いざ出発
服が届いてから五日後の朝。
僕達はユスティーツに向かうため、中央マギ駅に来ていた。
魔法界の中心ともなる駅で、「マギ地方の玄関」とも言われるような場所だ。アムール家の屋敷から国軍のさらに向こうにある。ガラス張りで日がよく入る構内を、多くの人が歩いていた。
仕立てたばかりの上着を着ても肌寒い。
トパースと僕は大きなスーツケース、ラフンさんは大きなトランクを持っている。ちなみにトパースは姉さんに合宿のことを言っていない。それは本人が決めたことだから、僕も話題に出すことはしなかった。
対面するのは、見送りに来た姉さん達だ。
まさか、魔法界の第一人者が駅にいるとは思いもしないだろう。中央マギ駅は広いけれど、クロエ様の人離れしたオーラは隠せない。横を通る人は「えっ、クロエ様?」と驚いていた。
これから二週間近く帰ってくることはない。楽しみだけれど、家が心配だ。
「失礼ね。私の心配よりも、情報集めに集中するのよ」
そんな僕に対し、姉さんは釘を刺した。
そう言う姉さんも、朝から「ハンカチ持った?」「寂しくなったら電話して。私も一日に一回は掛けるから」など、僕達の心配をしてくれていた。姉さんがご飯を食べているかの確認も含めて、僕も毎日電話するつもりである。
「はいはい」
「しゃんとしなさい。はいは一回よ」
「はいはいお姉様」
トパースと姉さんが軽口を叩き合っているのも、しばらく見れなくなるのだ。
そう考えると寂しくなってくる。僕にはトパースがついているけれど、姉さんは一人。どれだけ寂しいと思っても頼れる家族はいない。
駅にある大きな時計を見たリヒトさんは、「もうすぐだよ」とホームを指差した。
「……それじゃ、しばらくお別れね」
あまり崩されることのない姉さんの顔が、微笑を作った。
僕とトパースに近づいて手を伸ばし、背中に回す。
「ちゃんと帰ってくるのよ」
姉さんの髪が首にあたっていて、少しくすぐったい。
反抗期真っ只のトパースも、大人しく腕の中に抱かれていた。
腕から、体温が伝わってくる。
英姿颯爽という言葉が似合う佇まい。それを忘れさせる温かみがあった。
「うん」
「……あぁ」
それに安心しながら、僕は答える。
恥ずかしいのだろうか。普段の態度の割に、トパースは小さな声だった。
お決まりの呪いの言葉。いつもと違うのは、その言葉をかけるのが僕じゃないこと。
呪いのような言葉なのに、帰る場所があるという安心を与えてくれる。それと同時に、これから旅立つ僕達は励まされているように感じた。
姉さんは僕達から腕を離し、一歩後ろに下がる。
「トパース。しっかりエマを守ってね」
微笑はすっと消えて、鋭い目でトパースをじっと見た。
「言われなくても分かってるっつーの」
兄として弟に守られるのは不甲斐ないけれど、僕は弱いから仕方がない。
トパースの自信に満ちた反応に満足そうに頷いて、姉さんは小さく手を振った。
「じゃ、行ってらっしゃい」
それまで黙って見ていたリヒトさんも、ホームへ移動するために荷物を持ち直す僕達に手を振る。
「いつでも連絡してねー。あと、フィーのことはしっかり見とくよ」
クロエ様もラフンさんの方に向き、続けて言った。
「ラフン。この子達を頼んだぞ」
「勿論じゃ。引率は任せい」
頼りがいのある笑顔で、そう胸を張るラフンさん。
「ま、ぱぱっと終わらせてドラゴン見てくる」
なんてかっこつけるトパース。
「行って来ます!」
そして、初めてマギ地方を出ることに心を躍らせる僕。
さぁ、いよいよグラウベ村へ出発である。
「な、なぁ兄貴」
トパースは、線路の遠く向こうに見える煙を指差した。
「あれが汽車なのか?」
僕も目を凝らす。
「……そうだね」
黒い機体から立ち上る煙。あれこそが、僕たちが乗る汽車だ。
「トパースは汽車に乗ったこと覚えてない?」
「……? 俺、乗ったことないけど」
「あぁ、まだ小さかったもんね。覚えてないだろうけど、昔マギ地方の山間部に家族旅行で行ったんだよ。その時に汽車は乗ったことがあるはず」
とは言っても、僕ですら七歳。記憶は朧げだった。
「ま、ほぼ初めてってことだな。超楽しみ。だって速いんだろ?」
「それはもう。景色もよく見えないよ」
トパースは汽車に乗る準備をする。
『まもなく、三番線のホームにユスティーツ行きの列車が到着します。離れてお待ち下さい』
アナウンスが入った。いつでも乗れるように荷物をまとめる。
マギ地方からユスティーツまで行く人は少ないのか、ホームに人はあまりいない。
「切符をしっかり持ったな?」
「もちろんです」
ポケットに忍び込ませた切符。降りる時に確認されるのだ。これがないと、追加でお金がかかってしまう。
汽車の影が段々と濃くなってくる。やがて、煙が僕達を襲った。
「ぉぉぉおお!」
トパースは今にも線路に飛び出しそうな様子だった。
目を奪われてその場から動かないトパースを引っ張りつつ、僕達は汽車へと乗り込んだ。
けたましく汽笛が鳴り響いて、汽車はスピードを上げていく。
二席の向かいに、もう二席。汽車の座席は、そういう配置をしていた。
僕の隣にトパース、目の前にラフンさんが座っている。
シュッシュポッポ
進み始める汽車に、トパースは興奮を抑えきれないという様子だ。窓に顔をグッと近づけ、絶え間なく変わる景色に釘付けになっている。たまに汽車が大きく揺れるのも、遊園地のアトラクションのように楽しんでいるようだった。
「はっや……」
シュッシュポッポ
トパースの驚嘆する言葉の間にも、汽車は進んだ。あっという間に中央マギ駅も見えなくなり、建物よりも緑の方が多くなってきている。窓に映る僕の顔も、残像しか見えなかった。
ラフンさんは、トパースの様子に対して笑った。
「そうかそうか。汽車に乗るのは初めてなんじゃな」
「小さすぎて覚えてないだけで、一応汽車に乗ったことはありますよ」
「ほぅ? そういう割にはエマ坊も興奮気味じゃな」
浮かれる気持ちを抑えていたつもりだったけれど、隠し切れていなかったみたいだ。僕は顔を赤くする。
「マギ地方を出るのは初めてで」
「なるほど。まぁ、アメテュストの奴、ペルレがいなくなってからは特に研究や仕事ばかりで暇がなかったしのぉ」
突然出された「ペルレ」という言葉……母様の名前に、僕は反応した。
僕が十歳の頃に病気で亡くなってしまった母様。元々体が弱かったらしくて、あまり動き回ることはなかったけれど、昔は父様に並ぶ魔法使いだったらしい。
「どのくらい、ペルレについて知っている」
「……あんまり知りませんね」
部屋に遊びに行くと本を読んでくれたり、みんなには秘密だと言ってお菓子をくれた母様。でも、母様自身のことを聞く機会はほぼなかった気がする。
「ペルレは儂の従姉妹じゃ」
僕は驚愕する。ラフンさんの方を見つめた。
ラフンさんは視線を斜め上に固定して、過去を懐かしむかのように語り始めた。
「どちらかというと儂の妹の方が仲が良かったんじゃがな。アメテュストと夫婦の契を交わすと聞いた時は驚いたもんだ。子供の前でどんな姿だったかは知らないが、男でもどんな強い者でも物理と魔法で殴るような、気の強い奴じゃった。回復魔法に長けているから殴っても問題はないとか言ってな。とても誰かに添い遂げるとは思いもしなかったのぅ」
僕は心の中で首を傾げた。
記憶の中の優しくて、穏やかな母様とは大分異なっている。
アイボリーのふわっとした髪を揺らしながら、静かに微笑んでいた母様がまさかそんな性格とは信じられなかった。
「そうか。子供の前では大人しかったんじゃな。子供が好きだったし、さほど不思議でもないが」
僕の反応を見たラフンさんは、噛み締めるように頷いた。
「本当に、亡くなったのは惜しかった。本当に回復するべきは自分自身だろうに……」
目を閉じて、顔を歪めた。
いつの間にか窓から目を離したトパースも、眉尻を下げている。そういえば、母様に一番べったりだったのも、お葬式で一番泣いていたのもトパースだったはずだ。
「アメテュストも悲しんで、再婚はしなかった。貴族だと、早く再婚しろと周りが煩くなるもんなのにな」
「……再婚しても、母様以外を受け入れる気がしねぇけど」
僕は頷いた。それはきっと、姉さんも同じだろう。
けれどラフンさんは、顔を曇らせた。
——何か不愉快なことを言ってしまったのだろうか。
「再婚は大変じゃよ。周りから色々言われるし、トパース坊みたいに、受け入れてもらえないことが多い」
そこで区切って、ラフンさんは天井を仰いだ。
「……儂の妹も、再婚相手として嫁いだ。妻が病死して、幸いなことに子供はいなかったらしい……んじゃが、相当高名な家でな。生めよ増やせよ、何としてでも優秀な魔法使いを育てよと圧を掛けられているそうじゃ」
生々しい貴族の実態に直面する。
アムール家が自由すぎるだけで、基本的に貴族の子供は厳しい生活を強いられるものだ。
「今、長男は十歳じゃな。ルヴントムルク学園に通っていると聞いたが……ザフィーア嬢も卒業後すぐに教員試験に合格して、そこで教壇に立っているそうじゃのぅ」
僕とトパースは顔を見合わせる。
「十歳だと……四年生か?」
「姉さんが持ってるクラスって、四年生だよね」
「確かそう」
「何たる偶然。あの子は丁度四年生じゃ……なら、ザフィーア嬢を知ってるかもしれんな」
ああ、とラフンさんは話を断つ。
「すまんのぉ、何時の間にか身の上話になってしまった。そうじゃ、トパース坊が得意な魔法は何なのか聞いてもいいかね?」