リア充爆発しないで
『リア充』とは、リアルの生活が充実している、の略。恋愛や仕事や趣味などを楽しんで、人生が充実している人のことを指す言葉。
「リア充爆発しろ」という言葉は、現代の若者の間でたまに使われる言葉だ。自分より幸せな人を、妬む言葉。
もちろん、本当の意味で爆発しろ、なんて思っている人はいないはずだ。きっと、「今の幸せが崩壊して不幸になればいい」といった意味の、比喩表現だと思われる。たいていの人は一種の冗談として使っている。
でも、神様はその言葉をそのままの意味で受け取った。
冗談の通じない神様は、それを現実に叶えてしまった。
ある日、世界は変わった。
リア充は、本当の意味で爆発するようになってしまった。
*****
明日なんて来なければいいと、何度思ったことだろう。
それでも、私は今日も、いつも通り朝を迎えた。
「行ってきます」
誰もいない玄関で一人呟き、私は学校に向かった。季節は初夏。晴れた空の高さが、通学路の静けさと相まって、私に孤独を感じさせた。
学校に行く途中で、人だかりを見かけた。どうしたのかと思って近づいてみると、何かの破片と液体が飛び散っていた。今までの経験から、それが元々は人だったものだということが窺い知れた。
地面に描かれた、紅一色の汚い花火。爆発したリア充の残骸だ。
通報を受けた清掃員が、慌ただしく清掃作業を始めた。
この世界では、リア充になった人、簡単に言えば、幸せになった人は、体が内側から爆発して死んでしまう。この現象は数年前、世界中で同時に、それも突然に始まった。常識ではありえないことだったから、人々は「神様の仕業だ」と断定した。神様はどうして世界にこんなルールを敷いたのか、それは誰にも分からない。
でも、もっとわからないのは、死ぬことをわかっているのに、リア充になる人がいるということだ。
どうしてみんな、そんなに幸せになろうとするのかな。生きていること以上の幸せなんて、ないはずなのに。
教室に着くと、いつも通りの光景が広がっていた。
みんな口を開けば一言目には「ウザい」、「疲れた」、「忙しい」と、まるで自分は幸せなんかじゃありませんとアピールするように。聞けば聞くほど鬱陶しく感じる。でも、私にだって、そうせずにはいられない気持ちも少なからずある訳で。その中に混じって、私も一つ、大きく溜息をついてみた。すると、隣の席の桜井くんと目が合った。面倒なので、私の方から目を逸らした。視線を外した先にあった窓の外には、入道雲が見えた。
「山吹さんまた明日―」
「うん、また明日」
今日の授業が全て終わったので、友人に別れを告げて教室を出た。
友人、と果たして呼べるのか。
なぜなら、彼女は死んでいない。死んでいないということは、少なくともリア充ではないということ。いつも明るく振舞っているのに、私に笑いかけてくれるのに、彼女は幸せではないということ。
だからと言って、私にはどうすることもできない。それは私の保身のためではなく、ただ、彼女に生きていてほしいと思うから。そのために、私はこれからもずっと愛想笑いを続ける。
下駄箱から靴を取り出そうとすると、中に手紙が入っていた。桜井くんからだった。
『放課後、屋上に来てほしい。 話したいことがある』
手紙には、そう書いてあった。
話の内容は、何となく察しがついていた。
私は、速まる鼓動を押さえつつ、
何事もなかったかのように靴を履いて、帰宅した。
家に着いた頃には、外は土砂降りの雨が降っていた。
次の日、桜井くんは風邪をひいて学校を休んだ。
二年前、私は、両親を神様に殺された。
それは両親が幸せだった証だと、最初から開き直って言えていたのなら楽だったのかもしれない。しかし、そんな前向きな考えができるはずもなく、当時の私はショックで塞ぎ込んでいた。
そんな時に出会ったのが、桜井くんだった。
桜井くんは、私に話しかけてくれた。私に優しくしてくれた。時々うるさくて迷惑と思うこともあったけど、それでも、私はそんな桜井くんのおかげで、もう一度笑うことができた。
そして私は、桜井くんを好きになってしまった。
桜井くんは、最近になって私とあまり話さなくなった。理由は、話さなくても分かる。彼もきっと、私と同じ気持ちを抱いている。
それでも、私は彼を拒絶するしかない。この世界では、リア充になることは許されないから。
大好きです。
大好きだから。
どうか、私を好きにならないで。
数日後、桜井くんは学校に来た。風邪は治ったようだ。
「おはよう、山吹」
席に着くなり、私に話しかけてきた。私は寝たふりをしてやり過ごすことにした。
「おーい、山吹?」
「…………」
「寝てるのか?」
「…………」
「……まあ、いいか」
「…………」
「やっぱり、今時ラブレターはなかったかな……」
うるさい。
頼むから、喋らないでほしい。そんな風に話されたら、返事をしたくなるから。笑いかけたくなるから。
あなたが生きていたとしても、死んでしまったとしても、結局どっちも苦しいことには変わらない。もし、私が先に死んでしまえば、この苦しみからは解放されるかもしれないけど、そうしたらあなたはもっと苦しいでしょう?
下校時刻になり、家に帰ろうとすると、道の途中に桜井くんが立っていた。待ち伏せでもしていたのだろう。
私は、予感した。
もう、逃げられない。
「……山吹、伝えたいことがあるんだ」
「ごめんなさい、私、急いでいるから」
足早に彼の横を通り過ぎようとすると、彼に腕を掴まれた。
「待てよ」
「離して」
「話を聞けって!」
「嫌だよ!」
本当は分かっていた。あなたの気持ちに気づいても、両思いだと分かっても、私が爆発しない理由。今のままでは、満足できないから。生きているだけでは、幸せと呼べないから。
それでも私は、あなたを失いたくない。どうしたらいいんだろう。
「ねえ、どうして……?」
ああ、どうして、私の片思いじゃなかったんだろうね。
「だって、死んじゃうんだよ……?」
「ああ、死んでもいい」
「……どうして?」
「ここで伝えられなかったら、俺は、死んでいるのと変わらないから」
「……」
もう私は、何も言えなくなっていた。声を出したら、抑えている感情が溢れ出してしまいそうで。
「俺、山吹のことが、好きだ」
聞きたくない。そんな優しい言葉は、聞きたくない。
視界が急にぼやける。どうして、こんなにも涙が止まらないんだ。
止まれ。
止まれ、止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ!
泣いてはいけない。私の気持ちに気づかれてしまうから。
気づかれてはいけない。あなたを幸せにしてしまうから。
そうしたら、あなたは、いなくなってしまうから。
あなたがいなくなったら、私は――――。
「もう、いいよ」
気がつくと、私は桜井くんの腕の中にいた。
「ありがとう。もう、十分だ」
今までずっと触れようとしなかったその温もりは、私の全てを癒してくれるようだった。
「私も……好きだよ……」
溢れだした思いは、自然と言葉になった。
こんな世界、生きていても無意味だと、ずっと思っていた。それでも、あなたが居たから生きていこうと思えた。今まで失わないことばかりに必死だったけれど、今こうして、ただ一言でも思いを伝え合うだけで、こんなにも幸せになれた。
できることならどうか、ずっとこのままで居たい。
そう思ったその時。
カチ、カチ、カチ。
私の中で、時計の針が動き出す音がした。
「ありがとう。――――さよなら」
次の瞬間、桜井くんは私の身体を突き放した。
何が起こったのかもよく分からないまま、彼の姿を目で追った。
彼は、私が今まで見た中で一番の笑顔を浮かべながら、光に包まれて弾け飛んだ。
その場に描かれた紅一色の花火を呆然と見つめながら、私は時計の針が止まる音を聞いた。
紅く染まった世界の中で、私は泣き崩れた。
これから先、どんなに私が望んだとしても、神様はもう、私を殺すことはできないだろう。