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衝動の天使達 2 ─戦いの原則─  作者: 水色奈月
 Chapter #19
94/206

Part 19-2 Torture 呵責(かしゃく)

78 High St, Leominster, MA. 13:47 Oct 28 2018/

St.Peseta Monastery New River Northern Phoenix, AZ. Dec 5th 2008


2018年10月28日13:47 マサチューセッツ州レミンスター ハイストリート78番地/

2008年12月5日 アリゾナ州フェニックス北部ニューリバー(セント)ペセタ修道院



 まるでビニール越しに風景を見ているような不確かさに現実なのかとアリシア・キアは違和感を感じていた。



 手に持つのは長い黒の絹糸きぬいとを通したい針。



 それで何をしようとするのか理解していないのに眼の前の椅子に座るローラ・ステージのもとへ近づいてゆく。彼女がそのラピスラズリの瞳で針を握った手元をにらみつけて必死に語りかけていた。



「アリシア! 戦いなさい! あなたがやろうとしてる事はあなたの考えじゃないのよアリシア・キア!!」



 私が何をしようとしてるのだと保安官補は疑問で一杯になりながら腕を伸ばせばFBI警部の顔に届きそうな近くまで来てしまった。



 戦う──何に戦うのだ!?


 誰と戦うのだ!?


 左手でローラ・ステージの頭を押さえ込むと、椅子に両手足を縛られている彼女は完全に身動きを失う。そのウエーブのかかったブロンドの髪を引っ張り顔を仰向あおむけにさせる。抵抗しようとする彼女の首の力に負けぬ強さで顔を上に向けさせた。



 まるで子どもの時からこうするのが必然と信じてやっていた。



 ローラの上がったあごの先で、ソファに座るパトリシアという少女の両耳を男が手のひらでふさいでいる。その男に見覚えがあるはずなのに思いだす事ができない。男の顔が見えてるはずなのに、まるでピントのボケたカメラのように顔だけが不鮮明な違和感。



 私にはやらなくてはならない仕事があるのだ。



 これから裁縫さいほうをしなくてはならない。



 なぜこんな見も知らずの家で私は裁縫さいほうをしようとしてるのだろう?


 いいや、いいんだ。



 これは運命でさだめなのだから。



「暴れると針がいらぬところに刺さり痛みが強くなるわよ」



 そう────痛い思いをさせたいとか、憎らしいとか、そんな事を少しも思ってないとアリシアはわかっていた。ただこの女の柔らかそうな唇をい合わせしゃべれないようにする。





 凄まじい違和感が濁流のごとくのしかかり続けた。





 ローラ・ステージが顔を振って、針を摘まんだアリシアの指から口を遠ざけようとする。



 ソファの少女へ男が手のひらを浮かせ何かささやいている。その刹那、まるで雲間から陽の光が射し込むごとくアリシアの意識に言葉が沸き起こった。





 この女を殴らなければ。





 アリシアは針を摘まんだ手の小指から中指までをきつく握りしめ大きく振り上げ、FBI警部の顔面目掛け一気に振り下ろした。たたきつけた小指の骨が折れた音と鼻の軟骨が砕けた音が重なり、ローラ・ステージがうめき口で息を吸おうとあえいだ。その顔をアリシア・キアは抱き込むように左腕で押さえ込むと上唇うわくちびるへ鋭い針を突き立て一気につらぬいた。



 抱き込んだ顔が腕の中で強張り震え、その揺れる下唇をつらぬき糸でつなぐと手首を返しさらに上唇うわくちびるを上から下へい付け下唇へ針を通す。



 アリシア保安官補はまるでいぐるみの耳でもつなぐように手早く三針、四針と絹糸を渡し通しそれを引っ張り口を閉じさせる。



 その血のにじんだ糸を見つめ、彼女は言い知れぬ満足を感じ、心を占める切迫感から気持ちが楽になり見上げくるラピスラズリの瞳の縁から涙があふれるのを────気が狂いそうだった。



 こんな事をしてはいけないのにとわかっていながら、心が楽になっていくほどに大きな矛盾を抱え込み繰り返す呼吸が荒くなりアリシア・キアはおのれを責め続けた。



 その拷問のような強迫観念から逃れる術は1つしかないと保安官補はすがりついた。





 八針目をい上げた瞬間、アリシア・キアは白目をむきローラ・ステージの顔を解放するとカーペットの敷かれた床にくずれ落ちた。









 カエデス・コーニングはパトリシアがもたらす光景に名状し難い恍惚感こうこつかんを抱き目を丸く見開いていた。



 まさに乗っ取られた人はただの操り人形に成り下がり、すべての意思を上書きされ人格を否定される。



 自分を法廷台に立たせた女が弾劾だんがいした女の口を封じ込めていた。



 生皮をがし、世界地図を造ってゆくのに勝る興奮がそこにあった。



 今、保安官補はおのれがしている事を理解してなお止められない願望に良心の呵責かしゃくに染まりぬいているはずだった。



 病院駐車場でカエデスは自分の顳顬こめかみに向けた銃口をどうする事も出来なかったあののしかかってきた強烈な思い以上の苦しみをキア保安官補が感じているのだとその心を見透かしていた。





 ああ、パトリシア────お前さんはまさに神だ。





 人の強固な尊厳そんげんを塗り潰してしまえる真っ黒な究極の絵の具だ。



 そして俺様はその至高の道具を操れる神以上の存在。



 パトリシア────お前さんの皮膚をあの口をきけなくなった警部の眼の前でがす瞬間が待ち遠しい。カエデス・コーニングは狂おしいばかりの歓喜がそこにあるのだろうと痙攣けいれんしそうだった。



 黒い呪縛で雁字搦がんじがらめになったローラ・ステージが椅子の手すりをつかんだ指を蒼白にさせるほど力を込めているのは痛みのせいではない。



 良心や正義が通用しない現実に抗っているのだ。



 だがその力もむなしく、容赦なく有り様が凌辱りょうじょくしつくす。



 その絶望をかてにするのだとカエデスは魂の渇望かつぼうを感じた。



 いきなりアリシア・キアが糸の切れた人形のように床にくずれ落ちた。



 心の呵責かしゃくが人のブレイカーを落とした瞬間だった。



 保安官補は憑依ひょういしたものが神とも知らず、この先一生自分がした事を悔やみ続け、いずれは叱正しっせいえられずに銃口をくわえ引き金を引くだろう。



「ステージ警部────」



 カエデスが呼びかけると、女警部は先に震える瞳を向け下ろしぎこちなく顔を上げ起こした。



「お前さんがどういう経緯いきさつでこの少女と知り合ったのかは知らないが────」



 痛みになおローラ・ステージがにらみつけてくるその群青の瞳が彼は気に食わなかったが、まぶたい付けてしまうとパトリシアから皮膚を引きがす瞬間を見せられぬと彼は湧き起こった願望を押さえ込んだ。





「こいつは俺様のものだ。支配者が所有物に何をするか取調室でお前さんに告げたよな────」





 カエデス・コーニングはすべからず言うつもりはなかった。目の前のFBI捜査官はこれから何を眼にするのか十分に承知していると彼は思った。



 もはや少女の耳をふさいでいる必要はなくなった。



 男は次に必要なものを得るためにリビングを出て行くとキッチンに向かった。



 その気配が遠のいてゆくと開けない唇をゆがめローラ・ステージは虚ろな表情のパトリシア・クレウーザにうめき声で訴えかけた。







 気がつきなさいパティ!






 気がついて!










 修道施設の孤児院は決して恵まれた環境ではなかった。



 冬場に温かいお湯がふんだんに使える贅沢などどこにもない。



 冷たい水のシャワーを出来るだけ浴びたくないと子供らは競うように体を手早く洗い終えて体から水を拭き落とそうする。



 ゾーイ・ジンデルは集団で使う浴室に新入りが遅れて来たのを横目で見ていた。



 早く浴びようと遅く浴びようと、冷たい水に変わりはないが、冬場は遅く浴室に入ると冷え切ってよけいに寒々と感じる。



「まあ、それが好きなら別だけど」



 つぶやき冷水を浴び石鹸を洗い落としたゾーイは真っ先に脱衣場に戻り使い古されたバスタオルで手早く体を拭いて古着の寝間着に着替えると足早に相部屋の寝室に急いだ。



 ごわごわの毛布でもくるまれば温かくなる。



 そうなるまで震えが止まらないのはどうすることも出来ないのが腹立たしかったが、それをシスターに訴えたところで毛布の枚数を増やしてくれはしない。



 取り巻きが浴室から出るのも待たずにゾーイはさっさと寝間着を着込み、髪の水気を他のもののバスタオルに吸わせ脱衣場を後にした。



 取り巻きは時に必要だが人気のない夜の廊下が一番好きだとゾーイは時折思った。



 人は必ず裏があり、そばにいるだけで虫ずが走る。



 それは『おべっか』を使う取り巻きとて同じで油断するといつ裏切られるかわかったものではなかった。



 人気のない廊下と夜更けの毛布の中だけが安寧あんねいを感じる。



 子供部屋に誰よりも先にたどり着ききしむ蝶番を響かせドアを開いた。寝る時間を控え常夜灯もない暗い部屋に入り窓際の奥のベッドに彼女は向かった。



 相部屋にベッドは10ある。



 出入り口に近いものほど夜更けに手洗いにゆくものの気配で起こされしまう。



 冬場に死にそうなほど冷え込む窓際でも、上に立つものとして一番奥に控えるのが道理。



 自分の寝床へ真っ直ぐに歩いて行くと、差し込んだ月明かりがシーツの上に伸びていた。



 その中ほどが不自然に盛り上がっていた。



 何なのだとゾーイはシーツと毛布をつかみめくり上げ凍りついた。





 ベッドの中央に髑髏しゃれこうべが居座っていた。





 そのあご先に赤黒い文字で走り書きがあった。



"I came back for revenge !"

(:復讐しに戻って来たぞ)



 その文言を読んだ瞬間ゾーイは悲鳴混じりにつぶやいてしまった。







「ひぃぃっ────カトリーナ・ガーション!」







 ほくそ笑みながらあいつが帰って来たのではない。



 あいつを殺しめたことを誰かが今さらに持ちだしてきたのだわ!


 いいえ、知ってるヤツなんているはずがない。



 孤児院に入った時から数人を率いて陰湿なイジメを繰り返したアイツに堪えかねた。



 そうして夜中にみなが寝静まっているのを確かめ首を絞めたのだ。殺したアイツを野原へ引きずって行ったときも、め戻ったときにも誰も起きていなかった。



 いいや、そもそもこのドクロがカトリーナのものとは限らない。



 だが誰の骸骨にしろ結びつけてきたものが、カトリーナと私との関係を私に思い起こさせようとしているのは明白だった。



 まずこれがカトリーナのものか確かめる。



 昼に埋めた場所へ確かめに行くわけにはいかなかった。授業を抜ければシスターが必ず子供部屋を見にきて孤児院を抜け出していることが知れて騒ぎになる。



 これから確かめに行こう。



 そう思い立ち、ゾーイはベッドの上に所有物の鞄とひっくり返したカゴを並べ毛布とシーツをかけ丸まって寝ているように見せかけると、服数着を手に取り急いで部屋を後にした。



 服を着ている間に浴室から誰かが戻り、出るに出られなくなり夜更けに調べに行くよりも今すぐに調べたかった。



 廊下を足音を消し急ぎ足で歩きながら服を重ね着した。



 痛いほどに下唇を噛みしめていた。





 弱みをつかまれてなるか!




 人を殺したことが露見するよりもその方が屈辱だった。









 月明かりの下、ゾーイ・ジンデルは孤児院の裏手から野原に向かってどんどんと歩き始めた。そのかなり後ろを髪も濡れていない少女がじっと見つめながらついて行った。











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