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衝動の天使達 2 ─戦いの原則─  作者: 水色奈月
Chapter #1
6/206

Part 1-6 Military Training 軍事訓練

NDC HQ Bld.Chelsea Midtown Manhattan NYC, NY. 10:45

10:45 ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン ミッドタウン チェルシー地区 NDC本社ビル



 アニー・クロウが右最下段の肋骨下を狙った鋭く差し込む黒い刃をキャロル・コールは身体をひるがえし手首を叩きかわした直後、背後からリー・クムと左側面からアルバート・ジョーンズに同時に硬質ラバー・ナイフを突き出され彼女は左足を素早く振り回し瞬時に2人からナイフを蹴り落とした。



 その瞬間、どよめきがギャラリーから起きキャロルは苦笑いした。だがはやしたて始めた声を手のひらを鋭く叩き合わせた乾いた音が打ち消した。



「駄目よ! そんなんじゃ!」



 手のひらを叩き合わせマリーは胸の前に腕を組んだ。




「どうしてですかチーフ!?」



 キャロルは顔を振り向けマリーに尋ねた。



「あなたがやってるのはストリート・ギャングの喧嘩に毛がはえた程度でしかないわ」

 マリーにはっきりと言われキャロルは憮然ぶぜんとした表情になり抗議した。



「何がいけないんですか!?」



「分からないの? キャロル。4人とも、もう一度同じ立ち位置に」



 そうマリーが言い渡したのでキャロルを中心に三人が正3角形の位置に立った。まずアニーがキャロルの胸骨の1番下の脇腹を狙いラバーナイフを打ち込もうと身構えた。そこでマリーはギャラリーの中にいるブラディスラフ・コウリコフに声を掛けた。



「ブラッディ、アニーの左に立ちアニーの攻撃に1呼吸おいてキャロルを狙いなさい。突いても切りつけても自由に」



 ブラッディがラバーナイフを数回突き出す動作を繰り返しながらアニーのすぐ傍の左手についた。それを見ていた真ん中に立つキャロルの顔が強張り4人へ眼をおよがした。



「始めなさい」



 マリーがそう命じた瞬間、5人の間に空気が張りつめた。



 アニーが右手を突きだしキャロルはそれを叩きかわし身体を捻った勢いでリーとアルバートが同時に突きだしてくるラバー・ナイフを蹴り落とし、瞬時に身体を振り向け左背後から襲ってくるブラッディのナイフに対処しようと右手刀を振り上げようとした。



 刹那、彼女はあごの下に押し当てられたラバーナイフの刃に生唾を呑み込んだ。背後からブラッディが腕をまわし逆手にしたナイフでキャロルの首を押さえていた。



「チーフ、こんなの卑怯です。最初と条件が──」



 彼女は声を絞りだしマリーに訴え、ブラッディがナイフを首から離した。

「キャロル、同じよ。ファイティングはどんな悪条件が重なってもやることは一つ」



 説明するマリーをキャロルは睨みつけていた。



「いい? 皆! 誰か分かる?」


 マリーに問われ真っ先に答えたのはアンだった。



「簡単じゃねェか──近接戦闘(CQB)と同んなじだ。使えるものはすべて自分ために──だろ」



「まあ、大体は合ってるわ」



 そうマリーが答えた直後キャロルが喰ってかかった。



「分かりません! 私も状況に最大限対応しようと──」



「“しようとする”じゃ駄目なの──“するのよ”」



 優しくそして厳しく言い渡しマリーはあごを引き上目遣いにキャロルをにらみつけた。そのギラギラと射し込んでくるラピスラズリの視線に堪えられずキャロルは瞳を斜めに逸らした。



「初日に私が言い渡した事を思い出しなさい。あなた達に望むのが最高のスキルだと。そこに至らないのなら人質を救いだすどころか、自分の命すら手放してしまうのよ」



 マリーがさとすのを皆は黙って聞いていた。だが一年にもなるのに誰もがまだ彼女を受け入れた分けではなかった。つい今しがた理不尽な扱いを受けたキャロルは同じ屈辱をと無意識に抱いてそれが口をついて出た。



「それじゃあ──やって見せて下さい、チーフ!」



 キャロルに言われマリーは皆を見回した。数人の瞳に陰が宿るのマリーは見てとり1度かすかに息を吐くとその者達に答えた。



「いいでしょう──8人出て来なさい。なんでも有りで私に同時に斬りかかり、ナイフがかすればボーナス千ドル、刺せば3千、私にナイフを抜かせたら8人に5千ずつ。ただし私が全員倒したら、今後の訓練で苦情は一切受付ません。いいわネ、シリウス」



 そう言ってマリーは顔を振り向け皆の後ろに立つシリウス・ランディの承諾を求めた。ほんのわずかに間をおいて彼女が条件をつけ返事をした。



「よろしいでしょう。ただし、もう1つ加えます。チーフに倒された人は来年の有給休暇を10日無効にします」



 それを聞いてマリーは苦笑いした。挑む者達にさらにプレッシャーと闘争心を与えた事に、ゲーム嫌いな情報担当官が内心これに興味を示したのだと思った。



「さあ、誰が自らの正しさを証明してみる?」



 マリーがそう促した直後、真っ先にキャロルが名乗りを上げるのと同時にアンが参加を表明した。そうして次々に自信有り気な残りが決まり10ヤード(:約9.1m)の歪な円を描きマリーを取り囲んだ。マリーの正面にいるアンと左斜め後ろに立つキャロルだけが右手に自らのナイフを握り締め、ギャラリーに借りたナイフを左手にしていた。



「あなた達、遊びじゃないから手加減なしよ。シリウス、貴女が号令を」



 マリーに言われ彼女が声を張り上げた。



「全員! 殲滅せんめつ戦用意──」



 一瞬で重苦しいぐらいに空気が昇華した。





「かかれェ!」





 マリーを取り囲んだ皆が弾けたようにそれぞれのスタイルでナイフを振りかぶり同時に彼女目掛け駆け出した。だが誰よりも素早く動いたのは素手のマリア・ガーランドだった。彼女の交差した足の残像が数本にぶれ、その間隔が急激に右に間延びすると跳び上がったプラチナブロンドの髪を引き連れ数歩で3時方向にいたクリスチーナ・ロスネスに低い姿勢で迫った。



 光栄だ、チーフ! 私を最初に選んだ事を後悔させてやる!



 そう意識したクリスは細めた青い瞳でチーフがどう出るのか見極め、ナイフを手にした利き手を避け左手に攻撃を仕掛けると判断した。だが寸秒の後、彼女はナイフへ向かい突っ込んでくるリーダーに眼を見開き驚いた。同時にクリスは右横からポーラ・ケースがブロンドのポニーテールを振り上げ右手のリーチの先にチーフを捉えようと急激に回り込もうとする姿を眼にし、左手からは長身のデイビッド・ムーアがやはりチーフの左側面に斬り込もうと飛び出してくるのが視界の不明瞭な境界の外に見えていた。



 最早、貴女に逃げ道はないとクリスは右手の有効レンジに入り掛かった無武装のチーフ目掛け溜め込んだ身体のバネを解放し右手のナイフを突きだした。だが、まるでその瞬間を待っていたようにマリーは青紫の瞳でクリスの眼をにらみつけたまま、クリスの右手首をつかみ懐に飛び込みながら、急激に右手を打ち出しクリスの喉元を開いた手のひらが捉えた。



 そうしてクリスがナイフを突きだした際の振り切った動きをマリーはそのまま使い彼女を左へと振り回した。クリスは唖然としたまま両の足が床を離れたのを感じた直後、右手に回り込みかけたポーラへ横なりにぶつかり彼女を押し倒してしまった。



 だがマリーはまだつかんだクリスの右手を放しはしなかった。倒れかかった彼女の右手を瞬時に引き上げ、背後からマリーの背中目掛け振り下ろされたデイビッドの刃に振り回した彼女をぶつけ弾き飛ばすと、その真下の床に左手を突きそのまま急激に左に身体を捻り両足を振り上げた。前に乗り出していた彼の首へマリーは両足首を左右から絡め捻り一瞬で側面に彼を投げ飛ばした。



 そこに飛び掛かる間合いをとろうとして進み出てきたマーカス・テイラーがぶつかり後退りしそこね体勢を立て直した瞬間には、伸ばしていた右腕のリーチの間にマリーが急激に身体のバネ一つで飛び掛かり内側から振り上げた右腕を彼の腕に上外へ回しで絡めると肘と肩の自由を奪い捻り上げた。



 直後、呻き声を洩らしたマーカスの伸び上がった身体をキャロル目掛け投げつけた。唖然としていたが辛うじてかわしたキャロルはマリーが彼女の右側に恐ろしい速さで両足を繰り出し回り込みながら下側から急激に身体を起こしてラピスラズリの両眼が青紫の光跡を引き伸ばし迫るのを眼にし恐れから反射的に持ち上げた右手のナイフで防ごうとした。



 キャロルは自らの身体を武器に使われてしまった事を意識し愕然がくぜんとした。一瞬でキャロルはマリーに肘をつかまれ同時に手首を握られ捻られると、そのまま腕を振り回され握り締めていたラバーナイフの切っ先が弧を描き己が首に激しくぶつかった。彼女は痛みに息を絞りだしながら自分の左手の甲に被せたマリーの右手が手首へと押し曲げ左手に握っていたはずのナイフが意図も簡単に奪い盗られるのを涙のあふれだした眼で見つめるしかなかった。だがチーフはそれだけで彼女を許しはしなかった。



 胸ぐらを左手一つでつがまれるとキャロルは自分が今度は盾として使われる事に震えあがった。その時、眼の前で突進し始めたマリーが見上げる瞳で笑っている事に気がついた瞬間、キャロルは背中から激しく誰かにぶつかり、肺から空気を絞りだし残された酸素でうめき、今しがたぶつけられた後ろからの声で背後にいたのがアルバート・ジョーンズだと理解した。



 そのまま彼ごと押し倒されチーフがやっと解放した瞬間、背後で下敷きになったアルバートがとどめをさされ、さらに酷いうめき声を上げた。離れ際にチーフから「キャロル見てなさい!」と早口で言われキャロルは首の痛みに堪えながら急いで床に片手をついて上半身を起こしチーフの姿を探し求め振り向いた。



 そこに眼にしたのはブラディスラフ・コウリコフがチーフの左脇にナイフを握った腕を挟まれその身体が逆さまになりかかり投げ飛ばされれる瞬間だった。



 そんな! チーフが私から離れて一秒しかとキャロルが思った刹那、投げ落とされたブラッディの厳つい身体が間隙を攻めようと出てきたイブリン・ノースにぶつかりかかり彼女がぎりぎりでかわし低い姿勢で回り込むようにチーフの左手へナイフを斜め下から振り上げながら迫った。それにわずかに遅れチーフの右側からアンが右手に逆手にしたナイフを己が左耳の傍まで回し振り上げチーフに向かって来ていた。



 瞬間だった。チーフが大きく左に踏み出しイブリンの右肩ぎりぎりまで身体を落とし込むように懐に入り、その中で独楽のように左へ回転したチーフがイブリンの右手首をつかみそのまま振り回した。



 チーフを狙い振り下ろしたアンの右手のナイフが、チーフがイブリンの左肩へと入り込んだ事で踊り上がったチーフのプラチナブロンドの髪の端をかすり、その手首へチーフがつかんだイブリンの右手のナイフが突き立つとアンが顔を引きつらせナイフを落としながら跳び退いた。



 どうして!?



 どうしてそこまで先読みができるの!? と見つめていたキャロルは鳥肌立たせ思いながら、その時、己が奪われたナイフをチーフがまだ使ってもいない事に気がついた。



 イブリンの腕の中から飛び出したチーフは鋭く回り込みながら退くアンを追いかけ、アンが退く際に引き遅れた右手の中指をつかみ手の甲へと捻り上げた。右手を落とすしか骨折から逃れる術もなくアンがバランスを崩しながら右肩を下げそれでも彼女は左手のナイフでチーフの右頭部を突こうと振り回した。



 その迫った手首を右肘一つで受け止めたチーフの手にしたナイフの切っ先がアンの喉元に寸止めになっていた。そのまま一瞬でアンはバランスを崩し掛かった左足にチーフから足首を掛けられ振り上げられ床へ倒された。



 立ち上がり振り向いたチーフの先に止めをささなかったクリスとポーラがナイフを構え迫ろうしていた。



 キャロルはそれをじっと見つめながら、2人がチーフにかなう相手でないと予感した。真っ先に仕掛けたのはクリスだった。ナイフを使わずにいきなり鋭く身体を回転させ振り上げた右足でチーフの首を横様に狙った。事もあろうか、チーフはその足首をさらに左足で上へ蹴り上げた。



 クリスは限界以上に右足を振り上げてしまい軸足が床を捉えきれず仰け反るように飛び上がってしまうと後頭部から床に落ちて小さく悲鳴を洩らした。そうしてゆっくりと振り上げた左足を下ろしたチーフがポーラへ構えると彼女は眼の前で上半身を起こし後頭部を押さえ呻くクリスを見るなり自らのナイフを投げ捨て「負けました」と頭を下げた。



 マリーはゆっくりと闘った者達を見回し酷い怪我をしたものがいないか確認するとキャロルへ顔を向け尋ねた。



「分かったかしら、キャロル?」



「分かりましたチーフ。すみませんでした。敵を防ぐだけでなくその敵を最大限利用してでもさらに優位な攻勢にでる──でよろしいですか?」



「まあ、70点ね。足らない分は生きてる間に出来るだけあざだらけになりながら勘をみがくこと。いいわね。それと、クロースコンバットをやる時は内蔵を肋骨に隠しておかないと苦しむのは貴女だから」



 内蔵を肋骨に隠すですって!?



 キャロルはこの人はなんて人なのだと唖然とした。



「腹を引き上げなさいな。腹式呼吸の吐きだした瞬間を狙われると地獄を見るわよ。あっ、もう一つコツを教えておくわ。『←←↑↓R↑L↓』よ」



「えっ?どういう事ですか?」



 キャロルは意味が分からずに尋ね返した。



「気にしないで。いずれ分かるわ」



 そう言いながらマリーは微笑んで彼女に歩み寄ると座り込んでいるキャロルに手をさしのべた。その手を握り締め彼女は立ち上がった。



 離れた場所ですべてを見ていたシリウスは、到底、自分でもこの女に敵わないだろうと予感した。パラメリの──デルタやグリンベレー出の格闘慣れした彼ら工作班の者に、格闘の素質があるとCIAの養成場で言い渡されたこの私が、だ。マリア・ガーランドが10代の10年間、ネイヴィ・シールズの訓練施設で鍛え上げられ、16で実戦に参加していたといううわさにわかには信じてはいなかったが、何かしらの根拠がそこにあるような気がした。



「チーフに倒された全員、有給休暇を10日間差し引きます! あなた達! それでも対テロ特殊部隊の一員ですか!? 不満があれば精進しなさい!」



 シリウスがそう言い渡すと数人からぼやく声がれたが表立って言い返す者は1人もいなかった。その彼女へ苦笑いしながら、首に片手を当ててマリーが歩き寄ってきて声をかけた。



「相変わらず厳しいわね」



「いえ、チーフ。これぐらいでないと、現場で5、6人に取り囲まれるなんて諜報活動ではざらですから」



「私と手合わせしてみる?」



 シリウスは眉根をしかめた。ルナからマネジメントを見込まれ留守の間をチーフのサポートに当たって欲しいと頼まれたが、この格闘狂・・・とそこまでするつもりはなかった。皆の前で倒されたくはないと彼女は思った。



「午後にはニコラフ・チェレンコフの調査がありますから遠慮しておきます」



「あの男、まだ私を嗅ぎ廻っているの?」



 チェレンコフはワシントンにあるロシア大使館の1等武官だった。その男が半年前からニューヨークまで頻繁ひんぱんに来て興信所のようなマネをして廻っている。実害はなかったが、理由のわからないマリーは釈然としない思いを抱いていた。



「昨日、私が提出したリポートをまだお読みになっていないんですか? ロシア人を舐めない方がよろしいですよ。彼らは貴女にご執心しゅうしんで、思い通りにならないとわかると直ぐに強攻策に出ます。意図は何であれその兆候があれば、真っ先にお報せして、手合いを排除するのが私の職務でもありますから」



「まあ、用心はするわ」



 そう言いマリーは訓練を再開した皆へ振り向くと戻って行った。その背中を見ながらシリウスは目の前の女が、何もかもをぎ払うように倒してしまう女が、あまりにも無防備な姿を簡単に見せてしまうと危機感を抱いた。だが──その女が約束したのだ。CIAとの2重スパイになれば統括官の地位にある姉──パメラ・ランディを越えさせると!



 自分よりも5歳も若いマリア・ガーランドにつき従うのは、その手腕を見たいというのが本心でもあった。











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