輝石寇
「な、なぁ兄貴」
トパースは、線路の遠く向こうに見える煙を指差した。
「あれが汽車なのか?」
僕も目を凝らす。
「……そうだね」
黒い機体から立ち上る煙。あれこそが、僕たちが乗る汽車だ。
「トパースは汽車に乗ったこと覚えてない?」
「……? 俺、乗ったことないけど」
「あぁ、まだ小さかったもんね。覚えてないだろうけど、昔マギ地方の山間部に家族旅行で行ったんだよ。その時に汽車は乗ったことがあるはず」
とは言っても、僕ですら七歳。記憶は朧げだった。
「ま、ほぼ初めてってことだな。超楽しみ。だって速いんだろ?」
「それはもう。景色もよく見えないよ」
『まもなく、三番線のホームにユスティーツ行きの列車が到着します。離れてお待ち下さい』
アナウンスが入った。いつでも乗れるように荷物をまとめる。
マギ地方からユスティーツまで行く人は少ないのか、ホームに人はあまりいない。
「切符をしっかり持ったな?」
「もちろんです」
ポケットに忍び込ませた切符。降りる時に確認されるのだ。これがないと追加でお金がかかってしまう。
汽車の影が段々と濃くなってくる。やがて、煙が僕達を襲った。
「ぉぉぉおお!」
トパースは今にも線路に飛び出しそうな様子だった。
目を奪われてその場から動かないトパースを引っ張りつつ、僕達は汽車へと乗り込んだ。
けたましく汽笛が鳴り響いて、汽車はスピードを上げていく。
二席の向かいに、もう二席。そういう配置をしていた。僕の隣にトパース、目の前にラフンさんが座っている。
シュッシュポッポ
進み始める汽車に、トパースは興奮を抑えきれないという様子だ。窓に顔をグッと近づけ、絶え間なく変わる景色に釘付けになっている。たまに汽車が大きく揺れるのも、遊園地のアトラクションのように楽しんでいるようだった。
「はっや……」
シュッシュポッポ
トパースの驚嘆する言葉の間にも、汽車は進んだ。あっという間に中央マギ駅も見えなくなり、建物よりも緑の方が多くなってきている。窓に映る僕の顔も残像しか見えない。
ラフンさんは、トパースの様子に対して笑った。
「そうかそうか。汽車に乗るのは初めてなんじゃな」
「小さすぎて覚えてないだけで、一応汽車に乗ったことはありますよ」
「ほぅ? そういう割にはエマ坊も興奮気味じゃな」
浮かれる気持ちを抑えていたつもりだったけれど、隠し切れていなかったみたいだ。僕は顔を赤くする。
「マギ地方を出るのは初めてで」
「なるほど。まぁ、アメテュストの奴、ペルレがいなくなってからは特に研究や仕事ばかりで暇がなかったしのぉ」
突然出された「ペルレ」という言葉……母様の名前に、僕は反応した。
僕が十歳の頃に病気で亡くなってしまった母様。元々体が弱かったらしくて、あまり動き回ることはなかった。
「ペルレはアメテュストを殴れる唯一の存在だった……そうじゃ。トパース坊は何の魔法を使っているのか聞いていいかのぅ」
この前はメタル君に敵意がむき出しだったトパースも、自分より強い、もしくは身分が上の人に対して口答えするような性格ではない。
「奇術魔法、あとは夢幻魔法ですかね」
素直に返事をしたけれど、ぎこちない敬語だった。
「おぉ、珍しい魔法を使うんじゃな。皆伝済みか?」
トパースは自信をもって深く頷いた。
「人を選ぶ魔法じゃ。アメテュストと同じで、才能があるんじゃろう」
表情に変化はないけれど、トパースが喜んでいるのを僕は感じ取った。
反抗期でも褒められるのは嬉しいらしい。父様のことをよく知る人物からとなれば尚更。
「属性は……奇術なら金か」
トパースはぎょっとした。
得意な魔法から属性を言い当てられたことに驚いたのだろう。属性の組み合わせを覚えている人は多い。でも、強化される魔法まで覚えている人は中々いない。
——僕は父様に貰った本を読みこんだから、全部覚えているけど。
それが数少ない僕の自慢できそうなことである。
ちなみに、金属性の弱点は緋と銀。逆に抵抗力があるのは、蒼とこれまた銀。
弱点同士だからか金属性と銀属性の魔法使いの戦いは互角になることが多く、歴史的にも有名な戦いが多いそうだ。
ラフンさんは、今度は僕を見て言う。
「ザフィーア嬢はアメテュストに似ていると思ったが……エマ坊はさらに似ているな。髪色を変えれば昔の彼奴そのままじゃ」
身長は全然足りないけど、と僕は心の中で補足する。
父様の身長に追いつきたいのであれば、あと頭一つ分は必要だ。
「アメテュストの手紙では研究を手伝っていると書いてあったが、今も研究はしているのか?」
「……いえ。一人でやる研究なんてありませんし、魔法の才能がないのに魔法について研究したところで」
ラフンさんは、残念そうに「そうか」と言った。
「素質があると聞いていたから、勿体無い」
家事の合間に簡単な研究を手伝ったくらいだったけれども……別に、研究が嫌いなわけではないのだ。
素質があると言われていたのを嬉しく思うと同時に、自分の才能の無さに泣きたくなった。
それから会話を広げる人はいなかった。
相変わらずトパースは景色に夢中で、ラフンさんは寝てしまった。
ひた走る汽車は僕の体だけでなく、心も揺らす。
——父様の情報を得られたら、どうなるんだろう。
僕達は二年半もの間、父様を探している。こんなこと考えたくも無いが、もうこの世にいない可能性だって無いわけではない。
姉さんもトパースも、父様に関する情報が手に入るかもしれないと喜んでいた。もちろん僕だって。
……しかし、知ることは真実と向き合うのと同じことで。
もしかしたら、父様がいなくなったこと以上に目を背けたくなるような事実が発覚するかもしれない。
そんなことが起きたらどうしよう。それに父様探しが終わったとして、僕はどうなるんだろう。何をすれば良いんだろう。そんな漠然とした不安が僕を襲う。
その不安は、新天地に対する期待を蝕んでいく。
——じゃあ、父様が帰ってこない方が幸せ?
首をブンブン横に振る。そんなことはない。そんなこと、思ってはいけない。
僕の不安を煽るように、汽車は進み続ける。
汽車の向かう先は、灯りの消えた夜の屋敷よりも真っ暗だった。
『まもなくユスティーツ駅。ユスティーツ駅に到着致します』
「おい」
トパースの声が耳に入った。
「おい、兄貴……」
肩を揺すられて、僕はぱっと目を開ける。
いつの間にか寝落ちしていたみたいだ。トパースは僕の顔を覗き込んでいる。
「もうユスティーツに到着するから、荷物をまとめろだってさ」
窓の外の景色は、もう闇が覆い尽くしていた。
特に物を出した訳ではないから、準備も何もないのだけれど。
「あれ」
ふと、目の前にいるはずの人がいないことに気づく。
「ラフンさんは?」
トパースは汽車の車両の分かれ目を指さして、答えた。
「昼飯のゴミ捨てに行った。ついでに、クロエ様に電話しに行くって」
僕の机にあったお弁当箱もなくなっていた。帰って来たらお礼をしようと思う。
——でも、汽車の中だと電話は繋がらないんだよね。
お昼を食べ終えた頃、姉さんに窓の外の景色の写真を送ろうとした。けれど、表示されたのは【通信圏外です】という一言だけ。先に言っておけばよかったと後悔する。
「姉さんはもう夕飯食べたかなぁ」
「さぁ。でも、あんだけ言えば流石に食べるだろ」
朝は見送りに来てくれていたけれど、今日だって仕事があったはずだ。
夕飯を食べたか聞きたいが、さっきも言った通り通信が繋がらない。
「どうだろう……姉さんって頑固なところがあるし」
「ほぅ、頑固か」
頭上から降って来た声に、僕はびっくりした。
「アメテュストもすぐ仕事と研究に熱中して、生活を疎かにしたもんだ」
反射的に振り向いた先にいたのは、ゴミを捨てたばかりのラフンさん。片手はパネホを握っている。
つまり、姉さんの頑固な性格は父様譲りだ、と。
「あ、ゴミの処理ありがとうございます」
「そのくらいお安い御用じゃ。ほれ、もうユスティーツ駅は目の前だ」
住宅だろうか。闇の中に、微弱な光がぽつ、ぽつと点在している。
『ユスティーツ駅、四番線に到着いたします。出口は左側です。ご乗車、ありがとうございました』
周りの人達は立ち上がり、ドアから出ていく。
「兄貴。早くしないと閉じ込められちゃうぜ?」
茶化すようにして笑うトパースにせかされつつ、僕は汽車を下りた。
「わぁ……」
「すげぇ、マギよりも高い建物が多いな」
「当たり前じゃ。建築技術は此方の方が発達してるからのぉ」
温暖な気候のため、冬でも雪は殆ど積もっておらず、暖かかった。
マギ地方の隣、フェアトラーク地方。
人口が多く、獣人族や小人族など、人口の内に占める特殊民族の割合が大きい。故に、部族ごとに独自のコミュニティが確立されている。
また、マギ地方に比べ森林、砂漠、高山、火山、氷河など、地形も場所によって様々だ。
他にも魔獣と交流が深い地域……グラウべ村なんてのはまさにそれで、ドラゴンと共生している。ドラゴンを従えるためには高い技術力が求められるから、やっぱり実力者も多い。
魔法界で権威を持ち、中枢として機能しているのがマギ地方。
伝統的な魔法と文化で魔法界を支えているのがフェアトラーク地方。
そういう違いがあるのだった。
「兄貴、飯食いに行こうぜ」
「うん。街の地図も持ってきたし……どこにしよっか」
ユスティーツ駅周辺の地図を開くと、トパースもひょこっと覗き込んでくる。ラフンさんは、その少し後ろで僕達の様子を見守っていた。
「俺はこのパン屋行きたい」
「そこ、レオンくんが美味しいって言ってたところだ」
初めて来る土地に胸を高鳴らせる。建物も人も、全てが輝いて見えて……不安など夜風に吹き飛ばされてしまった。
浮かれ気味のトパースに先導されて、僕も街に駆け出した。
ユスティーツ駅、誰もいない四番出口にて。
ある悪魔は、邪気を空気に注ぎ込むように呟いた。
「弟は高等魔法で追い詰めよう……兄は簡単な魔法でも事足りる。しかし、出来るだけ離すべきかな」
パネホを取り出し、相手に向かって話す。
「やぁ、【煌石寇】 一つ依頼だ」
「アムール家の子供を殺してくれ」