Part 22-1 Desire 願望
Britannia Seaways RO-RO Cargo Ship Hudson River west of Rockefeller Park, Manhattan 13:59/
City Hall Park Broadway & Chambers St, Manhattan 14:00
13:59 ロックフェラー公園西側のハドソン川 ロー・ロー貨物船ブリタニア・シーウェイズ/
14:00 マンハッタン市庁舎公園
女は組んだ脚の床につけた濃紺のストッキングの先の黒いパンプスの爪先を16ビートでタップし続けていた。
折り畳みのパイプ事務椅子に腰を下ろした極めて暗い紺色のメイド服を着た女がタブレットを睨みつけギリギリと歯ぎしりをした。
液晶画面に映る超高倍率の画像を指でスワイプさせ徹甲弾を撃ち込んだ相手がブルックリン橋で変形した砲弾の先から動き回り始めるの見つけだした途端に爪先をカンカンいわせ始めていた。
それは、戦艦も撃ち抜ける3トンの劣化ウラニウム徹甲弾を喰らい生存し動きまわる奴。
アン・プリストリはじっとその金髪の女を見つめマフィアの幹部──アンディ・ガルシアになりすましていた魔物を思いだした。Aー10サンダーボルトⅡの30ミリ機関砲やヘルファイア対戦車ミサイルの猛爆に堪えた地獄の影の支配者。
ブルックリン橋にまだ五体満足でいるその金髪女から闇の匂いが漂ってくるとアンは3発目の徹甲弾を撃ち込むのを諦めてしまった。
「よっしゃあああっ!」
金髪女の化けの皮を剥いでやろうと決心するなり彼女はパイプ椅子を後ろに倒して立ち上がった。
防御壁から顔を覗かせていたジェシカ・ミラーはいきなりアン・プリストリが掛け声をだし立ち上がったのでびっくりして圧延鋼鈑に隠れてしまった。
「ジェシカぁ!」
師匠に呼ばれ防御壁の縁からブルネットの髪に続いてジェシカが顔を覗かせた。
「御師匠、まだ砲撃するんですかぁ?」
「いいやァ! 狙撃は止めだァ! 止めェ! お前ェ、ひとっ走りしてブリッジへ行ってェ船尾を岸にある公園にィぶつけろと云ってこいィ」
言うなりアンが装填装置横の20フィートもの高さのデッキから階段を1段降りるように床に跳び降りた。
「今度は何始めるんですかぁ?」
ジェシカの問いかけにアンは防御壁から身を乗りだした彼女の横を通り抜け、砲撃システムの載ったトレーラー後方にあるスクールバスほどの山からカモフラージュ・ネットを引き剥がし始めた。その後部から見えだした4フィート・クオーター(:約1.3m)の極太の軍用タイヤと無骨なアーマー・ボディにジェシカは顔を強ばらせた。
「しぃ、し、師匠、それ弾薬じゃなかったんですかぁ!?」
アンが小走りにカモフラージュ・ネットを引き剥がすにつれ片側にタイヤが4輪も連なり車体上部には砲塔の様なものが見え、その左右上下に突き出した太い砲身にジェシカは顔を引き攣らせ止めにかかった。
「御師匠、まずいですよ! これ戦闘車でしょ! こんなものマンハッタン走らせたら大問題になりますって!」
アンが車体を手のひらで叩き開き直った。
「大丈夫ゥ! 一般車にィ見える様にィ、ワインレッドのメタリックでェ塗装したからァ! こいつをお前に運転させてやるぞォ!」
この人は! 色を言うかぁ!
ジェシカは唖然として慕う相手とどう見ても軍用車輌の間に眼を游がせそれが砲身に向いて固着した。レスラーの太腿よりも太い砲身なのに短いそれが普通のバレルであるわけがなかった。この人と関わっていると自分はいずれ連邦刑務所入りになる! そう不安がっている矢先に当人が手を叩き合わせた。
「ほれッ! ジェシカ! ブリッジへ駆け足ィ!」
ジェシカ・ミラーは「やばい、やばい」と小声で連呼しながらも船長へフェリーを岸へぶつける様に伝えるために走りだした。
大気の津波に翻弄され、立ち上がりかけたマリア・ガーランドは後ろに飛ばされヘレナ・フォーチュンにぶつかり2人はまた地面に倒れ込んだ。
アン・プリストリに撃てと命じて直後何が起きたのかも見当もつかず、マリーはあの人のまがい物が何かの攻撃魔法を放ったのかと困惑した。背後の呻き声にマリーは振り向くと、NSA女捜査官が眼を回していた。
あの金髪女は西へ振り向きその瞬間、女の目前の空気が物質化した様にも思えた。そしてあの凄まじい衝撃。空気の波動が押し寄せた時にはあの金髪女の姿が掻き消えてしまった。
「──し、頭が────裂して」
途切れとぎれにしか聞こえてこない声にマリーは聴覚が一時的に麻痺してるのだと気づきヘレナ・フォーチュンと名乗っていた女の顔へ耳を近づけた。
「私、頭が破裂してないですか?」
「大丈夫よ、聞こえてる? あなたは大丈夫」
そう伝えながらマリーはあの衝撃波の押し寄せる直前に魔法障壁を張り巡らせたのを思いだした。あの圧力を素で受けたらヘレナの不安が現実となってしまったかもしれない。
アンは何をやらかしたんだ!?
それでも何かしらの物理的作用であるのは間違いない。すさまじいエネルギーがあの金髪女の目前に集中したんだ。戦車砲でもこの様な二次被害はない。マリーは他にも呻き声や悪態を耳にし顔を向けると、公園木立の遊歩道の際に数人が起き上がりかけていた。その1人のスーツの上にアーマー・ベストを着込んだ若い女にマリーは見覚えがあった。
あれは国家安全保障局ニューヨーク支局長のマーサ・サブリングス。
去年の核テロに翻弄された後でマリーが彼女の努力に敬意を表してバックスキンの手袋とパンプスに見えるスニーカーをプレゼントした相手だった。起き上がりかけている誰しもがバトル・ライフルを所持しておりマーサの部下なのかと思い、マリーは不安から市庁舎パレスの方へ顔を振り向けた。
二度目の何かが高速で抜けて行ったのは、もしかしたらアンがあの金髪女へダブルタップ・アタックを仕掛けたのかもしれないとマリーは考えた。
だがマリーはまだあの金髪女がくたばってはいない気がして辺りを見回していると、市庁舎パレスの傍らからバトル・ライフルを肩付けしたシルフィー・リッツアと他のNSA捜査官達が姿を現した。
3人に異常は見られない。おそらくはパレス裏手にいて衝撃波から護られたのだろうとマリーは思った。
シルフィーはマリア・ガーランドを眼にとめるなり、猛然と早足で進み寄るとその頬を振り回したストックエンドで打ちつけ、マリーはまた地面に倒れ込みハイエルフは女指揮官を罵倒し始めた。
「お前! 何をしたんだ!? 怒気を含んだ凄まじい魔力を感じて急いだらこの有り様だ! また水蒸気爆発をやらかしたのかと思ったぞ! だいたいお前は術式も詠唱も無しで魔力を振り回すからこうなるんだ!」
マリーは正式な術法など知るわけがないと思いシルフィーの言い分に耳は貸したものの憮然とした面持ちで立ち上がった。
「指揮官!」
背後から呼びかけられマリーが振り向くと銃口は下ろしているものの、マーサ・サブリングスがバトル・ライフルのピストルグリップとバーチカルグリップを握りしめたまま彼女へ鋭い視線を向けていた。
「あなたにお聞きしたい事が沢山あります。まずニュージャージーのショッピングセンターで市民や警官を虐殺したあの怪物は何なんですか!?」
問われ、マリーはどこまで話せるか一瞬思案した。去年、核テロを目論んだ連中を追いかけていたNSAを指揮していた彼女の意識を垣間見て若いのに聡明な女性だとわかっていた。小手先の言い逃れは先々大きな混乱になるとマリーは思った。
「どうして私を指揮官と呼ぶ? マーサ・サブリングス」
名を呼んだ瞬間、マーサのエメラルドの様な虹彩が一度広がり縮小したのを見つめたマリーは思った通りの事を言われた。
「貴女が去年の冬にあの謎の特殊部隊を率いているのを見たからです。マリー! そうでしょう!? 貴女の愛称がマリー、おそらくは本名はマリエル? マリエーレ? マリエラ? それともマリア?」
「私の名はマリア・ガーランド」
「超複合企業NDC社長の!? それではあの夜にバッテリー・パークの埠頭遊歩道で海軍特殊部隊シールズを黙らせたのがNDCが立ち上げた民間軍事企業の民兵?」
念押しするような問いかけにマリーは相手が点をつなぎ合わせかなり早い時期から目星をつけていたのだと理解した。
「民兵ではないわ。セキュリティーよ、マーサ。あなたの最初の質問に答えます」
マリーは身分を告げ、なおかつスターズが去年核テロの実行者らを引き渡した事をマーサに思い出させてから厄介な本題に立ち戻った。
「あなたがジャージーのショッピングセンターで見たというのは、ベルセキア──高次元通路を抜けて異世界からきたキメラ」
「異世界!? 怪物の名称すら貴女が────」
問い返しながらもマーサが視線をマリーの背後にいるハイエルフへ一度向け何かを確信したのをマリーは気づいた。
「事は火急なんですね、マリー。去年誰よりも早く核テロに対処してくれたあなた方がまた動いてるという事実。そのキメラを野放しにできないと────貴女は大量虐殺現場のニュージャージーからその猛獣を追い続けてきた」
それを耳にしてマーサとマリーの会話にシルフィー・リッツアが身を乗り出し言い放った。
「猛獣!? ベスは獣などと同一視できぬぞ。あれは補食した相手の知識や能力、器質的な形状すら模倣できる魔物だ!」
マリーは左腕を振り上げシルフィーを制した。
「マーサ、あのクリーチャーを銃弾でなんとかできると思わない事だわ。あれは異世界で特殊な能力を身につけ、私達のこの世界に現界して、あいつはさらに高見に登りつつある」
「ウォール街近くでミサイルを使ったのも貴女なの、マリー?」
「ええ、厄介な事に6発のジャベリン対戦車ミサイルでもあのクリーチャーはピンピンしてるわ」
言いながらマリーは魔法の事は伏せる事にした。あの化け物の事ですら、マーサらには過剰な情報で手一杯のはず。ましてや人が想像を絶する能力を持っていると知られると余計な警戒心や猜疑心を生んでしまう可能性もあった。そうマリーが決心した刹那、いきなりマーサの視線が市庁舎パレスの上空に振り上げられ、まるで低抵抗汎用爆弾が上空から落ちてきた様な徐々に甲高く大きくなる音の直後、マリーの背後で落雷の様な衝撃音が響いた。
マーサの顔が引き攣りにも見える強張ったものに変わるのをマリーは眼にし嫌な予感と最大限の警戒心を抱きながら振り向くとあのベルセキアがパレス前の陥没した地面に立っていた。
『車』という移動手段が各段に安全だと誤認している人を『ブルックリン橋』という川を渡す道の上で4人喰らい十分な回復を得ると、ベルセキアはあの銀髪女のいた『公園』前の広場を意識し大きくしゃがみこんだ。
まるで攻城兵器の投石機が一気に動くように両脚のバネを解放し、それは爆音を残しアスファルトを陥没させ跳び上がった。
1000フィート(:約305m)の高所から、それは自分が攻撃魔法を受けた場所を見つけ腕から腰にかけて膜を広げ軌道修正し一瞬で降下した。
その緑地と大きな『建物』の間の広場には、あの銀髪女以外にも人が増えていた。
大きく膝を折り着地衝撃を打ち消すと、それはゆっくりと立ち上がり銀髪女へ躰を向けた。
「喜べ! 約束通り、貴様を殺しにきてやったぞ!」
ハイエルフと共に振り返った銀髪女へベルセキアは言い放ちながら思った。
こいつの手足を一本ずつ砕き動けなくしてからその柔らかそうな喉笛を噛み千切ってやる。だがそれ以上にこの気に障る女を力と速さで凌駕したいと願望が意識の奥底から湧き上がり続けていた。
魔獣は頭を振り回し首の関節を鳴らしながら銀髪女へと歩き両腕を振り下ろした瞬間、十本の指先から12インチのチタニウムの尖鋭な爪を一気に伸ばすと、銀髪女が『銃』と『バックパック』を下ろし向かってきた。
バッテリー・パーク・シティ・エスプラネードの岸沿いの遊歩道で、ハドソン川に浮かぶ青と白に塗装された大型貨物船が後部から爆轟と共に大きな火焔を広げたのを見ていた野次馬は、その貨物船が後退しながら自分達のいる遊歩道へ向け加速し近づきだして慌てて逃げ始めた。
それでも惨劇を目の当たりにしたい野次馬らは距離をおいて衝突事故の瞬間を見ようとしていた。
貨物船の後部が遊歩道岸のコンクリートに大きな金属音を立て食い込むと開いた後方開口部からエンジン音が響き出した。
「ほんとに大丈夫なんすかぁ!?」
念押しするジェシカ・ミラーに砲塔のアビオニクス・モニターを見ているアン・プリストリは発破をかけた。
「心配すんなァ! こいつはチューンアップした650馬力もある戦闘偵察車だァ! 載せたもんが重すぎてちぃーとばかしトップヘビーだがァ25インチの段差まで駆け昇れるゥ!」
ジェシカは覗き馴れないペリスコープから見えている岸までの段差がそれ以上の高さの様な気がしてならなかった。ましてや岸の手すりが間違いなくペリスコープの高さほどもある。彼女が躊躇していると、車長席からアンが操縦席のジェシカに蹴りを入れた。その衝撃でつんのめったジェシカはオートマのシフトをフォワードに入れてしまいアクセルを思いっきり踏み込んだ。
V6ターボヂーゼルが咆哮を上げブリタニア・シーウェイズのカーゴルームの床を8輪の軍用タイヤが横滑りを起こし一気に加速し蛇行しながら16インチ50口径マーク7砲の据えられたトレーラーを後にし後方開口部が急激に迫ると、凄まじい音と共にジェシカ・ミラーは下から突き上げられシートベルトが腰に食い込んで死にそうな形相になった。
バッテリー・パーク・シティ・エスプラネードの鉄パイプの柵をなぎ倒しバウンドして上陸したBー1チェンタウロは花壇を踏み越え凄まじくロックフェラー・パークの90ヤード余りの芝生を抉りながら爆走した。4本の石柱を飾ったバイ・デメトリ・ポーフィリオス記念碑をボーリングのピンの様に四散させ道路に出るなり3台に路駐車をひっくり返しながらワーレン・ストリートを東へ突っ走った。
ジェシカ・ミラーの背後でアン・プリストリが大声で嗤いながら、照準システムの親指下のボタンを押し込むとジェシカは頭上の装甲の外からロータリー・キャノンの甲高くなるスピンアップの音に眼を游がせた。




