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夕暮れ道に彼女は何を思う

作者: 水守中也

「今日、お母さんいないんだよねー」

 俺の隣をてくてく歩く沙由が、不意に言った。 

「お父さんも、単身赴任中で家にいないし」

「あ、あぁ……」

 俺は適当に相槌を打った。彼女もそれ以上話題にしなかった。

 

 実は今朝、高校の同窓会に泊まりで行くため不在となるその母親から「今日と明日、沙由のこと、お願いねー」と、沙由のいないときに頼まれていたりする。帰りが明日の夜になるので、その間沙由の面倒を見てほしい、というわけだ。年頃の男女が二人きり、というシチュエーションは気にならないらしい。

 沙由は、俺の二つ年下の中学二年生だ。彼女とは同じ幼稚園に通い、同じ小学校に通い、同じ中学校に通っていた。よく俺になついてきて、時間さえ合えば、帰る方向が同じなので一緒に帰ることもあった。けれど俺が高校生となってからは、電車通学となったため、一緒に歩くことは、ほとんどなくなっていた。

 ところが今日、学校帰りに駅から降りたら、たまたま帰宅途中の沙由と出会った。そして今、俺は彼女と一緒に肩を並べて家路についている。


 夕暮れ時。オレンジに染まった空が徐々に色を失って、黒みかかった雲が勢い良く流されてゆく。春の嵐、というには程遠いけど風は強い。ただ冷たくも、生温かくもない空気が肌に当たるのは、心地よかった。

 俺はさりげなく、俺より身長が定規ひとつ分低い沙由に視線をやった。

 彼女の制服姿をじっくり見るのは、ずいぶん久しぶりのような気がした。身長と出るところはそれほど変わっていないが、心なしか、大人っぽくなっただろうか。

 透明な風が、彼女の肩にかかる髪をなびかせる。左右で縛っておさげにしたり、一本にまとめたり、髪留めを付けたり、はずしたりと、彼女の髪型はころころ変わる。今日の髪型は下ろしただけでシンプルなものだった。

 ひときわ強い風が吹いて、沙由は足を止めた。ひざ丈のプリーツスカートが風に揺れる。ちらりと彼女の白い太ももが顔を見せた。

「ふと思ったんだけど……」

 彼女が唐突に口を開いた。

「元彼って、元彼氏と発音すると、モト冬樹に似てるよね」

「……うん?」

 なぜいきなり、そんな話題?

 俺の知る限り、沙由に彼氏がいたという情報はない。たぶん本当に、ふと思っただけなのだろう。

 沙由は、時折無口になったかと思えば、ぼーっと考え事をしていて、唐突に変なことを言う癖がある。今回も別に珍しいことではない。

 けれどもしかしたら、久しぶりに二人きりで帰って、緊張しているのかもしれない。……って、まさか、な。

 あ、あくびしやがった。

「ねぇふと疑問に思ったんだけど……」

 あくびを見られたせいか、口元を押さえちょっぴり気恥しそうに、沙由が言った。

「お鍋の反対って、やかんとお釜とフライパンのどれだと思う?」

 なぜ某タレントやら性別のはっきりしない方々やら空飛ぶパンが出てくるのか? まったく謎である。

 俺は回答を拒否して歩き続けた。彼女も別に答えを望んでいたわけではないようで、追及はなかった。


 俺たち二人は、特に会話を交わすこともなく、畑道へと入った。ここを通るのが近道なのだ。柔らかな土と雑草を踏みしめながら、狭い道を進む。

 農作業している人は、もういなかった。四方に広がる大地の真ん中にいるのは、俺と沙由の二人きりだった。畑に植えられているのは、背の低い農作物ばかりで、視界を遮るものはなにもない。遠くに、桜並木に囲まれた建物が見える。俺と彼女が六年間過ごした小学校だ。

「……で……よ」

「それ……ま……ね」

 風に運ばれて、校庭で遊ぶ児童たちの声が、途切れとぎれに届く。どことなく一日の終わりを感じさせる声。

 俺は、ぼんやりと明日のことを考えていた。明日は土曜日、休みである。さて何をしようか。

「ねぇ、買い物、一緒に行かない?」

 不意に彼女が口を開いた。

「……あ、ああ」

 頭の中を見透かされたみたいで、少し驚いた。

 ちなみに女の買い物は時間がかかると言うが、彼女の場合はどうなのだろう。考えてみたら、沙由と二人きりで休日に出かけたのって、いつ以来だろうか。滅多になかったことに気付いた。

 風が止んだ。今まで耳に届いていた自動車の音や子供たちのざわめきが遮断され、世界から放り出されたかのように、音がなくなった。

 雑草を踏みしめる音と、つま先に当たった小石が転がる音がやけに響く。なにげなく視線を地面に向けると、沙由の足元が目に入った。白いソックスに白いスニーカー。ソックスの方は真っ白だが、靴の方は畑道の泥で汚れていて、どこか子供っぽく見えた。

 どちらも口を開かず無言のまま、並んで歩いていた。

 俺はこの雰囲気を重苦しく感じなかった。沙由もどこか楽しんでいるように思えた。

 不意に彼女が足を止め、空を見上げた。つられて、俺も首を後ろにそらす。太陽は地平線に沈みかかって、西の空を茜色に染めるだけ。はるか頭上に広がる空間は、青でも赤でもなく無色で、どこまでも透明だった。視界を遮るものがない畑の真ん中から見る空は、プラネタリウムのように半球状に広がっていて、目を凝らせば、うっすらと星が小さく輝いていた。

「綺麗だねー」

 天を見上げたまま、沙由が呟く。

「まるで、お砂糖をまぶしたみたい」

「そうだな……」


 畑道が終わりに差し掛かる。その先に、日が落ちて黒く染まった一戸建ての家が見えてきた。そこで彼女との帰り道も終わりを迎える。長い道を抜ける直前、沙由が数歩駈け出した。

 俺の前に出ると、足を止めて、背を向けたまま言葉を紡いだ。

「ねぇ、お願いがあるんだけど……今夜のこと」

「沙由……お前」

 彼女が後ろ手を組んで、くるりと振り返る。俺は、彼女の大きな瞳をまっすぐ見据えて、言った。

「……さっきから、夕食のこと、考えてただろ?」

「えへ。ばれちゃった?」

 元彼氏はカレー。お鍋は鍋料理。買い物は夕飯に使う食材の買い出し。砂糖はお菓子の催促だろう。

 母が夕食を準備せずに家を出たのは知っている。頼まれたし覚悟はしていた。

「お願いね、おにーちゃん」

 夕食を作るのは、兄である俺の役目なのだと。

 笑顔を見せる妹の顔を見て思った。

 ……カツ丼にでもするか。

幼馴染といい雰囲気……と見せかけて実は兄妹だった、というオチ。


本来、5分大祭の本祭に投稿する予定だったのはこの話で、「キスって……」は、この話をある程度書きあげた後、調子に乗って書いた作品です。

この話ではインパクトが薄いかな、と土壇場で「キス……」の方を本祭に投稿したのですが、こちらの話も、慣れない風景描写にこだわった作品として、愛着のある作品です。

お読みいただき、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] こんにちは。 ほのぼのした雰囲気がよかったです。自分も田舎の生まれなので、自分が生まれ育った町で歩いた感覚を思い出しながら読みました。 文章に工夫がみられている分、定規の比喩とか明確には想像…
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