第二十七話 羽柴秀吉
羽柴秀吉は、この当時、山崎城を使用していた。
これは、かの有名な「天王山」にある城である。
さて、一行は無事に到着し、通された部屋で秀吉が来るのを待っていた。
(……妙だな)
風丸は思った。
彼らは長い旅路の後、休息する間もなくこの部屋に通された。
それも、従者も全て、だ。
(……「何も準備させないように」、か?)
風丸は、従者の中でも一番下座に座っていた。
単純な理由である。
全員を観察する―――「見張る」といったほうが良いかもしれない―――のに、そこが最も適していたからだ。
風丸は「キツネ」の横に座っている若い従者の様子が、道中とまるで違っていることに気付いた。
目が、違う。
道中彼は、周囲に油断なく目を配り、振りかかるかも知れない「危険」に注意を払っていた。
それは言うなれば「草食獣」の目だ。
しかし。
今の彼には、馬や鹿のような用心深さは全くなかった。
ましてや、狐や猿のような―――そして人間のような―――ずる賢さもない。
彼の目は、虎のそれだった。
獲物を眺める虎の気品が、優雅さが彼にはあった。
風丸は思った。
(正就も力をつけたもんだ)
「服部正就」。
この名前を覚えていらっしゃるだろうか。
思い出していただきたい。
かつて、風丸に苦内を投げつけたこともある、忍びの者である。
父、服部平蔵とともに徳川家康に仕えている彼が、ここにいる。
目的は明白である。
と、その時、どたばたと騒がしい足音が近づいてきた。
その部屋にいた者たちは、平伏し、その足音の主を待った。
男は入ってくるなり、叫んだ。
「おお!!於義丸!!よう来た!!」
於義丸が礼を返している間、風丸はちらりと秀吉を見た。
まるで変わっていない。
小柄で、ひょうきんな顔をしており、立っていても座っていても、せかせかと動き出すような気配があった。
何より、顔をしわくちゃにして笑う、人をひきつける笑い方がそのままだった。
しいて言うなら、服が変わった。
ぎらぎらと攻撃的までに輝いている金銀の衣装が、とんでもなく悪趣味だった。
「して、皆もご苦労であった!」
秀吉は従者のほうにも声をかけた。キツネ以下数名は、既に地面についていた頭を、こすりつけるようにして「ははぁっ!!」と叫んだ。
ただ、風丸、平蔵、そして胡蝶は、ピクリとも動かなかった。
そのせいだとは言えないだろうが、秀吉はしばらく、従者の一人ひとりを観察するように見ていた。
「お父上様?」
於義丸が尋ねた。(既に述べたと思うが、於義丸は秀吉の養子となっていた。実質人質という存在であったが、こう呼ぶ権利は有していたわけだ)
「ん?いや、なんでもない」
秀吉は自分のために用意された場所にドカリと腰を下ろし、「顔をよう見せてくれ」と於義丸に言った。
彼はゆっくり顔を上げ、初めて、自分の父となった男を正面から見た。
(……確かに、猿だな)
正直に、そう思った。
彼は風丸とは違い、秀吉のことは伝え聞いているだけであったが、初めて会ったという気はまったくしなかった。
(……これほどまでに伝聞の通りというのも珍しいだろう)
それほどまでに、この「羽柴秀吉」という人間は、強烈な個性を有していた。
しかし同時に、於義丸が気付いたことがある。
(……この人は、天下人ではない……)
それは、悲しいほどに、真実であった。