Part 13-3 Revelation 啓示
UMass Memorial Health Alliance Hospital Worcester County, Mass. 12:57
12:57 マサチューセッツ州ウースター郡 ユーマス・記念ヘルス・アライアンス病院
ゆっくりと持ち上がるグロックの銃口を睨みつけカエデス・コーニングは右腕がまるで他人のものであるような錯覚にとらわれた。
その穴が顳顬に近づく。
他人の腕のような感覚なのに、セーフアクションの一段目をすでに人差し指が引き終えている感触が妙に生々しかった。彼は銃器のことを多少なりとも知っていた。多少なりというよりも一般人よりは知っていた。
この樹脂を多用したハンドガンは外装ハンマーがない代わりに二段式のトリガーを引き切ると内装のストライカーが落ち激発する。だがそれにはスライドを一度引き放しストライカー・スプリングにストアエナジー──激発にいたる力が蓄えられ、初弾がチャンバーに装填されていないと駄目だ。
警官の多くは即時応戦ができるように初弾を装填済みとする場合と、その危険性を危惧し禁止する場合の規則が署によって違う。
だが制服を奪った警官から取り上げたハンドガンはトリガーが前進し切り引ける状態だった。それは初弾が装填されストアエナジーが蓄えられているいつでもトリガー1つで撃てる状態を意味していた。
さらに2発目はトリガーをすべて引き切らなくても途中までで射撃が可能になる。
カエデスは撃てる状態なのはすぐにわかったが、銃の装填弾が初弾なのか2発目以降なのか理解できなかった。
なら、引き切らなくても最悪あと僅かにトリガーを引くだけで銃弾が射出される危険性がある。
銃口が顳顬に触れた寸秒、彼は自由な左腕で右手に握るハンドガンを思いっきり殴った。銃口が後頭部へずれた瞬間、激発し爆轟とともに後髪を深くえぐり、銃弾が高く遠くへ飛んで行った。その銃声と共にいきなり右腕が自由になり彼は病院駐車場を見回し誰かに目をつけられていないか用心した。
「くそう! 俺は頭がおかしくなったのか!?」
トリガーを引いた指も今は自由自在になった。その時、リネン袋の中で気絶している少女が呟いた言葉に彼は背筋が凍りついた。
「あんたも、あんたも、自分の銃で死ねばいいのよ──」
顔を強ばらせ見下ろした男は、己が何に関わったのか朧気に理解し空を仰ぎ見た。
これは啓示だ。
突き落とされ、踏まれ続けた俺へのギフトだ。
この娘の力を意のままにせよと神がお告げになっている。
降り注ぐ光にカエデスは恍惚感を抱き銃をベルトのホルスターに戻すと警察車輌の助手席の床に転がるリネン袋を見つめドアを閉じた。そうしてフロントグリルを回り込み運転席側のドアへ行くとそれを開きながら、今一度辺りを見回して自分を注視しているものがいないか探った。
その時だった。
三十数台の車のルーフ越しに振り向いた肩までのセミウエーブ・ブロンドの女と視線がぶつかった。
FBIのステージ警部!
その直後車の一群を回り込んで駆け出し来る女捜査官が見えていたが彼は慌てずにシートに座り込んでドアを閉じシートベルトをするとエンジンスターターを回した。良く整備されたパトロールカーだった。一瞬でエンジンに火が入りカエデスが車を駐車エリアから出すと、FBI捜査官は40ヤードまでに迫っていた。
彼はパワーウインドを開き左手を外に突き出し、刑を言い渡した法廷で検事と並び座っていた忌々しい女捜査官へ振ると、右手1つでハンドルを捜査官が来る方と逆側に切り、ゆっくりとアクセルペダルを踏み込んだ。
追いつけそうだと思わせながら、ルームミラー越しに徐々に距離を離してゆく。
突如ローラ・ステージが立ち止まり拳銃を取り出し構えたが、彼には撃ちはしないと確信があった。
そう──トランクルームに少女が入れられている可能性に気づくはずだからだ。
優秀な捜査官殿──さあ、この少女を取り戻すのになりふり構わない手腕を見せてみろ。
カエデス・コーニングはそう思いながら、駐車場内の曲がり角で一度車を止め、ステージ警部がまた走り出すのをルームミラーで見つめ、アクセルを深く踏み込むとタイヤが白煙を残しパトロールカーは市道の流れに加わった。
病院から駆けでたローラ・ステージは一発の銃声に振り向くと大まかな方へ走りだした。
まだここにいるとの直感を信じ、どこに警察車輌があるかその一点に集中し見回しながら脚を繰り出していると、数十台のルーフ越しに黒い歪な形の頭髪が見え、注視すると相手が振り向いた。歪な頭髪と思ったものが制服警官の制帽だとわかった瞬間、彼女は手前の車を迂回して駐車場の走行ラインを警官目掛け駆けた。
彼女の50ヤード先に黒い車体で前後のドアに幅広の青のストライプの入った警察車輌が走り出て、一瞬フロントフェンダーの先に小さく白抜き文字で35と見え、すぐに方向転換しテールランプが見え始め、逃げ去ろうとしていると気が焦った。その左から腕が突き出されると小馬鹿にしたようにぎくしゃくと手首を振った。
止めないと、パトリシアを永遠に取り戻せなくなる。
ローラはいきなり立ち止まりスーツに右手を差し入れ腰のクイックドロウ・ホルスターからグロック18Cを引き抜き、セレクターをフルオートに切り替えながら振り上げ左手でサポートした。
瞬時にフロントとリア・サイトが揃いそれを左後輪に合わせトリガーに掛けた人差し指を浮かせてしまった。
もしも少女がトランクルームに入れられていたら、もしもテールまわりのボディが思ったよりも薄かったら。
もしも──。
幾つもの思いが交差し、躊躇しているとパトロールカーが駐車場内の曲がり角で一度停車した。
ローラは右手に握ったハンドガンの銃口を空に向け再び走りだした。まるでそれを嘲るように車は急発進すると市道へ出て右折していった。それを目の当たりにして彼女は即座にスーツからセルラーを取り出すと、地元のレミンスター警察の978から始まる外線番号を片手で打ち込み通話アイコンをタップした。
『はい、レミンスター警察署代表担当のキャロライン・グッドオールです』
「FBIボストン支局捜査官のローラ・ステージ警部です! 至急、警察署長に御繋ぎ願いたい。医療刑務所から脱獄したカエデス・コーニングについての緊急な情報です!」
『しばらくお待ちください』
待てるものかと、ローラはセルラーを耳に押し当てたまま三度駆けだすと市道を目指した。だが意外に早く署長が通話先にでた。
『ステージ警部、緊急とはなんだ!?』
「ユーマス・記念ヘルス・アライアンス病院からカエデス・コーニングが警察車輌を奪い逃走。17歳の少女を拉致! 病院東側市道を南方面へ向かっています。至急ヘリを回しルーフ番号を上空から確認35番車輌を追跡してください!」
『無理だ警部! うちの捜査車輌にルーフナンバーはない!』
ローラは舌打ちしそうになり強引にそれを我慢し、車両の流れる市道に沿った歩道にでた。
『ただ車輌GPSに連動した位置管理システムがあるので現在位置はつかめる!』
それを先に言いなさい! そう心の中で叫び彼女は上着から身分証を引き抜くと左手1つでそれを縦に開き突きだしながら、走ってくる青いレジャービークルの前に飛びだした。4輪を激しくロックさせながらその車高上げをした大型SUVが停車すると、ローラは運転手に身分証を提示しながら右側の助手席ドアへ回り込みドアを引き開けながら、署長に怒鳴った。
「回線を切らないで!」
そうしてドアが開くなり今度はレジャービークルの運転手に声を張り上げた。
「FBIボストン支局捜査官ローラ・ステージ警部です! 捜査に協力お願いします! 私を乗せ犯人車輌を追跡して下さい!」
その運転手が若者なら良かったと彼女は一瞬、他の車にするか迷ったが一刻を争う事態にそんな選択肢を割り込ませる余裕はなかった。
「乗りなさい警部さん!」
鼻下から顎先まで白髪髭をはやした70を軽く過ぎた男が軽く了承するなり彼女はシートに跳び乗りドアを力任せに閉じた。
「で、どの車を追うんだい?」
「とりあえずこの道を最大速で飛ばして! ポリスカーがいても心配しないで。FBI権限の借用なのであなたは罪に問われない! それに追うのはそのポリスカーだから!」
運転手の老人が前を振り向くなりローラは背もたれに強烈に押しつけられ驚いた。そのSUVはまるでフルトレーラー大型ビッグリグのようなエンジン音を吠え始めた。
初めは些細なものから。
中ほどの空席に座るようにシスターから指示され、歩いて行く途中で足を引っ掛けられた。
派手に転んだ少女へすぐ横の席に座るおかっぱ髪の少女が声を上げた。
「あら、まともに歩けないほどお腹を空かしているのね」
──あの力を使ってはならないの。
笑い声の中で無言で立ち上がり横目で見つめたその態度と、エメラルドのごときその瞳がおかっぱ髪の少女には気に食わず睨み返した。その視線が数人のスイッチになる。彼らは両手を上げストレスの捌け口を歓迎する。
その最初の授業中に新入りの少女は5度小突かれ、4度短いポニーテールを引っ張られ、2度消しゴムかすを投げつけられ、いきなり椅子を引っ張られ派手にひっくり返った。
「何をしてるんですか、パトリシア・クレウーザ! 初日からそんな風では先が思いやられますよ!」
──昨日何があったか覚えているでしょ。
無言で少女は床から起き上がり椅子を引き戻すと座った瞬間奥歯を噛みしめた。そうしてワンピースのお尻に片手をまわし探り当てたものを目の前にして生唾を呑み込んだ。手のひらには3個の画鋲があった。その針先に滲む自分の血を見て、部屋の壁に飛び散ったギャングスタの連中の血飛沫の跡を思いだすなり胃液を吐き戻した。
生徒らが騒ぎ立て授業は中断され、少女は自分が汚した床の掃除を皆の前でさせられた。
最初の授業はそれだけで済んだ。少女が訪れた時間も遅くすぐに昼食になり彼女は現実を思い知らされる。
広い部屋に移動した子どもらは、いつもの習慣でそれぞれが長テーブルの自分の席につく。テーブルにはアルミの大小の皿と器にクリームシチューとパンとコールスローがあった。
皆が腰掛ける中で余った席に少女が向かい、立ちすくんだ。
目の前に自分の食器がなかった。
少女がシスターへ問いかけようと顔を振り向けた瞬間、彼女の前のテーブルの上に投げ返された空の皿や器が踊った。その音に部屋の前にいる2人のシスターが顔を向けた。
「何をしてるのです、パトリシア・クレウーザ! 席について! 食事の前の感謝の祈りを始めます!」
少女は席に腰を下ろすと、無言でひっくり返った皿2つと器を皆と同じように並べ直した。そうして皆が目を閉じ祈りが始まる。
その空の皿に手が伸ばされ、半切れのパンが置かれた。
気配に薄眼を開いた少女がその手の主の方へ顔を向けると赤毛のお下げのあばた顔の少女が唇に人差し指をあて静かにとジェスチャーした。そうして祈りの最中にシチューを半分わけてくれた。
──生きていける。
──こんな荒んだ場所でも生きていけるんだ。
浮かんでくる涙を閉じた瞼でごまかした少女を別のテーブルからおかっぱ髪の少女が睨みつけていた。




