表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

転生女子な黒猫は今日もヘタレ魔王に愛でられています。

作者: 恋蓮

 

 気が付いたら、私はただ、ただ真っ白な世界に居た。


 立っているのか、座っているのか、寝ているのか……もしかしたら浮いているのかもしれない。

 自分が自分であるという実感が、全くない。

 手足の感触はないし、視界を覆っているのは白い闇としか言い様のない、何処までも続く白い空間。

 音は──何も聞こえない。

 自分の身体があるという実感がないのだから、温度や湿度も解らなければ、触感なんてものもあろう筈もない。


 ……何処だ、ここは。


 意識だけがいやにはっきりしている世界で、私は途方に暮れる。


 夢か。


 だったら早く起きないと。明日までに直さなきゃいけないプログラムがあったよね、確か。

 あの会社の担当者、五月蝿いんだよなー。完璧にバグを直したつもりでも、必ず粗捜しをして何かしら文句を言って来るんだもん。

 しかも、私が対応しないと益々機嫌が悪くなって、私よりよっぽど忙しい、幾つも仕事を抱えている先輩達にネチネチと一時間近く文句を言って来るんだよね。

 私達プログラマーにとって、一時間がどれだけ貴重なものか、解っていてやっているのだから性質が悪い。

 年の頃はもう40代半ばだと思うのに、一時間も文句を言い続けられるそのヒマさ加減が羨ましいよ。

 かと言って、一時間文句を言い続けたらお金をあげます、と言われても、私はそんな仕事したくないけどね。

 そんなヒマがあったら一つでもプログラムを組んで、テストをして修正して……そうやって一つのプログラムを完成させた時の達成感ったらないもん。

 文句を言って時間を無為に過ごすくらいなら、そうやって達成感を得られる仕事をしていた方がずっと良い。


 ……さ、起きるか。



「ちょっと待って!?」



 私が覚醒に意識を向けようとした所で、何処からともなく男の子の声が聞こえて来る。

 や、待ってはいられないのですよ。

 確かに仮眠程度しかしていないけど、あの会社以外にも幾つかのクライアントからプログラムの修正を依頼されてますし。

 明日は新規導入のクライアントと打ち合わせに出掛ける先輩のお供を仰せつかっていますし。

 やることはいっぱいなので、さっき買ってきた栄養ドリンクを飲んで、今日も徹夜でお仕事をするつもりなんですから邪魔しないで下さい。



「だから待ってって! どこまで社畜なの、君は!?

 今戻った所で君の身体はスプラッタ状態だからね!? せっかく魂を剥離して来たんだからわざわざ戻ろうとしないで!」



 慌てたような男の子の声が聞こえ、辺りがパッと一瞬明るくなったかと思うと、次の瞬間にはクルクルの金髪が愛らしい外国の男の子が私の目の前に立っていた。

 クリクリと大きな青い瞳も、真っ白なお肌も小さな赤い唇も、本当に絵画で見た天使みたいだ。

 ……や、可愛いんですけどもね、背中に白い羽根はどうかと思いますよ?

 天使のコスプレか何か知らないけど、そういうのは決められた場所でやらないと白い目で見られちゃいますから気を付けてね、と、私が再び覚醒しようと試みる。



「……ちょっ!? さっきのボクの話聞いてた!? 天羽(あもう) 芭琉(はる)さん、君ね、さっき車に轢かれて死んだから、もう戻れないよ」



 天使ちゃんがそんな衝撃の告白をしてくれる。

 ……そうですか。私、死んだんですか。


「そこは驚こう!?」


 天使ちゃんが慌ててツッコミを入れてくれるけど、その時、私はおぼろげながら最後に見た光景を思い出していたんだよね。

 もう三日は家に帰っていないという極限状態の中、少し気分転換をしようと会社の近くにある銭湯で身体を洗い、魂の洗濯をし、

 さぁ仕事、とばかりに腰に手を当ててコーヒー牛乳を飲み。

 夜食用にとコンビニでおにぎりと栄養ドリンクを購入し、会社へ戻る途中。

 狭い路地に突然大きなトラックが突っ込んで来たんだよねぇ。驚いて運転席を見れば、若いそのお兄さんは眠っていたようだった。

 お互い、社畜は大変ですね、と思ったのは覚えている。

 運悪くそこでは一匹の黒い猫が横断中で……何故だかその時、私の身体が勝手に反応してしまい、トラックの前に飛び出してその猫を抱き締め……


 ……あ~、そりゃまぁ、あのトラックに轢かれればイチコロですよね。解りました。成仏します。


「ちょっとは足掻いてみようか!? 現実主義(リアリスト)にも程があるでしょ!?」


 ……え~、だって私、死んじゃったんですよね?

 そりゃ、まぁ、25歳にもなって彼氏の一人も出来ずに仕事にばかり没頭していた人生が幸せだったか、と言われれば別に、としか答えられないけど。

 だからって心残りがあるかって言われればそうでもないし。

 死んじゃったなら仕方ないじゃないですか。ここまで育ててくれた両親には申し訳ないけど、成仏しますってば。


「……君さぁ、自分が今いる状況を少しも不思議に思わないワケ!? 死んだのに意識は残ってて、目の前にはこぉ~んなに可愛い天使がいるんだよ!?」


 天使ちゃんが呆れたように溜息を吐く。

 ……うわぁ……この子、自分で可愛い天使とか言っちゃうんだ……。痛々しいなぁ……。親の顔が見てみたい……


「心の声、筒抜けだからね!? 仕方ないじゃん、ボクは実際に天使なんだから! 事実を告げたまででしょ!」


 ……そうですか、解りました。天使なんですね、ハイハイ。


「軽っ!? 君、全然信じてないでしょ!?」


 ……や、信じてますよ? 貴方がそう言うならそうなんでしょう。

 けど、私は死んじゃったそうですし、もう仕方なくないですか? だったらこのまま成仏を……



「あーー、ハイ、天羽 芭琉さん! 今から貴女を転生させまーーす!!」



 パンパンっと手を叩いて天使ちゃんが突然大声を出すではないか。

 なんだ、情緒不安定なのか、この子……。小さいのに可哀想に……。


「違うからね!? 君が全くボクの話を聞こうとしないのが悪いんだからね!?」


 ……そうですか。それは申し訳ない。だけど、私は昔から幽霊とか神様とか天使とか信じてなくてですね……。

 自分の夢や希望を叶える事が出来るのは自分だけですし。

 努力もしないで神頼みばっかりされて、天使ちゃんも大変ですよね。


「お気遣い頂きありがとう! でも今はそういう事じゃなくてさ!? 転生させますって言ったよねボク!?」


 ……あー、なんか言ってましたね。

 けど良いです遠慮します。もう一度人生やり直しとか面倒臭いですし、成仏してこのままゆっくり眠れるならその方が……


「ハイハーイ!! 天羽 芭琉さん!? ハッキリ言いましょう、貴女が死んじゃったのは想定外なんで、転生してくれないとボクが困るんですぅー!

 正直、君があの黒猫を助けるなんて思わなかったよ。他人に興味なんてまるでない感じだったのに、何であんな時だけ咄嗟に動けちゃうかな!?

 貴女には寿命が残ってたし、まだ死ぬ予定じゃなかったんで、このまま死なれちゃボクの成績に響くんで貴女には生きてもらいまーす!」


 ……成績ですかぁー。

 どこの世界も世知辛いですね。お疲れ様です。


「イヤ、そういう気遣いはいりませんから! 転生特典として、貴女にはチート能力を……」


 いりませーん! 私、この人生で結構頑張ったんで、もう頑張りたくないんですー!


「……え、転生して俺つえーーってなるのって、人類の望むものじゃないの!? ……資料と違うんですけど女神様ーー!?」


 どこのラノベの主人公ですか。

 転生しなきゃいけないなら、私は頑張らなくても生きていける種族で……

 ……ああ、そうですね。猫で良いですよ、猫。優しいご主人様に愛されて惰眠を貪る事が出来ればサイコーです。


「……猫ぉぉーー!!?? ……それじゃ、人化出来たりチート能力を兼ね備えたハイパー猫に……」


 いりませーーん!! ただの猫で良いです、天使ちゃん。

 人語を理解出来たまま、猫マンマじゃないご飯を与えてくれるご主人様に飼われるならそれで良いですから、

 ちゃっちゃとそれに転生させて貴方の成績を稼いで下さいな。


「ええーー!? それじゃ面白くないじゃーん!」


 ……面白くなくて結構ですよ。私、貴方の玩具じゃないんで。


「ぶぅーー……。面白くないなぁ……。けど、まぁ君が死んじゃったのはこちらの手違いみたいな物だし、希望は叶えるよ。

 せめて、世界で一番贅沢な生活を満喫できる飼い主と出会わせてあげるくらいはさせてよね。

 ……君が助けたあの黒猫、実は人間界でのボクの姿だからさ。猫目線で人間界を観察してて、お散歩を楽しんでたらあのトラックが突っ込んで来て……

 正直、痛い思いをしなくて済んで、君には感謝してるんだ、ボク」


 ふぅ~ん。猫目線で人間界を観察とか、天使ちゃんもヒマなことしてるんですね。


「……違うからね!? あらゆる視点で人間界を理解して人々の平和を守るのがボクの仕事だから!

 ハイハーイ、それでは、天羽 芭琉さん、貴女はこれから猫でーす!

 今まで住んでいた世界とは何もかも違う世界……女神様が創った人間と魔族が混在するディモレストという世界で、その生命を満喫してくださーい!」


 そう言い放った天使ちゃんの姿がだんだんぼやけていく。

 元々白かった世界がますます白くなり、眩い光も手伝って、見えているのかも解らないその目を私が瞑った瞬間。


「……これでもボク、貴女の事は結構気に入っているから。猫生、満喫してよね、天羽 芭琉さん!」


 ……と言う天使ちゃんの言葉が聞こえたのと同時に、実体のなかった私は……



 人間に比べれば遥かに短い四肢と今までは感じたことのない尻尾を持つ生物に転生していた。



 ……あ~、猫ですね。解りました。感覚に慣れるまでに少し時間がかかるかもしれないですけど、私が頼んだことですしね。満喫しますよ。



 そんな私の言葉に、天使ちゃんが楽しそうに笑ったのが聞こえた気がする。

 自分の意識が完全にその猫の身体に落ちたのを確認した時、私の目の前には黒髪で三白眼の、とても目付きの悪い子どもが立っていた。



「……猫? 僕の悲しみを癒してくれる唯一の存在が猫だっていうの……?」



 瞳に涙を浮かべ、私を凝視する男の子。

 三白眼のくせに涙を浮かべるなんてらしくないですよーと慰めようとするも、私の口から出た声はニャーン、という猫の鳴き声に変わった。

 ……おお、言葉を発したつもりだったのに、本当にニャーンとしか音が出ていない。

 どうやら私は本当に猫の姿に転生したようだ。


「……キミは優しいね。まるで僕の言葉が解るみたいだ。その綺麗な黒い毛並みも、金色の瞳も……本当に、キミこそ一番に僕を理解してくれる存在なのかもしれない」


 そう言って私を抱き上げる男の子。

 目付きの悪い三白眼を除けば、子どもらしいふっくらとした薔薇色の頬も真っ黒な髪も優しい手の感触も、何故だか私が安心出来るもので。



「……魂を共にする唯一の従魔……。僕はその契約をキミと交わしたい。

 昔から決めていた名前を、キミに与えよう」


 男の子がそう言ってチュッと鼻先にキスをする。

 ……子どもだから許すけど、そういうのは滅多やたらにしちゃいけないと思いますよ?



「『パール』。この名を受け入れ、僕と従魔契約を結んでくれるかい?」



 見たとこ、私は黒猫に転生したみたいなんですけど、そんな猫に真珠(パール)の名を与えるとは、相当変わってますね、この子。

 ……けど良いですよ。元々の名前と響きも近いしね。

 猫生経験がない私には、誰かの庇護下にいることが一番平和に生きる術だと思うし。

 それに、目付きの悪い人に悪い人がいないというのは、芭琉さんの持論です。

 愛してるよ、信じているよ、という甘言を垂れ流す人よりもよっぽど現実を知っていて生きる術を知っている気がするもの。

 かく言う私も、人間として生きている最中は目付きが悪くて、ガンつけてんじゃねーよ、と何度も絡まれたしね。そんな気は一ミリもないのに理不尽な話ですよね、全く。



「ニャ~ン」



 私が鳴くと、私とその三白眼の男の子の周りを優しい光が包んだ。




 ──これが、人間界では天羽 芭琉という名前だった社畜が、ディモレストという世界で言うところのパールという黒猫に転生した私と。

 第三十七代魔王、ヴィルディア・マリアシウス・ヨーコフとの出会いだった。




 ━-━-━-━-━-━-━-━-━




「魔王様、本日の予定をご案内させて頂きます。まず、朝食の後、朝の謁見が二時間、各地域担当者からの報告会議の後昼食、

 書類確認をこなして頂いた後、午後の謁見を一時間、本日はその後、夢幻王との会食の予定でございます」


 私を膝に乗せて、興味がなさそうな三白眼をそのオジサンに向けているのは、あの頃からだいぶ成長した魔王様──私のご主人様。

 私の首後ろを撫でる手が止まるのは、一日の間でも寝ている時と、二人っきりでいる時くらい。

 謁見中でも執務中でも関係なく、片時も私を手放さないご主人様。

 二人でいる時は膝に乗せるのではなく、それはもうしつこいくらいのハグとキスが私を襲って来るんですけど……

 ……いい加減、もう慣れましたよね。あれからかれこれもう十年程、私はこんな生活を満喫させて頂いているのですから。



 ──ハイ。あの天使ちゃんの計らいのせいなのか、私はこの魔界の最高権力者・魔王様の愛猫の座をゲットさせて頂きました。

 あの時出会った黒髪の三白眼の子どもは、魔王に成り立てのご主人様──ヴィルディア・マリアシウス・ヨーコフその人だったのです。

 お陰で人間界では見たこともないような贅沢な生活をさせて頂いております。

 魔王──つまりは魔界の王様。

 その最高権力者様は何故だかあの時、突然現れた私に運命を感じて下さったらしく、その場で従魔契約を結んで下さいました。

 あの時は何も知らなかったのでそのまま受け入れてしまったのですが、どうやら従魔契約とはとんでもない契約だったようで……



「……魔王様、何時になったらその黒猫との従魔契約を切って頂けるのでしょうか?

 従魔契約とは魂の契約。つまりはその黒猫に何かがあれば貴方様にも影響を及ぼしてしまうのですぞ!?

 魔王様を守るどころか足枷にしかならぬそんな卑小な黒猫如き、お側に置くには相応しくないと毎日申し上げておりますでしょう!?」



 ……ええ、そうですね。毎朝毎朝、飽きもせず私を忌々しげに睨みつけながら進言して下さってますね、

 このオジサン──ご主人様の片腕とも言うべき業務量をこなしている宰相さんは。

 魔族さんの寿命は大変に永いらしいですが、ご主人様と同じ漆黒の髪に、最近少々白い物が混じり出したこの宰相さんはとても長生きなさっているのでしょう。

 名前は……なんか聞いたけど忘れました。

 ただの猫の私にとって、ご主人様以外の存在はどうでも良いと言いますか……興味を持つことをご主人様に遮られていると言いますか。

 とにかくご主人様は片時も……そう、催す時ですら私を手放そうとしないくらい、ただの猫の私にベッタリなのです。



「それに、そろそろ伴侶を決めて頂きませんと! 各所からの申し込みが引きも切らない状態で、そろそろ業務にも支障を来しておりますぞ!

 魔王様のご結婚は義務ではございませんが、孤独で過ごす貴方様を見ているのは我々臣下には少々つろうございますっ!」



 瞳に浮かぶ涙を白いハンカチーフで拭う宰相さん。

 ……あ、別に気にしないで下さい。毎朝の恒例行事ですから。

 長寿なのに毎日、毎日同じことを言い続けられる精神力は本当に尊敬してしまいます。



「……宰相。いちいち言わせるでない。余は孤独ではない。余の側にはパールがおるではないか。

 それに、魔王の座は血によって継がれるものではないのだから、子を成す必要もなかろう。

 余がそうであったように、ある日突然、次代の魔王が木の股から生まれれば余の治世は終り、次代に引き継がれるではないか。

 ……ハァ、次代よ、早よう生まれてくれぬかのぅ……」


 ご主人様はそう言って溜め息を吐かれます。

『魔王』という肩書と、その……悪人面に似つかわしくない程に、私のご主人様はその……



「『ヘタレ魔王』! 市井にてそのような声が日に日に増えているのを貴方様はご存知でいらっしゃるのか!」



 ……あ~、今朝も言っちゃいましたね。

 いくら何でも上司に向かってヘタレなんて言い放つのは失礼じゃないんですかね。

 仮にもご主人様は魔王。この世界の王様だって言うのに……。

 そんな事を言われたら、ご主人様が傷付いちゃうじゃないですか。

 見た目は極悪人なのに、ご主人様の(ハート)はいつまでも純真で繊細で……優しい人だってこと、私だけは良く知っていますよ。


「ミャー!」


 ご主人様が傷付いているのが解るので、私はそう鳴いてペロっとご主人様の頬を一舐めしてあげました。

 こうすると、ご主人様の悲しい気持ちが少し和らぐのを、今の私は知っているので。


「……パール、おお、パールよ……! やはり余を癒してくれるのはそちだけだ……!

 まこと、()い奴よのぅ……パールぅぅーーーー!!!!」


 ……あー、やっぱり号泣させちゃいましたね……。

 皆さん、想像してみて下さいね、見た目の怖い、三白眼の大男が黒猫を抱き締めて号泣する姿を。

 私は毎日見ていますし、宰相さんも見慣れている光景なので動じていませんが、ちょっとショッキングな光景だと思いますよ。



「……あ~、魔王様、申し訳ございません。

 パール様とのお二人の時間を捻出します故、満喫された後に仕事をして頂けますかな……?」



 取り繕うようにそう言う宰相さんの言葉に、号泣したままコクコクと頷くご主人様。

 そうですね、こうなったら暫くはお仕事どころじゃないですもんね。

 尚、私の意思はまるっと無視です。本当はちょっと面倒臭いですし、お腹も空いたのでご飯を食べたいのですが……


「……あい解った宰相よ。仕事はこなすでな、しばしパールと二人にしてくれるか。

 朝食は軽食を部屋に運ばせよ。パールの分も忘れるでないぞ」


 そう言って私を大切に抱き締め、執務室の奥にある寝室にしけこむご主人様。

 ……こうなったら仕方ない。全力で慰めてあげないと、なかなか浮上出来ないんだよね。


「ニャ!」


 短く鳴いて、私が首を伸ばしてご主人様の頬に鼻を当てる。

 ……人間だった頃なら、キスをあげていた感覚なんだけど、どうも猫という種族は人間より鼻が高いらしく、上手くいかない日々なのです。


「……おお、パール。そちも早く二人きりになりたいのだな。待たせてすまぬ」


 そう言ってご主人様が私の額に正真正銘のキスを落とし、耳の後ろを撫でてくれました。



「ニャ~~ン♪」



 ……ご主人様、それ、本当に気持ちが良いのでもっとお願いしたいです!



「……フフ、パールよ。そちの幸せの感情は余にダイレクトに伝わってくるのぅ……!」


 ゴロゴロと喉を鳴らす私を撫で、呟くようにそう言いながらご主人様と私は二人で寝室に戻りました。

 暫く魔王様モードを発揮させたまま、私を撫でくり回すご主人様。

 やがて、使用人さんが朝食を運んで来てくれて、次の来訪者が暫く来ない事が確定した後のご主人様の豹変ぶりは……



 ……『魔王』のイメージを壊したくない人は見ない方が良いと思います!




 ━-━-━-━-━-━-━-━-━




「パール、パールぅぅぅぅーーーー!!!!

 望んで魔王になった訳じゃないのに、なんで毎日こんなに働いて、暴言を受けて、辛い想いをしなきゃならないんだよぅーー!!」



 ……ハイ。『魔王』の仮面が剥がれたご主人様なんてこんなモンです。それは初めて出会った十年前から全く変わっていません。

 その間には色々あったけどね……。

 初恋の女の子には「身分の差が……」と言われてフラれてしまったし、

 そのショックで学院での成績が下がった時には宰相及び周囲から「権威をお忘れなきよう!」って三日間に及ぶお説教をされたし、

 学院を卒業して正式に魔王を名乗った時に人間界からやって来たと言う商人から虹繭なる商品を仕入れようと契約をしたら詐欺だったし、

 市井を見聞しようと街を歩けばその目付きの悪さから下町のゴロツキに絡まれて殴られ、それでも優しすぎて反撃も出来ずあばらを折られるし……。



 ……でもね、私はそんなご主人様をヘタレ、とは全く思えなくて。

 むしろ、そんな姿を目にする度にその純粋さと優しさに胸を打たれるくらいで……

 ……どんな状況にあっても私だけは絶対に手放さないご主人様の優しさに、現代日本で得られなかった情愛ってヤツを感じてしまうくらいなんです。

 ただの猫の私には、その御礼をすることは難しいけれど……

 ご主人様が泣きたい時には、毎日でも毎時間でも、こうして側にいて、その涙を舐め取ってあげたいと思う位には、ご主人様の事を好きになってしまっているみたいです。



「……パール。僕が魔王じゃなかったら、キミと従魔契約は交わせなかった。

 その一点だけは……魔王として生まれて良かった、と思えることなんだけどさ……」


 か弱い身体を持つ私を労わるようにそっと優しく私を抱き締めてくれるご主人様。


「この立場がキミを護れるのなら……全力で魔王の務めを果たそうとは思うんだ。

 魔王として生まれたあの時、歴代魔王の全ての記憶が僕の中に流れ込んで来て……正直、自分の運命を呪いたくなったのは事実だけどさ……。

 そんな時、僕の目の前には、金色の綺麗な、汚れのない瞳をしたキミが……心配そうにボクを見つめてくれていた」


 ……出会いのあの日の事でしょうかね。

 あの時私は、天使ちゃんとの衝撃のやり取りから時間を置かずにこの世界に落とされたので、このディモレストという世界の事は全く解ってなかったですし、

 ご主人様が魔王だと解っていたら……

 ……イヤ、解っていても、私はご主人様の側にいることを選んだかもしれませんね。

 こんなに優しくて傷付き易い人と出会ってしまえば、支えてあげたいと思わない方が可笑しいと思いますもん。

 何て言うのかな……友情とも恋情とも違う、そう、家族愛にも似た感情を、私はご主人様に対して抱いてしまっているようです。


 正直、ご主人様は『魔王』と呼ばれるだけあって、魔界では一番強い魔力をお持ちだそうです。

 魔王はある日突然木の股から生まれると言われた通り、ご主人様には親も兄弟もいなくて、

 唯一、側に居ることの出来る『従魔』が私なのだそうです。

 ……本来ならば、ドラゴンや上級クラスの魔物がここにはいる筈だそうですけれども……



「……僕に必要なのはパールだけ」



 そう言って私の耳の後ろを撫で、幸せそうにキスを落とすご主人様。



 ……ラノベの中の魔王様って、もっと威厳に満ちていた気がしますし、

 宰相さんの言う通り、愛猫だけしか愛せないのも、ご主人様にとって幸せな事だとは思えないのですが……



「ミャ~~~~!!!!」



 猫語で大好きです、と叫ぶ私。

 通じていない筈なのに、何故だかとてつもなく幸せそうにその三白眼を細めてご主人様が笑って下さいました。



「……キミと出会えた事だけが、僕にとって一生に一度の幸福なんだろうな。

 ……ねぇ、パール。その鳴き声に込められた意味を、僕は知りたくないんだ。

 キミと言葉を交わしたいとも……何故だろう、全く思わないんだよね。

 その鳴き声の高低、長さ、強さや仕草からキミの心情を汲んで、喜んでくれているキミを撫でている時間が、僕の唯一の癒しの時間だからね」



 誰が何と言おうと護るから。

 僕が死ぬまで側にいて、と。



 日本人の何人が、こんな熱烈な告白を受ける事が出来ると言うのでしょう?

 初めて言われた時は、ビックリして心臓が止まるかと思ってしまったくらいなんですが……

 ……考えたら、今の私は猫ですしね。

 従魔契約をしてしまっている今、私とご主人様は一つの魂を共有しているような状態なんだそうです。

 なので、ご主人様が私を守って下さるのはご自分の身を守ることと一緒ですし、死ぬまで一緒、というのも物理的にそういう事になってしまっているので深い意味はないのですが、

 言葉にするとなかなかドキドキしてしまう字面ですよね。まるで愛の告白のようですもん。


 日本では、猫アレルギーがあったせいで猫と触れ合う事が許されず、動画でしか猫という存在を知る事が出来なかった私なので、

 猫らしくない行動はたくさんあったかもしれません。

 普通の猫が、こんなにご主人様にベッタリくっついているとは思えないですし……猫って気まぐれなイメージがあるのでね。

 でも、ご主人様は唯一の癒しが私だと仰って下さいますし、私もこの異世界でただの猫として放り出されても、生きていくのにちょっと困ると思うので

 何といいますか……WIN─WINな関係を、ご主人様とは築けているのではないでしょうか。

 そんなワケで、天使ちゃんがお願いを聞いて叶えてくれた、ご主人様が語っている事を理解出来る状態というのは本当に助かりますね。

 おかげでご主人様の気持ちも理解出来ますし、お願いをされた時にはその通りにして差し上げる事も出来ているのですから。



「ニャン?」



 何だか思い出し泣きをしているのか、突然その三白眼に涙が浮かんでいます。

 ……よくあるんですよね、思い出し泣き。二人きりの時は特に、ご主人様はとても泣き虫なんです。

 落ち込んでらっしゃるようなので、ザラザラした舌でその涙を舐め取ると、ご主人様は破顔して私をギュッと抱き締めて下さいました。




「パール、キミさえいれば他には誰もいらないよ」




 ……あ~、天使ちゃん。

 ご主人様が全力を通り越して私を溺愛してくれているのですが良いのでしょうか……?




『オッケィー!!』




 ……異世界怖い。何故だかそんな都合の良い答えが聞こえた気がします……。




 まぁ、私の猫生はまだ満喫出来そうですし。

 宰相さんの言葉を借りれば『ヘタレ魔王』なご主人様。

 私がいなくなってしまったら絶望に染まってしまって、どんな暴走をしてしまうか解らないくらい、私を大切に、大切にして下さるご主人様。

 ……まぁ、私も今更、他の存在に生まれ変わったり人化したりしてややこしい事になるのは面倒ですし。

 私にとっても、ご主人様はもうとても大切な人になってしまっているようですので。



 このまま暫く、幸せな猫生を満喫させて頂きますね。

 ──ご主人様の温かい腕の中で。


お読み頂き、有り難うございました!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ