銀髪のエルフ⑤
壁沿いに建つ宿が見え、ふと誰かに見られていると感じた。視線は後ろからではなく、前の方からであり、目の前には三人のガタイの良い男が道を塞ぐように並んでこちら側に歩いていた。そのうちの一人がこちらを見ているのだろうか。視線は一つだった。が、三人の男達は肩幅を広げ、左右の二人が真ん中の男を見、真ん中の男は右の男を見ていた。俺を見る視線はそこにはなく、俺はやりきれない違和感を覚えた。男たちは、宿に住む人間ではなさそうだった。まるで歩き方がなっていない。彼らは、あまり強くないだろう。強くない人間は俺の宿には居なかった。最初に、暇を持て余していた左にいる男が俺に気づいた。不自然に吊り上がった目で俺を見、後ろのアリシアを見、下劣な笑みを浮かべながら真ん中の男の肩をつかむ。つかまれた男は左側の男を不機嫌そうに見、その後俺を見つけ、アリシアを見つけ、歪んだ笑みを浮かべ、彼はこちらに近づいた。宿の扉は、男共のすぐ後ろにあった。俺はこの男共の対処法を考えながら、少し苛苛した。
「おいおい。上等な嬢ちゃんじゃねーの。ちょっと俺たちに貸してくれよ」
胸の前で手のひらと拳とを作り、男は強く、パチ、パチと音を立てた。その音は不愉快に狭い路地に響き、不愉快な音律を奏でた。俺はあからさまに眉をひそめ、厭な顔をする。
アリシアの服は、一般女性のそれであり特別身体的特徴を隠すようなことはしていなかった。俺は、服選びをアリシアに一任したが、それは間違っていたのかもしれないと少し反省した。また、彼らのような男共に関わることはアリシアのような美女が居る時点で仕方のないことかもしれないが、それでも、フード付きの外套くらいは着させてもよかっただろうと思った。もしかしたら、それの行為によりこのようなチンピラ風情の男共からはアリシアの美貌を簡単に騙せるかもしれなかった。どちらにせよ、今男共はアリシア狙いで俺に関わってきていた。俺はその事実が、何よりも、鬱陶しく、苛苛した。真ん中の男が、腰から剣を抜いた。それを合図に、後ろに居た二人の男も剣を抜き、まるで俺を囲うように移動する。俺はそれを見ながら、眠気を覚え、あくびをした。俺の頭上には太陽があり、俺は太陽の光を浴びすぎていた。男の一人が何かを叫んだが、俺はあくびにより全ての音が遠くに聞こえ、聴いてはいなかった。
「アリシア、後ろに下がってろ」
「大丈夫ですよね」
男が一歩前に出、剣を振り下ろした。俺は剣先に合わせるよう、一歩下がりそれを避ける。アリシアに近づき、俺は慎重に息を吐いた。剣を鞘から抜き、手になじむ持ち手を探る。
「ああ、問題ない」
「分かりました。ご武運を」
後ろに下がる足音を耳に染み込ませながら、男共を全てをカウンターで終わらせることに決めた。俺は、後ろにアリシアが居る以上、下がることは許されなかった。二人の男は俺のわずか斜め前横に居、なぜかそこで俺が動くのを観察していた。彼らはアリシアを狙おうとせず、俺はひとまず安堵する。最悪な状況は、俺が誰か一人に足止めされ、アリシアを残りの二人が捕らえ、人質にすることだった。が、男共は馬鹿なのか、そのようなことはしなかった。突然声が上がり、何かが迫る空気を感じ、俺は前に意識を向ける。男が、剣を馬鹿丁寧に掲げ、振り下ろしてきた。男は踏み込みがよく、しかし、剣筋が単調すぎた。俺はわざと左によけ、左から攻撃が来た時にも備えたが、左にいる男は眺めるだけで、攻撃はこの一撃のみだった。俺は前に出ることが出来ず、仕方なく、男の両手首を横から切り落とした。男の口から獣のようなうめき声が上がり、剣がカランと乾いた音を立て、地面に落下した。切断面からは血が、だら、だら、とトマトを絞ったように流れ、地面で手首から流れる血液と混ざり、剣先を不気味なくらいに赤く染めた。男はさらに獣のような声を上げ、何度も、何度も、意味不明な言葉を早く発し、腹を蹴ると男はあっけなく仰向けに倒れた。その瞬間、男の背後から何かが飛び出した。俺の全身が危機を訴え、鼓動が早くなり、触る空気が急激に冷えるのを感じた。視線が回転し、頭の中が混乱する。俺は無意識にわずかに右に飛び、腕をいっぱいに伸ばし、剣を右に突き出していた。伸びた刃の手前でそれは止まった。茶色い汚れた外套を着、姿を隠している。その人物は邪魔そうに刃を見ると、首だけを回し、俺の方を向いた。フードが一瞬風に揺られ、鋭い碧眼が俺を見据える。俺は美しいものを見たと思った。それは女の顔だった。背が低く、まだ大人ではない。
「邪魔」
女は人を蹴落とすような声を出した。不自然に音域が高く、やはり女だった。
「何者だ」
強者だろう。強者の風格をこの女は持っている。俺は背中に冷や汗をかき、地面のずっしりとした重みを足の裏に感じた。まるで、何かの圧力を受けているかのように足が重く、俺は動くことが難しくなっていた。だが、この女は確実にアリシアを狙っていた。俺が狙われたのなら、対処は出来、あのような全身を刺激する不快な緊張感を俺が覚えるはずがない。狙われたのはアリシアなのだ。俺はそれを察知したから、こうして緊張していた。
「黙れ」
女は強くそう言った。やはり、彼女は目の前に刃あるというのに怯えていない。女は、ここで俺が剣先のをわずかに女の方にずらしても避ける自信があるのだろう。刃をここで動かすことは、やはり相手にスキを作ることだった。
「お断りだ」
俺は剣先を軸に、ゆっくりと回るようにして女の前に出ようとした。アリシアが本当に後ろに居るのか不安になったが、確認する余裕もなかった。俺は、女から目をそらすことはイコールでアリシアを奪われる、あるいは殺されることだと強く意識し、女を注意深く観察した。女のわずかな呼吸音や手先に注目し、そのせいで心臓の鼓動がやけにうるさくなった。一瞬、剣を握る手が突然滑り落ちそうな幻想に襲われ、自分が汗を流し、緊張していることを意識する。頭上から理不尽に降り注ぐ光が邪魔だった。あの光は俺を落ちつけさせなくする。敏感になった神経に、女が不自然に呼吸を変えるのが分かった。俺はまだ、完全に女の前に出てはいない。ここで剣の角度を変え、女に振るっても、避けられてしまう。一瞬の、スキが生じた。
――まずい。
女は素早く動いた。俺は女に抜かれ、風が通り過ぎるのを感じた。身体ごと後ろを向こうとし、体が重たかった。振り返ると、二人の男がアリシアに近づいているのを知った。アリシア目を閉じ、顔を伏せ、全てを諦めるように地面に座っている。アリシアと男共の距離は、あと一メートルというところまで来ていた。が、男共がアリシアに近づくよりも早く、女が男共に迫っていた。女は走りながら腰からレイピアを抜き、右にいる男の背中から心臓部位を狙い、突いた。
「がぁぁ」
それからすぐに抜き、左にいる男の背中から辛抱部を狙い、同じように突いて、抜く。その技は、よく洗礼されたものだった。
「うぁあぁぁぁ」
男共の背中から、どく、どく、と血が流れる。女のレイピアから血が滴り、男共は力なく地面に倒れ、地面に血を流した。それから男共は女に頭を蹴られ、地面に赤い線を描くように回転し、道の横の陰に入った。陰と血で地面が赤黒く染まり、男共はそれでも息を吸おうと頑張っていた。が、すぐに動かなくなり、呼吸音もしなくなった。アリシアの前には、血液が付いた茶色い外装を着る女だけが残った。女はゆっくりとアリシアに近づき、俺は急いで女の肩をつかもうとして、女が振り向き、手ではじかれた。反対の手にはレイピアが握られ、まだ赤い血が滴っている。
「何?殺すよ」
女は平然とそう言った。やはり、殺しなれている。俺は女に対し聴きたいことが山ほどあったが、全てを飲み込み、一言だけ訊くことにした。
「アリシアに何の用だ」
「アリシア?・・・あんた、この子の持ち主?」
「ああ、そうだよ。俺がこいつを買った。その首輪が証拠だ。で、なんでお前はそいつを狙うんだ」
「やっぱり・・・じゃあさぁ、取引しようか。この子、あたしが買うから」
「は?なめてんじゃねーぞ」
「売れよ。あたし金持ちなんだぜ」
「小娘がほざいたことを。こいつは俺のもんだ。もう売りもんじゃねぇ」
「ほう・・・言うねぇ。でもさぁ、ここで交渉してくれなかったらさ・・・あたし、あんたを殺さなくちゃいけなくなるだよねぇ」
「てめぇに殺されるほどやわじゃねぇよ」
「本当に?」
視線が、鋭くなった。
「ああ」
「じゃあ、試してみようか」
瞬間、目の前から何かが飛んだ。俺は反射で背後に飛び、警戒するように構えをとる。さっき俺の胸がある位置に、レイピアの先端が下から突き出ていた。背中がひんやりとし、猛烈に体温が下がった。心臓の鼓動がやけに大きく聞こえ、鼻息が荒くなる。
「へぇ」
「くそが」
場所を取られた。あの位置ではアリシアを盗み出すことは不可能に近い。俺は、アリシアを連れ出すにはあの女を倒さなければならなくなった。女はレイピアを使い、俺はレイピアとの対戦経験がなく、攻め込む方法を知らない。様々な攻め込み方を想像するが、そのすべてに反撃を取られるようで、俺の足は自然と立ち止まってしまう。女も、俺の実力を知ってか、それともカウンターでも狙っているのか、動こうとはしない。その時、不意に女の後ろから男が現れた。わざとらしい足音を鳴らし、俺はその足音を聴いたことがあった。
「そこまでにしてください」
低い、意志の強い声が響きわたる。庶民服を着た、ひげの長い老人だった。この老人は、確かに俺の後をつけてきた人間だった。そこには何かしらの理由があり、俺は現状を鑑み、老人を警戒することにする。
「その声・・・グラムか。ああ、もう、なんでこうなる」
女は老人を見ず、片方の手でフードの中に手を入れ、苛苛しながら髪を掻いた。俺はますます二人に対し警戒心を強めた。あの老人が女の味方であれば、俺はもう手も足も出ない。女が俺を足止めし、老人がアリシアを連れ出せば、相手の目的は全てがうまくいった。俺は、ここ数日で一番の緊張状態なるのを感じた。俺の中にある何かが、全てを諦めたようにやる気をなくし、しかし、それでよいのかと訴えかける自分が瞬時に生まれ、うごめいた。俺は相手二人がスキを作るのを待つか、それとも老人がアリシアに近づく前に飛び出すか、迷った。
「はい、グラムです。まさか、もう妹様の居場所を突き止めたとは、私も驚きましたよ」
「えっ」
その言葉にアリシアが微かに反応した。が、グラムはその声を遮るように大きな声を出した。
「お遊びはここまでです。さあ、お戻りください。そのような元愚妹など、拾ってはなりません」
「元愚妹だと――馬鹿を言うな!」
女は、高く、ひび割れた声を発した。が、それを遮るように老人が強く言う。
「なりません。それはもう居ない存在。あなた様とは関係のない存在。まして、唯一の結婚相手から逃げだした身。あなた様もそうですが――私どもがかくまう理由などどこにもありません」
「あたしの妹だぞ。お前ら家臣が勝手に決めていい問題ではないだろ!」
グラムはアリシアとの距離を着々と詰めていく。
「私共の問題ではありません。あなた様一家の問題です――ここでは場所が悪い。早くお戻りください。その男には、私から言っておきます。あなたは、その元愚妹さえ諦めればよいのです」
女はついに俺に背を向け、グラムと対面した。女の背中はがら空きであり、今なら殺せるだろうと思った。女を殺せば、後は老人しかいない。千載一遇のチャンスだった。俺は走ろうとし、アリシアの視線を感じ、動けなくなった。
「だから――。だから、私はこの子を奴隷にするんだよ。そうすればいいだろ?正真正銘、この子は私の物となる。奴隷なら、何も権限はないし、何にもできないからな。誰にも文句を言われまい。なんたって、物、なんだからなぁ」
「はぁ・・・それこそ馬鹿なことを。奴隷など、あなた様が持ってよいものではありません。仮に、たとえ彼女を奴隷にしようと、誰も認めてはくれませんよ。また捨てられるだけです」
「は?」
グラムはそこで、アリシアを見下した。
「私はまだ、優しい方なのですがね。・・・あなた様にはまだやることが多く残されております。もし、そのように抵抗なさる気でしたら、彼女を殺すことも、我々は厭いません」
「っ・・・ふ、ふざけるな!」
「ふざけてなどいない!」
グラムは、図太く大声を出した。女の身体が、グラムの声量を正面から受けふらふらと揺れる。身体のわずかな震えから、怯えていることが分かった。
「あなた様はご自分の立場が分かっていない。私の後ろの角を二つ右に曲がった場所に馬車を待たせています。あなたはまだやるべきことがある。あとは、私に任せなさい」
「やめろよ・・・」
女は真っ黒な声を出した。
「抵抗しないで頂きたい。内内に処理できるものが出来なくなる」
グラムはまるで女を無視するように言い放ち、俺を見た。彼は老人であるはずだったが、背はまだちゃんと伸び、目力で俺に強い圧迫感を与えた。
「君、名前は――ぐっ」
女が一歩踏み込み、グラムの溝を殴った。
「なめるなよ・・・あたしがどんな思いで、今ここにいると思ってやがる」
もう一発、殴る。
「ぐぅ・・・」
グラムは溝を抑えながら倒る。そこに、女が馬乗りになり、何度も、何度も、グラムの身体を殴った。グラムの唸り声が響く。血が、少しずつ、グラムと女の靴に染み込んでいくのが見えた。、
「てめぇらは、あたしを舐めすぎなんだよ。ああ?あたしがあんたらに付き合うだけでどれだけのストレスをため込んでると思ってやがる?ああ?少しくらいあたしのわがまま訊けよ。なあ?おい」
女は、殴ることを辞めなかった。俺はゆっくりと女に近づき、後ろに回った。女は血走った目で俺を見つめ、そのあと何かに気づいたように顔をゆがめた。
「てめぇ」
「馬鹿かお前。何敵に背中見せてんだ」
「殺すのか?」
「いや・・・お前はかわいそうだ。だから、殺さない」
俺はなぜか笑っていた。女がこうも怒りを発露しているのが面白かったのか、それとも女に殴られている老人が面白かったのか、またこの状況すべてが面白かったのか、分からなかった。
「・・・ありがたいねぇ」
「アリシアは貰ってくぞ」
「それはだめだ!」
「死ぬか?」
「あ?」
「今のてめぇに選択権はねーよ」
その時、グラムの手か微かに動き、彼は自分のズボンのポケットに手を入れた。俺はその動作を見ながら、なぜか女にそのグラムの動きを気づかれないよう会話を続けようと思った。
「お前の妹か知らねーが、アリシアは貰う」
「てめぇ・・・いつかぶっ殺す。そして妹を奪う」
「買わないのか?」
その時、グラムがポケットから小さな笛を取り出し、ゆっくりとそれを口に運んだ。
「あ?売ってくれるなら買――」
ピー――――。
笛が吹かれ、グラムはにやりと笑った。女は慌ててグラムを見る。
「てめぇ。何しやがった!」
「何、心配、しなくてもいい。応援、を、呼んだ、だけだ」
「てめぇぇ」
女がグラムの首に手をかけた。俺はそこまで見て、グラムと女の横に座るアリシアに近づく。彼女は俺を見つめ、困惑した表情を見せた。
「あの・・・」
「まずは宿に戻る」
「でも・・・」
「早くしろ。応援が来るらしいからな」
その応援はたぶん、この女を抑え込む人間達だろうが。俺は無理やりアリシアの手を取り、立たせた。彼女は地面に残る血だまりを見、気持ち悪そうに口を押える。俺は彼女の肩を抱き、ゆっくりと彼女のペースに合わせて歩いた。アリシアはしきりに後ろを振り向き、そして徐々に近づく大勢の足音を聴くとそれに怯えた。宿に入ると、大勢の男がテーブルに着き、大きな歓声を上げた。今のやり取りを窓から見ていたのだろう。男共は容赦なく俺に絶賛の声を浴びせ、俺が二階で休むことを言うと、おとなしく俺に階段を上がる道を開けた。不思議なことに、階段を一歩上がるだけで、なぜか全身に負荷がかかったように足が重たかった。部屋に入るとアリシアをベッドに座らせ、すぐに俺は部屋を出た。向かい側の部屋に入り、窓から先ほどの場所を眺めた。そこには誰の姿もなく、人間の血だまりだけが太陽の光で輝いていた。
ちょっと展開早かったかなー。