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銀髪のエルフ  作者:
四章(終)
22/22

銀髪のエルフ㉒ 後日談的な何かその②

 男の目の前に、その女は居た。長く、すっかりぼろぼろになった銀髪に、銀の瞳。意識が抜け落ちたような、人生に脱落した顔をしている。男はその女を見るのはこれで二回目だった。一度は自分が女を手放した時。…これも運命か、と男は考える。この女は以前、男の奴隷店から売られた商品のはずだった。ある馬鹿な男が持って行ったが、その男はどうしたのだろう。女はその男ではない老人に連れてこられていた。高く売れるだろうと老人は笑ったが、安い値で買い取ってやった。その老人は相場が分かっていないのか、それで満足した。

 男はもう一度、その女を眺めてみる。美しい、と思った。美しく、まだ生きるべき存在だと感じた。このような美しい存在が世界にあるだけで、大抵の男は生きようと思えるのだから。

「貴方はどうして戻ってきたのです。いや、ね。私も今まで、かれこれ二十年はこう言う人を売り買いする商売をしているのですが、こうして商品が戻ってくるなんてことはありませんでしたよ。捨てられているのを路地裏で見かけることはありましたがね…ええ、私はもう運命を感じえない」

 男は薄く笑う。少しだけ気分が高揚する。部屋が暗いのに。部屋は暖かくないのに、身体だけが高揚している。女はベッドの上で、膝を抱えている。ここは、男が新たに作った秘密の部屋。地下室だった。男が持つ手燭の炎だけが、唯一の光源。

「銀髪のエルフ」

 男は女の種族を言う。

「貴方は王族なのに、そう堕落している。そんな顔をしている」

 男は女にどんな名前を与えようか考える。彼女はカナデラとか言う名前がつけられていた。男はそんな名前は要らないと思った。この銀髪のエルフに、もっと適任な名前があるはずだった。

「私は貴方を飼うことにしました。貴方は堕落しているから。王族に戻ろうとする意思すらない。平凡な暮らしをしようと言う考えも持っていない。なぜなら貴方はもう外に出てはいけない存在になってしまったから。外に出ようと思えなくなってしまったから。堕落とはそういうものです。だから、私は貴方を飼うことにしました。この地下室で、安全に私が保護してあげます。ここは、国の領土ですが、貴方が数日間過ごした町ではありません。もう二つほど離れた町。たとえ検問があったとしても、この地下室だけは見つかることがありません。そういう小細工をしています」

 男は言いながら微笑む。名前はどうしようか。名前さえ決めていしまえば、彼女は永遠に私のモノになる。

「何か欲しいものがあれば、私にいつでも言ってください。私はよくこの地下室に来ますから。それと、貴方の名前ですが…」

 男はにやにやしながら、また名前について考える。銀髪のエルフ。美しい存在。神の名前は不要だろう。神は神として、その名をもって孤立しているから。神に近しい名前がいい。神の名のように、その存在のすべてが決定づけられる名前。男は思考をめぐらす。果たしてそのような名前があったかと。男が昔見た美しい景色を思い浮かべていると、微かに女の声が聞えた。

「ん?何か言いましたか?」

 男はすべての思考を閉ざし、全ての意識を女の声に注視する。

「…ありしあ」

「ん?ありしあ?」

 女が頷く。少しだけ、本当に少しだけ、何かを愁いる瞳で。悲しそうな表情で。

「ああ、その名前がいいのですね」

 男は理解し、少しだけ満足した。自分から名乗ってくれるのなら、どんな名前でもそれは彼女の名前になる。しかし――それがほかの誰かにつけられた名前であると思うと、気分が悪くなった。男は女に精神的な束縛力を与えることが出来なくなってしまう。銀髪のエルフが一生涯にわたり、男がつけた名前を自らの名前として口に出し、男の存在を忘れないようになることがなくなってしまった。

「しかし、この部屋は殺風景ですね」

 男は言いながら、アリシアに近づこうとする。だが、アリシアと、急いで用意した薄汚いベッドが神秘的なものに見えて、なかなか近づけなかった。お姫様のベッドに、賊が入ろうとするかのような罪悪感を覚えるのだ。だから男はゆったりとした歩みをしながら、部屋全体を眺める仕草をしていた。

「もともと倉庫に使う予定だったのですから仕方ないですけど……それにしてもいただけないな。何か飾りをつけて、ああ、家具も、机と椅子も必要ですね。あと、トイレも…うん、トイレが出来るまで、貴方は私の部屋で一緒に暮らしましょう。ああ、それがいい」

 男は自分の言葉に納得すると、それまでの躊躇を失くしアリシアに一気に近づいた。アリシアは男が近づいてくるのをぼんやりと眺めている。男はベッドの横から彼女に手を差し伸べた。彼女は差し出された手もぼんやりと眺めている。数秒が経った。男はずっと緊張していた。だが、アリシアはなかなか動こうとはしなかった。男は少しづつ苛苛していた。なぜ、動こうとしないのだ。その理由がわからない自分が、また愚であると思った。自分がまるでお姫様の意図を汲まないといけないのに、まったく彼女の意思が分からないダメな執事のようだった。

「ほら、一旦ここを出ましょ」

 男は感情的に悲痛な声を出した。彼女が反応してくれないのが、なんとも寂しかったのだ。

「ほら。私の手を取ってください」

 男は差し出した右手をできるだけ前に伸ばし、アリシアに近づかせた。アリシアの瞳は男の腕を見ていた。

「どうしたのですか?」

 男はいらだった声を出した。

「黙っていては分かりません。外に出て、数週間だけ私と暮らすのです。危険でしょうけど、私だってその間くらい仕事を休む勇気はあります。私の仕事は少し危なっかしいですけどね、その分収入はあるのです。食料を買い込んで、立てこもることをすれば、貴方は世間に見つかることもありません」

 貴方のその容姿は目立つから。隠れなければ、その容姿のせいで何か事件に巻き込まれてしまうから。

「ほら。早く。ここにいても、貴方が汚れるだけです」

 男は強く声を出した。壁に反響して、声が何重になって聞こえてくる。アリシアは、陰のある瞳でただぼうっとその腕を見つめているだけだった。そこに変化はなく、本当に生気のないミイラのような雰囲気を漂わせていた。男は戦慄する。

「貴方は」

 男は少し恐れながら声を出した。

「生きるべき存在です」

 男はどうして地下室などに銀髪のエルフを入れたのかと後悔し始めていた。これではまるで、彼女に死に場所を与えたかのようだった。

「死んではなりません。死ぬことは私が許しません」

 男は大声で叫んだ。アリシアはよく見ると、いや、よく見なくても衰弱していた。その身体は本当に、疲れをため込んでいたのだ。精神的にも、肉体的にも。一筋、彼女の瞳から涙が流れた。瞬間、男は必死になって右手で彼女の肩を掴み、引っ張ろうとした。まだ、アリシアの身体に温かみがあった。だが、その時男は焦っていた。女が死にそうだと思ったから。本当にすべてを諦めた表情していたから。男は無理やりベッドの上にのし上がろうとして、左手に持った手燭を大袈裟に落としてしまった。シーツの上に蝋燭の炎が燃え移る。男は更に焦った。驚きで気が動転し、二秒ほど頭の中が真っ白になる。火を消さなければ。消さなければ。男は強い圧迫感を覚えながら、火を消そうと思った。だが、火を消す道具がなかった。この地下室はベッドと、アリシア以外に何もなかったのだ。男はすぐに動揺した。何もない。近くに使えそうなものが何もない。頭を抱えたくなったが、その過程で自分の右手が必死になって掴んでいるものがアリシアであると分かると、さらに身震いし、死にたくなった。アリシアに、自分を殺そうとした悪いやつだと、ベッドに火をつけた悪人であると思われたと思った。弁解しなければならない。火をつけたことは、ただの悪運なのだと。貴方を殺そうと思ってやったことではないのだと。男は冷や汗を全身にかき、心臓から神経を伝って体が冷えていくのを感じていた。アリシアの、陰のある瞳が男を捕えた。薄く、口元を歪ませている。男は恐怖した。視界の端で、火が彼女の足元まで来ていた。男は何をすべきかわからなくなった。男はその時、アリシアに芸術を見ていたのだ。暗く冷たい地下室。その中央に白いシーツのベッドと、座り込む美しい美女。そこに、火が与えられる。ベッド上に、ゆっくりとその炎は誰の意思も関係なく、全てを燃やそうと息づいている。美女は、その炎をうっとりとした表情で眺めている。何かに酔うように。炎に写された美女は美しい輪郭を形成し、美しい陰を形成する。美女は今の自分が一番輝いていることを理解する。すべてにおいて計算されたようなポーズを取り、見る者すべてを魅了するがために足を広げ、首を傾げ、腕を動かす。炎は美女の意思とは関係なく、無造作に無作法に広がっていく。煙が少しだけ宙に舞う。美女は、炎の身勝手な現象にも自ら対応する。自らを美しく、高めるために。そうしていると、美女の近くに炎が近づいてくる。美女は微笑む。美女は炎に包まれることをよしとし、炎に触れられると、今度は仏像のように身体を動かすのを辞め、瞼を閉ざし、じっと座り込んでしまう。まるで何かの修行のように。悟りを開く人間のように。観客の男は、炎に包まれようとする美女をゆっくりとした時の流れで眺め続ける。このままだと後で後悔することを男は知っている。助け出さなければ、男はこれから絶望と後悔を心の深くに抱えたまま生きなければならなくなることを知っている。だが、男は美女が見せた芸術に魅了され続けていた。魅了されることが自分の使命であるかのように、男は黙って、その芸術が終わるときを待っている。

 終わるときは一瞬だった。美女の美しさが薄れ、肌に焦げが出来、美しさを保とうとする様々な要素がそがれた瞬間、男は急に現実に戻ったのだ。美女はベッドの上に無残に倒れていた。男は呆然としばらくの間向こうの壁を見つめていた。冷たいであろう石の壁。男はしばらく美女の死体を考えないようにしていた。何かに集中するように、壁を見続ける。しかし、五分とたたずに男は冷静さを取り戻していた。後悔が脳裏を幾度もよぎり、定着を果たしていた。男はついに、美女の焼死体を見ることにした。焼死体は男の想像力で無残に美女を連想させられ、男は嗚咽を漏らし、吐いた。吐いて吐いて吐いて、男は悲しみを全身で覚えていた。頭痛がし、頭が熱を持ち、身体が冷えていた。男は地下室から離れようと思った。この空間はファンタジーで、地獄なのだと。男は足を動かそうとして、脚が膝から震えているのを知った。男はもう一度吐いた。が、もう胃液しか出ない。男はそれでも動いた。ベッドの方をなるべく見ないようにして、この場から去ることだけを考えた。数歩前に進むと、脚が崩れ落ちた。膝か勢いをもって固い地面に当たり、しばらく足が痙攣した。男は必死になってはいつくばって出ても地下室から出ようとした。地面を見、息を懸命に吐きながら自分が潰れそうなほど悲しみに満ち、破裂しそうに後悔していることを意識しながら。いつの間にか男の目の前に扉があった。男は無意識のまま起き上がり、倒れるように扉を開けた。少し先に階段が見えた。男は喚起する。さっきよりも腕と足に力が入った。男は壁に手を置きながら、その狭く冷たい階段を懸命に登った。まるで助けを求める人間のように。今まで自分はあの地下室で監禁されていたかのように。いや、実際にこの時の男は自分をそのような設定だと思い込んでいた。外に出たとき、男は一瞬だけ吹く冷たい風と眩しい太陽に人生最大の喜びを感じていた。今までの人生の暗さ、憂鬱さを忘れてくれるほどの、大きな喜びが男の中を埋め尽くした。男の地下室は、町から離れた山の中にあった。男は周りを見渡しそのことを思い出すと、うんざりして、ごつごつとした褐色の地面に転がった。そして仰向きで太陽を見上げた。男の頭の少し先に木が一本聳え立ち、男の顔に木漏れ日をもたらしていたため、特別眩しくはなかった。男はそこでようやく、銀髪のエルフについて思い出した。だが、男は特別強くその存在に思うところはなくなっていた。その存在は、男が今日の朝に手に入れた存在であり、そして今亡くしたというだけの、数時間しか存在しなかった美女でしかなかった。アリシアは確かに、美しく可憐で、できれば生きててほしい存在だったが、今の男はアリシアが死んだ地下室そのものを地獄のようにとらえていた。きっと、自分はもう地下室には戻らないだろう。男はそう確信していた。きっと、この山を下山すれば男はもうこの地下室のことを忘れ、町でいつものように自分よりも劣悪で、美しくない人間を相手に、自分よりも劣悪で、美しくない人間を売りさばくだけの人間になるのだろう。男はそう意識しながら、しばらく自然が与えた優雅な時間を体験していた。男は立ち上がると、しっかりとした足取りで下山をし始めた。町にはすぐについた。男はも夏の暑さに苛立っており、自分の靴が府執拗に汚れ、汗を掻いていることに苛苛していた。そして、忘れていると思ったアリシアが自分が下山した理由を考えるたびに脳裏によぎることが男を最悪な気分にさせた。自分の店に着くと、売り物の女が一人脱獄しようとしていた。女は檻のカギを開け、ちょうど今外に出たというタイミングだった。男は女に向かってこういった。

「向こうに小さな山があるだろ。そこに行け。その山の浅瀬に私の地下室がある。そこは私の宝庫だ。お前にはそこに在る宝石をやろう。何、そう訝しるな。宝石に大半はもう移動してある。だから、お前が手にする宝石もほんの一部しか残ってないものだ」

 男は機嫌よく笑っていた。女は、男の表情をよく見ていたが、次第に笑みを浮かばせ何度もうなずいた。

「よしいけ。お前は特別に逃がしてやる」

 女はその声を聴くと、突風のように走り出し男の横を通って行った。その様子を見ていた他の牢屋に入っている男女が羨望の眼差しを男に向けた。男は彼らの視線が自分にあることを思いながら、上機嫌になっている自分に何かしてやろうと思っていた。男は部屋の奥に行き、荷造りをすると酒場に行った。今日は大量の酒を飲もう。そして、今日の幸福を噛み締めるのだ。

ここまで読んでくださりありがとうございました。これにて終了します。

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