Part 9-2 The World Elemently 根底要素
Wawayanda State Park, NJ. 12:29
午前12:29 ニュージャージー州ワワヤンダ州立公園
まるで超広角レンズで見ているようなその枝葉は視野には収まらずに天空を覆うように生い茂り頭上を後ろにまで回り込んでいた。
眼球の奥にまで入り込んでくる深き色合いがひしめき合い輝くエメラルドに見える感嘆。
その数万、数億、もっと折り重なり擦れ合うハーモニーが心の奥にまで染み込んでいた。
どうしてこれがユグドラシル──世界樹なのだという疑問も微塵にも寄せつけず、揺るぎない確信で目視するものが命の根源だと疑わないものがどこから流れ込んできてるのだとマリーは困惑した。
そうだ! あの長耳の大柄な女と刃を交える刹那、相手の吐き捨てた言葉一つを理解しようと意識を絞り込んだんだ。
朧気に思い出した闘争の端緒がかすれ、彼女はその大樹が座る草花に覆われた大地の間近を漂う幾つもの淡い光球に気がついた。そのパステルの蓬色の光の玉はまるで鱗粉のような光子を振りまきながら右に左に、上へ下へと気ままに泳いでいた。その幾つかがゆっくりと漂い近づいてはっきり見えるとマリーは心臓が跳ねてしまった。
光球の中央に浮かぶものが人の形はしていても眼は猫の瞳を大きくしたようにその小さな顔には不釣り合いで、ケープのような布地の必要最低限の衣が覆う身体は細く、その有り様が子どものころ眼にした童話に出てきた妖精に間違いないことにマリーは眼を瞬いた。その眼先まで近づいた光の玉の中のものが振り向き唐突に叫び声を上げた。
それをきっかけにすべての光球が急激に遠ざかった。
取り残されたような不安が下りてきた。
それでもこんなところでまごまごしてる余裕はなかった。あの女の意識の中なら、断ち切り再び戦いに挑むまでとマリーは辺りを見回した。どちらを見ても遠くには山渓が連なり自然豊かで緑に覆われ命の息吹に溢れている。
どこへ向かえばここから出られるのかと思い同時に今までダイブしたどの人とも違う穏やかで緩やかな精神世界だとマリーは思った。
ユグドラシルに背を向け下生えの名も知らぬ雑草の上を歩こうと足を踏みだしたその時だった。
背後で空気が唸りをあげ始め彼女は振り向いた。眼にした風の渦の中心に影が生まれそれが一瞬で俯いた女性の姿になった。明らかに自分より上背があり纏う服装は古代ギリシャ神殿の巫女のような純白のケープ。だがその透き通るような肌と膝まであろう長髪に魅了された。
その女がゆっくりと顔を上げ瞼を開いた。
──何者だ?
唇が動いていない。テレパスなのかと思い、いいやここ自体が精神世界なのでそんなことは関係ないとマリーはその女へ身分を告げた。
「私はマリア・ガーランド」
──人よ──何をしに来た?
それを説明しろというのかとマリーは眉根をしかめた。
──答えなさい、人よ──何をしに来た?
「あなたに関係のないことだわ。問答をしてる余裕はないの。出る方法を探さないといけないんだから」
そう告げ顔を背けようとした刹那、マリーは突風に殴られ顔を振り戻した。
──ここはお前のごとき契りなきものが足を踏み入れる地ではない──。
横柄な言い方だとマリーはその誰ともわからぬ巫女を睨みつけ口を開いた。
「悪いわね! どこの誰とも知らぬあなたに付き合ってる暇はないわ」
──我シヴァの末裔にして名はシルフィード──四大エレメンタル・スピリチュアルの一つ──風の力でワールド・トゥリィを守りしもの──。
シヴァ? エレメンタル? 知らない言葉だとマリーは思いただワールド・トゥリーという言葉だけは理解できた。ユグドラシルのことだわ。
ユグドラシルの守護者? そう言ったのだろうか? だがいずれにしても彼女を邪魔するつもりも何かしらの危害を加えることも考えてはいなかった。
「ごめんなさい。行くわ」
そう告げて後退り始めた。その寸秒、シルフィーはわずかに顎を引き青い瞳を細めた。その青が群青のような暗さに変化し面相が様変わりしてゆく。険しい感じを見て取りマリーはマズいと思い後ろに繰り出す歩幅が大きくなった。
──ワールド・トゥリィを知りしものを行かせはせぬ。その口がいずれ大きな凶兆となる──。
シルフィードが片手をマリーの方へ振り上げた。瞬間、まるでトルネードの爆風に取り囲まれマリーは一歩も動けなくなった。僅かでも足を地面から持ち上げようものなら、空中に掠われそうなほど風が急激に強くなりそれが弱まるどころかさらに激烈と過度になり、マリーの髪だけでなく頬の皮膚や耳たぶまでもが波打ち形をねじ曲げてしまうほどになり、飛んでくる小石に打ち据えられ彼女はシルフィードを睨みつけた。
「聞きなさ──い。敵じゃ──な──」
暴風に声さえ満足に出せずに、マリーは思った。
これはあの耳長女の精神世界なのだ。現実じゃない。克服しなければわたしが壊される!
悲憤がこみ上げパトリシアが去年、精神世界に閉じこもったミュウ・エンメ・サロームを助けだそうとしたときの苦労話をマリーに告げ苦笑いしたのを思いだした。
引きずり込まれたと。
これは耳長女の人を拒む理屈。
あの女が心に抱く防壁。
だが飛んでくる小石はもはや小さな石ではなかった。まるで拳ほどの塊になり暴打となっていた。
こんなにリアルで痛みのある理屈なんて──。
つくり上げた世界──そう、貴女の多様性を授けたのは大いなる父。彼が徒死することを許しません。貴女はあらゆる能力を身につける事のできるフル・スペックなのよ──至高のマリア──。
もはや両の足が地面から引き剥がされようとした瞬間あの銀の羽根を広げた天上人が告げた言葉が意識に浮かび上がった。
──貴女を目覚めさせるために遣わされた我が名はミカエル──何れ貴女の億万の兵、数多の剣となる者。さあ、自信を胸に抱きお行きなさい──。
「わたしに逆らうな! シルフ──エアリアル!」
叫んだ須臾、空気が微動だにせず静粛が訪れその先に愕然としたあにはからんケープを纏う精霊がいた。
──その──白銀の──双翼──どうして──天界人の翼を──。
精霊が詰まる言葉に込めた思いがマリーの意識に流れ込んでいた。
──遥かなりし上位の方にした仕打ち──赦されない──ワールド・トゥリィの守護たる務めを奪われる──。
その打ちひしがれた表情が哀れに思えマリーは優しく精霊に告げた。
「あなたに危害を──あなた達に害を持たないと言ったでしょ」
気高く立っていた精霊が両膝を地に落とし頭を垂れ穢れなき長い髪が地に広がり額をも足下につけるほどに憔悴し切っていた。
マリーは彼女に歩み寄り腰を折り地面に片膝をつき精霊の両の肩に手を載せ言い聞かせた。
「心配は無用よ、エアリアル。顔をお上げ」
憚るとでもいうように恐るおそる上げられた顔に戸惑いの色が滲んでいた。
──わたくしを御赦しになるのですか──。
「だれも責めたりはしてないわ」
マリーが抱きしめ呟いた瞬間、威圧とも思えた大柄の精霊が少女のような姿になり震えていた。
──あなた様が──御身を現したなら──授けよと遥かなるときの過去に命じられていました──。
「授ける? 何のこと? 誰に?」
──ワールド・トゥリィの原点にして要素──四原質との関わり──。
戸惑うのは自分だとマリーが思い抱きしめた少女に問いかけようと両腕を押し身体を離した一瞬、その思いもしなかった世界に彼女は飛び込んだ。
ユグドラシルが一瞬で迫りその高速で星の海原を抜ける感覚がサイコ・ダイヴであり、精神世界に引き込まれる間際なのだと知り、二重のダイヴがあるわけがないとマリーが混乱した刹那、状況は一変した。
広大な滝から広がる瀑布のようなその有り様に曝され叩きつける恐ろしい何かに砕かれそうになった。
だがその液体の飛礫が肌一つに触れていないと感じた瞬間、半身振り向き微笑むシルフに手を引かれていることに彼女は気がついた。
周囲に浮かぶ数兆──いいや、遥かそれ以上の水滴。
この光景、見たことがあるわ。ケイス──一年前に彼にダイヴした時、一つひとつの記憶に曝されそれらすべてを経験と感情だと理解した。そう意識した寸秒マリーは今の比べものにならない取り囲む膨大なものの意味を知った。
万物の絆、有り様、成り立ち──これは──これは、あの耳長女の意識世界じゃない!
四つしかない根底に触れてそれらの意味を理解した須臾、止まっていた瀑布が一瞬で鼓動を始め乱舞する途方もない数の銀の羽根に成り代わった。
──ほら──あなたは──盟約──契りよりも深い繋がりを──いま──理解した──。
ガイアにそう呟かれ、眼の前に見えた光景。
駆け込んで目前で大剣──ディスタント・テスティモニィ──隔絶されし証を凄まじき振りで斬りつけようとする相手がハイエルフのシルフィー・リッツアであると知り、エルフから身を守るという意識一つでマリーは呟いた。
「コンプリート!」
術式など詠唱する必要もなかった。手近な万物の有り様から焔と水の要素をぶつけた瞬間、マリア・ガーランドの目前で壮絶な水蒸気爆発が成された。
☆付録解説☆
1【Yggdrasill】(/ユグドラシル)北欧神話に登場する世界樹(/World Tree)のもう一つの名称で古代ノルド語です。9つの世界を内に宿し繋がりを維持するユグドラシルは万物の根底として深い意味を持ちます。
2【Sylphid】(/シルフィード)四大精霊の一つで空気と風を司り、西洋古文化の中でヘルメス主義の上で言及される架空の存在です。容姿端麗な美少女や女性のイメージを持たれていましたが、一時期悪い象徴ともされていました。別名をシルフ、エアリアルともいいます。
3【Classical Element】(/クラシカル・エレメント)四元素とも云われる根底状態です。世界の物質は火、空気(風)、水、土の4つの元素で成される概念です。四元素は、日本語では四大元素、四大、四元、四原質ともよばれています。




