銀色のエルフ⑥
分厚くわずかに白い雲が、その上にある月によりうっすらと丸く光って見える。もうすぐで雨が降りそうだと、誰かが言っていた。俺は、外を眺めるなどという行為を久しぶりに行った自分を意識しながら、横にある窓から暗い外を眺め続けた。外の風景は暗く何も見えず、ガラス窓にはテーブルの上で揺れる蝋燭の炎と俺の姿が幽霊のごとく薄く映っていた。まるで幻想の世界にいるような窓の向こうの俺は、どこか悲しそうであり、しかし、わずかな喜びを感じ、興奮を隠しているようにも見えた。俺は、憂鬱になっていた。それは、外が暗いせいかも知れなかったが、俺が男共との会話に興味をなくしたからかもしれなかった。本来であれば、今から二時間前に夕食は終わっているはずだった。が、なぜか俺は、男共と会わぬよう夕食の時間を意図的にずらし、時間を空けて夕食を取っていた。俺自身、なぜそのようなことをするのかをよく理解してはいなかった。
――憂鬱だった。
なぜ、俺はそのような行為に出るのか。男共を避ければ、俺と会話をする人間が半数以上いなくなってしまう。俺はそのことを理解していながら、男共を避けようとする自分の意思を尊重していた。まるで女を手にした男がそうするように、俺は男共をどこか意図的に嫌っているのである。憂鬱である。やはり、外が暗いのがいけない。暗闇は人に冷静を与える場合と、鬱を与える場合があった。今の俺は、その暗闇から鬱を与えられていた。扉が開く音が大きく聞こえ、コツ、コツ、コツ、と闇に紛れ足音が聞えた。うっすらと、窓に映る俺の横顔の後ろに人影ができる。あいつだろう。俺は最後の冷めたスープを飲み干すと、人影に意識を向けた。ガウは、今朝と変わらぬ恰好をし、俺を見ずに隣の席に座った。彼は煙草を吸い、俺はその黙々と上がる白い煙をなぜか吸い込まれるように見つめていた。暗い世界に上るその煙は生きているかのようで、俺に生気を与えるようだった。
「依頼主にお前の不参加を伝えた」
ガウは、ぶっきらぼうに口を開いた。
「そうか」
彼の報告は、俺にとってどうでもよいことだった。俺は煙草から出る煙を見つめ続けた。
「俺は、お前は運がいいと思う」
「ああ、そうだろうな」
俺は適当にそう言った。
「だが、この町で暮らすことはもう出来なくなるだろう」
「は?なんで?」
「お前は銀髪のエルフと関わっているだろ?それがいけない。あれは買うべきではなかった。お前は、美しい女を手に入れたかもしれないが、それは同時にお前の破滅を呼ぶ女だった」
「・・・意味が分からないな」
「銀髪のエルフを狙う人間は大勢いる。お前は今日、何者かに狙われたそうじゃないか。ああいうのが、今後やってくる」
俺はなぜか、その言葉に敏感に反応した。
「はっ。そいつら全員を俺が殺せばいいだけの話だろ」
言いながら、額に汗を掻き、冷えていく自分を意識した。俺は、あの時の女か、それ以上のレベルの集団には対処できないだろうと、冷静に考えていた。ガウは呆れたように息を吐いた。
「はぁ・・・相手を見くびっているな。お前は、そういうとこがある。楽観視を辞めない」
「楽観視じゃねぇ。希望だ。あるいは、事実だ」
「どちらでもいい。お前が言ったそれらが楽観視だ。お前はまだ、死にそうだとか、死ぬかもしれないとか、そう言ったことを本気で考えてはいない。お前は半端に強い。それがお前を傲慢にする」
「今日はやけに饒舌だな。何が言いたい?」
「俺は今、気分がいい。色々話してやる」
「ああ?」
「さっきも話した通り、俺は依頼主にお前が依頼を断ろうとしていると言った。そしたら、依頼主は最初お前のことなどどうでもよいという風に、来ないなら来なくといいと、そう言った。依頼主は酷く焦っているようだった。護衛は最悪なくてもいい、お前が期限までに来ないなら来ないで別に構わないと、そうも語った。だが、それじゃあ俺が面白くなかった。俺は必死に、お前がどのような安い理由で貴方様の依頼を断ったのかということを執拗に話した。すると、驚いたことに――これは本当に驚いたことに、銀髪のエルフという単語を出した途端、依頼主の身体がフルフルと震えだした。そう、あれは完全に震えていた。依頼主はすぐに、お前への仕事の取り消しを命じた。それにはさすがの俺もあっけにとられたさ。けど、やはりあの時の依頼主の震えようは面白かった。依頼主は俺に、護衛の依頼を受けたいなら、銀髪のエルフとその関係者、つまりお前には今後一切関わらないようにと言った。関わるのなら、俺への依頼は破棄するとも言った。それは忠告よりも、脅しに近かったが、俺はなんだか面白くなってきて馬鹿になっていた。俺はいつの間にか、どうして関わってはいけないのかと質問していた。依頼主は急に静かになり、一言だけこう言った。あれは火薬庫のようなもの。触るべきではない、とな。俺は震えたよ。久しぶりに、何か巨大な力が俺を排除しようと働いている感覚がした。俺は依頼主が何かから逃げようとしていることは察していたが、その何かを肌で感じ、すぐにお前との関係を絶つことを決めた。俺はこれから、お前を避けるように行動する。お前がまだこの地域に留まるようなら、これで一生の別れかもしれない」
ガウはそこで不自然に話を辞めた。口から白い煙が上がるのを窓越しに眺める。
「だから何だ?何が言いたい?俺は依頼が取り消しになってこれで心配事がなくなったと喜ぶだけだが」
「チッ。分らんか。俺はな・・・心配してるんだよ。お前は、その銀髪のエルフを持っている。俺には、お前は不幸の塊を抱えているようにしか見えない」
「なんでそうなる?あれが不幸を呼ぶとでも?」
「呼ぶだろう。俺は、銀髪のエルフなんてお前のを見て初めて知ったが、裏の世界ではそれはなかなか有名になって来ているところらしい。皆、依頼主という大物が動いたことで感覚が敏感になっている。俺は詳細は知らないが、次第に何かがこの町を覆うらしいとも聞いた。俺はその何かが俺のもとに来る前に、逃げる」
何故だか胸騒ぎがした。何か巨大な力だとか、何かがこの町を覆うらしいなどと抽象的に言われても、何も実感など湧いては来ない。だというのに、腹の底から危機感が湧いて出てきた。
「・・・逃げるのか」
口に出し、負け惜しみだと思った。
「ああ、逃げる。そして、遠くからこの町の行く末を観察する」
この男が外に出るのなら、俺は残らなければならないような、なぜかそんな気がした。
「前々から思ってたが、お前は、なぜか責任感が強い」
「あ?」
「だから、この町で、この宿を拠点に荒くれ者共のボスなんかをしている。お前は、そういう人間なんだ」
「何が言いたい」
「お前は、まだ世界を知らない。俺はもう四十六だ。だが、お前はまだ二十七――この判断は経験の差が生み出した」
「は?上から目線で言いやがって。それはねーだろ。経験があるないなんて後からどうとでも言える。お前は逃げるが、俺は逃げない。ただそれだけだ。そこに格差なんぞつけるな。鬱陶しい」
ガウは静かに席を立った。煙草を太い薬指と中指を使い口から外し、煙を上にあげたまま俺に背を向ける。
「忠告はした。俺はもうここには来ない。さよならだ」
扉が閉まると、宿の一階は急激に静かになった。俺は急激な寒さを感じ、それに伴う寂しさを覚えた。何故か窓ガラスにはいつまでもガウの姿があり、俺は、そこに映る白い煙をいつまでも眺めていた。アリシアに会いたいと思ったが、なぜか身体が硬直し動かなかった。目を閉じ、アリシアの姿を思い浮かべた。彼女は今、俺の部屋に居た。最後に見た、アリシアがベッドに腰を掛ける姿が頭に浮かんでは、消え、また浮かんだ。それが何度も繰り返されると、だんだんと心の奥の暗闇に滑り込むような、圧倒的な解放感を覚え、高揚し瞼を開けた。窓にはもう、ガウの姿は見えなくなり、俺の身体は動くことが許されたかのように、機敏に動いた。
扉を開けると、アリシアはベッドの上に座っていた。机の上の蝋燭だけが部屋を明るくし、テーブルの蝋燭を消すのを忘れたと思ったが、どうでもよかった。
「気分は?」
「よくなりました」
俺はその一言だけで全身の疲れが取れていくのを感じた。アリシアは宿に着くと、気分が悪いといいベッドで横になった。薬が必要かと言ったが、要らないと強く言った。
「本当に夕食食べなくていいのか?」
「はい。今日は、何も食べたくないんです」
俺は椅子に座り、彼女を対面に置く。アリシアは、よく見れば瞼を若干伏せ気味にし、顔に生気をなくしていた。回復には時間がかかるのだろうか。俺は何を言おうか迷い、俺の意見を言うことにした。
「・・・今日は色々あったが、俺はお前の事情については何も訊かないし、聴きたくない。俺にとって、お前の以前の姿など無いもの同然なんだ。今更あぶりだされ身勝手に俺の心を揺さぶるような真似はさせない」
雨が連続して屋根を打ち始めた。俺は、波に揺られている気分を全身で感じた。気持ち悪いのか心地よいのかわからない状態になり、雨の音で耳鳴りがした。アリシアが唇を締め付けるように閉じ、それからゆっくりと唇を開いた。
「私を匿うと、たぶん、あなたは殺されます」
殺されるのか。俺は口を開いたが、何も考えてはいなかった。頭がぼんやりし、熱を帯びた。
「そうなのか。だが、それも承知の上でそう言っている。俺は、頭で考えることが嫌いだ。目で見て、敵だと思ったら切る。それがいい――うん。それでいい」
視界が揺らぎ、見るという行為に集中できなくなっていく。俺はなぜか、満足感を覚え、心が温まった。
「俺はな」
アリシアが何かを言おうとしたが、先に俺が声を出していた。
「ここのボスだ。俺は、あまり負けたことがない。致命傷すら未だに負ったことがない。俺はたぶん、最強なんだ。だから、誰が来ようと負けることはない。・・・ここは俺の城だ。ここが一番安全だから、何も心配はいらない」
俺は言いながら、意識が薄れていくのを感じていた。うまく喋ることが難しくなり、暖かい液体が頭上から全身に流れるような心地よさを感じ、意識が途絶えた。
一章終了。