銀髪のエルフ②
光の筋が瞼の裏に見え、朝が来たのだと直感した。光はだんだん広く、強くなり、俺はいつの間にか瞼を開けていた。見えていた光は薄くなり、視界に色が映ると同時に眩しさを感じなくなる。それらは窓からの日光であったが、窓の外には大きな建物が被さるようにあり、日差しはまるで入ってこなかった。が、それでも太陽の光は強く、室内はほのかに薄暗い明るさで覆われていた。俺はなぜかベッドの隅に居、なぜか俺の隣で誰かが寝ていた形跡があったが、よくわからなかった。はっとなり、ぼんやりとした意識が、急に覚醒する。昨晩に起こった出来事が頭の中を駆け巡り、逃げられた、と思った。俺の隣には、銀髪のエルフが居るはずだった。彼女は俺が寝るまで眠ったふりを続け、そして俺が眠ると彼女は起きたのだろう。逃げるには十分な時間があった。頭が急激に冷え、眠気が霧散するように消え去る。俺は無意識に彼女を追おうと思い、ベッドから降りた。が、それは杞憂だった。ベッドの横にある丸い椅子に銀髪のエルフは座っていた。彼女は、ベッドに後ろ手をついている俺を見下ろし、昨晩見た美しい笑みを浮かべていた。
「・・・逃げなかったのか」
俺は驚いた顔で彼女に向って呟くよう言い、それから彼女の反応を待った。その間、俺は彼女の美しさに見惚れていたが、頭の中で彼女がどうして逃げなかったのかを考えていた。が、俺には、彼女が逃げない理由が分からなかった。彼女には奴隷商人からもらったリードをつけてはおらず、彼女は半ば自由の身であった。また、この部屋は普通の宿であり、部屋には特別鍵などついていないから、逃げることは簡単なはずだった。だが、彼女は何故か逃げてはいなかった。彼女は何かを言おうとし、発音が出る前に口を閉ざした。俺が待っていると、彼女は何度かそれを繰り返し、言葉を出すことをしなかった。
「何が言いたい?言え。お前はどうして、逃げなかった?」
俺は立ち上がり、彼女が下から上目遣いに俺を見た。俺には彼女の顔のすべてが見え、彼女のその美しい顔から眼を放すことができなくなった。
「・・・逃げる理由がないからです」
滑らかな波長だった。彼女の優しい歌声のような音色が耳から入り、俺の頭の中をぐるぐると回り続け、ずっとのその音色が聴きたくなった。
「どういう意味だ?」
「そのままの意味です・・・私は、たぶん、こうするしかなかったから」
彼女は悲しそうな声を出し、憂いだ瞳をした。彼女は、まるで俺に抵抗する気がなさそうだった。俺は、それを思い、表情が次第ににやつくのを意識した。俺が無意識に感じていた最大の悩みは、この銀髪のエルフが俺の言うことを聞くかどうかだった。俺は、このような美しい存在に否定されることが怖く、この銀髪のエルフに何か文句を言われ、自分が傷づくことを無意識のうちに恐れていた。俺はだんだんと興奮し、身体が熱くなっていくのを感じた。
「・・・まあいい。お前は、俺の奴隷だからな。逃げることは絶対に許さん。わかるな?」
「はい・・・私は、奴隷という職業がよくわかりません・・・ですが、逃げることが許されないというのはわかります。あなたは、私を買いましたから」
彼女は一瞬、ひどく無表情に近い顔を見せた。顔に陰が出来、彼女の美しさをなくそうと黒い何かが彼女の顔を覆っていた。それを見たとき、俺の身体を冷たい何かが貫いた気がした。が、それはやはり一瞬のことで、次の瞬間には全てが嘘のように、俺の頭の中は興奮していた。
「そうだ。よくわかってるじゃないか。以前の生活は知らんが、これからは俺の言うことを聞き、俺の許可を取ってから行動しろ。奴隷とはそういうものであり、お前はもうそういう人生を歩むんだ。わかったな?」
「はい」
彼女はやはり、美しい笑みを浮かべていた。俺はそれから、彼女の首輪にリードをつけようか悩んだが、机の上に置かれた黒い何か動物の皮のリードは彼女にふさわしくないように思い、辞めた。
「それじゃあ、いくつか聞きたいことがある」
俺は安心してベッドの上に座った。それから、なぜか部屋の扉がきちんと閉まっているか気になり、閉まっている扉を確認した後、彼女の姿を見た。
「名前はあるか?」
「ありません」
「本当にないのか。それとも、言えない名なのか?」
「言えない名です」
俺は少し訝しんだが、すぐにどうでもよくなった。
「・・・なら、俺がお前の名前を決める。そうだな・・・アリシアだ。お前はアリシア。これからはその名で生きろ」
「分かりました」
「俺はファルだ。俺のことはファルと呼べ」
「はい」
「歳は?」
「十六です」
「俺は二十七だ・・・十六か。にしては背が高い」
「エルフというのは背が高い者が多いのです・・・あと、十六という数字も人間に合わせた外見の年齢で・・・その二倍は生きています」
「なるほど。では、精神年齢はどうだ?二倍だから・・・三十二、ということか?」
「いえ、個人差はありますが・・・ほとんどが外見で見た年齢と同程度の精神年齢となります。なので・・・私もまだ、十六歳程度の精神年齢しかありません」
「なるほどな。それは知らなかったな・・・」
エルフといえば、数は少ないがこの世界にしっかりと存在している希少な生命体である。そして、ほとんどの者は一生涯その姿を見ることはない。ほとんどのエルフは森に籠り、たとえ世間に出たとしても偉い人間が捕らえるか、あるいは部下にしてしまっていた。また、やはりエルフは美しく、大抵の人間が捕らえたエルフを他人に見せたがらないのも理由としてあった。
俺は少し考え、あることを言うことにした。
「俺はお前を気に入っている。俺の妻になってくれないか?妻になるというなら、俺はお前を奴隷から解放してやる。どうだ。悪い提案ではないだろ?」
俺は、興奮した頭で、ほとんど何も考えずに口走っていた。このセリフを言う前に少し考えたが、その考えすら何かをきちんと考えたわけではなく、ただ時間的なタメを作っただけだった。
「え・・・」
「俺はお前を愛すだろう。いや、今だって愛している。愛していないければ手元に置こうなどと思わない。俺は、お前が好きだ」
俺は勢いで押そうとしている自分を意識した。
「あ、あの・・・」
「どうだ?」
「待ってください。・・・予想外で・・・考えさせてください」
「ああ。待っている」
俺はしめるように言い、それからやけに寒気を感じ、自分という存在を強く意識した。目の前に銀髪のエルフが居、自分が彼女の目の前にいることに若干の違和感を覚えたとき、自分が今、恥ずかしさを感じているのだと知った。わざと腹が減っていることを感じ、俺は悩むふりをし現状に困っている彼女の顔を見た。その過程で、彼女の着ているぼろ布が大きく視界に入り、意識し、気持ち悪くなった。その布は彼女を汚しているようであり、苛苛した。
「飯にしよう。それと、後でアリシアの服を買いに行く。その服はダサい」
俺が立ち上がると、アリシアは遅れて返事をした。俺は扉の横に立てかけた剣を手にし、扉を開ける。振り向くと、アリシアは立ち上がり、俺の方へ歩いているところだった。俺はなんだか嬉しくなり、刹那の間であったが、とてつもない幸福を感じた。
一人称が「俺」だと書きにくい。