Part 2-1 Abyss 深淵
Срединно-Атлантический хребет Глубина 274 м Подводная лодка ВМС Греции Υ/Β ΚΑΤΣΩΝΗΣ (S-123) Местное время 15:31 Среднее по Гринвичу 16:31
グリニッジ標準時16:31 現地時刻15:31 大西洋中央海嶺深度274m ギリシャ海軍潜水艦カトソニスSー123
四卓並ぶコンソールの左端の席に腰掛けたマルコワ・カバエワ・ジャニベコフは上下の下側のモニターに映る帯状スペクトラムの聴音周波数分析グラフをじっと見つめていた。
ドライ・エンドである分析機器は、BAEシステム社の11のデータバスで繋がるノルウェー製のCWCS──統合武器管制システムMSIー90Sが反応する前に信号をオミット(:切断)する必要があった。
勝手知るロシア艦の手慣れたシステムなら完全に掌握しそんな必要もなかった。だがこの艦は今は自分達のものでも、乗艦した全員が初めて接するシステムばかりだった。正規に操艦訓練を受けているわけではない。
分散処理システムが送る信号に兵器管制システムがどのような反応を見せるかわかったものではなかった。乗艦し1年近くに幾度も水上艦でシステムを試したが、8度も──DM2A4魚雷やTAU2000魚雷対抗システムが勝手に起動しかかり他の管制担当者を慌てさせた。
今は深度274メートルで91メートル後方にウエット・エンドであるTASー3曳航ソナーを牽き40海里(:約70㎞)という長距離目標の低周波数帯音波を受信し、船体側のFASー3フランクアレイソナーとパッシブレンジングソナーで中低周波数帯を聴音していた。
彼はNBS(/ナローバンド・ソース:広帯域音)のスペクトラムを見ていたが、そこに帯域ノイズの波に一つの小さなピークを見つけた。広帯域は敵艦のスクリューやシャフト、セイル、ラダーなどの海水をスライスし撹拌する際のキャビテーション(:気泡)が出すノイズを主に拾う。
マルコワはキーボードとマウスを操作しその帯域に合わせ解析をBBS(/ブロードバンド・ソース:狭帯域音)の200から400ヘルツにレンジを絞り切り替えさらに振幅変調した。周波数が低くなれば方向性は失われるが、その習得は中波周波数で十分に補えた。直後、スペクトラムピークが大きく伸びた。オーエンはヘッドフォンから聞こえるノイズの中のその音を聞き取ろうとフィルターを素早く切り換えながらゲインを上げ耳に集中した。
間違いなかった。
微かに聞こえるその音は周期的なリズムを繰り返している。セイルやラダーの海水を連続してスライスする際の不規則な音の重なりではなく、回転するもの特有の脈動が規則正しく聞こえていた。微かなキャビテーションだ。それに重なり原子炉の動力源システム固有の循環系ノイズさえ聞こえてくるようだった。
"Я, наконец, нашел его !"
(:ついに見つけました!)
そう呟いた直後、彼は艦長のソスラン・ミーシャ・バクリン大佐に声をかけた。
"В этом нет никаких сомнений, не так ли ?"
(:間違いないか?)
大佐にそう問われ振り向きもせずマルコワは答えた。
"В этом нет никаких сомнений. Это РПКСН. Это корабль подразделения атомных подводных лодок ВМС США. Это между хребе́т на 400 метров ниже !"
(:間違いありません。SSBNです。アメリカ海軍の原潜部隊の艦です。400下のリッジ(/Ridge:海嶺)の中間にいます!)
システムを上手く使い切れば音紋から潜伏するように微速で航行する敵艦の艦名が自動で上の分析モニターに表示されるはずだったが、艦までわかる必要はなかった。戦闘態勢にない攻撃型原潜がここまで低速で航行してる必要はなかった。消去方から残された可能性──それは予測通りに変温層の下に潜むのが戦略弾道ミサイル原潜に他ならなかった。
"Я понимаю, Десять месяцев были потрачены впустую. Спасибо за Вы парни терпение..."
(:ふんッ。10ヶ月も無駄にした。諸君の忍耐に感謝する──)
潜望鏡傍の艦長席に座るソスランが皆に宣言した。
"Пришло время для нас ! Давай катимся !"
(:──我々の時間だ! 状況開始!)
彼らはロシア海軍北方艦隊第11潜水艦戦隊第7潜水艦師団から離反した部隊の元671RTM B448シャチューカ型タンボフ乗員の内32名だった。
強奪されたギリシャ海軍潜水艦カトソニスから南へ下ること4海里(:約7.4㎞)の同じ大西洋中央海嶺口と変温層との狭間に成長仕切った白長須鯨よりも太く長い潜行物があった。
第2次大戦後造られた戦略型大型潜水艦で2軸推進器持つ艦艇を配し続けたロシア海軍。
だが目の前の水深1300フィート(:約396m)を無音航行する大型潜水艦はロシア海軍にも所属せず、それどころか東西両陣営にまだ知られていないタイフーンクラスに匹敵する2軸推進器タイプだった。
「深度1300、速力10ノット。ゼロ・バブル(:トリム取れました)」
後部近くにある司令所の中で顔に深い皺を幾つも刻んだ硬質な眼をしたゴットハルト・ババツが身体の後ろに腕を回したまま仁王立ちで横の席に座る艦長へ報告した。
艦長席に座る肩までのウエーブの白銀の髪を動かし若い女が顔を上げた。
「よろしい。今から合成開口ソナー・SFSの試験を始めなさい」
ダイアナ・イラスコ・ロリンズ──皆からルナと慕われるNDC副社長がマリン・ブルーの制服姿で艦長席から指示を出すと副長が声を張り上げた。
「SFS開始!」
「アイサー! SFS曳航開始します!」
副長の命令を復唱し、ソナー担当が目の前のパネルを操作してゆく。
その指示や司令所の乗員スタッフの僅かな動きも意識の手に握るルナは、NDC社長であり社が経営するExーPMC──超民間軍事企業初の侵攻型海洋艦であるディプス・オルカを強く意識した。
マリア・ガーランドの一声で開発された軍事企業が持つ最大の戦闘潜水艦。
まるで中型タンカー並みの全長660フィート(:約201m)、最大幅100フィート(:約30m)、二基の原子炉を持つ巨大潜水艦は、建造費上限なしで巨大複合企業体のあらゆる技術を注ぎ込まれ開発され、特殊部隊3中隊を想定されるあらゆる敵対国に潜入回収するために建造された。
マリー──あの人は就任式で世界へ向けあらゆるテロリストに挑戦状を叩きつけ、今日まで完膚無き闘いを見せている。
ともすれば狂っていると云われるNDCの新頭首は、テロリストを叩くために急速に民間軍事企業の域を越えた民間軍を編成しつつある。世界中どこを探しても専属攻撃型原潜を持つ民間特殊部隊はいない。
その母艦試験航海を命じられ、本社職務を分散し引き継がせこうして大西洋の深海にいるとルナは思い起こした。
「曳航ソナー展開!」
SFS──『セイレーンの五感』と名付けられた後部Xウイングの先端から1/4マイル(:約400m)の長さで引き出した4列のソナー群の準備が整ったのだと瞬時に彼女は理解した。
「5──いいえ、2分でマッピング作成」
ルナが告げると副長ゴットハルトが復令し、それをルナの方へ一瞬振り向いたソナー担当が驚いた顔のまま復唱した。
「アイサー! マッピング作成します」
これまでより短い2分で艦を中心とした25海里(:約46㎞)の3次元情報を作成しなければならない。即座に作戦海図台の前に立つ女性航海士クリスタル・ウィリスがコンソールを操作すると作戦海図台の上の空間にレーザー光が走り始め直感的3Dマップが生まれ始めた。
だがこの時、ディプスオルカの誰もが近海──4海里(:約7.4㎞)で米海軍第6艦隊サイレント・サービスのオハイオ級戦略ミサイル原子力潜水艦メリーランドが襲撃されるとは思いもしなかった。
さらに襲撃に使われようとする強奪艦を追い、近海に展開するロシア海軍北方艦隊の攻撃型原潜が4艦迫りつつあるのをつかみ驚くのは時間の問題だった。
ギリシャ海軍から強奪された潜水艦カトソニスを追い回し、遠くロシア海軍北方艦隊の多目的型原潜と攻撃型原潜──最新艦ヤーセン型2艦とアクラ型2艦が大西洋に進出してきていた。
その中の最新艦──一等大型潜水艦885Mヤーセン型Kー561カザンは、カトソニスから32海里(:約59㎞)の北西で28回目のピンを打った。
カザンはその突出した静粛性と新型ソナーシステムにも関わらず、古い海戦術に固執するロシア海軍潜水艦隊の例にもれずアクティブ・ソナーを12分おきに打ち鳴らし、元戦友の海軍軍人らを探し続けていた。
"Я почувствовала это. Американский корабль ── Корабль класса "Охайо" в 32 морских милях. Единственные корабли нашей армии - это Северодвинске, Волк и Гепард. Я не вижу S123."
(:『感』アメリカ艦──オハイオ級一艦32海里。僚艦──セヴェロドヴィンスク、ヴォルク、ゲパードのみ。S123なし)
ソナー要員が告げた報告にカザンの艦長、アレクセイ・アレクサンドル・シリンスキー大佐は眉間に皺を刻み海図を見つめる潜水航海士の方へ苦々しい視線を向けた。
"Это не должен быть корабль, который может сбежать из-за своей медлительности. Кажется, я задерживаю дыхание и прячусь."
(:足の遅さで逃げ切れる艦ではないはずです。息を殺し潜んでいると思われます)
副艦長のエヴノ・ゴランヴィチ・ラジェンスキー中佐が横からそう助言した。
"Как вы думаете, чего они ждут в этой Атлантике ? Вы ждете прихода Запада ?"
(:あいつら、この大西洋で何を待ってると思う? 西側の出迎えか?)
シリンスキー艦長は押し殺した声で腹心の部下に尋ねた。質問が解答を得るためでないとラジェンスキー副艦長にはわかっていた。長年シリンスキーの下にいて彼の本意が手にとるように理解できていた。
"Я думаю это Выиграть."
(:勝算でしょう)
曖昧に答えたわけではない副艦長の言葉にシリンスキー艦長は自信を深めた。ギリシャ艦を強奪し何を企んでいるにせよ、探し出して屠る必要がある。投降を促す時期は逸していた。
"Насколько широк ожидаемый курс в этом текущем местоположении с момента последнего обнаружения S123 ?"
(:最後にS123を探知しての予想進路は現在地点でどれくらいの幅がある?)
海図台を脇から覗いていた戦闘作戦士の部下がすぐに艦長へデーターを報告した。
"Он находится в концентрическом круге 180 морских миль (: около 333 км) с центром моего корабля."
(:我が艦を中心に180海里(:約333㎞)の同心円内にあります)
なら、最大で360海里のどこかにいるはずだと艦長は考えた。いくら燃料電池の機関といえども原子力潜水艦の連続潜水航行に足でも時間でも遠く及ばない。騒音の大きなヂーゼルによるシュノーケリング航行で逃れるような愚かしい連中ではない。まがりなりにもロシア海軍の攻撃型原潜の乗組員だった連中だ。水上航行はもってのほかだった。なら、息を殺して狼のいなくなる昼を待っているとしか考えられない。
現在の密集陣形はともすれば危険でもあり、同じ海域にアメリカの攻撃型が潜んでいたら音紋を録られ僚艦のいずれかが追尾されるリスクがあった。
狭い。といっても各僚艦の距離20海里(:37㎞)は決して狭くはなかったが、最大で1000㎞近い探索能力を有する最新2艦にとってはその索敵範囲があまりにも重複していた。だがそうして近接する扇状に陣形をとり続けるのは、次こそ発見すれば容赦なく打撃を与えるため、ギリシャ艦カトソニスの正確な位置情報を得るために4艦でタイミングをずらしアクティブ・ソナーを使い続けていた。
司令部は痺れを切らし、水上艦隊を急行させつつある。
同じ潜水艦乗りで片を付けなければ、面目が潰れてしまう事は明白だった。もしもこれ以上の不祥事を看過したなら、軍事力を増強し続ける現大統領とはいえ、ふたたび海軍に予算緊縮を負わせるだろう。
だが元第7潜水艦師団のタンボフの乗員らは何を目的として大西洋に居続けるのか理解できなかった。政治局の予想を覆し西側に亡命せず1年の間に8回も肉迫していながら、6時間前にロストして行方不明な状態が続いていた。
☆付録解説☆
☆1【Ridge/海嶺】海底にできた大型の海底山脈ですが幾つもの亀裂が谷の様に交差しています。
☆2【671RTM B 448 Щука (/Виктор ⅲ) тип Тамбов/シャチューカ型タンボフ】NATO-Cord:Victor-class Ⅲ submarine/ヴィクター型原子力潜水艦です。ビクターⅢとはソヴィエト/ロシア海軍の攻撃型原子力潜水艦の艦級に対して付与されたNATOコードネームです。448は艦番号です。
前型671TまではVictor Ⅱでしたが、より改良された671RTMからはVictor Ⅲと公式型番に変わっています。それまでの同国攻撃型原潜では2軸型推進が用いられてきましたが、Victor-classから1軸推進方式に変更されました。これは故障対応の冗長性の低下を許容してでも水中放射雑音の低減を重視した措置です。第2世代型の当艦は加圧水型原子炉を2基搭載し、アメリカ空母打撃群の高速追尾を可能にしています。
以下諸元:水中排水量7889t、全長107.1m、全幅10.8m、水上速力10.8kt(:約20km/h)、水中速力29.5kt(:54.6km/h)、最大潜行深度670m、魚雷発射管533mm x 4(18本搭載)、650mm x 2(6本搭載)
☆3【NDC-SSN001 DEPTH ORCA/ ディプス・オルカ】巨大複合企業NDCが開発した架空の先進攻撃型原潜です。敵対国への3中隊規模特殊部隊の潜入回収を主目的とし、大型加圧水型原子炉を2基搭載し敵艦隊包囲網を武力突破できる攻守能力が付与されています。
以下諸元:全長201m、全幅30m、水中排水量54500t、エレクトリック2軸リニアシュラウドポンプジェット推進、水上速力26kt(:約48km/h)、水中速力38kt(:約70km/h)、最大潜行深度980m。魚雷発射管690mm x 12(58本搭載)、RCVLS(:ロータリー式チェンバー垂直発射基) x 16、CWIS(:近接防御機構) x 3。
☆4【Zero bubble/ゼロ・バブル】潜水艦用語で前後のバランスが取れ水平になっている事をいいます。水平器のガラス管に入った気泡が由来です。同義語でトリム取れましたとも表現します。
☆5【885м ясен класса k-561 Казань/885Mヤーセン型Kー561カザン】ロシア海軍の最新型多目的原潜です。SSN(:攻撃型原潜)とSSGN(:巡航ミサイル原潜)の能力を併せ持ちます。極めて静粛性に優れアメリカ海軍オハイオ型よりも雑音放射を抑制しています。カザンはヤーセン型2番艦ですが、この物語の時代までに7番艦までが就航しています。
以下諸元:全長119m、全幅12m、水中排水量9500t、加圧水型原子炉1基、1軸推進、水中速力31kt(:約57km/h)、最大潜行深度670m。魚雷発射管650mm x 6 533mm x 2、VLS発射基 x 10。