Part 13-4 Be Quick 機転
Banker(/PEOC) White House, Washington D.C. 13:17
13:17 ワシントンDC ホワイトハウス バンカー(PEOC)
「振り込むだと!? 5000億ドルだぞ! 国家予算の20パーセントなんだぞ!」
上擦った声でニック・バン・ベーカー大統領が指摘すると、彼はボーイスカウトのような笑顔を見せるNSA長官の表情に気がつきそのにこやかなサンドラ・クレンシーがぼそりと説明した。
「数字だけの金額を──決して決算されない数字をつかませ雲の上を歩かせるんです」
巨額の身代金を要求してくるテロリストにどう対処するか、その算段はできていた。それが技術的に可能がどうかは国家安全保障局と中央情報局の協力体制1つだった。
「ニック、連中は史上最悪な恐喝を目論んでいます。それを正面から受けてはいけない。核弾頭をちらつかせれば何でも通るという前例を貴方が残してはいけない。連中の脅しに屈すると見せかけ、空の支払いをしたらいい。奴らの口座に引き落としのできない金を用意して、稼いだ時間にメリーランドを奪取仕返しましょう。大統領、貴方の正義というテーブルについた相手に誰がディーラーか知らしめるんです」
大統領の表情に困惑と希望が目まぐるしく入れ替わった。
「クランシー、空の金を用意するとはどういうことだ? 具体的な方策はどうするんだ?」
尋ねたのはトニー・カーチス緊急事態管理局局長だった。
「CIAとNSAの総力であいつらの仮想口座を作り出します」
「口座? 君はテロリストらが振込指定してくると決めてかかっているのか? 現金──いいや、金塊で要求してくるかも────」
緊急事態管理局局長はサンドラの提案に問題点を提起したつもりで、本質に気がつき口を噤んだ。
「そうです。金額が大きすぎるんですよ。現金や金塊では到底運べない。振込を利用するしかない。ただスイス系銀行も秘匿性を通しているものの、昨今あまりにもの巨額な送金振込でマネーロンダリング利用されたときを用心して限度額を設けているところがほとんどです。銀行も国際捜査網からの押収には弱腰なんです。ですから連中は複数の銀行へ分散させ振り込ませようとしてきます。そのSWIFTのハニーポットで──」
「待ってくれサンドラ! SWIFT? ハニーポット? 何のことだ?」
ベーカー大統領がNSA長官の話しに割り込んだ。
「仮想の銀行間通信網を作り上げ、連中を嵌めます」
「そうか! ハニーポットファームで根こそぎ決済通信を偽装するつもりか」
ブライアン・コックスCIA長官がいかにも自分の発案のように話しに割り込んできた。
2人の異なる諜報局のリーダーが話す内容に、大統領はにわかに期待を持ち始めたが、また内容についていけず眉根をしかめた。
サンドラ・クレンシーはじりじりしている大統領へいま少し時間を下さいと説明を保留にし占拠されているオハイオ級戦略原潜の解放をどうやればとあれこれ考えながら、ふと原潜内に保安要員や室内用武装はあるはずなのになぜ無抵抗で言いなりになっているのだろうかと考え、もしやとあることが閃きリッケン・ホフマン海軍大将へ尋ねた。
「大将、戦略原潜の乗員に関することの多くは機密扱いですよね」
「ああ、そうだ。乗員だけでなくその在居や家族に関してもだ」
「では、家族が人質にとられてないか地元警察に──」
そこまで言いかけてサンドラは一瞬考えた。
「米海軍犯罪捜査局に家族の──士官の家族です──の安否を確認するように取りはからって頂きたい。ただ家族が人質にされてる可能性もあるので、些細な違和感も報告して頂き、捜査官が違和感を感じたならその根拠をつかんでほしいんです。向かわせる捜査官は機転の利くものをお願いします」
若きNSA長官の意見を耳にして海軍大将はすぐに食いついた。
「そうか! 乗組員が言いなりになっているのが武力占拠だけだとは考えておらんのだな。よかろう。もし人質にとられていたらどうする?」
「士官1人の家族とは限らないです。人質救出することになれば同時にやらないと連携をとっているかもしれません。あと──」
「なんだ?」
「潜水艦を占拠した連中が最初にホワイトハウス職員のセリー(:携帯電話の米での俗語)へどうやって通信してきたんでしょうか? 確か潜水艦は水中をある程度潜水すると長い曳航アンテナで受信はできても送信が難しいと聞いたことがあります」
「そうだ。波長の短い電波は使えない。だがセリーの回線を使っとる以上、何らかの手段でどこかから国際電話通信網に割り込んでいるのだろう。それは海軍では調べられない」
「そちらの発信元と通信経路の方はNSAで調べてみましょう。大西洋のど真ん中です。連中が軍の下に動いているならロシアの軍事通信衛星──コスモス・シリーズ、単独で犯行に及んでいるならイリジウムなどの衛星通信回線を使っているでしょう。連中の通信手段を逆手にとってメリーランドの乗員に連絡を取る手段を考えてみます」
リッケン・ホフマン海軍大将に説明するなりサンドラ・クレンシーは自分の携帯電話をスーツから引き抜きかかり、ここが電波の届かない地下だと思いだしてテーブルの電話機を引き寄せ素早く国家安全保障局の一部門の直通番号をプッシュした。
『はい、担当です』
回線が繋がっても名乗らないのは、職員を偽装した接続を警戒してのことだった。
「私だ、サンドラ・クレンシー。発信も私のセリーからだ」
わざと携帯からだと嘘を名乗ると寸秒沈黙があり、個別番号と発信エリア、声紋分析が行われエシュロン管理部担当者が返事をした。
『長官、国家安全保障局内からでありますか?』
定型のブラフだった。エシュロン管理部ではすでに中継電話局すべてと、発信元を特定しているはずだった。
「そうだ。大統領危機管理センターからかけている。今から言う対象者の通話記録を探して可能な限り発信元と経由局を調べてほしい。ホワイトハウス職員の──」
サンドラは送話口を片手でふさぎ、大統領に声をかけた。
「閣下、国家安全保障会議室にテロリストからの電話を取り次いだ職員の名前を教えてください」
「職員補佐官か? ロッティ・オリヴィエだが、お前、サンドラ、まさか彼女を疑っているのか!?」
ニック・バン・ベーカー大統領が眼を丸くしたので、慌ててサンドラは「違います」と伝え送話口の手のひらを離した。
「ホワイトハウス職員ロッティ・オリヴィエのセリーに12時40分過ぎにかかっていた長距離電話だ。個人所有の回線番号なら契約者名を、法人や政府関係なら──わかれば内線番号も」
『お時間を頂きます長官。報告はどちらへ?』
「この番号に頼む」
NSA長官は受話器を下ろすと、海軍大将共々真っ先に大統領から癇癪責めにされた。
「サンドラ! お前、何をリックとこそこそしておる!? シールズを出して奪回させると言ったが、何か具体的な打開策があるなら皆に説明せんか! ホフマン! お前も派遣した艦隊がメリーランドを見つけ出したらなんとしても沈めさせろ! 次は活性弾頭なんだぞ!」
聞いていて沈めろという指示にサンドラ・クレンシーは動揺した。リッケン・ホフマン海軍大将が原潜奪回へと傾きつつある今、それは困ると口を開きかかり、海軍大将が先んじた。
ホフマン大将は大統領を睨み据えていた。
「閣下、第2空母打撃群と6艦の攻撃型原潜にはロシア艦隊のメリーランドを拿捕阻止と同時に次の弾頭ミサイル発射を阻止せよと指示を出してありますが、同時に奪回作戦の準備を待つようにとも命じてあります。貴方は軍歴のないお方だ。友軍を撃ち殺せと命じられた軍人がどれほど葛藤し、どんな行動にでるかおわかりでない」
見る間に顔を赤らめてベーカー大統領は海軍大将を指差した。
「それでも国民を護るために、私が引き金を引けと命じたならアメリカ軍人のとる行動は1つだけだ!」
「ニック! それは最終手段です!」
黙っていられずにサンドラ・クレンシーは押し殺した声で大統領へ告げベーカー大統領は上げていた腕を今度はNSA長官へ振り向け指を震わせた。
「我々が取りうる最良の選択肢が枯渇しない限り貴方は100数十名の海軍兵士を見捨てたりしない!」
上手だわ! 大統領に首輪をつけた! やり返す懇意の男の背中を見つめパメラ・ランディは僅かに俯きにやついていた。だがどうやって海中にいる原潜に奪回作戦の兵士を送り込むつもりなんだろう? まるでその疑問に気がついたとでもいうようにサンドラが海軍指揮官へ問うた。
「ホフマン海軍大将、オハイオクラスの原潜に何発の魚雷を撃ち込めば航行不能になりますか? 洋上浮上したオハイオ級にトライデントの射出能力はありますか?」
海軍大将は今し方、海軍兵士を見捨てたりしないと言い切った男が魚雷を撃ち込めばと言いだしたことに愕き、航行不能という言い方に閃いた。このサンドラ・クレンシーは沈めるとは言っていない。航行不能と言ったのだ!
「クレンシー長官、当たりどころにもよるが異なる防水区画の腹舷に5本以上の不発弾を打ち込むことが肝要だ。バラストタンクの浮力以上の相当量の浸水で緊急浮上するしかない。だが────」
リッケン・ホフマン海軍大将は若き国家安全保障局長官の打開策に泥を塗る気分がし陰鬱たる気持ちになった。
「浮上したオハイオ級には弾頭ミサイル射出能力がある」
目的の住所が近づき車を60ヤード離れた場所に路駐させた。
トリスタン・ウォーラムはすぐにエンジンを切らずに視線だけを動かし窓越しに辺りを見回した。
閑静な住宅地であり、それほどの額でもない一軍人の将校にも買える範疇の家が建ち並んでいる。
あまり路駐車がないということは、この辺りが防犯上、推奨されるエリアであることを物語っている。
さし当たりの違和感を感じず、彼はイグニッション・キーを回しエンジンを止め15秒カウントしてからドアを開いた。
小脇にブリーフケースを挟み降りてまずスーツの袖をめくり腕時計を見る。
時刻を見るつもりなど毛頭なく、誰かから見られていても時間待ち合わせで訪れた来訪者ぐらいに思われることを意図した習慣だった。
トリスタンは時計を見るのをやめ、スーツの内ポケットから取りだした万年筆と手帳で数ページに幾つかの走り書きをするとそれをポケットに戻しすぐ真横の住宅のポストを見つめた。
番地違いから調べてきた住所は歩道に沿って伸びる垣根の曲がり角の先だった。
彼はゆっくりと前だけ見つめ歩きだした。
訪問先であれこれ見回すのは禁じていた。それは安物の探偵や無能な刑事がする日常の癖だからだ。視野の範囲で十分。角を曲がるときにさらに視野が広がる。
垣根の角を曲がりそれはすぐに眼に飛び込んできた。
住宅地に不釣り合いな大型タンクローリーが路駐している。その先に何の広告や社標もない灰色のパネルバンが並ぶように路駐している。それら2台のナンバーを覚えながら、視線は歩く先に固定したまま車内に人影を探った。
見返す視線を微塵にも感じずに彼は該当の番地の住宅前まで来ると、綺麗に手入れされた芝生の間に渡る玄関までの舗装路を歩きながら家を視野に収めた。その住宅は1階建てで右手にはガレージがあり白いシャッターが下りている。すべての窓の若葉色のカーテンは閉じられており、まだ日中の最中かなりの違和感を抱いた。
トリスタンは玄関扉前に立ち横壁の呼び鈴のボタンを一度押し込みドアだけに視線を向け静かに待った。
40秒ほどしてドアが内側へ僅かに開かれ若い女性が顔を見せた。
「どなたですか?」
「初めまして奥様。私はトリスタン・ウォーラム。ネイヴィワールド保険の外交員をしています。実はお得な保険プランがありましてご紹介したくこうしてお邪魔いたしました」
保険外交員と名乗った瞬間、彼女が困惑げな面もちを浮かべて瞳を游がせた。
そう言いながら彼はスーツの内ポケットから手帳を取り出すと女性にだけが見える角度で1つのページを開いて見せた。
──会話を続けながら声に出さずに読んで下さい──
「実はこの付近の住宅複数軒のお宅で窃盗事件がありまして」
「近くで?」
トリスタンは次のページを開いた。
──私は米海軍犯罪捜査局大尉です。ご心配なく奥様──
「はい、同じ地区内です。つきましては家財保険のご加入をお勧めにあがったのですが、現在どちらかの保険についてご加入されておられますか?」
──ご家庭が、危機的状況でしたら、話しながら瞳を二度上下に動かして下さい──
「いいえ、うちは今まで保険は必要ないと」
女性が大きく2度薄い緑色の瞳を上下に揺らした。
「それはいけない。でも損害保険にご加入頂ければ少ない掛け金で大きな補償と安心が得られます」
──襲撃者の人数分だけ瞳を上下に──
「主人が損害保険は必要ないと。代わりにしっかりしたセキュリティを家につけてあります」
女性が8度瞳を上下に動かした。
「そうですか。それは残念です。警備会社はよほどのことがないと家財補償はしてくれません」
──しばらく時間を頂きます。特殊部隊が救出に来ます──
その文章を読んだ瞬間、女性の瞳が激しく揺れ動いた。
「誠に残念です。一度ご主人のお見えになる時間にまた出直しいたします。パンフレットを置いてゆきましょうか?」
問いかけに答えた女性の言葉が如実にその動揺の意味を物語っていた。
「いえ、結構です。お帰り下さい。二度と来ないで下さい」
トリスタン・ウォーラム大尉は米海軍第六艦隊所属弾道ミサイル原子力潜水艦メリーランド副艦長バートラム・パーネル中佐の住宅への強硬突入が困難であることを理解し、セキュリティの意味が何らかのトラップだと判断した。




