い国の生活様式に近いように思える。
これに関してヴィルさんは、
「はるか昔の話だが……龍人族は元々、菊国で生活していたらしい。菊国にも魔法界があるからな……魔女狩りのせいで、もうほぼ機能していないが。そのせいでドラゴンも皆殺されてしまい生活するのが難しくなったから、こちらへと移ってきたと聞いている」
と説明した。
菊国は、アルト地方がある火の都ヴルカーンと接している大国である。そこにも魔法界があるだなんて、初耳だった。魔法よりも、工業系で有名な国で……「世界の工場」なんていう別称がある。
意外だという顔をする僕に、チロルは付言する。
「というか多分、獣人でフェアシュヴィンデン出身ってのは蛇だけだよ。アタシんとこもどっかの島だし。今はここと菊国にしか魔法界はないけれど、昔はどこにでもあったんだってさー」
ヴィルさんも同意するように頷いた。
「ルーツがこの国という魔法使いの大半は貴族だな」
しばらく話しながら歩くと、僕達は木製の堀に囲まれた族長邸へとたどり着いた。
「で、デッカ!」
中に入ると、チロルは目を丸くしてそう言った。
「確かに広いなぁ」
アムール家の屋敷に比べて木は少ないけれど、とにかく建物が多くて平べったい。となると狭くなる……という訳ではなく、むしろ屋敷よりも開放感があった。
ヴィルさんを先頭にして僕らが歩いていると、和服を着た人達が横を通りかかる。
「ヴィル様、お帰りになられたのですね」
「ご無沙汰しております、ヴィル様」
すると、もれなく全員が恭しくヴィルさんに向かって頭を下げた。
ヴィルさんは反応に困ったというように眉を顰める。
「もう一人立ちしたのだし、そこまでする必要はない……それと、父上はいるだろうか」
「フリスト様でしたら、もう客間でお待ちですよ」
「そうか」
それでは失礼致します、と再度頭を下げて去っていく。
長老の時は「じいちゃん」と呼んでいたのに、父親の場合は「父上」と呼んだ。過ちを繰り返さないようにしたのかもしれないが、少々距離が感じられる。
ヴィルさんは振り向いて、僕達に言った。
「はぐれると面倒なことになるから……絶対、後をついてくるように」
その声音には、実の父親に会うというのに、緊張と多少の恐怖が混ざっていた。
族長の家から出た僕達は、すっかり疲れ切っていた。
「副団長のおとーさん……すごいね……色々」
前まで元気だったチロルもこの様子である。
ヴィルさんは頭を押さえて、生気のない声で言う。
「だから言ったんだ。帰りたいと……」
フリストさんの容姿は、ヴィルさんそっくりで……そのまま歳を取っただけのように見えた。けれども性格は真反対。
それがどういうことなのかは、一連のやり取りから分かるだろう。
まず、案内された部屋に入る僕を見て言ったのが、これである。
『紫水晶の魔法使いの息子と聞いていたから、どんな者かと期待していたが……随分と小さいな』
堂々と、あたかも自分の言葉が正しいと言うように。ここまではっきり言われた僕は、傷付くのではなく呆然とした。
これだけでは終わらない。まだまだ続きがある。
『そんな貧相な体で魔法は使えるのか? あの方も細かったが、かなり鍛えられていたぞ。ヴィルでもある程度は教えられるはずだから、其方も鍛錬するがよい』
思い出せばキリがない。しかも、僕へのお小言が終わったかと思いきや、今度はチロルに飛び火した。
『騎士団だと言うのに締まりがないな。ヴィル、お前は副団長なんだからしっかり指導しなさい』
流石のチロルも、副団長のお父さんに言い返す程の勇気はなかったみたいだ。『善処します……』と萎れた顔と声で、そう言った。
ヴィルさんも、ばつが悪そうな表情になる。
『あの、父上……初対面の人に向かって失礼です』
『前騎士団副団長として言っているんだ』
『ですが、他方からの客もいます。せめて名乗りくらいはして下さい』
『隠れて生活しているとは言え、龍人族も魔法界の一角だ。若輩者に指導するのが務めでもある』
お前は何も口出しするな、と命令するように睨む。ヴィルさんはぐっと口を噤んでしまった。
「父上は思ったことは全て言葉にするタイプだからな……それに、魔法が使えることだけが人の価値であり絶対、みたいなところがある。気を悪くしたなら本当にすまない……俺の言うことは聞かないんだ」
僕達は敬意と愛情をこめて「父様」と呼んでいる。しかしヴィルさんの場合は、畏怖の念によって他人行儀な呼び方なのだと思った。逆らおうとしても逆らえない。そんな上下関係があるのかもしれない。
「いやまぁ、締まりがないのは事実だけどさ」
チロルは口笛を吹きながら、空を見上げる。
「結局、情報収集は大して出来なかったねー!」
「だね」
僕は笑みを作りながら頷く。
「でもあの空間にずっといるのはちょっと……」
「同感だ。俺も耐え切れない……失言ばかりしそうでヒヤッとする」
「副団長って長老以外の家族の話は滅多にしないけど、これで納得」
「あぁ。そもそも俺はじいちゃんの元で育った期間が長くて、あんまり父上と過ごしていないからな」
さて、次は父様の案内を担当したという人だ。フリストさんみたいな人ではないことを祈るばかりである。
その人の家はどこだと、チロルが地図と睨めっこをしていた。
「うーん分からん!」
ヴィルさんに地図を投げ渡す。「雑に扱うな」と注意しつつ、しっかり受け取った。
「ちょっと気になるんだけどさぁ」
口笛を止めて、チロルは大した質問ではないというような口調で言った。ヴィルさんと僕はチロルの方へと視線を向ける。
「エマのお父さんがいたのって超短い期間だったけど、そんなに情報持ってる人っているかな? 騎士団みたいに会ったって人は多くても、どうせ挨拶しただけでしょ?」
「……確かに、宿で関わった人か、案内した人か、一緒に戦った人くらいだな」
ヴィルさんも同調している。
——情報を持ってる人がいないと困るんだけどね。
そのためにここまで来たのだから、収穫なしというのは避けたい。
——あれ……?
そこで、僕とチロルで認識のずれがあることに気付く。
「ねぇ、チロル。十日って短い?」
「いきなりどうしたの? 狗人族にとっては長いよ」
——なら、おかしい。
父様がグラウべ村にいたのは、およそ十日間のはず。感覚が違うとしても、チロルの答えからしてもっと短い期間のことを指しているようだ。
「ここに父様は十日間くらいいたはずだよ。だから情報があるかと思って来たんだけれど」
「……え?」
僕が指摘すると、チロルは足を止めて声を漏らした。
ヴィルさんの純白の瞳は、異端者を見るように揺らいでいる。
「副団長は二日程度しかいなかったって言ってたよ」
「そうだ。目的は達成したからと言って二日で出ていったぞ」
——おかしいのって、僕の方?
それを裏付けるかのように、ヴィルさんは懐から四つ折りにした「滞在記録」という紙を取り出す。ぴら、と音と共に開いて僕に見せた。
「長老が管理していたものだ。二日分しか埋まってないから、それだけしか泊まっていないということになる」
受け取って、紙に書かれた「アメテュスト・アムール」という文字を凝視する。
——そんなはずが……
頭が理解を拒んで何度も読み返す度に、僕の鼓動は早くなっていく。
その様子を、チロルとヴィルさんは心配そうに眺めていた。
「……そう、だったんだ」
三十回を超えた辺りで、ようやく僕の頭は処理しきった。
「エマは、十日くらいここに居たと思ってたの?」
慎重に聞いてくるチロルに、僕は返す。「うん」
「父様は約二週間いなかった。往復四日だとしたら、十日くらいかなぁって……」
実際には違った。二日しかいなかった。
「でも、どこに行ったんだろう……言わなかったってことは、僕達に隠そうとしてたってことだし……」
「ユスティーツまでの送迎をしたのは俺だが、どこかに行くという話は出なかったぞ」
折りたたんだ紙を返し、歩き出しながら僕は考察する。
——魔法界といえば。
父様が行く場所というのはどこだろう。
まず国軍、もしくは支部ということはない。行っていたのなら、クロエ様が知っているはずだからだ。
次にユスティーツ。ヴィルさんと別れた後であれば、自由に行動できるはずだ……しかしその場合、目的や、隠した理由が分からない。
いくつか具体的な地名を出しても、結局はそこに行き着いた。
——でも。
謎は増えたが、一つ確定したことがある。
——二週間の間で、父様に何かがあった。もしくは、何かをした。
そして、そのことをまだトパースは知らないはずだ。
「次が終わったら昼にしよう」
「やったー! ほら、エマ。早く終わらせてカレー食べよ!」
後で連絡しようと、僕はチロルの言葉に頷いた。