Part 20-4 Sierra Ⅱ シエラ2
USS Maryland SSBN-738 Ohio-Class Sixth Fleet Silent-Service U.S.Navy, Middle of the Atlantic Local Time 17:39 GT-18:39
グリニッジ標準時18:39 現地時刻17:39 大西洋中央 合衆国海軍所属第6艦隊潜水艦 オハイオ級戦略ミサイル原子力潜水艦メリーランド
赤黒い三角の波が競い合うように高まり水煙を広げ崩れてゆく。水平線まで伸びる低気圧は多くの雲を従えその合間に血のような夕陽が沈みかけており、洋上に姿を晒す巨大な人工物は、辺りの光すべてを吸い込み消し去る様に濡れた吸音タイルで被われていた。そのセイル前方にある第1ハッチが開いており甲板上には迷彩戦闘服を着た2人の姿があった。
「どうだ? 直りそうか?」
「衛星通信ユニットがエラーを出しています。アッセン交換しますのですぐに通信可能です」
ソスラン・ミーシャ・バクリン大佐尋ねられロゴフスキー少尉は甲板に引き上げた手漕ぎボート半分ほどの流線型のヴイから視線も上げず返事をした。ヴイ上面のグラスファイバーパネルは外されており1組のKa周波数帯小型パラボラアンテナとそれに接続されたインマルサットGX通信ユニットと中継器、パワーサプライが夕陽に晒されていた。
「故障は水圧のせいか?」
バクリン大佐は質問しながらハッチそばの甲板に強力な磁石で張り付いているアンカーに片足を乗せそこから飛沫を上げている海面に姿を消しているケーブルを追って視線を下ろした。その海面のすぐ傍らから甲板上のヴイへと海水中に弛んでいるケーブルが戻ってきていた。
「可能性はあります。ヴイは三重のメタルパッキンで400メートルの深度に耐えうる設計ですが、ヴイに加わった水圧の力で内部気圧が上がり過ぎ衛星通信機器の基盤に使われている電解コンデンサーがパンクしたものと思われます」
「では、また潜りすぎると最後の通信ユニットも駄目になるのだな」
「可能性としてはありえます、同志大佐」
部下の意見に耳を貸しながらバクリン大佐は上空へ顔を上げた。夕陽を照り返す雲海の腹を見つめ、そのずっと上空にあるアメリカ軍の軍事観測衛星がメリーランドを捉えただろうかと考えた。軍事観測衛星のアビオニクスには可視光線帯のカメラの他に海上から打ち上がる弾道ミサイルの火炎を拾う不可視帯域観測の機能もある。
厚い雲海に遮られても噴射炎は拾えるだろうが、冷えきった戦略原潜の外殻は判別できぬはずだった。
バクリン大佐が見つめる照り柿の様な雲海の腹に一瞬何かが光り彼は目を凝らした。僅かに間をおいて離れた場所でまた同じ様な輝きが一瞬見える。
旅客機か!?
いいや、そんなはずはなかった。
大西洋のど真ん中で雲海の下を飛ぶ必要はない。
軍用機だ!
「ダヴィート、手早く修理を終えろ。上空に敵機がいる」
大佐に言われ、ロゴフスキー少尉は顔を上げると上官が見上げる方へ視線を向けた。その瞬間、また雲海の腹で何かが光った。
グリザイユ・カラーで描かれた古代ギリシャのコリント式の鼻筋を縦に覆う鎧兜と並ぶ1本の槍、それら後ろを斜めに駆け下りる2つの稲妻。
1対の垂直尾翼に所属マーキングと並び表示された『AJ』という大きなアルファベットが際立っていた。
テイルコードAJ──モデックスナンバー504号機──第2空母打撃群所属の第8航空団第131電子攻撃飛行隊ランサーズの作戦機E/Aー18Gグラウラーはタイコンデロガ級ミサイル巡洋艦フィリピン・シーがソナー感知した戦闘海域と目される前線へ40海里(:約74km)に達した。
その時点で機は雲海の下高度8000フィート(:約2440m)へ降下すると、後席の電子妨害士官エイルマー・ガネル大尉が合成開口レーダーのルックダウン──レーダー・ビームの海上索敵モードで海上を索敵し荒れた海面状況クラッター(:波の反射波)を排除し即座にデジタル表示インジケーターに2つのブリンク(:明滅する光点)と明確なブリップ(:点灯した光点)1つ見つけだした。
だがその距離でのマルチスイープモードの識別最小値が500フィート(:約152m)よりも大きく洋上に明確な対象として捉える事ができた1つのブリップは船舶もしくは潜水艦である可能性が高かった。
彼はコンピューターにそれぞれのブリンクにR1、R2。明確な船影のブリップにR3とコードを割り振った。
ガネル大尉は即座にそれをパイロットのアンドリュー・ハイランド少尉へ告げた。
「ダンディ、スクリーンを見てるか?」
『ああ、方位355、距離38と1/2といったところだな。確認の必要ありか? ロシア海軍艦なのか?』
「いいや、違うのかもしれない──敵影ならこちらのスイープを拾ってとっくにビームを返してくるはずだ。恐らくは民間船舶か、水上艦船ではないと思う。見に行こう」
機が加速しだした直後、ガネル大尉は第2空母打撃群空母ジョージ・H.W.ブッシュの戦闘指揮センターへリンク16で通信回線を開き状況報告を開始した。
「コール──キャリア・センター、こちらスカイボルト2」
『こちらキャリア・センター、スカイボルト2どうされたか?』
「海上25SDB39432003に船影を捕捉。位置をリンクする。これより映像を収得するため進出する。アップロード後指示を送れ」
『了解したスカイボルト2。VS判定後指示を送る』
ガネル大尉は通信を済ませ万が一船影が敵で対空兵器の照準照射されたときのために戦術妨害受信機をアクティヴにし自動帯域選択モードに切り替えた。
夕暮れの洋上は上空からの目視識別が難しい。幾つもの波が生みだす影が視覚ノイズとなり人の目を欺く。ましてや波浪が高いとなると余計に難しくなる。
だが電磁波の目は誤魔化し様がなかった。
グラウラーが10海里(:約18km)と近接した時点で5度にビームを絞ったレーダー波は格段に分解能が向上する。その距離ならばスポットビームで50インチ(:約1.3m)を判別でき対空兵器の識別も可能だった。まず明確な1つのブリップMGRS(:軍事位置)をリンク16で艦隊へアップロードし、続けて不明瞭な2つのブリンクMGRSをアップロードし共有化した。
洋上の最大船影であるブリップは長さの割に高さがなく波の生みだすノイズに隠れかかるきわどいものだったが、建造物の様に1つの座標から移動していなかった。
だが、飛行進路の最初に見えるものは点滅するブリンクR1の対象だった。それは上空から見て暗いオレンジ色の海上に漂う一際明るい蛍光オレンジのチューブを拡張した救命ボートの様に見えた。
『救命ボートか!?』
「いいや、形が変だ。回り込んでくれ」
ガネル大尉がパイロットへ告げ、機は僅かにラダーを切り、左右のエルロンを反転させた。遠心力が速度を食い減速した機のキャノピィ内でタンデムの2人がバンクした機体の左側前方へ顔を向け同じ迫る対象を見ようと眼を凝らした。
半周した時点でさらにわかったのはそのボート中央にテントに見えなくもない黒い歪な形のものが居座っており、直上にストロボが点滅していた。
『何だありゃあ? 救命ボートにしちゃ大きいな。カッターよりでかいぞ。30(:feet。約9.1m)はありそうだ』
ダンディの声をヘルメットのスピーカーで聞きながらガネル大尉は暗い洋上のブリップ1を空撮するため左翼エンジンナセルの5番ステーションに搭載した発達型前方監視ポッドを指向させサーモグラフビジョンと低照度ビジョンを撮りながら艦隊側へアップロードした。
即座に艦隊前方に展開しているタイコンデロガ級ミサイル巡洋艦フィリピン・シーのイージスシステムのスイープ波が走り抜けコクピットで警報が鳴り響き大尉は反射的にオミットした。
グラウラーがブリンクR2へ10秒足らずで進出するとそこにも救命ボートにしては大きすぎる浮遊物があり似たような明るいオレンジ色のチューブを周囲に拡張させ頂部にストロボが明滅しておりその画像も大尉はアップロードした。
3つ目のブリップR3は明らかに船影と思われるためパイロットのハイランド少尉はセオリー通り対空火器を用心しスロットルレバーを僅かに押し込みながらブリップR3へ高度を取り近接した。雲海の腹ぎりぎりの高度9000(:約3962m)に達すると洋上に葉巻を引き伸ばした様な影がくっきりと見えてきた。
「ダンディ、いたぞ! 長さからオハイオ・クラスだ。恐らくメリーランドだ──高度を維持して旋回してくれ」
『了解』
ポッドが撮影した赤外線ビジョンがDDIに映し出されると甲板に白いハレーションが2つ。明らかに人が船外に出ているのがシルエットでわかった。
洋上索敵通信用自立型潜水機を回収したディプスオルカは深度650(:約198m)を10ノット(:約19km/h)の船足で洋上に浮上したままのメリーランドへ近づきつつあった。
「アクティヴ・デコイをメリーランド周囲に旋回させヤーセン型の出方をうかがうというの?」
ダイアナ・イラスコ・ロリンズはゴットハルト(ゴース)・ババツ副長の説明を要約し確認をとった。
「そうです。潜水艦乗りの習性で集まった標的に対し背を向ける事はありません。必ず攻撃を仕掛けてきます。そこを逃さずこちらの好機にし潰し、占拠された戦略原潜対処に取りかかります。都度ヤーセン型に手を割いていてはオハイオ型を沈めに近づく東西の艦隊対処もしなくてはならず正直申して我が艦には荷が重すぎます」
ルナはゴースの言い分は確かに事実だと思った。出方のわからない第2空母打撃群が臨場しては海域が混戦するのは眼に見えており、手間取ればロシア海軍も到着してしまう。対潜ヘリ部隊が対潜作戦範囲として進出してくるまで概算で2時間ほどだと彼女は考えたが、損傷した艦へ非殺傷弾頭を撃ち込むのすら気が引けていた。
だが巧妙に雲隠れしたカザンと思われるヤーセン型は虎視眈々とメリーランドを狙っておりそうなれば乗員解放など藻屑と化してしまう。
「わかりました。誘き出し徹底してカザンを沈黙させましょう」
ルナがそう返事をした直後、兵装担当カッサンドラ・アダーニ──キャスが声を上げた。
「艦長! 海底配置していた自立型潜水機4の磁場センサーに感あり。直近です! 攻撃できますが!?」
海底配置の6基の自立型潜水機には各種センサーだけでなく単発の通常弾頭魚雷を内蔵してあり攻撃も可能だったが、艦隊戦に備えた奥の手であり、ましてや通常弾頭を使うなど以ての外だとルナは却下した。
彼女は顔を三次元作戦電子海図台へ向け海底配置したデコイの位置を確認した。
だがカザンと交戦した場所とメリーランドを結ぶ直線上に件のドローンは鎮座しておらず、ナンバー4は大きく北側へ外れている。その意味を彼女は瞬時に見抜いた。
中央海嶺の傾斜地棚海底のその辺りの深度は最頂部で1600(:約500m)に達しておりカザンは腹を擦るように海底を移動しパッシヴとアクティヴソナーから隠れ攻撃確実な側面への移動を謀ろうとしている。
ロシア艦には深々度発射可能な雷管と魚雷があり最も深い位置から逃れられないよう複数の飽和雷撃をかけようと目論んでいるのは明白だった。
ディプスオルカの魚雷対抗近接防衛兵器にはまだ十分な残弾があり、一度に8発の魚雷を放たれてもメリーランドと自艦を護れるのは高い確率だったがルナは危険な賭けは避けた。
「キャス、第4AUVにプリインストールしたこの艦の音紋を放ちながらカザンを追尾。10秒後に第6AUVも音紋を放ちながらカザン予想進路に南から近接させ双方1海里後に再びその位置の海底に下ろしなさい。それと新たに第7AUVに当艦の音紋を入れメリーランド周囲深度800半海里で周回」
「アイサー・艦長」
キャスが音もなくヴァーチャル・キーボードを操作しているのを背後に感じながら、ルナは三次元作戦電子海図の海底にいたAUV4が離底し新たにセンシングしトラッキングし始めたカザンを追いながら赤色の波紋を広げだしたのを確認した。
「どうなさるおつもりですか艦長?」
副長に問われ彼女はレーザー・ホログラムのロシア艦へ人さし指を近づけた。
「あなたが提案した事を実行してみます。ゴース、当艦をカザン・スターボード側へ回頭。敵艦機関部を叩きます」
告げた直後、ルナは指でヤーセン型のシルエット・アイコンをつま弾くとロシア艦シンボルが大きく乱れた。
綱渡りの様な操艦。
海底へ6メートル足らずの間隔で移動するのは大変危険であり、僅かに前後トリムをとっただけで艦首か駆動系を損傷する可能性があった。
だがヤーセン級Kー561カザンの2名の操舵手は氷塊直下の隆起する腹を何度も操ってきたベテランだった。ソナーマンが告げる値を発令所当直士官は速断し続け艦は海底の沈殿物を巻き上げながらアメリカ海軍の戦略原潜側面半海里へ回り込んでいた。
狙うは謎のシエラ1と離反したロシア海軍兵の操るドイツ製Uー214──S123カトソニス。だが通常動力型の方はまだ付近海域に潜伏したまま発見にはいたってなかった。攻撃を仕掛けるのはアクティヴを打つのとかわらず位置を暴露してしまう。攻撃した直後、自艦が標的にされる可能性が高い。
だが次の一撃はシエラ1を沈めるのが第1目的であり通常動力型など後からでも沈めるのは容易だとアレクセイ・アレクサンドル・シリンスキー大佐は考えていた。
僚艦Kー560セヴェロドヴィンスクを沈めたシエラ1は明らかに敵でありロシア海軍に刃向かった末路が何か思い知らせる必要があった。
「艦長! 追尾音あり! 音紋──シエラ1!」
またしてもベールの向こうから突然現れたか!
追尾されている時点で敵にはこちらの位置が明確であり、ホバリングや着底でやり過ごせる可能性は皆無。シリンスキー大佐は電子海図台に両手をついて海底地形を見回した。直近には多少の隆起する海底と隠れるものがほぼなかったが、2分の3海里南東に中央海嶺を直交し引き裂く様な大きな谷があった。
「深度維持したまま機関最大戦速! ハードスターボード! 進路135!」
艦長の指示に額に汗を浮かべている発令所当直士官は目を丸くし再び下部方向舵を引っ掛ける事を思い浮かべたがシリンスキー大佐に睨まれ慌てるように復誦しだした。
瞬間、ヤーセン型カザンのスクリュウは多量の海底沈殿物を巻き上げ逃げにかかった。
最大戦速の40ノットに乗り切らない直前、ソナーマンがまた声を張り上げた。
「方位210、距離900、深度650に感! シエラ────2です!!」
シリンスキー大佐は一瞬Uー214なのかと勘ぐり即座に否定した。
ドイツ製通常動力型にそれだけの潜行能力がないのを彼は思い出し、ステルス艦が2艦いたのだと顔を強ばらせ電子海図台の角を強く握りしめた。
☆付録解説☆
1【MGRS】(/Military Grid Reference System)軍事位置参照システム。これは戦争映画などで位置を報せるのに使われているのをご覧になられた方もお見えの軍用位置表示方法です。限られた誌面で網羅して解説するのは難しく、簡単に要約すると最大15桁の数字とアルファベットで地球上の任意の位置を1メートル単位のグリッドで表します。
この桁数が少なくなるほどスクウェア・グリッド(:四角のマス)が大きく位置情報が荒くなり11桁で100m平方グリッド、9桁で1km、7桁で10km、5桁で100kmとなります。
作中では13桁と2桁少ないのですが、この場合グリッドの最小単位は10メートルになり実際の大西洋中央海嶺近隣の位置情報です。作中遠方(:約40海里)からの電子戦機E/Aー18Gグラウラーのレーダー・スイープ解像度が大凡100メートル単位ですので妥当な位置表示となります。
2【ステーション】(St./Station)これは航空作戦機の吊り下げ式搭載位置を表す単語です。
機種例ですとF/Aー18E/Fスーパー・ホーネットの場合左翼翼端レールが1St.そこから左エンジンナセルに向け翼下を順に2、3、4。左エンジンナセル角が5、左右エンジン間中央が6となり、以降右翼へ向け同様に番号が増えてゆきます。
対地攻撃型Aー10サンダーボルトⅡになると提げる対地攻撃兵器も増えSt.もさらに多くなります。また搭載物に合わせ繋ぎものにも多種類があり運用の難しさの一面知ることができます。
3【グリザイユ】(/Grisaille)仏語Gris:『灰色』からの派生語でレリーフの様にモノクロームで描かれた画法の一種です。これから絵を単色グラディエーションの濃淡のみで表現するものを広義で含みます。




