大神棚
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
あら、つぶらやくん、こんなところであうなんて。だいぶご無沙汰してるわね。
私? 私は弟の見送りが済んだところ。今日は家族の手が離せなくて、わたしがピンチヒッターだったわけ。
久々に幼稚園に行ったけれど、子供も先生もやたら「神、神、神」と相手をほめるのよね。ボキャブラリーうんぬんは抜いといても、神様もだいぶ安売りされるようになったものと思ったわ。
いかに日本が八百万の神の国とはいえ、私にとって神という言葉は、本当に限られたものにこそふさわしいって考えがあるわ。
相手を拝みたいとき、神がかっている出来のときとか、限られている局面で使われるこそ、ありがたみが生まれる。
それが、ああもあいさつみたいに、口をついてポンポンと。時世なのかもしれないけれど、わたしにとっては不思議な感覚ね。
つぶらやくんは、つい神様を感じたり、信じたりしてしまいそうな瞬間を味わったことはあるかしら?
もし、いつも恵まれていたなら、そのような気持ちも薄れるところ。きっついことがあって、そこに雲間から差す光のごとき救いがあるから、印象が強くなるでしょう。
神業、という言葉があるように、それは奇跡的で信じられない確率のもとで起こること。
私もその業に出くわしたんじゃないか、と思ったときがあるわ。純粋にプラスなことか、といわれると微妙だけど。
私の地元の神様のお話、聞いてみない?
私の地元には、「大神棚」と呼ばれる神棚が存在するわ。
神棚と聞くと、各々の家や道場などにまつられるイメージがない? それらとはまた別に、屋外に存在する神棚があったのよね。
それは地域を見下ろす、大岩壁に取り付けられている。離れて見たら「鳥の巣かな?」と思っても、おかしくないポジション。
でも、いざ近寄ってみれば三段を持つ、神棚の構造だと分かるのよね。
最上段にお社。二段目には榊のふたごの枝に挟まれる形で置かれるお神酒の盃といったたたずまい。いずれも近づいて見上げれば分かる、相応の大きさを持っている。
でも三段目に関しては、いまひとつ何が置かれるか分からない。
食べ物が置かれることもあれば、機械とおぼしき無機質な塊が設置されていることもある。置かれている期間もまちまちで、ひと月を通してずっとの場合もあれば、日替わりでどんどん別のものが用意されていく場合も。
設置する役割は限られた家々が担当しているらしいけど、なぜそれを配するかの理由は秘密を貫かれていたわ。
そして、学校へ通う子供たちは、外へ出るとまずその神棚へ礼をするようにしつけされる。
子供はまだまだ神様の影響を受けやすい存在だから、日々感謝の念をささげて、神様のご機嫌を損なわないようにしなきゃいけない……て、理由だったわね。
さっきも話したとおり、私はレアケースにあってこそ、神様を信じたい性分。
ゆえに日常の一部として繰り返されるものは、いくら他の人が神様といっても、私にとっては神様にあらず。
どうして、このようなことをやらなきゃいけないんだろ……心の隅から、少しずつ膨れ上がっていく疑念を胸に、その日も私は学校へ向かう前に、家から数百メートル以上離れた大神棚を見やったわ。
その日、三段目に置かれているものは、なんとも妙だった。
つぶらやくん、「マンガ肉」はご存じ? ドラム缶みたいにずんぐりしたお肉の真ん中に、一本の骨が突き通っている、いかにも原始人のごはんといわんばかりの、豪快ミート。
あの形状によく似たものが、でんと設置されていたのよね。おもわず、目をぱちくりしちゃったし、登校してから他の友達に尋ねてみると、やっぱりあれはお肉だよね? と確かめ合っては、ちょっと笑いのタネにしちゃったわね。
けれども、3コマ目にやってきたクラスメートの話を聞くと、ちょっと首をかしげちゃう。
その子は、今日は病院に行かなきゃいけないので、と事前の連絡をしていて、ここで登校してくるのはおかしいことじゃなかった。
ただ、彼女の話だと大神棚の三段目。あのお肉の形が変わっていたらしいのよ。
私たちが今朝に見たのは、横倒しになった円柱状。けれども、先ほど彼女が見たのは中央に通る骨より上部が、大きく削り取られてなくなっていた姿だったとのこと。
校内からだと、例の大神棚は見えない位置にあるから、まだ確かめられない。けれど、まつったものが変わるのでなく、破損するなどは、私にとってこれまで経験のないことだったわ。
放課後になって、すぐ私は大神棚の見えるところまで急ぐ。
確かに三段目のマンガ肉らしきものは、今朝見た時とは様変わりしていたわ。話に聞いていた以上にね。
お肉の中央あたりは、真ん中の骨がはみ出すくらいに大きく失われている。その陥没のふちは、緩やかな二次関数のグラフのように左右に持ち上がっていっているの。
――まるで、誰かがお肉にかぶりついたみたい。
私にはそう思えた。
あのマンガ肉を、それこそマンガの登場人物が大口開けて、思い切り上からかじり取ったような……そんな形状にね。
ふと、私の耳を打つ車のエンジン音。
見ると、私の来た道から猛然とスピードを出して迫ってくる車が一台あったわ。
黒いセダンは歩道のないこの道で、路側帯ギリギリまで車体を寄せて、こちらへ迫ってくる。
「危ないなあ」と、私は背後の壁ギリギリにまで身を寄せて、車をやり過ごそうとしたの。
ヘタに動くより、相手へ先に行かせてしまったほうが、危険が少ない。
そう信じていたのだけど。
紙一重でセダンが通り過ぎていったあと、ぺちゃぺちゃと音を立てて道路に転がっていった塊を見て、私は自分の目を疑ったわ。
そのちぎれた青色のかけらは、いくらかの赤みを帯びている。何より、その青色は私がとても見知った色合いのもの。
私が何日も付き合ってきて、今日も履いている運動靴のそれと、全く同じなのだから。
――轢かれた!?
うつむいた私は、右足に履いた靴の右側半分が盛大にちぎられているのを、確かに見たわ。
けれども、あらわになっている足には傷ひとつついていない。痛みだって感じない。
これだけ靴を壊すのだから、たとえタイヤに踏みつぶされずとも、ぶつかられておおいに腫れていてもおかしくないのに……。
再び顔をあげた私は、ちぎれ飛んだ靴のかけらを今一度見やる。
そこからは、つい先ほどまでこびりついていた赤いものが、すっかり消えていたのよ。
そして、遠く大神棚に捧げられていたお肉。
先ほどまではなかばうずまっていた中央の骨の部分が、はっきりと見えるようになっていたのよ。
あのお肉が、私の轢かれたお肉の代わりになってくれたのかしら?
健康診断とかで、特に異状は見られないのだけど、私はほんのわずかだけ見ることのできた、あの肉片を覚えている。
もし、あのお肉が私以外の多くの人の身体の肉とすり替えられているなら、何に使われるのかしら?