真珠田水仙という女 壱
「……普段はなにをしてる部活なんですか?」
俺は、素朴で、核心的な疑問を彼女らにぶつけた。
カラカラカラ……と、『ハムちゃん』が回し車を軽快に転がす音が、シンとした部室に響いた。
「……時に、夏瑪くん。君は中学時代、私と同じく美術部に所属していたね。」
俺の質問はどうやらお気に召さなかったようだが、青蓮はまっすぐこちらに視線を据えて話し出した。
手前のテーブルに突っ伏すかたちで身体を預けている水仙が、視界の端でピクリと反応した気がした。
「……まあ、そうですね。」
「うん、だよね。君が熱心に絵を描いていたことを、私は覚えているよ。」
「あぁ、ありがとうございます……なんですかね?」
彼女がそこまで見ていたとは、本当に驚きだ。
俺が美術部時代に制作していた場所はと言えば、部室の隅も隅。一方の彼女はというと、部室のど真ん中が定位置だった。
というのも、部室の物の配置と、常にまとわりつく取り巻きの人数を加味した結果、最もスペースの広い場所に位置せざるを得なかったからだろう。
その位置関係と、さらには360度を取り巻きによって塞がれていることによって、彼女に対する俺の位置は完全な死角となっていたハズなのだ。
彼女は一体、いつ俺を見ていたのだろう。あるいは、超人すぎるあまり、死角をも超越した視覚によって見ていたのだろうか。
「では、なぜ今君はここにいるんだい?」
「……というと?」
なぜ俺がここにいるか。そんなものは決まりきっている。それは『なぜ彼女がこんな部活をしているのか』を知るためだ。
……いや、そうだったか?
「夏瑪くん。私はね、絵を描くことは嫌いではなかったよ。」
「……! じゃあなんで……
「『なんでこの高校で美術部に入らなかったか』、だろう? だから、君と同じなのさ。」
……まさか。
「『面倒くさい』。理由なんてそれに尽きるよ。」
まったく。今日この数十分の間に、彼女に何度驚かされるのだろう。
俺の中で、ある種神話的な存在でさえあった彼女は、瞬く間に等身大の人間に近づいていく。未だ超人的であることに変わりないが、どこか親近感が湧いてくるようだ。
「しかし残念極まりないね。私は君の描く絵が好きだったのに。」
「……! はは……そう、ですか。……ありがとうございます。」
恐悦至極とはこのことを言うのだろうか。それを心より思えることなんて、無いと思っていた。
「それで言うなら、俺も同じですよ。安藤さん……いや『部長』のほうが良いですかね。部長の描く絵、すごいと思ってました。」
「ああ……いいよ。お世辞は好きじゃない。」
「いや、お世辞なんて……
「私の描くものなんて、実物をただ上手く写してるだけさ。それに比べて、君のあの独創的な抽象画……言葉に尽くせない感動があったよ。」
彼女は少しだけ遠い目をして、『ハムちゃん』の走る、回し車を見つめていた。
彼女が高校で美術部に入部しなかった理由は、ただ『面倒くさい』だけではなかったのかもしれない。
しかし、俺にはそれ以上を訊く理由も勇気もないのだった。
「……っっったく!! なに浸っちゃってんの!? なに2人の世界に入っちゃってんの!!?」
俺の傍らのテーブルで突っ伏していた水仙は、両手をテーブルにバンと叩きつけ、勢いよく立ち上がって言った。
それと同時に、彼女が飲んでいたのであろう、ストローが挿さった1リットルの紙パック飲料がバランスを崩し、その中身をテーブルに露わにした。
「あーーーーっっっ!!??」
溢れ出るミルクティーはテーブルをベージュに染めあげるにとどまらず、床をも呑み込もうとしていた。あ、いま呑み込んだ。
「おやおや、床まで……。」
「あああっっ!? あ……ああ……。」
テーブルと床に広がる液体は、彼女が必死になって拭くもの探り探り、視線を泳がせているその間に、完全に浸食を停止していた。
「少し待っていてくれ。準備室から拭くものを取ってくるよ。」
「ごめ……いたっ!? っ~~!? あっ……!?」
なにか、顔の前などで手を合わせ、『ごめん』とジェスチャーでもしたかったのだろうか。水仙は、下ろしていた腕を上げようとした途端、テーブルの縁に思いっきりぶつけて右手を負傷。痛みに耐えかねて上半身を若干屈めた際、胸ポケットに入れていたスマホが落ち、そのままテーブルに広がるミルクティーのプールへダイブ。水浸しな上に、元々バキバキの画面にさらにヒビが刻まれたのだった。
『泣きっ面に蜂』なんてレベルでは無い。『弱り目に祟り目』、ついでにギャルの涙目であった。