昼間の肝試し
「最寄り駅までバスで12分、自家用車なら10分足らずです。駅からは快速でA市まで35分、通勤も楽々です。」というのが、しまの台団地の売り出し時のキャッチフレーズだった。隣県の百万人規模の都市までの、アクセスの良さに嘘は一つもない。ただ快速電車は朝晩の通勤時間帯にしかないし、バスもしかりで昼間は1時間に2本だ。おまけに徒歩では到底登りたくないような長い坂道の上にしまの台団地はあった。
開発当初はあっという間に売れて、瞬く間に新しい一戸建ての建ち並ぶ町が出来上がった。しかし「幼稚園はすぐそこなのに、小中学校が遠い」「コンビニはあるけど、スーパーは市街へ下りないとない」など、住んでみてわかる不便も多く、空き区画はずっと空き地のままだったし、医院開業予定地と看板が出ていたところにできたのは老人介護施設だった。
自治会がなんとか住民を増やそうと、市役所に嘆願書を出して、小学校へのスクールバスを出してもらったが、利用する小学生が減ったことを理由にたった2年で打ち切られてしまい、その間に団地への転入は一軒もなかった。住民の心の拠り所だったコンビニも赤字を理由に閉店したころ、しまの台団地はとんでもない形で世間の注目を浴びた。
「通学路」の看板のついたカーブミラーがさびついているところ、閉店したコンビニの落書きされた壁、枯れた雑草に覆われた空き家が何軒か並んでいる様子などを写真にとって、ゴーストタウンのようだとSNSに投稿した者がいたのである
「人口〇万人のベッドタウンは案外ゴーストタウンだった。」
この投稿がいわゆるバズったのである。「#案外ゴーストタウン」で日本のあちこちの写真が上げられ、そのたびにあの写真はどこか、と場所の特定が話題になった。最初の、あのゴーストタウンはしまの台団地だと暴露されたとき、自治会長は怒り心頭であったという。
かくして「ゴーストタウンしまの台」という不名誉な通称が生まれた。
「えっ、ハルくんのおばあちゃんちって、しまの台なの」
「うん。聞いたことある? ゴーストタウンのしまの台って」
「おれのおじさんちは、こうしま小学校の近くでさ、山道登っていくとしまの台団地なんだよ。」
「えー、偶然。ねえ、二人でいっぺん歩いて行ってみない。ゴーストタウン探検。昼間の肝試しだよ。」
7月の終わり、夏期講習の学習塾で、ハルキとリョウトは意気投合した。二人とも別々の小学校の五年生。この夏期講習で初めて出会った。熱中しているゲームが同じだったことと、どちらも日中は両親が仕事で留守なこと、中学生の姉がいることなどが共通していて、しゃべっていてとてもうまが合ったのだ。塾へはどちらも駅前行きのバスで通っているのも同じだった。駅前のバスターミナルでバスを待っている間、スマホのゲームで時間をつぶしているとき、リョウトがハルキに
「ねえ、どんなゲームやってるの。」
と声をかけたのがきっかけだった。
二人はこの新しい友達との小さな冒険を、実現させるのに夢中になった。リョウトはおじさんに連絡をとって、こうしま小学校からしまの台団地への通学路は一本道で迷いようがないこと、登りだからちょっと大変だけど30分ちょっとで団地まで着くことなどを聞き出した。
ハルキもおばあちゃんに電話をかけて、頼んだ。夏休みの冒険をするんだよ、こうしま小学校から友達と歩いて団地まで行きたいんだ、おばあちゃんちに着いたら、その友達といっしょに車で家まで送っていってほしいんだけど、いいかな。大きくなった孫が最近遊びに来てくれないのが寂しかった祖母は、二つ返事で了解してくれた。
双方の親たちは、息子たちが自分で親戚に連絡し、自分たちで立てた計画にあきれながらもOKした。何のかんの言っても大きくなったし体力もある。スマホも持たせてるし、何かあったら連絡できるだろう、同じ市内だし。
当日の朝。リョウトはいつもは家に帰ってから食べるお昼の弁当を塾のカバンに入れた。冷やした麦茶をつめた水筒も忘れずに持った。ハルキはお母さんにお昼ご飯代としてお金をもらい、夏期講習が済んだら塾の近所のコンビニで弁当を買うことにした。ゲームのカードも買いたいな、と思ったけどもらったお金ではちょっと難しそうだ。
「お昼買って、どこで食べるの。」
「塾の自習室なら、食べてもいいんだよ。お弁当持ってきている子もいるよ。」
「水筒、持ってく?」
「えー、荷物になるぅ。ペットボトルのドリンク余分に買うよ。」
「わかった、仕方ないなあ、もう。ほら、お茶代。ゴミはそのへんで捨てないで持って帰ってくるのよ。」
「はぁい。」
もう百円余分にもらって、ハルキはほくほく顔で家を出た。
午前中の夏期講習を終えると、二人はカバンを自習室に置いて、コンビニに行った。ハルキの弁当とお茶と一緒に、ゲームのカードを一パックずつ買って、塾へ戻った。リョウトもお小遣い持参だったのだ。カードは塾で開けると周りの子がうるさいから、ハルキのおばあちゃんの家で開けて見せ合うことにした。
コンビニを出て「あつぅー」と空を見上げたハルキは、空が曇っているのに気づいた。
「曇ってきたねえ。」
「いいんじゃない。カンカン照りより楽だよ、きっと。」
塾へもどると急いで弁当を平らげて、二人はバスターミナルへ行った。あらかじめリョウトがこうしま小学校方面へ行くバスの時間を調べておいたのだ。いつも家に帰る方向とはちがうバスに乗るのは二人とも初めてだ。バス停3つ分、時間にして十分ちょっとで「こうしま小学校前」のバス停に着き、ワクワクしながら二人は降りた。
「こっち。あそこがぼくのおじさんの家なんだ。」
小学校を囲むように背の高い金網のフェンスがある。そのフェンスに沿って小学校の裏手に回る道沿いに、リョウトのおじさんの家はあった。小学校の裏はすぐ山で、車の入れない細い道がある。あれが通学路なのだろう。おじさんの家の前に赤ちゃんを抱いた女の人がいて、
「リョウト君、大丈夫? 雨が降るかもしれないわよ。」
と聞いてきた。空はどんより暗さを増している。二人はちょっと顔を見合わせた。
「三十分くらいなんでしょ、もたないかな。」
「降り出したら走ればいいって。」
せっかくワクワク気分が盛り上がってきたのだ。やめたくはない。
「ひどく降るようなら、帰ってきていいからね。なんなら、傘持っていく?」
塾の持ち物だけでもわずらわしいのに、大人物の傘を持って歩くなんて論外だ。二人は傘を断って歩き出した。
「しまの台団地って、ほんとにゴーストタウンみたいなの?」
「うーん、公園みたいなところは古臭くてさびだらけだけど、子どもがいないからかなあ。」
「家はいっぱいあるんでしょ。」
「コンビニはつぶれて、店はないけどね。」
笑いながら通学路を登り始めてしばらくすると、
「うわ、墓場だ。」
とハルキは叫んだ。山の横手にお寺があるらしく、通学路からは斜面に並ぶ墓地がのぞけた。暗さを増していく空の下でのぞむ墓地は、肝試し気分にぴったりだった。
「おばけがでるう。」
笑いながら叫んでハルキが駆けだした。
「待って、置いてかないでぇ。おばけにのろわれるー。」
とリョウトもわざと大声を出して追いかけた。坂の曲がり角まで走ると、ハアハアしながら二人で笑いあった。
息がおさまると、また登る。もういつ降り出してもおかしくない空だ。自然に二人の足は早まった。
「うげっ。」
今度変な声を上げて立ち止まったのは、リョウトだった。
「どしたの。」
「あ、あれ、…ねずみじゃない?」
細くてとがった竹がツンツンと何本か固まって生えている行く手の薮をリョウトは指さした。そのツンツンに何かが突き刺さっているように見える。
ごみ? ぬいぐるみ?
最近目が悪くなってきたハルキは、よく見えなくてこわごわ近寄っていった。ハルキとリョウトの上にぽつ、と最初の雨粒が落ちた。
ツンツンの竹の先は二人の身長より高い。しかも生えている場所は道からはずれた薮の中だから、近づくこともできない。ぎりぎりの近くまでハルキが歩み寄ったとき、風がドワッと吹いた。
ツンツンの竹は少しゆれ、ごみのようなかたまりからのびた、長いしっぽがゆあん、と動いた。
「ぎやぁー。」
「わぁあー。」
二人は同時に悲鳴を上げて、かけだした。串刺しのネズミの死骸なんて、肝試しの小道具としてもできすぎだ。おまけに二人の悲鳴が合図だったように雨は勢いよく降り出した。
二人はずぶぬれで走り続けた。雨がびしゃびしゃ顔をたたき、体を濡らし、蒸し暑さとこわさで汗が流れる。
「あっ。」
リョウトが転んだ。濡れた坂道に転がっていた石に足を取られたのだ。
「だいじょうぶ?」
ハルキも立ち止まってのぞきこんだ。
膝には大きなすりきずができていた。そこにも雨は容赦なくあたり、薄赤く染まった雨水が足元へと伝っていく。
「どうしよう、絆創膏とか、僕、持ってこなかった。」
おろおろするハルキに、リョウトはうつむいてすわりこんだままだ。
ピカッ
雷光が一瞬白く二人を照らし出した。二人はすくみあがった。
「どうする? 雨宿りのできそうなところ、さがす?」
帰りたい。言葉に出しかけてリョウトは考えた。雨水が勢いよく流れ下っていく坂道を下って走ったら、もっと転ぶだろう。歩けなくなるようなけがをしたらおしまいだ。それに、あの串刺しのねずみのところをもう一回通るなんて、死んでも嫌だ。
「登ろう。きっともうすぐ団地に着くよ。」
「立てる?」
とりあえずひざにハンカチを結び付けて、ハルキの起こしてもらって、リョウトは立ち上がった。傷口からはまだ血が出ていてじんじんするけど、なんとか歩けそうだ。
二人は手をつないで歩き出した。汗と雨で手のひらは熱くてべたべたしていたけど、気にしている余裕はなかった。その間にもピカッ、ピカッと雷光がひらめく。
何度目かの雷光ともにゴロゴロゴロッと雷鳴が轟いた。
「まだ、遠いね。大丈夫、今のうちに登っちゃおう。」
リョウトが無理に笑顔を作って言ったとき、何かが視野の隅で動いた。
石、だろうか。こぶしほどの大きさの塊が坂を下りてくる。いや下りてくるのではない。坂を流れ下る水に押し流されてくるのだ。それも一つではなかった。大きさは大小あるものの、四つの「何か」が坂を下ってくる。
薄暗いどしゃぶり雨の視界でも、二人はその中で一番大きいやつに歯をむき出した口があるのがわかった。ときどき止まるのは、まばらに残った毛がアスファルトに引っかかるせいだ。縮めた手足には細いけれど長い爪がついていた。
「ひぁ…」
とハルキが声を漏らした。もう悲鳴を上げる元気もなかった。
「ねずみの死骸だ。なんでこんなにいっぱいあるんだろう。」
「わざわざ言わなくってもいいよっ。」
泣きそうな顔でリョウトも言った。
そう言っている間も死骸はじりじり流されてくる。二人は道の端に寄って流れてくるものを避けた。小さな塊は目を閉じていたが、白く濁った眼をあけているものもあって、ハルキはにらまれているような気がした。
大丈夫、もうじききっと着くから。何度目かのつづら折れを曲がって歩き出そうとしたとき、またすべりそうになった。なんだか流れる水がヌルヌルしてる?
「ハルくん、これ、血…?」
「うそっ!」
流れ落ちてくる水はもう道幅いっぱいになっている。わずかなでこぼこのあるところでは、白い波さえ立てている。だが、全体に赤いのだ。赤くて、ドロドロして、ヌルヌルすべる。それが上からどんどんどんどん流れてくる。雨で気持ち悪くぐしょぐしょになっているスニーカーも靴下も、染まったように赤くなっている。雨でぬれたリョウトの膝のハンカチと同じ色のように。
もう、登る気力はなかった。二人は山側の薮の上にすわりこんだ。
一時間ほどして夕立雨があがったあと、二人はハルキの祖父母に発見された。団地まであと一息というところで、全身びしょ濡れのまま、道端に座り込んでいたのだ。
「なんか、靴が赤茶色いねえ。」
「また子供らが、粘土をその辺に捨てといたんだな。あれは雨で溶け出すんだよ。」
二人は疲れ果てたように何もしゃべらなかった。
小学校の図工の授業で、皆さんも粘土作品って作りましたか? 昔は黄色っぽい土みたいな粘土で形を作って素焼きにしていたんですが、最近は焼かなくても乾燥するだけでいいという粘土が売られていて、それを使うのですが、なぜかレンガのような赤い色なんです。(テラコッタ粘土、と検索するとわかります)で、それが雨に溶けるとすんごい状態になるんですよ。不気味です。
串刺しは鳥の仕業ですね。わざわざ刺しているわけではなく、運ぶ途中で落とすことがあるんです。運悪く絶妙な所に落ちることがあるんですよ。ほんとホラーです。






