Part 27-5 The Truth is Always One 真実はいつも1つ
78 High St, Leominster, MA. 14:30
14:30 マサチューセッツ州レミンスター ハイストリート78番地
人の行き交う物音に眼を覚ました。
パトリシア・クレウーザは意識を取り戻し自分が膝枕で寝ていた事に気づいた。ローラ・ステージが気づいて視線を下ろし彼女と見つめ合った。
「おはようパトリシア」
「わたし────」
少女は上半身を起こすと見覚えのある部屋でソファにいることに気づいた。
リビングでは数人の保安官の1人が階段に手錠で繋がれていた家人の女性に聞き取りをしている。
どこにもカエデス・コーニングの姿がなく、パティはマリーの叔母様に尋ねた。
「あの男は?」
「救急車で搬送されたわ。保安官がついて行ったから心配いらないわ」
そうなの。あの男はまた塀の中に戻されるのだわ。早く刑が執行されるといいと少女は思った。
「パティ、頭が痛かったり幻覚が見えたりしてる?」
ローラに問われパティはなぜそんな事を聞くのだろうと思った。そうだ。何かあって堪えきれなくて気が遠のいたんだわ。何が──と考え込んでいて『術式』という言葉が意識に浮き上がった。
術式? 何の事かと意識を集中し意味を探ると理解できない膨大な言葉が津波の様に押し寄せてきてパトリシアは眼を丸くしソファで身体を強ばらせた。
「忘れることよ。あなたが受け入れるには途方もなく膨大で複雑だから」
パティはぎこちなくローラへ振り向き尋ねた。
「今の──言葉の津波が──見えたの?」
「あなたが触れたのは至高のマリアが受け入れた極限の摂理」
精神リンクなしでこの人はわたしの────至高のマリア? マリーの事? 至高──極限の摂理? そうだ。今、傍にいるローラさんに似た天使を見たのよと少女は思いだした。
「ローラさん、あなたもしかして────」
何と表現したらいいかわからなかった。
「摂理を知る事は出来なくてもあなたはシビュラ────隠したとて、いずれ私の真名を知る事はできるでしょうね、パトリシア」
わたしがシビュラ? シビュラって? 真名? ローラ・ステージが本名じゃないの? じゃあ、いったい誰なの? そう少女が意識しただけで隣で微笑む女性が応えた。
「我は七大天使の1人にして、智天使サキエル」
ローラ・ステージが口にした言葉がまるで限りない純水が染み込んでくる様に意識に染み渡り、その清々しさにパトリシアはどこまでも息を吸い込めそうな気持ちになった。そうして嘘でもなく、誇大でもなく彼女が天井人なのだと少女は受け入れそうできたのは前例があったからだった。
「どうして? どうしてマリーの叔母様の振りをしてるの?」
「あら、振りじゃないわ。あの御方が生まれくるずっと以前からローラ・ステージよ」
まるで当たり前の様に人の世にいる事を口にする。パティは混乱しそうだった。
「我はあの御方が生まれ来るまでのこの世のお膳立てを命じられていたの。そうして至高のマリアが道を歩み始めたらあの御方の心を傷つけるであろう物事に手を加えるのも役目」
だから──だからこの人はわたしを傍におこうとした──きっとそうなのだとパティは思った。
「聡明だわ。やはり御方が眼をかけるだけの巫女ね」
「いいえ、わたしだけが特別じゃないの。マリーの周囲にいる誰もをあの人は大切にしてる。時にはテロリストなど悪人も」
「謙虚ね。でもあの御方はカエデス・コーニングを赦すかしら?」
連続殺人鬼を? どういう事? あの男は再び捕らわれの身になった。それに脱獄しこの上、罪を加算されてなお死刑は免れない。それを赦すかしらとはどういう意味と考えていて、ふと少女は気づいた。
「あの男の狂気は終わってない────のね。まだ何かやらかすと」
そうパティが告げるとローラ・ステージは軽く笑った。
「やっぱり聡明だわ。さあ、パトリシア・クレウーザ──新たな試練の時よ」
FBI警部が言い放った寸秒、聞き取りを終わったアリシア・キア保安官補がリビングに戻って来て振り向いた2人に怪訝な表情を浮かべた。
レミンスター救急隊の救急車にストレッチャーで制服巡査姿の患者を運び込んだ救急救命士は直轄区の救急救命病棟と双方向情報端末により直にデジタル無線で繋がる医師に患者の状態──顔面皮膚の剥離、速すぎる脈拍数、激痛による軽度の痙攣──を伝え、痛みと痙攣を抑えるためにケトロラックとスクシニルコリンの静脈投与を指示され、まずトラドルと表示のあるアンプルから薬剤を注射器に取りだす準備をしていた。
だが激痛に苦しむ患者から眼を離した一瞬、男がストレッチャーの胴体を固定するベルトから腕を引き抜いたのを見逃した。
警察車輌に先導され救急車が電子サイレンを鳴らし走り出すと、救急救命士は身体をストレッチャーに押しつけ揺れを最小限にし患者の右腕に注射をしようとした。
一瞬だった。
患者に注射器を奪い取られ、胸ぐらをつかまれた救急救命士は左目に注射器を突き立てられパニックになった。その混乱の隙に患者は胴体を固定しているベルトのバックルを外し体を起こすと救急救命士の後頭部に腕を回し内壁に勢いをつけぶつけた。
騒ぎに運転をしていたもう1人の救急救命士が座席越しに振り向くと、ストレッチャーの横に患者が立っており、同僚の救急救命士がストレッチャーに覆い被さり意識を失っているのを眼にして救急車を急停車させようと前へ振り向いた刹那、患者が後ろから飛びかかり首へ腕を回され締め付けられた。
容疑者の病院搬送の護送と、治療中の容疑者の監視を命じられていたレミンスター警察の巡査アルバート・キャンベルはルームミラーで後続の救急車が逸れてゆく事に気づき助手席の巡査補ドルフ・キルナーに声をかけた。
「おい、救急車の様子が変だ」
ドルフが左に振り向きリアガラス越しに後方の救急車を眼にした寸秒、蛇行する救急車の運転席のドアが開き人が転げ落ちた。直後そのドアは閉じられタイヤから白煙を上げ救急車が対向車の合間から左折し消え去った。
「大変だ! 容疑者に乗っ取られたぞ!」
ドルフが無線機のマイクをつかんだその瞬間、アルバートは急ハンドルを切り対向車線で方向転換し警告灯と電子サイレンのスイッチを入れた。途端に甲高いイェルプが鳴り始め追跡が始まった。
救急車から落ちた男性は道路で起き上がり路側帯へと自力で避難しているのをドルフは確認し本署へ連絡を始めた。
「こちら104号車、コード5発生! 病院へ容疑者を護送中に容疑者が救急車を強奪し逃走! 容疑者はノース・メイン・ストリートからリチャードソン・ストリートに入った! 追跡に入る! 増援を頼む! こちら104号車────」
告げる最中に警察車輌は右折し救急車の消えた通りに爆走し入り込んだ。
カエデス・コーニングは運転席で朦朧となった救急救命士をドアを開き蹴り落とすと自らが運転席に座りドアを閉じてアクセルを踏み込むなりハンドルを左に切った。
背の高い救急車は大きく傾いでタイヤから悲鳴を上げながら幹線沿いの側道に入り込んだ。
そこは広い庭のある閑静な住宅街で、救急車は落ち葉を舞い上げ疾走した。
救急車には位置情報を報せるため無線で接続されたGPSが搭載されている。この車輌で長く逃げ続けるのは不可能だし、簡単に警察車輌に追いつかれるとカエデスは即断した。
彼は2つ目の曲がり角を右折し僅かに速度を落とし車を走らせると木々に囲われた100台ほど止められる駐車場に出た。彼は見渡しここはまずい! と思った。だが袋小路でなく右奥に平屋の建物がありその左に道が続いていた。
サイドミラーを見ると警察車輌のフラッシュは見えておらず、カエデスは建物裏手に車を隠し乗り捨てようと決心した。
だが建物裏手に回り込むとさらに細長い駐車場が伸びており先に大通りの車の往来が見えていた。
制服巡査の服装で、しかも顔は血だらけの状態で徒歩で逃げるのは難しい。そう彼が考えていると、左右に並ぶ車列の1台がゆっくりと駐車枠から出掛かり始めた。
カエデスはチャンスだとそのシルバーメタリックのGMビュイック・ラクロスの鼻面側面ににギリギリでぶつけ救急車を急停車させた。
すぐにGMの左ドアが開いて肥満気味の中年男性が困惑顔で下りてきた。
連続殺人鬼は運転席から飛び降りると救急車の前へ回り込みGMのボンネットを滑り飛び越え太った中年男性を蹴り倒しビュイック・ラクロスに乗り込んでドアを閉じた。
起き上がった中年男性が怒鳴り散らしドアに詰め寄った刹那、カエデスはシフトをドライブに入れアクセルを床まで踏み込んだ。
セダンは救急車を押しのけ一気に走りだし追いかける中年男性を置き去りに大通りへと走り出て右へ急ハンドルを切りノース・メイン・ストリートを南へ流れに合わせて走り始めた。
これで幾らかは時間が稼げる。
カエデス・コーニングがそう思った寸秒、反対車線を1台の警告灯を点滅させる警察車輌がサイレンを鳴らして通り過ぎた。
だがこの車もじきに手配されるのはわかりきっていた。
どこかの民家に押し入り、家人を縛り付け、その家の車に乗り換える必要がある。
それと銃を手に入れ、あの小娘────パトリシア・クレウーザとFBI捜査官ローラ・ステージを嬲りに行ってやる。
連続殺人鬼は凄まじい怒りで皮膚を失った顔の痛みが逆に心地よかった。
半マイルも走らずして対向車線をまた1台の警察車輌がサイレンを鳴らして通り過ぎた。
アリシア・キアはソファで顔を振り向けたローラ・ステージとパトリシア・クレウーザを容疑者を見るような眼つきで見据えてしまった。
少女は頭の中を自由に見れるのだと思い、アリシアは一切の考えを一度消し去り当たり障りのない事を尋ねた。
「ローラさん、あなたも尋問を受けたんですか?」
「私が? 受けるわけないじゃない。まがりなりにもFBIの警部よ」
アリシアが右手を腰に当て不満げな表情を浮かべるとパティがくすくすと笑った。
「カエデスが自分の顔を引き剥がしたのは彼奴の頭が異常だとさっき刑事に説明したけど────パトリシア、あなたが仕向けたのね」
少女が小首を傾げ両肩をすくめてみせた。それを見てアリシアはとんでもない子だと不安になった。眼の前のこの娘は、やろうろ思えば人を合法的に死へ追いやる事もできる。
いきなりパトリシアが立ち上がり保安官補は後退さりかかった脚を押し止めた。
「できる? ────アリシアさん、わたし覚えているだけで7歳の時に孤児院の16人の子とシスター7人それにギャングスタ6人を────でももっと────ベテランよ」
ベテラン!? 29人以上!? 百戦錬磨──単語と想像が結実しアリシア・キアは背に冷や汗がどっと吹き出した。油断してるとたえず考えを読み盗る少女がカエデス・コーニング以上の連続殺人鬼なのかと不安を乗り越え怒りが沸き起こりかけるとパトリシアが頭振った。
「でも──だから──人のためにあろうと務めているの」
告げた少女にアリシアは念押しした。
「本当に傲る気持ちは持たないのね?」
少女が頷き続けた言葉を本心と取りたいとアリシアは思った。
「力の使い道で贖罪が──」
突然背後で保安官や巡査達が慌ただしくなり部屋を出たためアリシアは振り向き呟いた。
「何かしら?」
「カエデスが救急車を奪って逃げたらしいわ。捜査応援に駆り出されて行ったみたい」
説明したパティにアリシアは顔を振り戻し問いかけた。
「奴がどこに逃げたか、わかるの!?」
少女が微かに頭振り説明した。
「いいえ、あいつの思考を上手く読み取れないの。だけど──」
「──銀色のGMビュイック・ラクロスに乗り換えたみたい。近くでカンカンに怒ってる男性が自分の車を奪われたと今、レミンスター警察に通報してるわ」
いきなりアリシアは少女に歩み寄り右手をつかんでリビング出入り口へ引っ張った。
「来なさいパトリシア! 連続殺人鬼を追うのよ!」
あたふたと引っ張られる少女が顔を振り向けローラ・ステージに助けを求めるとFBI警部は両肩をすくめて後に従った。
家の外に3人が出ると保安官と巡査が合わせて4人と鑑識が1人いるだけだった。
「カエデスの車──たぶん市内を抜けてセントラル・ストリートを南に走ってる」
少女がそう告げると敷地から道路に歩き出たアリシアはパティへ横目を振り強く尋ねた。
「たぶんとはどういう事? あなたさっきカエデスの思考が読めないと!」
「それらしい車を対向車や街道沿いの人の眼を連携して追ってるの」
「えっ!?」
アリシアは路駐した自分の赤のフォード・スーパーデューティーへと急ぎ足で歩きながら一瞬理解できなくなった。
パトリシアは今、対向車や街道沿いの人達と言った。この子は同時に数百人もの意識を通してよそを見ることが出きるのか!?
そうアリシアが意識した瞬間にパティが答えた。
「ううん、同時じゃない。飛び石みたいに次々に人を代えて見てるの。カエデスの車が走っているから1人の眼を通せるのは今は僅か間だけ」
「街道のどの辺り!?」
「右手のラハティスっていう中古車屋さんの前を通り過ぎたわ」
アリシアは次の問いを言いかけ後ろを歩くローラ・ステージの声に気を振られた。
「──FBI警部のローラ・ステージです。護送中だったカエデス・コーニングが現在逃走してるはずです──そうです。救急車は乗り捨てGMビュイック・ラクロス、色はシルバーメタリックで市内をMAー12を通り南へ逃走中──え? そんな事どうでもいいでしょ! 今し方ラハティスという中古車店の前を通過──ええ、急がれた方がいいですね。また車を変える可能性があります」
早足で歩きながらアリシアはFBI警部へきつい表情で半身振り向きチャコールブラウンのショートヘアが大きく揺れた。
「ローラさん! パトリシアはセントラル・ストリートとしか言わなかった! それをどうしてあなたはMAー12と知っているんです!?」
「つまらない事に拘る女ね!」
ローラに言われアリシアは癇に障った。パトリシアといい、ローラといいこの2人は不気味だわ! 人が知り得ない事をどこからか引き出してくる。だが物事有耶無耶にしていたら私は保安官を続けられなくなるだろう。
「ローラさん! どうして逃走経路がMAー12と知っているんです!?」
問いをまたはぐらかされた。
「拘るだけじゃなくて強情だわ」
「答えなさいローラ・ステージ! 何で知っていたの!?」
保安官補が声を荒げるとついて来る女が鼻で笑った。
「あんまりしつこいと、あの合戦場に剣も鎧もなしで放り込むわよ」
アリシア・キアは思わず爪先を地面に引っ掛けそうになりよろめいて立ち止まりパトリシアの右手を放した。そうしてFBI警部の足元へ視線を游がせ動揺を露わにした。
心臓がばくばくし、息苦しさにローラ・ステージの囁きが蘇ってきた。
──一生涯困惑するわ──。
「アリシアさん、MAー12ってわたしが教えたのよ」
そう言う少女へ横目を向け、アリシアはローラの顔へ視線を戻した。
何が嘘で、何が本物か、見分けがつかなくなっていた。
「アリシア、車のキーを貸しなさい。あなた右手の小指骨折したままでしょう」
そう言ってローラが右手を差しだした。
そうだわ──わたしはこの人の唇を縫い合わせる直前に強かに殴りつけたんだ。勢い余って小指の骨を折ったんだ。その痛みをすっかり忘れていた。思いだすとずきずきと痛みが存在を主張し始めた。
痛みは本物。
なら殴ったのも本物。
ローラ・ステージの唇────。
天使達の戦い、火炎を吹く黒竜────。
「いえ、結構です! 自分で運転します! パトリシア、行き先を!」
そう言い放ちアリシア・キアは十字路の角先に路駐したのフォード・スーパーデューティーの運転席へと回り込んだ。
これだから人間はめんどくさい、とローラ・ステージが唇を動かしたのを見てパトリシア・クレウーザは苦笑いし次に見えるカエデス・コーニングの車近くの建物を保安官補へ説明し始めた。
☆付録解説☆
1【Sibyl】(:シビュラ)古代の地中海地方に伝承された巫女の総称です。ガイアから予言の能力を授かりしオラクルとして地中海の様々な地方に合わせ10数名がいたとも云われています。
大天使サキエルにパトリシア・クレウーザをシビュラと言わしめる展開は衝動の天使達 Vol-3にてご期待を。




