入居。そして挨拶。①
春。俺は無事大学受験を終え、新しく始まる大学生活に不安と期待で胸をいっぱいにしていた。
「ここが、○○ヒルズかな?うーん、いたって普通のアパートだなー。」
一か月後に入学式を控えた大学は地元から離れており、俺は親元を離れて人生初の一人暮らしをする。
今日はその引っ越し当日である。
「うわー、実際にアパートを見ると、いよいよ新生活が始まるって感じがするなー。なんか緊張してきた・・w」
荷物はすでに引っ越し業者によって部屋に運び込まれており、あとは荷物の片づけをするだけ。
しかし俺には越えなければならないイベントが控えていた。そう、隣人への挨拶である。若干コミュ障気味の18歳童貞には、いささかハードルが高い。
「よーし、そろそろ部屋も片付いてきたなー。はあ、そろそろ隣に挨拶しにいかないとなあ。あー行きたくねえー。誰だよ引っ越したら挨拶しに行くっていう文化作ったの。」
2階建てのこのアパートは全18部屋であり、俺は一階の107号室。両脇の106号室、108号室の住人に挨拶しなければならない。こういうとき、どの範囲にまで挨拶する必要があるのか詳しいルールは知らないが、まあ両隣で十分だろう。つーかこれが限界。
「今は夜7時か・・・。なんだかんだ片づけに時間がかかったな。そろそろ挨拶に行かないと、夜遅くなってしまう。今日は土曜だし、たぶんいるだろ。」
親が持たせてくれた菓子折りを持って、いよいよ出陣である。ここまで散々挨拶に愚痴ってきた俺ではあったが、少なからずの期待はしていた。そう、隣人が超絶美少女でひょんなことから付き合うことに!?とか、隣人が美人OLで、毎晩俺の部屋に愚痴りに来て、ムフフな展開に!?みたいな。男なら一度は妄想する展開である。
「よし、まずは106号室・・・。」
『ピンポーン』
数秒の沈黙の後、ドアがチェーンをした状態のまま開く。
「どなた?」
出てきたのは、超絶美少女ー、ではなくおっさん。外見は、いわゆるオタク顔のメガネであり太っていて無精ひげを生やしている。直前の妄想が早くも打ち砕かれる。まあ、現実はこんなもんである。
「あ、あのっ、107号室に引っ越してきた者ですが、ご挨拶に伺いました!よ、よろしくお願いします!」
われながら酷いどもり様だ。
「・・・あぁ、そうか。アイツは逃げ出したのか。あとちょっとだったのに・・・。」
何言ってんだこいつ。
「まあ、あの女が隣じゃ無理もないか。仕方ねえな・・・。でもなんでこいつ割り込みしてんだ・・・?そんなこと出来んのか・・・?」
玄関前で固まる俺をガン無視し、デブ男はボソボソと独り言を続ける。
こういう基地外と関わるのは御免だ。さっさと菓子折り渡してこの場を離れよう。
「あ、あのぉ・・・こ、これつまらないものですが・・・。」
恐る恐る、菓子折りを見せる。それを見せた途端、デブ男の表情が明るくなる。
「おっ、この袋有名菓子店のじゃん!ラッキー。お前いいやつだな」
「は、はあ。」
「まあ、すぐサヨナラすることになるだろうけどよろしくな。俺は106号室の太田な。」
すぐにサヨナラ・・・?どういうことだ?
「この菓子折りに免じて一回だけ助けてやらんこともないぞ。とにかく、108号室の女には気をつけろよ。じゃあな。」
こちらが聞き返す隙もなく扉を閉められる。最初から最後まで、終始わけのわからんデブ男だった。
もうこちらから関わることもないだろう。そんなことより、108号室は女の子か。やったぜ。
軽く心躍らせながら108号室のチャイムを押す。
デブ男の忠告はすっかり俺の煩悩にかき消されていた。