教員として
魔法使いになるためには、才能と運が必要だ。
第一に魔力。これが一定以上ないと、魔法を満足に扱うことは出来ない。けれど、魔力は十五歳まで増え続けるとはいえ、元から全くない人や、増えない人だっている。遺伝も環境も関係はない。魔力がなければ育成機関に入ることもできないから、魔法使いにはなれないのだ。
次にセンス。魔法には属性や、人によって得意不得意な魔法があるものだ。基礎魔法の会得は簡単でも、応用魔法、高等魔法というのは普通練習が必要である。それでも会得できないという人は多い。魔力があっても、魔法を扱うセンスがなければ、結局は魔力があるだけの一般人に過ぎないのだ。
最後に環境。いくら魔力やセンスがあっても、人の教え、もしくは魔導書なしに魔法の会得は不可能だ。下手に使うと、魔法が暴走して、自分の身を蝕んでしまう。だから魔法族の子の場合は親自身が教えたり、非魔法族の場合は教育機関に入れる。
私の職場、ルヴントムルク学園も教育機関の一つだ。
ルヴントムルク学園は、七歳から十八歳までの十一年間、魔法の扱いを教える国立の学校である。ルミエルは貴族が多く、ルヴントムルクは庶民が多いという印象が強い。
私が担当するのは、七歳から十二歳までの初等部。各学年五十人、全校で約三百人の児童が在籍している。
玄関で立っていると、児童達はリュックを背負って登校してくる。
「おはよーございます! ザフィーアせんせい!」
「あ、ザフィーア先生だ〜! おはようございます」
「おはざいまーす」
元気いっぱいな一年生、嬉しそうにお辞儀をする三年生、気だるげに目を擦りながら挨拶をする六年生。
微笑ましく思いながら、私も返す。
「おはようございます」
一年生なんてのは、近くに駆け寄ってくる。
私はしゃがんで、目線を合わせた。
「よく眠れた?」
「うん!」
「それなら良かった」
そう言うと笑顔で階段のほうへと走っていく。
ふと振り返って立ち止まり、飛び跳ねながら大きく手を振った。腰を上げつつ、私も手を振り返す。
「転ばないように気をつけてね」
初等部の役割とは何か。教師になった時、一番最初にそれを教わった。
『基礎魔法を身につけること……ですか?』
悩んだ末に導き出した私の答えに、新人指導の先輩は、首を横に振った。「違うよ」
『初等部の役割とは、魔法を嫌いにさせないことだ』
私は意外に思った。
魔法科に来る子で、魔法が嫌いという子はいないと思っていたからだ。少なくとも、それまで私が出会ってきた人は皆、魔法が好きだった。
答えを知ってもピンときていない私に、先輩は『まぁ、だろうね』と反応を示した。
そして眼光を鋭くし、横に目線を逸らしながら言った。
『多分、働いていくうちに意味が分かると思うよ』
——そんな大袈裟な。
その時、私はそう思った。
……しかし、そんな考えは、教員を始めてから一ヶ月で崩れることになる。
本当に、魔法が嫌いになってしまう子がいたのだ。
理由は様々。魔法使いになるための魔力はあるけれど、センスがない。どれだけ練習しても、頭に入らない。逆に魔力が少ない場合は鍛錬や濃縮で何とかなるけれど、此方はどうしようもないのだ。
他にも親。魔法族、特に貴族は跡継ぎを確保するのに必死である。故に、魔法を学びたい訳でもないのに、嫌々学校に行かせられている子供というのが居る。
ルミエル魔法学校は十五歳から。それ以前の義務教育期間は、大体このルヴントムルク学園で学ぶ。私やトパースもそうだった。
ルミエルに入るためには、基礎魔法を使えることが大前提。
初等部のうちから、過度に教育をする、いわゆる「毒親」たる保護者も多い。強制されて学ぶのはつまらない。だから、魔法が嫌いになってしまうのだ。
基礎魔法を学ぶ前に、魔法を好きになってもらう。
未来の魔法使いを育てるためにも、初等部の教師は重要な働きをしているのだ。
私が受け持つ、四年二組の教室に入る。もう児童達は席に着いていた。
五人ずつ座る長机の上には、分厚い教科書とノート。三年生までに魔力の出し方や杖の持ち方、物を浮かせる程度の簡単な魔法を習う。四年生から本格的に魔法をやるのだけれど、まずは魔法を扱う際に気をつけるべきことを教えるのだった。
「一時間目の授業を始めます。お願いします」
「お願いしまーす」
チャイムが鳴ると同時に、挨拶をして授業は始まった。
「まず、魔法を扱う際にやってはいけないことが三つあるんだけれど……答えだと思うものがあったら、是非手を挙げなくていいから教えてね」
児童達は口々に言う。
「呪文をまちがえるとか?」
「いや、呪文をまちがえても何も起こってないから違うんじゃ」
「禁忌魔法!」
「禁忌魔法は使っちゃダメだよ」
「えぇ、わかんなーい」
「教えて先生〜」
降参する声が大きくなってきたところで、私は「じゃあ、答えを言います」と言った。
チョークを黒板に当てる。
「一つ目は、魔法を使っている時に手を離すこと。二つ目は、犯罪行為に使うこと。三つ目は、魔法を感情のままに使うこと。」
カリカリと動かしていくと、児童達もペンに向かって書き始めた。
「なぜやってはいけないのか、分かるかな?」
大半が書き終えたタイミングで、そう質問する。多くの子が頭を悩ませる中で、スクエアの眼鏡を掛けた、優等生のような子が手を挙げた。
指名すると、立ち上がって口を開く。
「一つ目は杖がないと魔法の効果を発揮できず、逆に望まぬ効果が発生し事故につながる場合があるから。二つ目は魔法制御法で禁止されているし、道徳的配慮に欠けているから……ですよね?」
教科書よりも難しい言葉で説明する。
しかし、他の子は理解が追いついていない様子だ。
「三つ目は分かるかな?」
眼鏡を右手で支え、首を傾げる。
「分からないです」
「ありがとう。二つ分かっただけでもすごいよ」
少し照れくさそうにして、椅子に座った。
「ちょっと三つ目は難しいね」
昨日作っておいた授業計画を出す。ようやく出番がやってきた。
「みんな、二年生で鍵を開ける魔法を習ったよね。その時、力をこめすぎるとどうなったか、覚えてる?」
「こわれた!」
「本体がばくはつした!」
「そうだよね。あれは魔法に対して力が強すぎて、暴走している状態なの」
「ぼうそう?」
「そう。この場合、『鍵を開ける』という効果が強くなりすぎて、『鍵を壊す』効果まで働いてしまう。簡単な魔法ならそのくらいで済むけれど、これからもっと難しい魔法をやった時に、暴走すると自分を傷つける可能性があるからね」
習った魔法を例に出したからか納得できたみたいだ。
話すのを一旦止めると、児童達はノートにまとめ始めた。
ただ、感情のままに、というだけで、無心で魔法を使えば良いという訳ではない。ある程度感情をのせた方が、効力は強くなる。しかし、少しでも間違えば大きな事故になってしまう。私が学生時代にも、そういう事故を見たことが何度かあった。
練習などしようがないから、難しい問題である。これも才能とセンスが必要だ。
皆がノートをまとめている中、一人だけ全く手が動いていないことに気付く。
一番窓側の、一番後ろ。退屈そうに、窓の外を眺める茶髪の少年。
私は少年の元へと駆け寄り、声を掛ける。
「ノートに書かなくてもいいの?」
窓の外から目を離すことなく、答える。
「……いい。知ってるし」
机に目を向ければ、教科書を出してすらいない。
この少年、ファルケン・グリュックこそ、魔法が嫌いな子だ。
しかし、嫌いなだけで魔法の才能がない訳ではない。
グリュック家も、魔法御三家の一つだ。その家の一番上である彼は、幼少期から教育を受けてきたはず。だから魔法を扱う際の注意事項も心得ているのだろう。
ただ、父様による教育が比較的緩かったアムール家とは違い、グリュック家は厳しいことで有名である。遊ぶ暇もなくずっと魔法魔法言われていたら、嫌いになるのも頷けた。
「じゃあ、先の内容に進もうか」
「めんどくさい」
「暇じゃないの?」
「どーせ、家じゃ魔法魔法ウルサイ。だから暇でいい」
私は眉を顰めた。
教師をやっている身として、目の前で教育機関の存在意義を否定されるのは、少し悲しい。
——でも、トパースも初等部はあんな感じだったわ。
かつての弟と重ねる。
トパースには、父様譲りの魔法の才能があった。初等部に入りたての頃にはもう、高等魔法を扱えるレベルだったのだ。ルミエルに入って親友が出来るまで、学校に行くのは退屈そうだった。
その姿を見て、少しでも学校を楽しんで欲しいと私は教師を志した。
——でも、今の私は何かできているかしら?
昔の弟のように、学校に通う意味を見出せず、果てには魔法を嫌いになってしまった若き才能。
それに対して何も出来ない自分の無力さを噛み締めながら、私は授業を再開した。
昼休み。
児童達にとっては、長い休みという楽しい時間だろう。
しかし、教師は異なる。
昼休みとは、溜まった仕事を少しでも多く消費し、放課後の残業時間を減らすための時間だ。休みなどとは言っていられない。
職員室に向かいながらパネホを開くと、一件着信が来ていることに気が付いた。
【リヒト:暇な時間があったら電話して】
——舐めてるのか教師を。
そう愚痴りたいところだったが、忙しいのはあちらも同じである。
仕事を消費するのは諦める。児童達がはしゃぐ声をよそに人がいない応接室に入り、電話を掛けた。
『吉報だよ。君のお父様がどこに行っていたのか、特定が完了した』
私は驚嘆する。
会議から二週間が経過。ようやく、父様に繋がる情報が出てきたのだ。
パネホを握る手を、ぐっと強めた。
「それで……どこだったの?」
リヒトは、『魔法地理でやったかな』と前置きを添えて答える。
『フェアトラーク地方の、グラウべ村ってところ』
聞いてすぐに、それがどこなのか浮かばなかった。
リヒトもそう思ったのか、説明を付け足していく。
『魔法獣人族が多い村だってさ。フェアトラークの一大都市、ユスティーツを南に進んだところにあって、交通機関は全く発達してないらしいけど』
「でも車を運転できる人はいないわ」
箒よりも便利な移動手段、車。しかし、十八歳以上から取得できる免許を、エマもトパースも持っていない。
『大丈夫。そもそも道路はないみたいだし。現地の人に頼むって』
「魔法獣人族は排他的ってよく聞くけれど、どうなの?」
『俺が電話掛けたけど、確かに排他的だったなぁ。長老の威圧感凄かったし。けど、国軍の司令部で、アメテュスト・アムールって名前を出したら、すぐに通ったね』
「……特定、感謝するわ。エマとトパースにも共有しておくわ」
『いえいえ、これも仕事と友人の為なんで……あ、そうそう。弟くん達だけだと不安でしょ? だからクロエ様が
リヒトの発言の途中。
突如、視界に紅い閃光がほとばしる。
……ドン バーン!
それが何なのか、頭が答えを導き出す前に、爆発音が轟いた。
『ちょ、何の音……!?』
リヒトの戸惑う声を無視して、私は走って廊下に飛び出す。
廊下を見渡した。辺りに立ち込めるのは白い煙。そのせいで、前が見えない。
——児童のイタズラ?
様子を見るに、これは爆撃魔法か火薬だ。
爆撃魔法だとして、相当魔法に熟知していないと使えないはずだから、児童ということはあまり考えられない。しかし、火薬なんて持ち込む前に、校内に設置されたセンサーで気づかれるはずだ。
原因の究明は一旦置いておいて。まずは校内に居る人に知らせる必要がある。
「リヒト。申し訳ないけれど、学内でトラブルが起きたみたい。一旦切らせて頂くわ」
『トラブルって、そんな』
何も状況がわかっていないリヒトの声など気にせず、電話を切る。
杖を出し、軽く振った。
「守護魔法、蒼。バリアール」
私の体は、薄いバリアに包まれる。とりあえず、高等魔法でも使われない限りは安全だ。
パネホを職員室に繋ぐ。
「こちら、ザフィーアです。応接室付近で爆発を確認。私以外に、児童及び教師は確認できません。魔痕を追跡してみます。危ないので、児童に近寄らないよう呼び掛けをお願い致します」
そして、応答を待たずに切った。
ピーンポーンパーンポーン
校内に放送が入ったから、ひとまず二次被害は阻止できるだろう。
魔法を使った後は、手練れでない限り魔痕というものが残る。それを追跡すれば、犯人を特定できそうだ。しかし、いかんせん視界が悪すぎる。
「透過魔法、トランスペアレント」
白い煙を透明化したことで、視界がはっきりとする。私以外に人はいない。
これで心置きなく追跡できるようになった。
「追跡魔法、フェアフォルガー」
その瞬間、杖から出た蒼の光は、シワとなり廊下にじわじわと広がっていく。これが魔痕だ。魔法を使用したところが一番濃くなり、離れていくにつれ薄くなっていく。
応接室の横にある、児童資料保管室の入り口が一番濃い。床も焦げ付いている。
そこから真っ直ぐ客用玄関の方まで蒼いシミは進み、児童はあまり使用しない西階段を駆け上っていく。
——じゃあ、児童の仕業ってこと?
客用玄関は閉じられているし、不審者が入ったのならばアラームが鳴っている。加えて魔痕の隠し方が荒く、実践経験が少ないようだ。この学校の教師にそんなヘマをする人はいない……となると、児童しかいないのだ。
再度職員室に向けて連絡する。
「追跡魔法を使ったところ、犯人は西階段を使用して逃げたものと思われます。爆撃魔法を使える児童に心当たりがある場合は、その児童に注意して下さい」
白煙は消えつつある。捜索に行きたいが、安全確認を終えないと動けない。
分析魔法を使おうと、私はシミが一番濃い部分へと移動した。
「……分析魔法が、効かない?」
しかし、分析魔法を使っても、何も変化はない。蒼い魔痕が輝くだけだった。
——おかしい。
分析魔法は、私の得意な魔法である。通常よりも効力が高いものを発動しているから、相当な実力者でないと反応しないということはない。
魔痕すら隠せない実力者って、どういうこと?
——謎は深まるばかり……
効力が切れて、消失していく魔痕。
それをぼんやり見つめながら、ただならぬ気配が肌に突き刺さるような感覚を覚えていた。