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衝動の天使達 2 ─戦いの原則─  作者: 水色奈月
Chapter #22
109/206

Part 22-2 Professional 職人

963 Sherman Ave. Boogie Down NYC, NY. 13:07


13:07 ニューヨーク市 ブロンクス東 シャーマン通り963番地



 東164番ストリートとシャーマン通りの交差点を2人の目つきの悪い若者らがシャーマン通りを南へ曲がってきた。



 スキンヘッドで左耳に3つの金のピアスをしているベルトラン・モレーノと、オールバックの髪型で灰色のスーツをラフに着こなすシリアコ・アロンソ。2人は地元のギャングスタ──南のグラティアと西のレオン・ネグロのボスだった。



 彼らはつてを使い現れたロシア人から実入りの良い仕事を請け負いベルトランは上機嫌だったが、シリアコは無表情で歩いていた。2人が共に行動しているは珍しいが、他に別なギャングスタの元締め2人が先ほどまで顔を突き合わせ、ロシア人からの実入りを少しでも多く取ろうと腹の探り合いをしていた。



「なぁシリアコ、あのロシア人が狙っている女の事を調べてかっさらいもっと金を出させるってのはどうだ?」



 ニヤつきながらベルトランがシリアコに話を持ちかけた。人を手配し女の警護人を撹乱かくらんするだけで彼ら元締め各々(おのおの)に2万ドルも出すぐらいだから、あのロシア人からもっとせしめられるとベルトランは甘く見ていた。



「あぁ? お前あのロシア人を舐めてかからない方がいいぞ。ロシアンマフィアかもしらん」



「あの物腰のやわいオッサンが、か!?」



「ほう? お前にはあれがただの年寄りに見えていたか。あいつの目は人をバラした事のある目だ。1人や2人じゃない。俺らを物を見るような目で見てやがった」



 シリアコにたしなめられ、ベルトランは大人しく引く性格ではなかった。喰らいついたら放さない。だからこそギャングスタの元締めとして仕切れる。



「シリアコ、お前こそ忘れちまってるぞ。ブギーダウンは俺らのリングだ。セコンドも俺らならルールも俺らだ。ロシアンマフィアがでかい顔で歩き回れる街じゃねェ」



 そこまで話した直後、彼らの曲がってきた交差点を地元の住人が着ている様な青のポロシャツの上に安物の焦げ茶色の革のジャケットを羽織りグレーのコットンパンツを穿いた男が曲がってきた。



 ロシア大使館の一等武官の肩書きを持つニコラフ・チェレンコフの方は姉さん──シリウス・ランディに引き継ぎ、彼女から命じられ地元ヒスパニックのギャングスタ頭2人を尾行し始めたジャレッド・マーシュは若者らがアパートばかりが建ち並ぶシャーマン通りに入り込み南へ歩きだした事に不信感を抱いた。



 尾行距離は50ヤードとじゅうぶん。



 では不安は何に起因するのか。



 それはこの一帯が彼らギャングスタの縄張りで、周囲のどこに彼らの耳目があるのか不明確だからだった。一般に人は中央情報局(C I A)職員を映画や小説の主人公になぞらえ超人的な技量と運の持ち主だと思う。



 だがそんな事はない。



 実際にジャレッドは銃器を所持していない。殆どのCIA現場要員(アセット)司法執行官(L E)が関わってきた場合、言い逃れがしやすい様に銃器や刃物の類は所持しない。銃器を頻繁に使うそれは軍特殊部隊上がりの武装急襲(M D A)専門──準軍事担当官(P O O)のやり口だった。



 CIAに採用される職員のほとんどは一般的市民よりも数ポイント以上知能指数が高い。その中から現場要員として抜擢される彼らは優れた知力と観察眼を持って窮地を切り抜ける。だからこそ銃器は必要としない。



 もしも必要となれば敵から調達するのがセオリーだった。奪えばいいのだ。だがデヴグル出身の彼はそれすらめったに行わない。様々な物で人の主導権を奪う術に長けていた。



 並ぶ数階建てのアパート群の1つの階段口に腰を下ろしていたキャップのつばを後ろ向きに被ったスタジアムジャンパーの若者が2人の元締めのどちらかに気づいたのか急に立ち上がり車道を歩き渡ると近寄って声をかけた。応対しているのはスキンヘッドの方──ベルトラン・モレーノだった。



 そのスタジアムジャンパーの若者は手短に何かを話し自分の腰掛けていたアパートの階段口へ歩き戻って行くのをジャレッドは視線を向けずに見ていた。



 キャップの若者が伝えたのはただの挨拶、上がりの交渉、今日の使い、何とでも考えられる。



 だがジャレッドは良くない兆候だとそれを認知した。前を歩く2人が尾行に気づいてなくとも、手下が後ろへの目を光らせていた可能性があった。



 2人のヒスパニックをつけて車道を挟んだ反対側の歩道を歩いていたジャレッドは路駐車の間を抜け元締めらの歩く同じ歩道へと入り込み間合いを詰め始めた。



 尾行が知られた可能性がある以上、元締めらにかれるリスクを避けるには距離を縮めるしかなかった。だがこのアヴェニューは人通りも少なく危険がともなう。



 彼はアパートの階段口に腰を下ろしたスタジアムジャンパーの若者を視野の隅に捉えながら前を通り越した。後ろ向きに向けていたキャップのつばを前に向けてうつむいている。つばに目線を隠しているのが不自然だとジャレッドは思った。



 元締めらは一ブロックを歩ききり東163番ストリートの交差点を東へ折れた。



 1つ前の164番ストリートをわざわざ西へ歩いておきながら併走する1つ南の163番ストリートを東へ戻るのは不自然だった。それならわざわざシャーマン通りを南に下らなくとも一本東にも別な通りがある。



 気づかれたな!



 彼は鼻梁びりょうしわを刻み一気に距離を詰めだした。そうして交差点に来ると彼は元締めらが法・政府・正道学校の方へ歩くのを眼にし苦笑いを浮かべ(つぶや)いた。



「まさか法を学ぶ生徒というなよ」



 だが2人の元締めらは学校とは車道の反対側にあるエントランスのついたこの界隈かいわいでは珍しいアパートの歩道に沿った数段の階段を上がりドアを開錠し中に姿を消した。



 ジャレッドは小走りに5階建てのアパートの前に来るとドリス式の石柱リレーフの間にあるエントランス・ドアのガラスをのぞき込んだ。鍵を開け入り込むよりも元締めらが上階に行ったかを確認する必要が先だった。



 2人は廊下奥のエレベーターの狭い間口の蛇腹格子の引き戸を開き乗り込み戸を閉じるとすぐにエレベーターの床が上がり始めたので、ジャレッドはエントランスの鍵をピッキングツールで開錠しドアを開き廊下へ入り込んだ。そうしてエレベーターまで急ぎ上昇するエレベーターの機械音に耳を立てた。



 ゆっくりとしたエレベーターが止まったのは床が登り初めて13秒あまりだった。アパートの規模から最上階で男らが降りたと彼は判断し、廊下奥の階段を使い3段跳びに足音を殺しながら駆け上がった。



 5階フロアへ上がると短い廊下の左右に4つのドアがあった。4世帯分の住居があると額面通りに受け取らない。ギャングスタの連中が1フロアすべてを使い切っている事も考えられる。



 ジャレッドは足音を忍ばせ手近なドアに近寄るとドアに耳を押し当てた。板越しにテレビの音声が聞こえてきた。待ち構える元締めらがプロの諜報員の様に偽装しているとは考えにくい。



 彼はドアから離れ廊下向かいのドアへ歩くとまた耳をつけて中を探った。



 ドア向こうから音楽が聞こえている。



 曲はクラッシックでバイオリン協奏曲だった。ヒスパニック系のギャングスタ連中が好みそうな選択ではない。ならばとジャレッドはエレベーターから遠い向かい合ったドアの前に立った。そうして同じ様に聞き耳を立てたが向かい合うどちらの室内も音が聞こえてこない。



 彼はドア手前の床へ視線を下ろした。



 左手のドア前の床材は手入れも良くほこり1つない。右手前の床は多数の傷があり幾らか綿埃が見られた。



 まあ、修羅場はわかり切っている。ジャレッドは一息吸い込んでドアノブに手をかけた。



 待ち構える連中が施錠したとは思わなかったし、尾行者を撃ち殺しては目的も探れないのでドア越しに撃たれるとも考えなかった。



 ノブをゆっくりと回しノッチを解除しドアをゆっくりと押し開けた。



 その扉がいきなり大きく開くとノブを握っていた右手をつかまれ彼は部屋へ引っ張り込まれ寸秒背後でドアが乱暴に閉じられた。





 部屋正面にはベルトラン・モレーノとシリアコ・アロンソの2人の元締めがおり、左右に若いヒスパニック系の男らが6人いた。彼は自分を引き込んだものが背後の出入り口袖壁に少なくとも1人いると思った。



「テメェ、何もんだぁ!?」



 スキンヘッドのベルトランが押し殺した声で問いかけてきた。ラフにスーツを着こなしているシリアコはスラックスのポケットに両手を入れ窓際の壁にもたれかかり静観を決め込んでいる。となれば下っ端の男らはベルトランの手下ということになる。



 その下っ端連中各々(おのおの)が手に手にナイフやバット、鉄パイプを握りしめていた。



 ジャレッドは力押しだと苦笑いし答えた。



「ただの通りすがりだよ」



 ベルトランが命じなくともその返答がきっかけとなりいきなり左右から4人が大股で進み出てきた。





 物事は一瞬で形勢逆転する。





 ジャレッド・マーシュはパンツのベルト通しから4フィート(:約1.2m)の細身のワイヤーを素早く引き抜き長い獲物を構え迫る3人の顔目掛け振り回した。ワイヤーの先端は指3本が入る輪があり鉛の塊で輪を閉じてあった。そのワイヤーと鉛が2人の目に当たり、1人はほおをワイヤーがかすりパックリと皮膚が切れ広がった。



 ジャレッドは残り1人のナイフを持った男の獲物を握る手首にワイヤーを一巻きし締め上げ横に引きながらその男の背後にまわり込み引っ張った腕のナイフを持つ指を外から押し込み半開きになった指から左手でナイフを奪い取り羽交い締めにした男の左太腿ふとももにナイフを突き立てた。



 直後、彼は右手でワイヤーを振り回し背後へ振ったそれに手応えがあった瞬間、後ろから襲いかかろうとしていた男がうめき声を上げ、床に何か重いものを落とした音が聞こえた。



 寸秒、元締めらの左右にいる残った2人の男らそれぞれがナイフを引き抜きジャレッドへ向かってきた。



 彼はその左手の1人にナイフを突き立てた男を押し出しぶつけ、ワイヤーを一振りし右手の男のナイフのやいばに巻きつけ弾き飛ばし、そのワイヤーを大きく横へ振り切り壁のそばにあるコート掛けへ巻きつけ一瞬で引き寄せその木製のコート掛けを振り回して広がった足をナイフを奪われ唖然とする男の顔面に食い込ませた。顔へそのコート掛けがぶつかり三又の脚が砕けた長い木製の棒を振り回して、足にナイフを突き刺された男をぶつけられた男が仲間を払いのけナイフを突き出しながら進み出てきた刹那顔の側面をしたたかに痛打した。



 次々に男らが倒され窓際の壁にもたれかかっていたシリアコがスーツの内側に右腕を差し入れ引き抜いたガバメントを握る右手を上から振り下ろされたワイヤーの鉛玉がぶつかり下がった銃口が火を吹いた。



 その銃声が消えぬ前、ジャレッドは足速に踏み込んで後退したガバメントのスライドが戻りきる前に上から左手でつかみシリアコがグリップを握る指先へと捻り手から易々(やすやす)とハンドガンを奪うなり右手でスライドを引き直しストーブパイプジャムを起こした排莢口はいきょうこうから噛み込んでいた45ACPを弾き出し銃口を長身の元締めの腹に押しつけ引き金を続け2度引いた。



 黒のカッターシャツの上で広がった2つのマズルブラストを下げた視線で見下ろしたシリアコは壁際にくずれ落ちるとジャレッドはガバメントを横へ振り上げ呆気にとられたスキンヘッドのもう1人の元締めの顔面に狙いをつけた須臾しゅゆ男は引き抜きかかったグロック19を床に落とした。。



「金なら──現金が10万ドルある────」



 ベルトラン・モレーノは瞬く間に9人を倒した男が銃を構える左手に薄手のラテックス手袋をしており金の話に眉1つ動かさずにサイト越しに冷ややかな眼を向けている事に気づいた。







 こいつはプロだ! プロの殺し屋だ!







「ニコラフ・チェレンコフから何を依頼されたか吐きな」



 ニコラフ・チェレンコフ!? 誰だそいつ!? 殺し屋が押し殺した声で尋ねた奴の名前が誰かわからずにベルトランが口ごもると、ジャレッドは銃口を下げスキンヘッドの右(ひざ)を撃ち抜いた。床にくずれ落ち右足を押さえ叫び声を上げる元締めに彼は今一度尋ねた。



「ドミニカ・レストランで合っていた男から何を頼まれた?」



 ドミニカ・レストランと聞き、ベルトランはあのロシア人の名がニコライ何とかいうロシア人野郎だと初めて知り、下げられた銃口が自分の左足を狙っているのを目にして殺し屋相手に命乞いを始めた一閃いっせん銃口がまた火を吹いた。







 両(ひざ)を撃ち抜かれたベルトラン・モレーノは知っている事をわめく様に歌い始めた。







「マリア・ガーランドという女社長を! 誘拐するから! ボディガードを引き離せと言われただけだ! それだけだ! お願いだ! 殺さないでくれ!」



 大声で懇願こんがんする男は銃を向けている奴が容赦しないプロだという思いを意識の外に追いやろうとしてそれに飲み込まれ絶望した。



 その瞬間、元締めの顔に向けられた銃口が火を噴き1人息をひきとるとジャレッド・マーシュは床に落ちているグロック19を右手で拾い上げ左手のガバメントはコットンパンツのベルトインナーに差し入れ、床に倒れてうめいている男らを順に回り始めた。







 襲撃現場での目撃者は1人も残さない。







 諜報畑での鉄則に粛々と従う男はその約束事ゆえに足をすくわれずに生き延びてきた。












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