銀髪エルフ㉑ 後日談的な何か。
アリシアは目の前で起きた出来事を理解するのに時間が掛かった。たぶん、ファルは死亡した。真相は頭の中を席巻しているが、自分がそれを認められない状態に居るのだった。ぼんやりとしていると、突然笑い声が聞こえた。アリシアは茶色い大きな熊から、馬を従えるエルリックの方を向く。彼が顔を上に向け、大声で笑っていたのだった。しわがれた声であり、とても、気味が悪かった。その声を聴くだけで、涙が出てきそうになる。
「ああ、愉快愉快」
エルリックの顔が、ゆっくりとこちらを向く。瞳が、黒ずんでいた。アリシアは澄んだ瞳から涙を流した。瞼を閉じ、ゆっくりと沈痛に浸りたかったが、エルリックの顔が邪魔だった。いや、その存在そのものが邪魔だった。彼が何かをしでかしそうで、瞼を閉じることが出来ない。視界の端に、熊が居た。それは大きく、何かを抱いている。その抱いているものをアリシアは見ないように努めた。熊は、その場から動こうとはしなかった。赤い瞳は、どこか遠くを見ている。
「ところで」
エルリックがそう言った時、森の木々が大きくざわついた。何かの存在を予見させるほど、見られていると感じる。アリシアは呼吸が荒くなり、息が苦しくなっている自分を冷静に客観視していた。
「お前さん、本当は魔術師じゃないんじゃないか」
醜い声だと思った。アリシアは顔を下に向け、陰が出来た板に助けを求める。わずかに流れる涼しい風と、暑い熱がこれは現実だと伝える。この状況をどうにかしようと考え、しかしうまく思考が出来なかった。エルリックは、敵である。それだけは、確定していた。だって、ファルの死を見て笑ったのだから。熊が、エルリックを攻撃しないのだから。しかし、だからと言って彼をどうこうできる自信がアリシアにはなかった。黙っていると、彼が動くのが分かった。足音と板の軋む音を立て、アリシアの目の前に立ち大きな影を作った。アリシアは心臓の鼓動が早くなるのを感じていた。
「あいつは死んだんじゃよ」
なぜか、彼は悲観的な声を出した。アリシアは時の流れが本当にゆっくりと感じられた。まるで自分がここにいないみたいに。彼の手が、アリシアの顔に伸びる。フードを取ろうとしている、とアリシアは思った。それは正しかった。彼の手は、アリシアの汗で湿った髪の上の布を掴んだ。そして、突風のような勢いが、アリシアの頭上を重々しく通過した。
「………は?エルフ」
アリシアは、泣きそうだった。エルフだとばれたことが、たまらなく悔しかった。
「そうか…そうじゃったのか」
下劣な笑いを含む声がアリシアの頭上から降って湧く。頭の中が重く、頭痛がするのをアリシアは必死に耐えようとした。気を失おうとしている自分を思い、そうする自分が情けなかった。
「お前は殺さない」
エルリックが何かを言っている。アリシアは、もう何も考えられなかった。
「売ろう。そう、わしはお前さんを売ろう」
エルリックは声を荒げた。興奮している。エルリックが、興奮している。それだけで、アリシアは肝が冷えるようだった。アリシアはますます、太陽の暑さに意識を向けた。彼の、その身体のもっと向こうにある存在に。まるで助けをこうように。逃げ道を示すように。
ふと、森のざわめきの中から声が聞えた。唸るような声。何かを見つけ、喜ぶような、そんな声。
「ほら、仲間が呼んでいる」
彼は薄く笑っていた。あれは、死者の声。
「…この森はよく、人が死ぬんじゃよ。魔女が住んでるからな。わしが人を殺したから。殺すように仕向けたから、彼らは喜んでいるんじゃ。わしを歓迎しようとしている」
老人は、にたにたとした声を出す。
「嬉しいねぇ…これは共存なんじゃ。魔女は死体が欲しい、わしは居場所が欲しい。だから、こうして死体を提供している」
アリシアは何もしゃべらない。何も考える気力がわかない。
「魔女様は永遠を望んでいる。だから、死者の――ゾンビの研究をしている。わしは、少しだけそれに関わっている。現世の人間として、魔女様の助手をしている」
彼は揺れるような心地で喋っていた。
「だから、わしはお前さんを売ることにする。研究の為に、魔女様の生活の為に、金が要るから。金が要るから」
エルリックは喋り続ける。まるで洗脳でもするように。言葉の羅列を並べ続ける。その間に、アリシアはゆっくりと思考を取り戻していく。腰に短剣が鞘に収まっているのを意識する。意識すると、自然と右手がそちらに向かった。
「おい!そいつはいけねぇ」
アリシアの右手は、エルリックに捕まれた。アリシアははっとなる。他人の感触。まるで死者に触れられたような不気味さ。エルリックが、目の前にいる。気持ちが悪くなる。吐き気がする。
「まあ、ゆったりしようじゃないか。なぁ」
エルリックが、アリシアの右腕を掴みながら、後ろに回り込む。何をする気だろう。アリシアは抵抗する。ヒステリックに暴れようとする。だけど、力うまく入らなかった。頭がぼんやりとしている。命の危機なのに。どうして。じめっとした体温が、背後にあった。エルリックが、アリシアの腕を後ろで交差させている。彼は鼻歌を歌っている。知らない歌。手首が強く押さえつけられ、力がどんどん抜けていく。何かの糸で縛られている。糸の鋭さが、手首を締め付けている。もう一度、抵抗しようとする。だけど、力が入らなかった。後ろで作業が終わったのか、じめっとした体温が離れ、ふんわりとした空気が背中を撫でた。その瞬間、安堵が心の底からやってきる。だが、次の瞬間、首筋に強烈な痛みが走り、アリシアは意識を失った。
次で終わります。