Part 12-1 Torture 拷問
Safe Hnuse of CIA Midtown Manhattan, NY. 13:25
13:25ニューヨーク州マンハッタンCIAセーフハウス(:工作拠点)
麻袋を被せられ両耳にはヘッドホンから流れるハードロックに状況はつかめなかったが、裂けた鼻梁と潰された左目が脈打つように重く熱い痛みを訴え続けていた。折れた鼻の軟骨が鼻腔内を傷つけているのか鼻から息ができず口で喘ぐしかなかった。
あのヤンキーの女諜報員は絶対になぐり殺してやる。
ロシア大使館一等武官のニコラフ・チェレンコフは流れ続ける大音量の音楽にうんざりして頭を振ると右耳のヘッドホンがずれ外の音が聞こえた。
男女の言い争う声に彼は理解しようと痛みから意識を振り向けた。
「──だから力ずくで吐かせるべきなのよ!」
声に聞き覚えがあった。ブロンクスで襲ってきたヤンキーの女諜報員だった。名を──くそう思いだせない。ロシア連邦保安庁のファイルに目を通した時に見つけた女だった──顔中が噴火してるみたいに痛む!
「そうじゃない、シリウス! この男も諜報畑の奴だ。然るべき条件を提示したら考えるだろう」
いきなり麻袋ごとヘッドホンが乱暴に上に引き上げられ、ニコラフは顔に向けられた白光にまだ健在の右目をしかめた。
「ニコラフ・チェレンコフ、マリア・ガーランドをどうしようというの? 教えてくれるなら亡命の口利きをしてあげるわ」
ハレーションの片隅に人の顔の微かな輪郭が浮かび上がりニコラフはよく見ようと目を瞬いた。潰れた左目の瞼が乾いた血糊で引きつった。
「ぼう──め──い──なんて──クソだ」
呟いた瞬間、白光が消え失せ、闇に放り込まれ彼はまた麻袋を被せられたのかと困惑した。だが唇に何か触れ口の中に溢れた冷たいものが水だとわかると貪るように呑み込んだ。
「ゆっくり味わいなさいな。自白剤なんて入っていないから」
自白剤だと!? ニコラフは注射薬以外で自白剤など聞いたことがなかったので不安になった。少なくともチオペンタールもアトロピンも口腔摂取で与えるものでないとKGBの頃から散々使って知り尽くしていた。
呑んだばかりの水は滑らかで何の刺激もなかった。
いいや、濃度の高いカフェインなら水に溶けるし、僅かな苦味しかなく自白剤の代用となる。高揚感があるようだと、気持ちを引き締めないといけないと警戒した。
数回、瞬いた彼の右目がとらえたのは、どこかの殺風景な室内で、家具どころか、壁紙さえ貼られてない無垢のボードが取り囲む部屋だった。
床に視線を下ろすと光沢はないがフローリングだった。シートもコンクリートの床でもない。
ならこれ以上、身体的に痛めつけられる心配は不必要だと目の前の左右に立つ男女を見た。視線の高さからニコラフは椅子に縛りつけられているのだと思いながら、ブロンドの女は紛れもないブロンクスで襲いかかった奴だと確信した。
そうだ! 男がシリウスと言っていた。シリウス・ランディ! 姉妹揃ってスパイをやっている帝国の犬だ!
男の方は見覚えがなかったが、見慣れたアメリカ人ぽさがなく、ゲルマン系の顔立ちからヨーロッパの人間だとニコラフは思った。
「さあ、ニコラフ。望みを言いなさい。理解し合えれば、互いに歩み寄れるわ」
優しく語りかける女が、拉致前に言った言葉を彼は思いだした。
『言わないなら、まずお前の左目を殴りつけ潰す。それでも言わないなら次に右目を潰す。まだ口を閉じるつもりなら額を殴り割り裂けた頭蓋骨の隙間から脳へ一発ずつ弾丸を押し込んでその気にさせてやるわ。心配はいらない。脳は痛みを感じないらしいから楽しむといいわ──』
ニコラフは不敵な笑みを浮かべると目の前の女に望みを告げた。
「望みは──お前を殴りつけ殺すことだ」
「それでは歩み寄れないわね。もっと現実に目を向けなさい。ここは中央情報局のブラックサイト──まず、ここから生き延びないと私を殴り殺せないわよ」
そう言いながら、シリウスという女が彼の目の前に右手を突き出し指を3本立ててみせた。
「叶う願いごとは3つまでよ」
そう言うとまず薬指を折り曲げた。
「まずは生き延びること」
そうして中指を折り曲げる。
「身の自由を返してもらうこと」
そうして残った人差し指をニコラフの右目の前で左右に振った。
「さあ、叶えられる望みはあと1つよ」
答えを促すように女が顔を覗き込んだ。その整った顔を見つめながら、これは尋問の初歩的手段だとニコラフは思いだした。陥る不安から尋問に協力的態度へと導く。
「お前が許しを乞うても殴りつけることだ」
ゆっくりと意思表明した瞬間にニコラフは目の前に火花が飛び散り顔面を激痛が襲った。直後、彼は女が折れた鼻を正面から殴りつけたのだと気がついたが、両の鼻孔から生暖かい液体がたれ落ちてきて彼は反射的に鼻を啜った。
ニコラフの目前でシリウスという女が右手の甲を左手でさすり苦味走った表情で見下ろしていた。
「だから止めておけと言ったんだ」
ゲルマン系の男がシリウスへそう言いながら狂暴な女を羽交い締めにして引き離した。そうか──こいつらは悪徳警官と優しい警官を地でいくつもりかと、ニコラフは啜った血を痰のように床に吐き捨てた。
「いいか俺に任せろ」
ゲルマン系の男がそう言うと離れた場所でシリウスが仏頂面で腕組みしニコラフを睨みつけ男が近寄ってきた。
「いいか、あんたは俺達が暴力刑事と親切な刑事をやろうとしてると思ってるだろうが、違うぞ!」
そうゲルマン系の男が言い切りいきなり右の耳朶を片手でつかんだ。そうして着ているスーツの胸ポケットから安物のボールペンを引き抜き右手に後部を握りしめつかんだ耳に顔を寄せ囁いた。
「俺はGSG9(:ドイツ国境警備隊)の士官だった。捉えたテロリストに容赦をかけたことはない。意識のあるまま内耳を貫かれる痛みは腕を折られるよりきついぞ」
ニコラフはどっと冷や汗が吹き出すのを感じて縛られた手足を強ばらせた。KGBに同じ尋問を得意とする将校がいた。その男の様を思いだした。拷問された国家反逆罪容疑の男は喚き泣き叫び失禁し脱糞で掃除をしやすい排水溝付きのコンクリートの床を汚しまくった。その将校は片耳に差し込んだドライバーを刺せる穴すべてに押し込んで中で円を描き組織を引っ掻き回した。
「やめろ──そんなことをしても──計画は止められないぞ──」
説得でも懇願でもなかった。GSG9将校だったと名乗ったゲルマン系の男がニコラフの顔へ冷たい視線を戻し耳にボールペンの先を押し込み始めた。
「やめろ! 無駄だと言ってるんだ!」
力任せに押し込まれる筆記具の感触が頭蓋骨を押し広げてくるようでニコラフは手足をばたつかせ椅子をガタガタといわせた。そうしながらこの拷問する男はたちが悪いと思った。
質問してこない!
人を傷めるのが無償の喜びの類の歪んだ奴だ!
この手合いに駆け引きは意味がなかった。情報を吐こうが吐くまいが、痛めつけることを優先させる。ニコラフ・チェレンコフは喉の奥から悲鳴を上げ喚き始めた。
「お前らの上司! マリア・ガーランドがレギーナ・コンスタンチノヴィッチ・ドンスコイの怒りに油を注いだんだ!」
GSG9の将校だった男の肩越しにシリウスが覗き込んで鋭く質問した。
「ロシア対外情報庁の特殊部隊ザスローンの大佐よね!?」
食いついた! そう思い耳の中で激しく動かされ始め新たな激痛の種となったボールペンが突然止まりニコラフは内心ほっとした。
「悪い! ボールペンが折れた」
そう告げGSG9の将校だった男が折れ尖った先を腕を回し今度は左耳の穴に差し込み始めニコラフは唖然となり喚いた。
「マリア・ガーランドが彼女の弟を殺したせいだ! レギーナは容赦しない!」
折れた筆記具が引き抜かれ、初めてGSG9将校だった男が質問でなく反論した。
「マリーは殺しはやらない。何を勘違いしてるんだ!?」
「お前らの上司が16の時にレバノンのベッカー高原のテロリスト訓練キャンプで大佐の弟を刺し殺したんだ!」
ニコラフの目前でGSG9将校だった男とシリウスが顔を見合わせ男の方がニコラフに振り向いた。
「そこらへんの話を詳しく聞こうじゃないか」
そう言いながら将校だった男が胸ポケットからアイスピックを引き抜きその鋭い先端からニコラフ・チェレンコフは強ばらせた視線を離せず、激痛を受けながら殺されるのは止めて欲しいと涙声で訴えた。




