死後のセカイに正解はない
誰もが死後のセカイを思い浮かべる。どんな景色が広がっているのか。誰も見たことのない究極の楽園。人類皆が望む天上天下唯我独尊、差異も隔たりもないセカイ。どこかに転生なんてやめてくれ。私はもう疲れたのだ。毎日変わらない景色に溺れるのは。自分には何もないと自覚しながら生き続けることがどれだけ辛いか。大人にいつなれるのだろうかと悩む時期があった。しかしそれはなれるものではなく、ならなくてはいけないものだった。できるだけ頼らず、抱え込む。大人に必要なものだ。他人を利用することにいちいち罪悪感を感じ、一人で作り上げるものが至高だと感じる感性はなぜ共感されないのだろうか。自分に自信が微塵もない私は呪われていていつも呪っているのだ。嫌いなんだ。すべてを見ているつもりなんだ。他人も自分も。しかし周りを見渡しても誰もいないのだ。気づいたら見渡す自分の首が嫌いになっていた。
みんなを消せないから自分が消える。私の常套手段だった。はじめから自分がない自分に期待されなくない。相手にされたくない。一人で生きていけないこのセカイを憎んだ。結局自分は何でもよかった一人にさえなれれば。生きても一人。死んでも一人。どうせならもっといいセカイに棲んでみたかった。私にはもうこれ以上何もできなかったんだ。誰も何もしてくれないんだ。私はもう大人だから。