お迎え待ち
お待たせしました。Part 2です。
前作とはつながりません。 オムニバスです。
意地なんか張るんじゃなかった。一人で来るんじゃなかった。
チハルは、雨音のひびく屋根の下の、薄暗いベンチにすわって目をぎゅっとつむった。なんでこんなことになっちゃったんだろうと、ため息とともに後悔しながら。
夏休み恒例の祖母の家を訪ねる日、うきうきしながら起きたチハルは、家の中が雑然としていることに驚いた。都合4日間家をあけるため、昨日念入りに荷造りして部屋の片付けもしたはずなのに。
「どうしたの、お母さん。まさか泥棒に入られた?」
「おはよう、チハル。ちがうのよ、お兄ちゃん、ゆうべ腹痛を起こしちゃって。」
チハルの兄のユウキは大学生。アルバイトでためたお金で先日車の免許を取り、今度は自分だけの車が買いたいと夏休み中もアルバイトに余念がなかった。昨日はファミレスの深夜シフトの仕事に行っていたのだ。
「一応薬を飲ませたんだけど、なかなかおさまらないみたいで…。今日は病院に行くしかないかと思ってるの。」
「えー、じゃあおばあちゃん家には行かないの?」
「だって、車でお兄ちゃんを病院まで送っていかなきゃ。おなかが痛いってうなってるお兄ちゃんを放っておくわけにいかないでしょ。」
チハルはむくれた。母子家庭であるチハルの家を支えてくれているのは、今日訪ねるはずの父方の祖母だ。遠いから会うのは年に一回、夏休みの一度っきりなのだけれど、毎月死んだ息子の代わりにと言って、送金をしてくれている。大地主の娘だった祖母はアパートや繁華街の商業ビルなどを相続していて、お金持ちなのだ。近くに住んでいても自分たちの生活だけで精一杯、お正月のお年玉と誕生日のケーキくらいしか出してくれない母方の祖父母とは大違いだ。兄のユウキが大学に進学できたのも、チハルが塾に行けているのも、この父方の祖母のおかげなのである。
「お父さんの法事があるのに。」
明日は父のお墓があるお寺で、父の七回忌の法事をすることになっている。明日出発していたのでは間に合わない。
「ねえ、お母さん。私だけ先に行くのはだめかな。」
「えっ、新幹線で一人で行くの? 電車の乗り継ぎ、何回もするのよ。」
「だって、去年もそうやって行ったんだし、私覚えてるよ。大丈夫だって。」
今年は兄のユウキも運転できるようになったことだし、車で行ってみようかというつもりだったのだ。当然切符も買っていない。心配する母も、スマホでさっさと新幹線の予約ページを調べ始める娘に折れた。何でも兄に対抗せずにはいられない勝気な子だ。中学2年生になったんだし、この子は真面目で頭も言い。何とかなるだろうと。
最寄駅から新幹線の止まる大きな駅までは一人でも楽勝だった。新幹線に乗ってしまえば、あとは祖母の住む県まで一直線だ。在来線に乗り換えた後、降りる駅はわかっている。夕方までには祖母の家に着けるはずだった。
途中から天気があやしくなってきた。家を出るときには夏らしい好天だったから、暑さ対策は考えたけど雨が降るというのは予定外だった。
「まあ、歩くことはないから、いいよね。」
祖母はまだ元気で、いつも自分で運転して駅まで迎えに来てくれる。雨が降っても濡れることはないだろう。
新幹線を降りるときには、もう雨は降り始めていた。雨脚の強さに、天気予報を確認してから来るんだったと後悔する。大きめのボストンバッグを持って駅の構内を歩きだした。周りには家族連れやグループが何組もいる。一人なのは私だけかなあ、と思うとちょっぴり心細くなった。
「もしもし、お母さん…。」
新幹線を降りたことを母に報告する。兄の容体はたいしたことはなかったようだが、念のため家に残ることにしたとのこと。明日は母だけが来てくれるらしい。
電話を切って急いで行くと、乗り換えの電車はもうホームにいて、発車寸前だった。あわてて飛び乗ると、平日のせいか案外すいている。座席にすわると、ボストンバッグを足元に置いて窓の外をながめた。年に一度とはいえ毎年来て見慣れた街並みを見て、少し緊張がほぐれてきたのを感じる。
雨は相変わらず降り続いていた。まだ日暮れには早い時間なのに、妙に薄暗い。知らない街に来たみたいだ。
「下〇〇、下〇〇、右側のとびらが開きます。」
この在来線にはひと駅しか乗らない。荷物を持ってすぐに立ち上がって、電車を降りる。
「あれ?」
なんだかいつもと雰囲気が違う。もともと小さな駅ではあったけど、こんなだったっけ? わずかな人波について行って、改札を抜けるころには確信に変わった。私、まちがえた。
「もしもし、おばあちゃん。私、チハルです。」
「まあ、チハルちゃん、早かったのね。今、新幹線降りたとこなの?」
「いえ、その、新幹線は降りたんですけど、乗る電車、まちがえちゃって…。」
「まちがった! そう、やっぱり。こんな時間に電車ないはずだもの。おかしいなと思ったのよ。今、どこにいるの?」
「下〇〇、という駅です。」
「あらまあ、反対行きの電車に乗ったのね。うちは西〇〇、って駅で降りるのよ。」
知ってた。知ってたはずなのに何で失敗しちゃったんだろう。涙がじわっとにじんでくる。
「チハルちゃん、駅の改札はもう出ちゃったのよね? その辺にタクシーいない? タクシーの電話番号書いた看板とか? わからなかったら駅の人に聞きなさい。いい? 悪いんだけど私、下〇〇駅の場所、よく知らないからちょっと迎えにはいけないのよ。 タクシーで来たらお金は払ってあげるから。」
電話は切れた。チハルはため息をついた。周りにはもう誰もいない。ここは無人駅なのだ。とりあえず、さっきの駅までもどろう、と切符の販売機の前まで行ったとき、時刻表が目に入った。次の電車は1時間後だ。うそ!
困り果てて、他の人が行った方角を見る。駅前は小さな広場になっていて、降りた何人かの人は迎えの車で去っていった。タクシーはおろか、バス停もない。待合所のような屋根のあるところにベンチと飲み物の自動販売機があるだけ。
雨は降り続いていた。雨宿りしながら待つには、あのベンチのあるところまで行くしかない。えいっと心を決めて雨の中へ飛び出した。ベンチにボストンバッグを投げ出しすようにして屋根の下に入ったときには、思った以上にずぶぬれになっていた。
とたんにスマホが鳴った。
「チハルちゃん、おばあちゃんよ。まだ下〇〇の駅にいる? 場所がね、わかる人がいたから、これから駅まで迎えに行くから。タクシーは呼んだ? まだなのね、よかった。じゃ、待っててね。」
ありがとう、と返事をする前に電話は切れた。ほう、と息をつくと、頭の上から声が聞こえた。
「電車に乗るのかね。」
見上げると、派手な花模様の傘をさしたおじいさんが立っていた。いつの間に来たのだろう。白っぽいグレーのシャツに、もう少し濃いめのグレーのズボン。ひまわりの花模様の傘が不釣り合いな気がする。もちろん知らない人だ。
「雨が降っとるで、こんなところにおるとかぜをひいてしまうよ。うちはあそこやで、ちょっと入って待っとるといい。」
おじいさんは広場の脇の家を指さした。
「…えっと、あの、もうじき迎えが来るので、け、結構です。」
「そんな、遠慮せんでいいに。」
「ありがとうございます、でもここでいいですから。」
おじいさんは、しばらく立っていたが、チハルがうつむいてしまうと、黙って立ち去っていった。
ホッとする間もなく、
「お迎え待ちなの?」
と別の声が聞こえた。
えっ、と顔を上げると今度は小太りのおばさんが立っていた。白っぽいピンクのTシャツに、グレーのスカート。なぜかこの人も派手なひまわりの花模様の傘をさしている。さっきのおじいさんと同じ家の人だろうか。
「雨、ひどいからうちで待ったらどう?私のうち、あそこだから。」
やっぱり、おなじ家を指さした。ここいらの人は親切なんだな、と思いつつお断りする。
「ありがとうございます、でも、もうじき迎えが来ますので。」
「かぜひくわよ」
首を振って頭を下げて、お断りのサインを表す。すると
「おねえちゃん、ぼくのおうちであそぼ。」
いつのまにか、小太りのおばさんは5歳くらいの男の子になっていた。少し前に流行したアニメのプリント柄のTシャツは、色あせている。グレーの短パンに、足元ははだし。そんな、雨の中なのに。
おかしい。何か変。そういえばさっきのおばさんは、足元、何をはいてたっけ?
「ねえ、ぼくのおうちに来て。」
男の子が手をひっぱろうとする。ぞっとするほど冷たい手。思わず悲鳴を上げて手を振り払っていた。男の子が後ろにさがり、持っていたひまわりの花模様の傘がバランスを崩して雨の中、さかさまに落ちる。
男の子はいなくなっていた。柄を上に向けたひまわりの花模様の傘だけが土砂降り雨にぬれている。チハルはもう一回悲鳴を上げて、耳をふさいで目を閉じてうつむいた。
サアッと明かりがさした。車のヘッドライトだ。
「ごめんね、チハルちゃん。遅くなってしまって。」
「あそこの角の家よ。この前心中があったの。うちの旦那さんは怖いもの見たさというか、野次馬でねえ、わざわざここまで見に行ったのよ。」
後ろのシートに座っていた道案内役だというおばさんが、とくとくとしゃべっていた。
「チハルちゃん、泣いてるの? 心細かった? ごめんねえ。」
祖母が車を発車させた。角の家の玄関前には、濡れたひまわりの花模様の傘がドアに立てかけられていた。