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衝動の天使達 2 ─戦いの原則─  作者: 水色奈月
Chapter #30
152/206

Part 30-4 tria Cerberus ora 三つ口のサーベラス

The Lake Central Park, Manhattan 15:28


15:28 マンハッタン セントラルパーク ザ・レイク(:湖)



 ボートハウスのかたわらからゆっくりと現れた黒光を放つものが、姉であろうはずがないのにシルフィー・リッツアは動揺を隠せずつぶやいた。




「スオメタルは──ベルンフォートで死んだんだ────」



 姉を殺した貴様が姿を盗み取るなど誅殺ちゅうさつに価する。





「お前の諸行、万死を持ってつぐなえ!」





 おとりの役割も消し飛んだ。ベルセキアの踏みだす周囲の植物が数秒で熱射にあぶられ干からびる様にしおれ形すら維持できず霧消するがごとく粉となるフィールドに眼もくれず、ハイエルフは踏みだす脚を一歩ごとに速め駆けだし右腕を前方の異空に差し込み神をも喰らう封印される禁じ手──ディスタント・テスティモニィ──隔絶かくぜつされしあかしひも解き一気に引き抜いた。



"Slepptu síðan, Læðingr þvingun...Hróðvitnir innsiglað til jarðar...Rísa upp og verða sverðið mitt !"

(:されば解くレージングの拘束──大地に封印しフローズヴィトニル──蘇り我の刃とならん!)



 両手に握りしめ右肩上に振り被った虹色の輝き流れるクレイモアは波打つ白銀へと変貌しそのみねに一瞬猛り狂う狼の形相が流れ銀色の駆ける帯となり躍動した。





 最初に地帯へ入り込んだのは利き足でない方の足だった。



 足首の関節が錆び付いたやいばさやから抜くようにきしみ、次の軸足になる力が急激に抜け消え、シルフィーはバランスをくずし振り被った両腕を前に下げた。その瞬間、両手の指、手首から力が消え失せ握りしめていた魔剣のハンドルが指の拘束こうそくを逃れ地面に触れた切っ先から張った氷床ひょうしょうが湖底までえぐり裂けた。



 大地の亀裂が一瞬で姉の姿をしたベルセキアのかたわらを抜けボートハウスを真っ二つにし、その先にあるビル群の中央1棟が中心から陥没し引き込まれる様に内側へ倒壊し始めた。



 咄嗟とっさの判断は怒りを勝った。



 踏み込んだ足から力が完全に消え去る前にシルフィー・リッツアは後方に跳び退いて後退あとずさり己の両手を見て顔を強ばらせた。



 両腕が長老の様に干からびえていた。



 ベルセキアの得体の知れぬ領域に入り込んだのは一瞬だった。その寸秒で数百年の時が奪い去られていた。



 その老いぼれたしわだらけの右手を構えると、落とした地面に斜めに突き立つクレイモアが蜃気楼の残像を残し消え失せ右手に戻ってきた。



 羽根の重さほどもないはずの魔剣がまるで鉛の棍棒こんぼうの様な重さにハイエルフはあわて左手を添え両手で(エッジ)を氷から浮かした。





 駄目だ! この手足で戦うどころか、次にあれ(・・)の瞬殺圏内に踏み込んだが最後、一呼吸する前に死が待ち構えている!



 何だあの領域は!? あれもスオメタルのアーキテクチャなのか!? 姉があんなものを考え対魔族用戦闘兵に与えていたとは思えない。それともベルンフォートであれ(・・)が短期間に育った間に倒した魔族から奪い身に付けた能力(スキル)なのか。



 魔王なら地表に姿を現した刹那、一帯の生きとし生けるものの命を吸い上げると云われるが、あれ(・・)が倒した魔族など幹部クラスにおよばぬはず。



 凄まじい殺傷力を引き連れながらゆっくりと湖に入り込んでくるベルセキアに合わせ、シルフィーは複雑な入り江を後退あとずさり距離をおこうと不自由になった片足を引きった。あれ(・・)の圧倒的な余裕がなせるその落ち着きぶりに苦々しい思いを抱きながら、ハイエルフは入り江に掛かる歩道橋のそばを抜け氷柱の乱立する湖に出た。



 氷柱の幾つもの陰に人どもが用意した対人地雷とコンポジットなどの爆発物で倒せる相手なら、我がとうの昔にあの怪物を爆裂魔法(エグスプロージョン)で倒している。



 恐らくは、銀髪女が野原で引き起こした大爆発でも今のベルセキアをほふる事はかなわぬだろう。



 20数個のMー18クレイモアと高々70パウンド(:約32kg)のプラスチック爆薬に一縷いちるの望みをかけるこの世界の人族の心情が理解できなかった。



 いいや、違う。



 連邦準備銀行裏手や市庁舎公園から連れ立っている人どもが大多数の都市市民が避難する間だけおとりとなるためにベルセキアへ多少なりとも危害を加え怪物の意識をらそうというの趣旨だった。それでも数分──数十分。そんな短時間で避難できる人数じゃないだろう。



 ベルンフォートのハイエルフ族1万5千倍の人が近隣に住んでいるのだ。



 数時間でも避難しきれない。





 取り決めの位置まで氷床ひょうしょうを下がりきる前にシルフィーは立ち止まった。





 ことわりの道──異空間通路を抜け帰る先には我が一族のしかばねねしかない。どのみち生きてベルンフォートへ帰るなど考えていなかった。生きて出迎えるものの居ない郷里はもはや記憶の一部でしかない。



 我の心情は一族の意趣返し、姉スオメタル・リッツアの汚名返上だったはず。







 相打ち上等!





 ハイエルフ族をめるな!







 この上、魔剣を奪われると最悪な状況におちいると考え死んだ後の事をうれい思う事など笑止とハイエルフは思い、老婆の両腕を震わせながら隔絶の証し──フェンリルのあごを異空の(スキャバード)に戻し抜いた両手を見つめた。



 この力なきことになった手のひらでも出来る事がある。限界突破術式────ハイエルフ1人の命を燃やしつくせくせば途轍とてつもない量のエレメントが操れる。



 く事はなかった。



 入り江から氷床ひょうしょうの湖に出てくるまわしきあれ(・・)にらみ据えたままつぶやくようにシルフィー・リッツアは詠唱(チャンティング)し始めた。





"Ég mun gefa þunga ánauð lífsins. Endanleg sprenging sem notar líf mitt..."

(:天命の重き束縛を捧げる。我、命を使いし生みだす極限の爆炎──)





"...Helvítis ofn sem brennur og drepur lifandi hluti...Töfraformúla Takmarka bylting...Uppruni Draganna á el......!"

(──生きとし生けるものを焼き尽くす煉獄の業火────魔法術式限界超越──天元烈火沙羅曼──!)



 14重のネオンのごとき紅い魔法陣(マジックサークル)が足元に広がり、最後の一音節を詠唱(チャンティング)し終わる直前、いきなりうなじ鷲掴わしづかみにされ振り向かされ眼を振り向けたハイエルフはマリンブルーの瞳でにらまれた。







「なァあにィ、バカなことォやってるんだァ」







 巻き舌でののしられ銀髪女の配下、魔物女の虹彩が一瞬にして上下の尖った真っ赤なものに変貌へんぼうした瞬間、シルフィー・リッツアはそいつの背後になすすべもなく放り出された。



 氷の上を滑り氷柱にぶつかり止まったハイエルフはずかずかとベルセキアへ歩いて行く無謀な女へ怒鳴った。



「止めろ! そいつに近づくだけで命が奪い取られるぞ!」



 だが銀髪女の配下の魔物女はとうにベルセキアの命奪う領域に入り込みなお足速に怪物へと歩いて行くと右腕を大きく後ろに下げブロンドのロングヘアーを振り回した。



 なぜ!? どうしてあいつは死なぬのだ!?



 その一閃いっせん、70ヤードの距離をもってしても聞こえてきたのは骨の砕ける轟音。右腕を振り抜いたアン・プリストリの先でスオメタル・リッツアの顔を大きく陥没させた怪物が両足を前に放り上げ凄まじい勢いで後方に一回転し後頭部から氷床ひょうしょうにめり込んだ。











 しっかりと言いくるめたはずだった。



 ベルセキアを爆発物の中心に誘い込み一気に爆破する算段だった。



 それなのにそのおとりかなめシルフィー・リッツアがキメラの方へ走ってゆく後ろ姿が遠くに見えマーサ・サブリングスはそばの氷柱のかたわらに伏せ射(プローン)の姿勢で狙撃待機しているジェシカ・ミラーへ命じた。



「ジェシカ、シルフィーを援護射撃」



「悪いな支局長。載っかってるスコープはヘビーマシンガン用なんだ。耳長と怪物のどっちに当たるか撃たないとわかんないぞ」



 マーサは直前になってどうしてその様な重要な事を言うのだと、マリア・ガーランドのスナイパーの肩をつかみ止めさせた。



「射撃中止! 撃たないで!」



 マーサの見つめる遠方のシルフィーが何か光るものを右肩の上に両手で振り上げていた。ハイエルフは怪物の領域に入る生き物は命を奪われると言いながらおのれが踏み込んで無事なのかと困惑した。



 シルフィーが光るものを振り下ろした直後、入り江の奥にあるボートハウスが木材を舞上げ粉砕し、さらにセントラルパーク東のビルの1棟が縦に裂けると中央に引き込まれる様に瓦解がかいし始めた。



「なっ!? 何やってるのあの人は!」





「見りゃあわかんだろゥ──街を壊してんだろゥがァ」





 巻き舌の状況説明に伏せて様子を見ていたマーサとジェシカが同時に顔を向け上げた。



「あっ、御師匠(ア ン)!」



 マーサはジェシカが師匠と言った女の場違いな容姿を見て驚いた。市庁舎パレス前の広場に装甲車で走り込み下りてきた漆黒に近い濃紺のメイド服──ヴィクトリア調のメイド服を着た大柄のブロンドログングヘアの女──アン・プリストリだった。その女がハイエルフとキメラをじっと見つめ言い捨てた。



「ジェス、撃つなよォ。そのタンデムスコープ3倍しか拡大しねからなァ」



御師匠(ア ン)、何か得物えもの用意してきたんですか?」



(ナックル)だァ」



「えぇえ!? マジすかぁ!?」



 ジェシカが声を裏返させると、アン・プリストリはハイエルフらの方へ氷に滑るパンプスで用心深く歩き向かい始めた。



「ジェシカ、あの人、あなた達の仲間の──プリストリよね」



 マーサが問うと、ジェスはスコープをのぞきながら答えた。



「アン・プリストリ、うちのこの間までトップのガンファイター」



「どうして素手なの? 得物えもの(ナックル)ってどういう事なの!?」



「まぁ御師匠(ア ン)の事だから(ナックル)で語り合うんじゃねぇの。うちの姉御、喧嘩つえぇから」



 あんな化け物に素手でなんとか出来るはずがないと戸惑う顔をマーサはハイエルフの方へ戻すと異界人は湖の中央にまで戻って来ておりアンがシルフィーの首に手をかけた直後、ハイエルフはアンの後ろに投げ飛ばされた。



 そうしてメイド服を着た女はベルセキアへ速歩で行くといきなり顔面を殴りつけ何かが砕ける音が聞こえ怪物が空転し後頭部から氷床ひょうしょうへ落ちた。



 殴った! あの人ほんとうにベルセキアを殴りつけた!



 マーサ・サブリングスが呆れ顔で見ている先でベルセキアが跳び起きた。











 氷の張った湖へ逃げてゆくハイエルフの生き残りを追って足を運んだ。



 冷徹なあのスオメタル・リッツアの妹はそうでもなかったようだ。



 駆けてくるハイエルフの生き残りはいきなり空中から長剣(ロングソード)を引き抜くとその虹色のやいばが白銀へと豹変した。



 そんな剣1つで何が出来る。



 絶対死領域に踏み込んだら剣1つ支えていられなくなるというのに。



 その致死圏に入り込んだハイエルフが驚いた顔で後ろに跳びす去った。そうして片足を引き退しりぞき始めた。



 お前が逃げ場所を失うまで、このままじわじわと追い詰めてやろう。そうベルセキアが思った寸秒、対岸から歩いた来た珍妙な服装の女がハイエルフに何か告げ後ろに投げ飛ばした。



 何だあの女は?



 これまでに喰らったえさどもの知識の幾つかに女の着ている服装が『メイド服』というものらしいとベルセキアは思いだした。



 その仕え人の女が早足で歩き寄ってくる。



 絶対死領域へ踏み込んで────入り込んだはずの女が死なずににらみ据えながら近寄って来る。



 なぜ死なぬ!? なぜ命をしぼり取られぬ!?



 はっきりと見えた相手の瞳がえさどもと異なる爬虫類の様な紅い事にそれ(・・)が気づいた須臾しゅゆ、その女は右手のこぶしを耳の後ろに振りかぶるとその凶器が見えぬ速さで空を斬り目前で感じた瞬間鼻梁(びりょう)を粉砕し顔に食い込んだ。



 市庁舎公園で受けた質量兵器の様な狂った様に重いこぶしを受けてしまったのは、高々(えさ)の腕の力だと舐めてしまったからだった。



 金属結晶を織り交ぜ材質強化した頭蓋骨を一撃で粉砕されたと気づいたのは後頭部が氷床ひょうしょうにめり込んだ後だった。



 予想外の力を持っているえさだと思いながらベルセキアは数秒で頭蓋骨を復元再生させながら両腕で氷床ひょうしょうたたき跳び起きた。



 ベルセキアは両腕を構え上げこぶしでガードしながら異様な女へ同じ様に右手を食い込ませようと油断を誘い込むのに話し掛けた。



「女──きさま、俺の領域に入り込みながら何故、死な──」





「おらァ!!」





 ベスが言いかける矢先に巻き舌で怒鳴りいきなりメイド服の女が構えもせずにベルセキアの両のこぶしに凄まじい右(ナックル)を放った。防御のために構えたそれ(・・)は両手のこぶしごと押し切られ振り上がったおのれの親指の付け根が両眼を押しつぶし顔面両側へ食い込んだ。



 その強烈なストレートにベルセキアは一瞬、気が飛びかかり両膝りょうひざを落としそうになってふらついた。



 寸秒で蘇生させた両目で見えたのは女の紅い唇の両端が吊り上がり、それがさげすみのものだと理解した瞬間ベルセキアは本気に火が点いた。



 一気に上半身の骨格と特に両腕の骨格を取り巻く随意筋を膨れ上がらせベルセキアは一度間合いを取り後ずさりった。



「女よ! きさまの骨すべてをバラバラに──」







「ゥるせェ!」





 間合いを取っていた。その3ヤードを女が空気をうならせ一歩踏み出した片足を滑り込ませ一瞬で間合いを詰め右のこぶしをストレートで放ってきた。間合いを詰められたのは想定外だったがベルセキアはそれを左に顔を傾け際どくかわした。







 一閃いっせん、傾けた頭部右側面に横からこぶしが食い込み左側頭部が氷床ひょうしょうたたきつけられ爆轟を上げ氷が飛び散って頭部が表面下にめり込んだ。







 あの右腕を振り出した体勢から左のこぶしを打ちだしただと!? 有り得ない動きにベルセキアは戸惑いながら氷から頭部を引き抜き後退あとずさった。



 何なんだこの女は!? 構えずにどんな体勢からでもこぶしを打ち込んでくる。



「おまえ──人の成りをしてるが────」



 ベルセキアの問いに初めてそのメイド服の女がまともに答えた。



「それがァどうしたァ? お前がこぶし交えている俺がァ珍しいかァ? 裏煉獄の裁定者(ルーラー)──」



 いきなりベルセキアは一瞬で間合いを殺し風を切り右のこぶしを女の顔面に打ち込んだ。







 伸ばしたこぶしが左(ひじ)で受け止められその腕の下で女が紅い唇の片側をり上げあざけった。







 腹に食い込んだ女の右(ナックル)臓腑ぞうふを引き裂かれ両の足を氷から浮かしたベルセキアは両膝りょうひざを氷に落とし腕をつき上半身を支え赤い血反吐をこぼし広げた。





「ほうゥ、血が赤いのかァ」





 後頭部にかけられた言葉すら侮蔑ぶべつの様だと思った刹那、物陰から聞いた記憶が鮮明に蘇った。









「スオメタル、対魔族用戦闘兵の育成は順調なのですね」



「はい。今日はベルンフォートの外へ連れ出し潜伏していた魔族12頭を討伐とうばつ致しました」



 ランプの灯り揺れる部屋でスオメタル・リッツアが族長の長老と話していた。



あれ(・・)が単独で? 1頭倒すのに我ら戦闘に慣れたものでも16人掛かりなのに、まだ成りは幼いのにですか? 酷使ではありませぬか」



「幼子──ですか。お間違いなさらないで下さい。あれ(・・)は成りこそ我々に似れど、その本質はものから生みだし生き物外(・・・・)です。使役しえきしてこそものの務め。磨き上げればこそ鋭い刃物となります。折れればそれだけ靱性じんせいの足らぬ証し。また作り出せばすむだけです」





 部屋違いの棚角に隠れ上げ髪のベスは言葉を反芻はんすうしていた。



 生き物外(・・・・)──生物でない──ものから生みだし────わたしは生き物ではないの?





 戦うために研ぎ澄まされしもの(・・)なの!?









 込み上げる怒りにベルセキアはメイド服の女の右腕に跳びつき両手でつかむと鋭い牙を食い込ませた。



 食らいつかれた腕を見つめメイド服の女が不愉快な面もちで一度ため息をらすとつぶやきだした。





"Fidelis canis, qui custodit ab inferis..."

(:凄惨なるくにろう番にして誠忠なる哨戒しょうかい──)



"...tria Cerberus ora, Responde mihi !"

(:我の呼び声に応えよ、サーベラスの三つ口よ!)







 氷床ひょうしょうの湖が激しく揺れ出すと怒号のような叫聲おらびごえが地の底から沸き起こり、いきなり厚い氷を突き破りさいよりも大きなそれがメイド服の女の背後に飛びだしてきた。



 そのあまりにもの異様な姿に目をおよがせたベルセキアはあんぐりとあごを落としメイド服の女から離れ災厄から逃れようと本能から後退あとずさり始めた。







 刹那、メイド服の女を飛び越えその三つ口の魔獣が躍り掛かった。












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