銀髪のエルフ⑦
二章が始まりました。
朝起きてからずっと体調がおかしかった。意識がいつまでもハッキリとはせず、自分という存在が、なぜ今この場にあるのかを考えつづけ、たびたび届くアリシアの声を頼りに意識を保った。頭痛と倦怠感が俺の身体を支配し、淡い太陽光が眩しく無慈悲に俺に生きろと訴えかける。しかし、俺は起きてから二時間とベッドの上を動くことが出来ずにいた。扉が開かれる音が廊下越しに、壁越しに次々と聞こえ、俺は遅れているのだと知った。俺はいつもよりも早く起きていたが、それはあまりにもどうでもよいことだった。アリシアは、急に倒れた俺をベッドに寝かし、一晩付き添ってくれていた。彼女は一度、仮眠がしたく俺の横で寝たことをなぜか報告した。が、今の俺にとってそれすらもどうでもよいことだった。俺は、この症状が風邪ならば、アリシアに移らないだろうかと心配した。そう言うと、アリシアはもう体調は良くなったと言い、俺が黙ると朝食を食べるかと訊いた。
「ああ、食べる」
ほとんど惰性で頷いていた。
「分かりました・・・でも、無理はしないでください」
彼女は心配しているといった顔をした。俺は彼女の顔をぼんやりと眺めながら、どうしてそんな顔をするのだろうと思った。俺は、彼女とそこまで親しくなったとは思えなかった。様々な理論が頭を席巻した気がするが、全て忘れた。アリシアが椅子から立ち上がり、部屋から出ようと歩き出す。それを見、頭痛がひどくなったような気がした。アリシアがドアノブをつかんだところで、俺は声を張り上げた。
「・・・男を誰か呼べ。最初にあった人でいい。そいつに、俺の体調が悪いのだと言え。そうすれば、どうにかしてくれる。お前は俺のそばにいてくれるだけでいい。朝食はそいつに運ばせろ。お前が何かをする必要はない」
「分かりました」
扉が閉まり、足音がうるさく聞こえ、俺は窓から入るわずかな暖かい光を意識していた。何かを考えようとすると頭痛がし、じっと、何かから逃れるように壁の板目を見続けた。頭がぼんやりとし、俺はぼんやりとしていることを理想とした。一階が異常なほど騒がしくなり、自然と意識がそちらに向かった。俺は自分の意識を制御しようとしたが、苦しくなり、流れに身を任せ、この状況が変わるのを待った。二回寝返りを打つと扉がノックされ、俺が返事をすると扉が開いた。アリシアが先に見え、後ろに大柄の男が居た。男は筋肉質な体をし、俺はなぜか昨日見た三人の男共の体格と比べていた。男は、髪が少なく厳つい顔がよく見えた。この男はどこかの低級貴族の門番を仕事にしていたが、名前はうまく思い出せなかった。二人はベッドの横に並び、男は俺を見下すように眺めた。男の小さな呼吸音が、よく聞こえた。
「一階に、見知らぬ女が居ました。あなたを待っているようです」
「は?」
男は体格に見合わず理知的にしゃべった。俺はすぐに昨日俺を襲った女を思い出し、思い出すと同時に頭痛がした。
「それは、どういう女だ」
「銀髪のエルフです。フードを外してました」
男は横目でアリシアを見ながら言った。確かあの女は、アリシアの姉と言っていた。
「俺の客か・・・」
その意味を考えながら俺はアリシアをわざと見ず、天井を眺めた。あれが俺に何の用があると言うのだろう。理由を考えようとして、やはり頭痛がした。なんにしろ、今の俺ではあの女に対抗するのは難しかった。
「体調が悪いようでしたら、帰らせますが。あなたの客ということでまだ誰も手を出してはいません。向こうも、争う気はないようです」
争う気はない?
「用件はなんだ?」
「取引がしたいと」
「・・・馬鹿馬鹿しい」
俺は何も考えずに口にした。俺はその女と会うことがめんどくさく思えた。何も考えたくはなかったが、しかし俺は彼女をどうにかしなければならなかった。その女は現実問題として俺の邪魔をし、無視できぬ存在として俺の中に記憶されていた。
「ああ、いいや。俺が行く」
「体調は・・・」
アリシアが心配そうに声をかけた。俺は嬉しくなり、アリシアの顔を見ようとしたが、首が痛くなり代わりに彼女の細い腕を見つめた。
「大丈夫」
言い、それから音色を変え、男に言った。
「お前、仕事はいつからだ?」
「昼からです」
「なら、暇そうなやつを集めて俺を守れ。その女が俺を攻撃してきたら、女を殺せ」
「待ってください」
アリシアが急に大きな声を出した。彼女は必死な表情で俺を見つめ、何かを訴えようとしている。
「どうした」
「その女が本当に私の姉ならば、姉は殺してはいけません・・・殺せば、本当にあなたは殺されます。一日もたたずに、あなたは死ぬことになります」
「・・・分かった。殺すな」
「分かりました」
男は神妙に頷いた。
ベッドから身体を起こすと、軽く頭が揺れた。掛け布団を取ると、新鮮な冷たい空気が身体に纏わりつき、身体から無駄な熱気が放出された。ゆっくりとベッドから降り、床に置かれた靴を履く。顔を上げるとアリシアがずっと俺を見つめていた。
「アリシアは部屋に居てくれ。護衛をつける」
俺は言いながら動き、早くこの用件を片付けたいと思った。男に目配せし、男が扉を開けると、俺は剣取り、ゆっくりと彼の後に続いた。アリシアが俺を不安そうな瞳で見ていた気がするが、なぜそうするのかがよくわからなかった。階段を降り、一番近くにいた二人の男に部屋の護衛を任せた。俺は指示を出した後、アリシアの護衛を適当な者に任せた自分に驚いた。が、俺はすでに周りからの視線に晒され、頭がぼんやりとし、指示を変える気力もなかった。男共は律儀に席に座り、各々が朝食を取っていた。荒くれた顔の奥に、背が低く可愛らしい顔をした銀髪のエルフが居、男共はたびたび彼女を見つつ、俺を見た。銀髪の小顔はぼんやりとした視界の中でよく目立ち、浮いていた。俺は彼女が俺を一体どのような感情で見ているのかを考えながら、女の前に座った。机の上には水が入ったコップが一つだけ置かれていた。椅子に座った振動で微かに揺れた水面を眺め、それからゆっくりと視線を上に動かすとショートカットの銀髪が日光で輝いていた。
「ようやく来たか」
女は冷たい瞳で俺を見据えた。
「お前、生き延びたのか」
俺はのどの渇きを感じながら、素直な感想が口から洩れていた。言いながら女の隣に立掛けられているレイピアに意識を向ける。
「ああ生き延びたさ。傷一つ負ってない」
女は真剣な顔をしながら口元だけで笑った。俺は彼女の顔を見ながら、真剣な会話をする気のない自分を意識した。そうすると、心が楽なった。女は外装の下から小さな包みを出し、机に置いた。金属が揺れる愉快な音が聞こえ、男共のざわめきが起こった。コップの水が揺れ、俺の意識が微かにそちらに向いた。俺はその何にも干渉しない水面を見続けようと思った。
「アリシアを買いに来た。ここには二億ある」
女は前のめりになり、笑うのを辞めた。俺はその包みを見てはいなかった。
「いらない」
「は?」
女は目を見開き、前のめりのまま固まった。
「俺はアリシアを売る気はない」
言いながら、俺はこれでいいのだと考えていた。俺は、この決断になぜか勇気を使ったと思った。何かから解放されたように身体が軽くなり、女と喋り続けることは苦痛になると考えた。だが、俺の意に反し女は俺を睨み続けていた。
「二億だ。二億だぞ。一生暮らせる金だ」
俺がコップの水から顔を上げると、女は必死に口を動かし、表情をこわばらせていた。俺は微かに笑い、女の声で頭が揺れるのを感じた。
「ああ・・・だが、金は要らない。アリシアを売る気はない」
「はぁ?」
女の高い声が、すぐ近くで響いた。
「だから・・・」
「本当に買う気はないのか?じゃ、じゃあ、五億用意してやる。それでも買わないのか?」
「ああ」
「っ・・・」
女は肩を震わせ、ものすごい険相で俺を睨んだ。動かないでいると、女は大きく息を吐きながら、ゆっくりと背もたれに身体を預けた。俺は黙って、この女が諦めて帰ることを願った。が、そう願いながらこの女が帰った後、俺は喜んでいるのか、悲しんでいるのかが全く想像がつかなかった。俺はこの女が帰ることに、何かを感じなければならなかった。何も感じないことにこそ違和感があり、この女がこの場から離れること自体に俺は違和感を覚えてた。俺はもしかしたら、この女を必要としているのかもしれないと考え、その考えがゆっくりと俺の中に侵食していくのを感じていた。
「金か・・・」
俺は自分がそう言ったのを理解するのに時間がかかった。女が俺の声に反応し、希望の瞳で俺を見た。
「ああ、金だ。お前だって金が居るだろ?」
俺は少し考え、そうかもしれないと納得した。女は俺を見つめ続け、だんだんとその笑みの深さを増していった。
「いくらいる?取引してやる。アリシアを渡せば、お前が望む金額を渡してやる」
俺はアリシアと金とを比べ、アリシアの存在価値が自分の中でますます増していくのを感じた。
「アリシアは渡せない」
「・・・じゃあ、どうしたら渡すんだよ!」
女は叫び声をあげながら、勢いよく立ち上がった。男共のざわめきが一気に小さくなり、やがで身の縮むような緊張感が場を支配した。女は俺を上から見下し続け、俺は彼女が返事を待っていることに気がづいた。
「渡せない。売らないし・・・」
「売れ!あたしはアリシアを貰いに来た。売らないなら・・・強硬手段を使う」
女がレイピアの柄を掴んだ。数人の男共が次々と立ち上がり、女を囲うように回る。女は男共を血走った目で眺めながら、顔を高揚させ鼻息を荒くしていた。彼女はどうしてか、強い意志を持ち、焦り、この状況を突破しようと考えているようだった。ゆっくりと鞘からレイピアの細い刃が抜かれるのを見ながら、俺はため息を付いた。
「俺を攻撃したら、お前は死ぬことになる」
女は大きく息を吸い、吐いた。女はわずかに肌を震わせ、緊張していた。
「殺さないだろ。お前らはあたしを殺せない」
「・・・そうだな。殺せない。だが、それがどうした。俺は、お前を殺さずとも奴隷にし売ることが出来る。金なら、それで足りる」
言いながら、顔を歪ませる女をじっと眺め続けた。彼女は俺の目を見続けていたが、大きく息を吐くとレイピアを構えた。俺は剣の柄を強く握り、すぐに緩めた。
「本当にあたしと取引はしないんだな。アリシアを渡すなら、あたしは出来る限りのことはする。十億用意できる。金以外にも、あたしには多くのことができる」
「無謀だ」
男共は各々獲物をすでに構え、鋭い視線を女に向けていた。じりじりと、その距離は縮まっている。女は男共を警戒しながら、その首筋に汗をかいていた。
「本当に、殺すぞ」
「無駄だ。わかってるだろ。お前は俺を殺す前に、止められる」
「・・・」
「無駄だ。脅しにもならん」
女は柄をきつく握り、唾を飲み、何かを諦めるように構えを解いた。それから息を吐き、大きく吸った。俺は厭な予感がし、席を立とうとした。その時、女が机の上に足を乗せ、俺の頭を超え、階段に向って走った。時が止まったような感覚の中、机の上で今にも倒れそうに揺るコップが意識され、それから急いで立ち上がり大声をだした。
「俺が行く。誰もついてくるな」
俺は頭が痛くなるのを感じながら、男共をかき分け走ることを意識した。女はもう階段を登り切っていた。進むスピードを上げると、それに伴い身体に負荷がかかり、何度か唾を飲み、頭痛を治めなければならなかった。階段を上がり、すぐに息が切れた。不自然に呼吸をしながら廊下をゆっくりと歩くと、扉の前で二人目の護衛が心臓を突かれ、倒れることだった。俺は走りながら、剣を抜いた。鞘が落ちる音が過敏に聞こえ、精神が高揚していた。ゆっくりと時間が進むのを感じ、その中で俺は無意識に剣を構え、女に切り付けようとした。女が一瞬、こちらを見、すぐに扉を開け中に入った。俺はそのままのスピードで後を追い、不自然に明るい部屋にめまいを起した。女は、窓を背後にアリシアに身体をくっつけ、細長いレイピアをその白い首筋に近づけていた。アリシアは背が高く、女は少しだけレイピアを持つ手を苦労していた。俺たち二人は汗をかき、息が荒れていた。俺は、その光景を見、なぜかデジャヴを感じた。急激に心が静まり、俺は焦り、疲れている自分を演技しているだけのように思えた。小さく息を吐き、ゆっくりと呼吸を整える。俺は、女にアリシアが取られたとは思えなかった。優越感を覚え、精神が高揚した。
「お前は、アリシアを殺しに来たのか?違うだろ」
「・・・」
女は一歩後ろに下がり、逆光でわずかに顔が見えなくなった。
「窓から逃げるのか?そうはさせない」
俺はわずかに危機感を覚え、全身が震えた。柄を持ち直し、女に向って殺気を飛ばす。女は俺を睨み、だが、その場から動こうとはしなかった。唾を飲み込む音が聞こえ、女が口を開いた。
「提案がある」
「なんだ」
心臓の鼓動が早くなる。この状況で、女に何ができるのか想像がつかなかった。
「あたしと逃げないか。まだ金はある。苦労はしない」
俺は少し考え、すぐにその提案の欠点を見つけた。
「その先に何がある。所詮その場しのぎの提案だろ」
「チッ」
女はゆっくりとレイピアを下げ、構えようとした。その瞬間、俺は地面を蹴り、一歩素早く前に出る。女が驚くのを目尻に片手で木の椅子を持ち、勢いのまま投げつけた。女がアリシアを無理に引っ張り右に避け、木の椅子はガラス窓に当たり、大きな騒音を立てて落下した。俺は一連の間に足を進め、女と距離を縮めていた。女は体制がわずかに崩れ、反撃する素振りはなかった。俺がそのままタックルすると女はそのまま壁に激突し、俺と壁に挟まれた。俺はしばらく女を壁で抑え込み、アリシアに目配せでここから離れるよう伝えた。アリシアは震え、俺を一度見つめるとすぐに扉へ走って行った。彼女の足音を聴きながら、俺は高揚し、無意識に女に強く力を入れていた。離すと、女は倒れるように壁に沿って座り込み、酷く早く呼吸をした。顔がだるんと下を向き、俺は今、彼女は絶望しているのだろうと、冷静に考えた。それから大きな声で応援を呼び、男共が来ると、俺はベッドに座り、彼らに指示をした。二人の男が女を捉えて縛り、女はその時にはわずかに抵抗したが、男共の怪力によりすぐに抵抗は収まった。一人が太いロープを使い、女を縛ると女を別の空き部屋に送り、三人の男を門番にした。俺はその間ベッドの上を動かず、頭痛と微かな眠気に襲われていた。その間に女の処遇を考えようとしたが、うまくいかなかった。女に殺された遺体は、誰かが回収し、俺が見たときにはなくなっていた。最後に、男の一人に夜はパーティーにすることを伝え、俺はベッドで本格的に眠ろうとした。が、すぐにアリシアが俺に近づき、俺は眠ることが出来なかった。アリシアは暗い顔をし、足元に座り俺の顔を見続けた。俺は笑みを浮かべ、機嫌よく喋った。
「どうだ。ここは安全だろ?少し苦労したが、殺すつもりならすぐに終わっていた」
アリシアは俺を見つめながら泣きそうな顔をした。俺は眉を顰め、少し困った。彼女をこのような顔にするつもりはなかった。
「すみません」
「なぜ謝る?」
「私・・・あなた達のことを利用しているんです」
「どういうことだ?」
「私は、多くの脅威から逃げているんです。私は、あなたの物として、その脅威をあなたに背負わせている。・・・すみません」
アリシアは顔をうつぶせにし、涙を流した。彼女は涙声で何度も俺に誤り、水滴で布団を濡らした。心臓が痛くなり、頭が痛くなった。俺は強い罪悪感に襲われ、それが病状を悪化させているように思えた。俺は、何度もアリシアを許し、次第にそうすることすら辛くなり、沈黙した。