Part 5-5 Pirate Raid 海賊襲撃
USS Maryland SSBN-738 Ohio-Class Sixth Fleet Silent-Service U.S.Navy, Middle of the Atlantic Local Time 16:12 GT-17:12
グリニッジ標準時17:12 現地時刻16:12 大西洋中央 合衆国海軍所属第6艦隊潜水艦 オハイオ級戦略ミサイル原子力潜水艦メリーランド
発令所当直士官マイヤー指揮上級上等兵曹から報告を受けダリウス・マートランド艦長は一瞬眉根をしかめた。
「間違いないのか? 機関室に確認はとったのか?」
「はい。コンディション・コントロール・パネルの値はERの冷却給水管の排水水温と給水圧力値に相違ありません。機関室当直士官は給水管取水口に異物がある可能性を示唆しあと8分で原子炉の点検停止を願い出ています」
艦長は緊急時対応にそって判断しようとした。原子力潜水艦の緊急時対応マニュアルには膨大な複数の事案対処方法が規定されているし、同時発生も想定されていた。
原子力潜水艦はその航行を原子炉に依存する。緊急時に備え動力は艦によってはディーゼルやバッテリー駆動もできたが限られた時間だった。動力停止は水中でのゼロバブル(:前後バランス)も維持が難しく極めて危険な状態に陥る1歩手前だった。
給水管は艦底部後方にあり、点検はダイバーを使う必要がある。ダイバーを出すにはハッチを外気に晒さなくてはならず、当然に動力停止の必要があった。
至近距離に敵艦かもしれない存在がありながらの浮上点検は避けなければならない。また隠密性を要求される戦略原潜にとっての浮上は衛星写真などで待機配備位置を発見される事態にも繋がり避けなければならず、国家防衛に支障がでる。艦隊司令部への報告と後日責任を取らされることになるのは必須だった。
「どう思う、副長?」
艦長はバートラム・パーネル少佐に尋ね少佐も困惑げに答えた。
「魚雷管からダイバーを出せなくもないですが──先ほどの衝突が原因と思われる事を考えるとそれなりの装備を持たせる必要があり、困難だと思われます。1度浮上をお勧めします」
マートランド艦長は責任回避よりギリギリに艦と乗員の命を追い込む状況を避ける判断を下すことにした。
「仕方ない。浮上点検を行う。ダイバーを出す準備を機関室に通達。潜望鏡深度に浮上」
マートランド艦長がそう指示すると発令所当直士官マイヤー指揮上級上等兵曹は復唱し、各操作員へ大声で宣言した。
「ギアアップ(:浮上)! ギアアップ! 深度PD(:潜望鏡深度)25! 深度PD25(フィート:約7.6m)! アップトリム5! NT(:ネガティブ・タンク)3分の1ブロー! MBT(:メインバラストタンク)エア5分の1ブロー!」
潜行担当員によるコンソール操作で艦前方のNTにまず空気を満たし海水を艦底部から押し出し発令所のデッキ前方へ傾斜がつき始めると、MBTにエアを送気する雨音のようなザーというノイズが聞こえ急激に深度が上がり始めた。
同時に2人の操舵員が操縦桿をゆっくりと引き追いついてくるアングルゲージの値に合わせ僅かに押し戻し潜望鏡深度25フィート(:約7.6m)を目指した。潜望鏡深度は微妙でタンクブローの浮力調整では目的の深度が正確に出せずセイル左右に突き出たセイル・プレーン(:艦橋潜舵)での微調整が必要になるがセイル・プレーンから船尾まで130メートルもある大型艦なので動きは緩慢で、波打つような振幅の上下運動を目的の深度にピッタリと据えるには操舵員に熟達した技術が必要になる。
慌ただしくなった発令所で艦長はまた副長へ問うた。
「ぶつけた馬鹿者はついて来ると思うか?」
「こちらの動きはわかってるはずです。位置的にあちらさんはセイルを損傷してるはずですから同じく点検に後から海上に顔を出すでしょう。イヤミの一つでも送りますか? 『ヘタクソ』と」
副官の冗談にマートランド艦長は一瞬気を緩め片側の口角を持ち上げ鼻で笑った。
発令所からのダイビングによる点検に機関室に務めるローマン・サリンジャー上等兵曹は部下のダリオ・ガスコイン上等水兵に手伝ってもらいスキューバの用意をしていた。
「上等兵曹、大変ですね。ご愁傷様です」
「人事みたいに言いやがって、人手がいるときはお前も呼ぶからなダリオ」
ウエットスーツに通した腕を下げ彼はガスコイン上等水兵に後ろからスーツの襟を引き上げてもらうと手足を曲げ伸ばし腰を折り動きに支障がないか確かめジッパーを閉じた。そうしてウエストベルトを回し止める。だがボンベは背負わずにレギュレーター・ゲージの値で圧力が正常か確認するに留めた。
「遠慮いたします。こんな寒い海に潜ったら1分でチビリますって」
「あぁ? 1分もつのか? お前足を入れた瞬間に卒倒するぞ」
言いながら上等兵曹は超音波通信機をウエイトベルトの前に装着しウエットスーツの顎もとから出した骨振動通話器のハーネス先にある防水プラグを通信機に差し込みプラグカバーを回し防水ネジを締め込んだ。そうして電源を入れロッカー傍らの壁にある通話テストモジュールの送受信器を超音波通信機の円形のハイドロフォンに当てテストボタンを押し込んだ。壁の試験器に緑のランプが灯り通信機が正常であるとわかると彼はロッカーのマスクとフィン一組をつかんだ。
「用意はいいか、ローマン!?」
機関コンソールパネルの前に立つグリッグマンCWO3(:3等准尉)が少し大きな声でサリンジャー上等兵曹に尋ねると彼は顔を振り向けた。
「はい、準備完了しました」
「1人で潜らせてすまないな。私は他の者と原子炉の停止シークエンス準備に入る。気をつけて調べて来てくれ」
「では、潜ってきます。お土産を期待しててください准尉」
そう言ってサリンジャー上等兵曹はマスクを頭にかけてフィンを持つ手の指にハンドサーチライトの握り手を掛け機関室を出て行った。後ろからボンベを担いだダリオ・ガスコイン上等水兵が機関室を出て水密ドアを閉じた。
トライデント発射管区画最下層を抜けボンベを担ぎ歩きながらグレーチングの張り渡された通路を他の水兵や下士官を躱し歩くダリオ・ガスコイン上等水兵はセイル前方ハッチのある区画に向かい遠いと感じた。ロサンゼルス級攻撃型原潜なら半分の距離だが400フィート(:約120m)以上も歩かなくてはならない。しかもオハイオ級は3階のフロアがありそこを上らなければならない。
ドックやポート係留だと後部ハッチからでも潜水できるが、外洋中だとセイルから作業監視ができるハッチと定められていた。そこから後部艦底部へ泳ぎ潜る上等兵曹も大変だった。水流が時として速い場合があり、水上艦なら作業用マグネットにつかまることもできるが、音響吸収タイルの張られた原潜ではそれも使えない。のっぺりした船体の傍を速くなる水流に抗うしかない。
そんなことを考えながら2人は科員食堂傍の鉄階段を上りCR(:司令所)で気をつけるように艦長から声を掛けられその先のハッチ下の区画に着いた。
発令所には副長の姿がなくすでになく、セイルトップに数人が洋上監視に上がって入るのはわかっていたが、規則通りサリンジャー上等兵曹は壁の通話器のレバーを回転させ発令所へ第1ハッチから出る許可を得て器用にもフィン1組とハンドサーチライトを手に梯子を登り始めた。そうしてハッチ直下にたどり着くと梯子と内壁の隙間にそれらを押し込みロックを開錠し気密レバーを回転させ油圧アシストのある2重構造の重いハッチを押し開け僅かな海水が周囲から流れ込んだ。
上等兵曹に続きダリオ・ガスコイン上等水兵は外の清々しい空気を肺一杯に吸い込みながら先に上がった上等兵曹へボンベを手渡し、1度梯子を降りるとその区画ロッカーに仕舞われた縄梯子を取り出しそれを苦労しながらハッチ口まで持って登った。
彼が甲板に出ると残念ながら空は曇り太陽は拝めなかった。風は冷たくジャンパーを着てくるべきだったとガスコイン上等水兵は後悔した。作業が終了しサリンジャー上等兵曹が戻るまで甲板待機しなくてはならない。
すでにサリンジャー上等兵曹はボンベを背負いレギュレーターのマウスピースを咥えていた。ガスコイン上等水兵がハッチ口に縄梯子のフックを掛け用意している間にサリンジャー上等兵曹はセイルトップにいる哨戒長に向かい手を上げ潜水調査を始めると知らせ哨戒長も片手を上げ了解したと返事した。サリンジャー上等兵曹はガスコイン上等水兵へ頷き縄梯子を使わず、横向に船殻を滑り込んで海面に消えた。
潜ってすぐにサリンジャー上等兵曹は海流が緩くしめたと思った。向かい流だったので調査が終われば押し流されるように艦首へ戻れる。彼はおおよその目測で発射管区画の途中から艦底へとフィンを蹴った。冬の大西洋は波が高かったが、潜るとどうということはない。いたって静かなダイブになる途中で彼はサーチライトの厚いゴムで覆われた防水スイッチを押し込んだ。
強力なクリプトンライトだが艦底まで潜ると視界は8ヤード(:約7.2m)ほどになった。殆ど光を反射しない船殻は海中の奥よりも暗く不気味な壁に見え鈍い視界が湾曲した船殻すらただの壁に見せる。彼は艦底へ潜り込みそのまま艦尾に向かった。艦の腹には複数のタンクが海水を出し入れする楕円のフラッド・ホールが左右に並んでいる。もうすぐ原子炉2次冷却水熱交換循環水の取水フラッド・ホールがセンターにあるはずだった。だが左右に並ぶフラッド・ホールがいきなり途中で途切れた。
おかしいと彼はマスクの中で眉をしかめた。
バラストタンクの後端のフラッド・ホールが途中でなくなっている。ライトの明かりで照らし見ると船殻タイルが微妙に盛り上がり光沢が変わっていた。近づくとタイルではなかった。金属質な鈍い光沢が明かりを弾いた。彼は指で触れ、拳で叩いてみた。極めて硬質で鋼のように思えた。
彼はその湾曲した鋼鈑に沿ってライトを振った。
鋼鈑の角に突起状のジャーポットほどの筒と隣接して箱がある。ライトでよく観察してもそれが何かはわからなかったが、鋼鈑を船殻に固定してるアンカー・ボルトの電動ユニットのような気がした。
こんなもの引き剥がせない!
「こちらサリンジャー、艦底に鉄板が張りついている! 極めて大きな鉄板だ! マイクロバスほどの広さがある! 電動アンカーで固定されているんだ!!」
すぐにソナー担当が聞き返した。
『何だって!? 鉄板が腹に!?』
だがその問をサリンジャー上等兵曹は最後まで聞き取れなかった。真横に膨大なキャビテーションの乳白色のカーテンが広がりその先を巨大な黒いものが急浮上してきて凄まじい水流に彼は押し流された。
急速浮上し艦がぶつかり擦れる音が響いた。
カトソニスのセイル前後にあるハッチ直下区画で待機していた12名ずつ計24名の動きは極めて速かった。戦闘装備で待機していた彼らだったがハッチ傍の先頭の兵士が首にスリングで前方に下げるのは機銃でなくグレネードランチャーだった。
ロックを外しレバーを乱暴に回したその兵士は甲板に上がるなり、真っ先にアメリカ艦艇のセイル先端へグレネードランチャーを向け低い位置に撃ち放った。
ズパンと音が響き灰色の煙がセイル目掛け伸びると後をワイヤーが追いかけた。そうしてワイヤー先端のマグネットアンカーがアメリカ艦艇セイルの音響吸収タイルの上に鈍い音を響かせ張りついた。
撃った兵士は即座にグレネードから伸びるワイヤー後部をつかみプレートキャリアの弾薬ポシェットに差し込んであったもう一組のマグネットアンカー後部のフックに巻きつけロックで固定し自艦セイルの高い位置に吸着させた。そうして腋に下げたHK-53カービンのグリップをつかみレシーバーを振り上げダットサイトの先に敵艦艇の甲板にいる乗員へ向けた。だが彼が撃つこともなく彼の次にカトソニスの甲板に上がった兵士がカービンで撃ち倒した。
グレネードランチャーを撃った兵士は即座にセイルトップにいる監視要員へライフルを向け引き金を引いた。そうして唖然としていた一人を撃ち倒し、敵艦艇の残りがセイルに身を隠した。
その時にはすでに3人目がワイヤーにフックを掛けハーネスにぶら下がり敵艦艇目掛け滑ってゆき、特殊な滑り止めを貼り付けたコンバットブーツで湾曲した船殻を駆け上がった。カトソニス後部ハッチから上がった兵士も同じ要領でセイル下部にワイヤーを張り、今や次々に兵士たちが敵艦艇に渡るとセイル側面を通り抜け前部ハッチへ駆けた。
敵艦艇は潜水して逃げることは不可能だった。
甲板ハッチが開いたままだった。
「うわっ! 2艦またぶつかりました! 擦過音! 擦れてる!」
ソナー・マン(:水測員)のリーダー──エドガー・フェルトンがうわずった声を上げた。
擦過音とは擦れてる。2度も繰り返すなんてとルナは片眉を下げた。
いったいオハイオ級戦略原潜と通常動力型攻撃艦Uー214は何を鍔競り合いしてるのだと彼女は怪訝な面もちになった。
オハイオ級が浮上したのはわかる。1度目の衝撃音でUー214と衝突したと思われるので、アメリカ艦艇の艦長は損害調査をしようと意図しての浮上命令を出したのだろう。
そこへ同じ衝突艦艇であるUー214がまたぶつけたのだ。繰艦が下手なのか、音測員の耳が悪いのか、はたまた偶然が重なったのか、もしくは意図的な衝突?
艦を自ら損傷させる理由が思いあたらなかった。ルナは3次元作戦電子海図台をゴットハルトと戦術航海士であるクリスタル・ワイズと見つめディプスオルカが2艦の後方150ヤード(:約137m)後方に停止しトリムバランスを中立させている状況からどう対処しようかと思った。
「ゴットハルト、2艦が違った方へ潜行した場合、あなたならどちらを追います?」
ルナが尋ねると副長はレーザーホログラムに指を伸ばしUー214を指で押さえた。表示されるUー214のシルエットが乱れた。
「問題児はコイツです、艦長。目が離せませんし、万が一オハイオ級を攻撃する素振りを見せるなら叩く必要が出てきます。ロシア艦が4艦こちらに向かっている状況でトラブルの因子は1つでも即応で排除しなければなりません」
確かにそうだとルナは思った。
ぶつけているのが故意として、その理由がわからない以上に先の出方が不気味だった。
パトシアが今、この場にいればUー214艦長の意図が簡単にわかるのにと彼女は眼を細めた。
対テロ戦はあらゆる状況を想定できて初めて戦いを始められる。
わからないなら、ないなりに想定すべてに対処するだけだ。それを特殊部隊スターズの先任リーダーであるフローラ・サンドランに叩き込まれたと彼女は思った。だが戦闘作戦艦とはいえ民間企業が所有する船がまかり間違っても乗員の乗る艦艇を沈めることはできない。
そんなことをトップリーダーであるマリア・ガーランドは決して求めない。
ルナは装備品の兵装一群を意識し、取りうる最良の手段を求めた。
今のうちから想定しておかないと、ロシア艦が来たらそれこそ振り回される事態になりそうな気がした。その不安がいきなりロシア艦のアメリカ艦艇とUー214への攻撃という暴挙に繋がり彼女は冗談じゃないとそれを否定した。
ロシア艦が襲う理由はなかったが、理由というのは第3者にとってほとんどの場合伺い知れぬものであると経験則が警告した。
私はいきなりという想定外の状況にこの艦の乗員と艦艇自体を晒してはいけない。
4艦──場合によっては5艦を相手にアメリカ艦艇を守り抜かなければならない。
それが最悪のシナリオ。
ダイアナ・イラスコ・ロリンズはまだこの瞬間、小指の先ほどにも思いもしなかった。
たった1艦の潜水艦で想定した倍の隻数の攻撃型原潜と敵対するなど。さらには水上艦2艦隊の総攻撃を受けるなど夢にも思わなかった。




