銀髪のエルフ⑯
店を出、町を歩いた。太陽の日差しが熱く、汗をかいた。雑貨屋に入り、マッチを買い、水袋を買った。大通りの人ごみを渡り、小さな肉屋に行き、干し肉を十個買い、袋に詰めた。それから、水袋に水を入れるために、人気のない場所にある井戸を探した。あやふやな記憶を頼りに路地に入り、数回曲がった。すると、三つの建物に囲まれるようにぽつんと一つ井戸があり、そこには誰も居なかった。アリシアが陰のある家の壁に身体を預け、フードを取り、外套を脱いだ。汗で輝く白い肌が半袖からのび、俺は彼女の肌を久しぶりに見た気がした。
「暑かったぁ…本当に、暑い」
アリシアが隣で呟くのを聴きながら、俺は井戸の中を覗いた。陰で黒くなった水面に、桶が浮いていた。俺は縄を動かし重力をかけ、桶で水をすくい、ゆっくりと縄を引いて持ち上げた。水が跳ねる音がし、乾いた風が肌をなでた。
「そうだな」
俺は井戸の暗い水面を見ながらアリシアの呟きに相槌を打った。
「…いい気分。なんだか、自由って感じがする。生きてるって感じがする」
「そうか…でも、お前はまだ狙われてる」
「だから、逃げるんですよ。逃げて、その先は…」
腕にかかる重力を意識する。桶は半分まで登ってきている。
「ああ…あの、よくわからない爺さんの護衛をして、南の町に逃げる。南は、王都から斜め右に行くことになるから、逃げてることになるはずだ。あとのことは、南に着いた後に決めよう」
俺は言いながら、外国に逃げることを考えていた。だが、具体的なプランはなく、口に出すことは何もなかった。何度か縄を引き、桶が目の前に浮かび上がった。右手で縄を握ったまま、左手で桶を持つ。握力が弱まり、縄を持った手が少し滑り、桶の位置がその分だけ下がった。水が跳ね、桶を持つ手がぴしゃりと濡れる。冷たく、心地よかった。膝を曲げながら桶を地面に下ろすと、それと同時に近くから足音が聞えた。顔を上げると、奥の道に両手で水瓶を持ったガタイのいい男が一人いた。男は地を踏みしめるように、心地よい足音を響かせてこちらに向かって来ている。俺は男にアリシアを見られると思い、焦った。アリシアがすぐに外套を羽織り、後ろを向いた。が、男はすでにアリシアの銀色の髪と白い肌を見ていた。俺が男を見ると、男は井戸の手前で止まり、アリシアを見るのを辞め、俺を見た。俺はゆっくりと立ち上がり、男に笑顔を向けた。
「あんたも水を汲みに?」
「ああ。水を汲みに。けど、ここに人が来るなんて珍しいな」
男はリズムを取る様に、ハキハキと喋った。
「そうなのか?」
「ああ。この場所は、あまり知られてないからな」
「俺は知ってたよ」
「どうして?」
それは、単なる疑問だという風に、男の口からあっさりと出た。
「普通に知ってたってだけだ。俺にとって、ここは隠れスポットじゃなかったんだよ」
「なるほど…」
言って、男はアリシアを避けるように左から周り、俺に近づいた。俺は男を見続けながら、この男を警戒しようと思った。
「どうした?水を汲まないのかい?」
男は、井戸の石垣に沿うように水瓶を置いた。水瓶の表面が、日光で反射している。俺はベルトに掛けた水袋を二つ取り出し、男に見せた。
「汲むよ。今から」
「そうか。俺は待つから、ゆっくりな」
男は、それから俺の隣に居続けた。俺は彼の前で水を汲むためにしゃがむことに、なぜか強い抵抗を感じていた。敵に背を向けているような感覚がし、実際に男はガタイがよく、強そうだった。が、男は一般人であり、強くはなく、俺は水袋に水を入れながら、心の中で男は強くないと思い続けた。その時間は酷く長く感じられ、俺は無意識に汗をかいていた。水袋が重くなるにつれ、俺はその重量に満足した。作業が終わると、付き物が取れるように力が抜けた。これで、男の前から逃げると、なぜか思った。ふぅ、息を吐き、立ち上がる。男の顔を見ると、彼は何故か頷き、それから一歩前に出た。俺は、彼の行為に驚いた。何故か、威圧され、責められているように思い、声が強くなった。
「終わったよ。俺たちは行くから、もういいだろ」
「何が?」
「……」
俺は何故そんなことを言ったのか分からなかった。太陽の熱がじりじりと、俺の今の行為を攻めているように思えてしかなたかった。焦りが募り、両手に持つ水袋を意識しながら、急いで来た道を戻った。アリシアが後ろからついてくるのを尻目に確認し、すこし、スピードを上げる。一度、男が俺達を見つめてるように思い、振り返った。が、男は大きな背中を俺たちに向け、桶を引き上げる縄を動かしているだけだった。俺はそこに、巨大な生きる力を感じ、人間として負けたような気がした。
主人公から見た「普通の人の強さ」を書いてみた。