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九章

九章


「悠斗――誰だ、その女は」

 あとから来たレジナが、見知らぬ女性、セセリを見て不審そうな顔をする。

 だが、セセリの方はレジナを見て、にこりと笑った。

「私は東儀セセリ。悠斗さんの幼馴染みであり、東儀製薬の一人娘であり――あなたの姉」

「姉だと? 私に姉などは――」

「姉よ。あなたを生み出すために利用された、出来損ないのね」

「セセリさん――それ、どういうことだよ――」

 悠斗は直感的に答えに思い至ったが、それを信じたくはなかった。

 大人になるまで生きてはいられないと言われていたセセリは手術によってそれを克服した。

 ASHを開発していた東儀製薬――レジナの姉という言葉――

「そういうことよ。私もASHなの――プロトレジナと呼ばれているわ」

「プロトレジナだと……? 私の試作品だとでもいうのか……?」

「試作品――そのとおりだわ。病弱な私を見て、父にオグマ式を貸してくれた人物がいた。そのおかげでASHとなり、私は助かった。血を飲ませたものをASHにするという、女王の力まで身につけてね。さて、妹に質問。父にオグマ式を与えた人物とは、誰のことでしょう?」

「う、嘘だ――そんな――お父様が――」

 レジナはショックを受け、その場に座り込んでしまった。

 自分を、レジナを生み出すために、まさか、そんなことが。

「正解。あなたのお父様、斑鳩大佐よ。彼は私をレジナの実験台にしたのよ。他にも大勢が実験台になっているはずよ。今、何人生きているかは知らないけれど」

「そ……そんな……嘘だ嘘だ! 私のために、そんな! 嘘だ!」

 地面に座り込み、嘘だと呟き続けるレジナを、セセリは冷たい目で見ていた。

「どんな薬品だって動物実験をするものよ。臨床試験では人間だって使うわ。あなたは成功ということになっているみたい。稼働時間の短さについては、今後の課題かしらね」

「そんな……馬鹿なことが……お父様が、人体実験を……」

 うつろな目で否定を続けるレジナに、セセリが追い打ちをかけた。

「ねえ、レジナ。どうして私が、あなたの能力解放について知っていると思う? ああ、答える気力もないだろうから教えてあげる。私、あなたのカルテを持ってるのよ」

 セセリが、ポケットから何かのコピーを取り出し、ひらひらと見せつけた。

「ここに一つ、気になることがあるのだけれど……レジナも知らないことだろうから、教えてあげる」

「私も……知らないこと?」

「ええ、あなたも知らない。とっても大切なこと」

 にこにこと笑っているセセリ。これが良いことのわけがない。

「やめろ……やめろ、セセリさん! やめろ!」

 悠斗が止めようとするが、セセリは聞こえないかのように、データ表を読み上げ始めた。

「御津姫の娘。身体に一切の問題無し。オグマ式試験への使用を許可する。本人へは難病の治療だと説明――これ、どういう意味かしら?」

「……嘘だ……お父様は、私のために……」

 レジナはショックのあまり、すでに焦点が定まっていなかった。

 自分は難病で、その治療のために、父は力を尽くして、ASHにした、はずだった。

「やっぱり知らなかったのね。あなた、健康だったのよ。私は病気が治ったけど、あなたは病気すらしてない、本当のモルモットなのよ――私よりひどいじゃない」

「嘘だああぁぁぁぁぁぁ!」 

 屋上に、レジナの絶叫がこだまする。

「う、嘘だっ! 私は病気でお父様はそれを治すためにオグマ式を頑張って研究してっ!」

「本当の名前、覚えてないでしょう? それはそうよ。最初から名前、ついてないんだもの」

「ち、ちがっ……私はお父様にもらったレジナという名前がふさわしいからでっ……」

「娘をコードネームで呼び、オグマ式の実験台にささげる――素敵なお父様ね」

「やめろセセリさん! もういいだろう! やめろよ! やめてくれ!」

 悠斗が、たまらずにセセリを止めると、セセリは肩をすくめて話をやめた。

 しかし、もう遅かった。レジナは壊れた人形にように地面に座り込んでいる。

 父を愛し抜くためにやってきたこの場所で、彼女は父の裏切りを知ってしまった。

 斑鳩はレジナのことを、少しも、まったく、愛してなどいなかった。

「セセリさん……レジナの踏み台にされたから……復讐がしたかったのか?」

 涙すら流せないほどに傷付いたレジナを見ながら、悠斗が苦しそうに言う。

 しかし、セセリは首を横に振った。

「本来の目的は……失敗したわ。東儀の研究所から、バレットまで持ってきたのに」

「バレットは東儀のASHだったのか……でも、そこまでする目的って……」

 セセリが悠斗を指差した。

「目的は――あなたよ、悠斗さん。あなたのためにバレットを使ったの」

「俺が……目的? セセリさんは……俺を殺そうとしたのか? 目的が果たせなかったというのは、俺が死ななかったことを……言っているのか?」

 以前、悠斗はバレットに殺されかけた。そこをレジナに助けられた。

「違うわ。バレットには、あなたに致命傷を与えなさい。ただし、絶対に殺してはいけないと命令したの。だから、あなたが死ななかったのは失敗でも何でもないわ」

「じゃあ……何だって言うんだよ……」

「私はプロトレジナ。本来なら、私がやるべきことを、そこの女にやられたの。あなたに私の血を飲ませて、子供にするつもりだった――ずっと、側にいてもらうために」

「嘘……だろ……? そんなことのために……」

 手元に置きたいから、殺す寸前まで傷つけて血を飲ませて支配する。

 セセリが自分のことを好きだというのは知っていたが、そこまでするのか。

「そんなことをして……俺を手に入れて……それで、いいのか?」

「悠斗さんが私の告白を受けてくれれば、ASHだと言うつもりだった。愛してくれるなら、理解してくれるかもしれないでしょう? でも、断られた――原因は、東儀のASH」

 もし、悠斗の両親を襲ったASHが東儀と関係なければ、セセリの告白を――。

「もう、普通には受け入れてもらえないと覚悟したわ。だから方法を変えたの。死にかけたあなたを助けるために、仕方なくASHにしたという筋書き。そうすれば、あなたは私に感謝をするし、身体も離れられなくなる。どう? 完璧でしょう?」

 セセリがにこりと笑う。幼いころとは違う笑顔だった。たまらなく嫌な笑顔だった。

「でもね。まさか、同じ方法でレジナに奪われるとは思っていなかった。八課の存在を知らなかったのが誤算だわ――どうして、あの人は――」

 セセリは笑顔から一転、恐ろしい表情で何かに恨み言を吐いた。悠斗は、何にたいして怒っているのかわからなかったが、とにかくセセリの執念に恐怖した。

「ま……今となっては失敗した計画ですから。それよりも、次の話をしましょう」

 セセリは、給水塔の影から何かを引っ張り出してきた。

 それは見覚えのあるもので、そこに乗っている人も、悠斗がよく知っている人で。

「美悠! 美悠! 大丈夫か美悠!」

 悠斗が探して求めていたもの、悠斗がASHとなってでも守りたかったもの。

 美悠は目隠しと猿ぐつわをされており、悠斗の呼びかけに応えることはできなかった。

「大丈夫。まだ何もしていないわ。ほら、美悠さん。お兄様にご挨拶なさい」

 セセリは美悠から目隠しと猿ぐつわを外した。

「お兄ちゃん――お兄ちゃん!」

 泣きそうな声で美悠が兄を呼ぶ。車椅子を漕いで兄の元へ向かおうとしたが、セセリが押えているのでそれは叶わなかった。

「美悠! 怪我はないか! くそっ! 美悠を離せ! 離してくれ!」

 必死で互いを求め合う兄妹を見て、セセリは悲しそうな顔をした。

「あいかわらず、仲がいいのね――ねえ、美悠さん。私のこと、わかるでしょう?」

 セセリが優しく、美悠をいたわるように話しかけた。

「せ、セセリ姉……? どうしてここに? 何があったの? さっきの男の人は?」

「彼はもういないから安心なさい。ねえ美悠さん。あの男、ASHだったのよ」

「あ、あっしゅ……や、やだっ……」

 幼いころのトラウマで、美悠は人一倍、ASHのことを恐れている。

「ASH、怖いわよね――でも、私もASHなのよ? ずぅぅぅっっと前から、ね」

「ひっ! や、やだっ! こっちにこないでっっ! バケモノ!」

 美悠が両手をぶんぶんと振って、セセリを遠ざけようとする。それを見て、セセリは満足そうな表情をした。

「そうね。ASHは怖いバケモノよね――ねえ? ASHになった悠斗さん?」

「え――」

 セセリと美悠の視線が悠斗に向いた。セセリは楽しそうに、美悠は恐怖を隠せずに。

「う、嘘だよね……お兄ちゃん……? お兄ちゃんがASHなんて……嘘だよね?」

 美悠の言葉が痛かった――だが、悠斗の覚悟はできていた。

 美悠に、そしてレジナに聞こえるほどの大声で――

「美悠、俺はASHだ。ASHとして、これからもおまえを守る」

 聞こえただろうか。美悠に、そしてレジナに。決意の言葉が。

 そして、美悠は怯えながら、兄を見て言った。

「――バケモノ」

「フフっ……アハハハハッッ! 嫌われたものね! バケモノですって! アハハハッ!」

 セセリは壊れたかのように笑った。悠斗は目を伏せ、その声と美悠の視線を避けていた。

 つらい。つらすぎる。用意していた覚悟など、消し飛んでしまうぐらいに。

 それでも、悠斗は目的を果たさなければならない。美悠を助ける。絶対に。

「――満足したか! 満足したなら、美悠を返してもらおうか!」

 まだくじけない悠斗を見ると、セセリは笑うのやめた。だが、まだ顔は笑っている。

「あらあら。そんなに大声を出さなくても、すぐに返して差し上げますわ」

 セセリはポケットから銃のようなものを取りだして、美悠の首筋に当てた。

「おいっ! 待て、何を――」

 悠斗はそれに気付いたが、止める間もなく、セセリはそれの引き金を引いた。

「うぁ――」

 銃声はなかった。ただ、美悠が小さなうめき声をあげただけ。

「ほら、お兄様の元へ戻りなさい」

 セセリは、「どうぞ」とばかりに、車椅子を悠斗の方へ押した。

「美悠っ!」

 悠斗は車椅子に駆け寄り、美悠の顔を覗き込む。

「お、お兄ちゃん……美悠……さっき……」

 美悠が、はぁはぁと荒い息を立てながら、か細い声で話す。

 顔は赤くなってきており、汗も出て来ている。明らかに様子がおかしい。

「美悠! しっかりしろ、美悠!」

「大丈夫……だけど……ちょっと……ごめん……眠いや……あとで……」

 美悠は意識を失った。呼吸は荒いままだ。

 悠斗は黙って車椅子をレジナの近くへ運び、「頼む」とだけ言うと、セセリに向き合った。

「――美悠に何をした! セセリ!」

 悠斗が怒りをセセリにぶつけると――セセリはなぜか嬉しそうな顔をした。

「大丈夫ですよ。美悠さんは足が悪いですから、それを治すために注射をしただけです。これで美悠さんは生まれ変わります――バレットにね」

「バレット――だと――?」

「バレットの遺伝子プログラムは簡単なんです。捨て駒を長生きさせる必要はありませんから。人も選びませんしね。バレットプログラムを注射をすれば、それでバレットの完成です」

「そん――な――」

 ようやく出会った美悠は――バレットになろうとしている。

 短い命を、戦うためだけに使うASH――バレットに。

 絶望する悠斗を見て、セセリは嬉しそうに語りかけた。

「でも、安心してください。ここにバレットキャンセラーというものがあります。美悠さんが完全にバレットとなる前にこれを打ち込めば、ASH化は防げます」

 悠斗はセセリのかかげる注射器を見つめると、目に涙を浮かべて懇願した。

「お願いだ。美悠は何も悪くない――俺ならどうなってもいいから、美悠だけは――」

 すべてが、自分の思うとおりに進んでいる。セセリは、楽しくてしょうがなかった。

「本当、本当におかしい! こんなに上手くいくなんて! 私の要求はそのとおり、あなたが欲しいんです、悠斗さん! あなたが私のものになれば、美悠さんは助けてあげます!」

「なるよ! なるから! ずっと、セセリさんの側にいるから!」

「いい返事です――ですが、口だけでは。それが本心か、証明してください」

「ああ、なんでもする!」

「なら、私が一番憎むべき人間――人間ではなくASHですが。彼女を殺してください」

「彼女って――それは――」

 セセリは、いまだショックで座り込んでいる、レジナを指差した。

「私は彼女の実験台にされ、悠斗さんも奪われた。その憎いレジナを殺してください」

「レジナを――殺せというのか――俺に――」

「はい、殺してください。ああ、悠斗さんにレジナの血が必要だということはわかっています。だから、レジナの血は持っていきます。培養に成功すれば、悠斗さんは助かりますから――培養ができなかったら死にますが、私のものになってから死ぬのなら、まあいいでしょう」

 セセリは悠斗の生死にも、さしたる興味はないようだった。彼女は、ただ悠斗の気持ちが欲しいだけ。身体は、どうでもいいのだろう。

「早くした方がいいですよ。言い忘れていましたが、完成体にキャンセラーを打っても遺伝子が崩壊して死ぬだけです――そこの男みたいに。美悠さんにも、時間はありませんよ」

 そこの男。かたわらに倒れている、バレットの死体のこと。

「力を使いすぎて限界だったので、キャンセラーで楽にしてあげました。本当に安らかな顔で眠りましたよ。ASHにとっては、死が救いになるのかもしれません。そう考えれば、レジナを殺すのも楽でしょう? 今も、自分の生まれを悲しんでいるようですし」

 そう言われたレジナは、もはや恨み言を呟く気力もなく黙り込んでいる。

「死が救いだなんて、安っぽいこというんだな」

「さすが、ASHとなってまで生き残った悠斗さんは、言うことが違いますね。ま、そんなことはどうでもいいんです。あなたが、レジナを殺してくれさえすれば」

「――そうかよ」

 悠斗は、レジナの元へ歩み寄った。座り込むレジナを見下ろす格好になる。

 レジナは顔を上げず、目の前に立つ悠斗に語りかけた。

「話は聞いていた――殺せ」

「レジナは、それでいいのか?」

「――もう、いいんだ。自分がこんなに穢れた存在だとは思っていなかった。もう、お父様を愛することなんてできない。悠斗、すまない。私は弱い。おまえとの約束は守れない」

 レジナは悠斗に目を合わせることなく、ぶつぶつと呟いた。

「もう、疲れちゃったか」

「ああ、疲れたよ――もう、悩んでも何も手に入らんのだ。悠斗の妹と引き替えなら、十分にお釣りがくるだろう。あの女の言うように、それは救いかもしれん――殺せ」

「――レジナ」

「どうした。さっさと殺して――痛っ!」

 悠斗はレジナの頭に、力強くゲンコツを落とした。

 レジナは予想もしていなかった出来事に、きょとんとしている。

「レジナ。俺の命の恩人に、そんなことを言うもんじゃない」

「悠斗……」

「斑鳩大佐が見てなくても、俺がレジナを見てる。だから、死ぬのはちょっと待とうよ」

「――うん」

 レジナが、小さい女の子のような表情で返事をする。

 悠斗は満足そうに頷き、セセリの方へと歩いていった。

「悠斗さん、ゲンコツぐらいでは人は死にませんけれど?」

「やっぱり、駄目だ。レジナは殺せない」

「なら、美悠さんを見殺しにすると。私と美悠さんを捨ててまで、レジナを取ると?」

「――俺、セセリさんのこと、好きだったよ。色んなことがあって、恋人にはなれなかったけど、大事な人だった。口うるさいけど、たった一人の姉だった」

「……泣き落としでもするつもり?」

「違うよ。セセリさん、どうしようもないことだったかもしれない。きっかけは、あなたではないかもしれない。だけどさ――やっぱり、今のあなたは許せない――俺が、止める」

 悠斗は腰からニコラを抜き、その刃をセセリに向けた。

 それでもセセリは薄く笑顔を浮かべているだけだった。

「戦う前に、私がキャンセラーを投げ捨てたらどうするの? 人質とはそういうものよ?」

 セセリがキャンセラーをかかげる。そのまま投げれば、地上に落ちて壊れるだろう。

「そうなったら、どうするかな。美悠に真実を伝えて、一緒に考えるさ」

「答えになっていませんよ。それはただの綺麗事」

「その綺麗事が言えなくなった人間がたくさんいたから――俺達は、こうしているんだろう」

「負の連鎖を解くとでも? 愛する妹を犠牲にして?」

「もし、美悠が同じ理由で俺の命を賭けると言ったら――怒るだろうな。どうして勝手なことをしたと怒るけど――理解はする。兄の勝手な言い分だけど。だから、これで美悠が俺を恨んだら受け入れる。死ねと言われれば死んで詫びるさ」

「人の命を勝手に賭けて――と、言いたいけれど。あなた達ならやるかもしれないわね」

「玖藤兄妹は仲がいいんだよ」

「お馬鹿兄妹――そう、あなたは絶対に手に入らないのね。なら、もういいわ」

 セセリはかかげていたキャンセラーを懐にしまうと、あきらめたような表情をした。

「私を殺して悠斗さんがキャンセラーを手に入れるか、私が全員殺すか。あなたがすべてを手に入れるか、失うか――決着をつけましょう」

 余裕の表情を浮かべながら、悠斗を迎え入れるように大きく手を広げた。

「さあ、おいでなさいな。プロトレジナを侮らないことね」

 その言葉を聞いて、セセリの覚悟を見て。悠斗はかすかに残る迷いを、吹っ切った。

「――いくぞっ!」

 悠斗は全力で跳んだ。相手はレジナと同じ能力を持つと思っていい。

「うあああぁぁぁっっ!」

 紅い瞳をした悠斗が、瞬間で距離を詰め、フラメルをセセリの胸めがけて振り下ろした。

「――馬鹿ね」

 セセリは全力で向かってくる悠斗の顔を見て、笑った――昔と同じ、姉の笑顔で。

 悠斗に攻撃されても、彼女は一歩も動くことなく、両手を広げたまま。

「――っ!」

 悠斗は何とか攻撃の軌道をずらそうとしたが、その刃は、すでにセセリの胸に届いていた。

「――つかまえた」

 セセリは自分の胸にナイフを突き立てる悠斗を、優しく抱きしめた。

 悠斗はすべてを察すると、両手を震わせてナイフを落とした。

「セセリさん――どうして、かわさなかったんだ――」

「私は……プロトレジナ……レジナとは違って……持っていないものがあるの……」

「戦えないなら……何で……何で言わなかったんですか……」

 プロトレジナ――未完成のレジナであるセセリには、ある能力が欠けていた。

 それは戦闘能力。バレットすら圧倒する、あの戦闘能力が――セセリにはなかった。

「馬鹿ね……少し考えれば、わかるでしょう? なぜ、私がバレットを連れ出したと思うの? レジナほどの強さがあれば、自分であなたを襲っているわよ……」

「そんな……なら、どうして……どうして、俺に殺されるような真似を!」

「どうせなら……好きな人に殺されて、死にたいじゃない……そうすれば、悠斗さんは死ぬまで、私のことを忘れない……後悔と共に、私を覚えていてくれるわ……ふふっ、女はずるいでしょう? これからは、気をつけなさいね……」

「そんなこと……そんなことしなくても、俺がセセリさんを忘れるわけないだろう!」

「普通じゃ……嫌なの……何でもいいから……悠斗さんの特別に……なりたかった……」

「何だよ……それしかなかったのかよ……どうして、そんな……」

 悠斗の目から流れる涙を、セセリは指でぬぐい、笑った。

「悠斗さんに殺されてやろうと思ってたけど……やっぱり、やめた……泣いてくれたから、もうそれで……許してあげよう……かな……」

 セセリは悠斗を抱きしめる手を離し、その手にキャンセラーを握らせた。

「これで、美悠ちゃん……助けてあげてね……ごめんねって……伝えておいて……」

「セセリさん――何を――」

「……再生能力があるから……このままじゃ死ねないでしょう?」

 セセリはポケットから、もう一つ、同じ形の注射器を取りだした。

「私の命を奪ったのは……あなたじゃないわ……私が、自分で奪うの」

「まさか――やめろ、やめろセセリさん!」

「プロトレジナキャンセラー……念のためにね……持ってきたの……」

「やめろ! もういいだろう? 生きろよ! 生きればいいだろ!」

「私のお話は、もう終わったの――終わっていたのよ――じゃあね」

 悠斗はセセリの手から注射器を奪った――もう、中身は空だった。

 セセリはゆっくりと倒れると、そのまま眠るように、死んだ。

「どうして――どうして、こんなことになったんだよ――」

 悠斗がセセリの亡骸を抱き、語りかける――返事はない。

「悠斗――」

 レジナが、悠斗のそばに歩いてくる。

「――まずはバレットキャンセラーを。とにかく、妹を助けてからだ」

 レジナは悠斗の手からキャンセラーを取ると、すぐに美悠の首筋にそれを打ち込む。美悠は小さくうめくだけで、大きな変化はなかった。

「青秀を呼ぶぞ」

 悠斗が小さく頷くのを確認すると、レジナは青秀に電話をかけた。現在地と状況を手早く伝えた。五分と立たずに久慈、リノス、木島が、後処理用の特殊部隊を連れてやってきた。

 後処理用の部隊ならば、久慈の権限だけで動かせる。到着が早かったのは、近くで待機していたのだろう。久慈は周りに敵がいないことを確認すると、レジナに細かい話を聞き、特殊部隊にセセリやバレットの死体回収を命じた。

「リノス、レジナを連れて帰れ。しばらくは誰にも会わせるな――斑鳩大佐にもだ」

「もちろんです。さあ、行きましょう」

 リノスは久慈の言葉に力強く頷くと、レジナと共に「東愛ビル」を去ろうとした。

「待て、リノス」

 レジナは、セセリの死体があった場所に座り込んでいる悠斗の元へと行った。

「悠斗――一度、ビハイブスへ来てくれ。どんな選択をするにしても、会ってほしい」

 悠斗は立ち上がると、レジナの目を見て答えた。

「――ああ、約束する」

 レジナは「ありがとう」と言い、悠斗の頬に手を置く。少しの間見つめ合ってから、レジナはその場を去った。二人の挨拶が済んだことを確認すると、久慈が悠斗の元へやってきた。

「ご苦労だったな。細かいことはあとだ。今は、とにかく家に帰って休め」

「美悠は――美悠はどうなる?」

「レジナから聞いたが、バレット化の影響が怖い。キャンセラーの効果がどうなるかも、まだわからないしな。専門の施設で見てもらう必要がある」

「久慈課長! 玖藤美悠を搬送します!」

 特殊部隊の一人が、美悠の車椅子に手をかける。

「触るなっ!」

 悠斗が美悠を運ぼうとした隊員の腕を掴み、捻りあげた。

「くっ! 何をするASH!」

 隊員が声を荒げると、他のすべての隊員がサブマシンガンを悠斗に向ける。

 悠斗も対抗するように、ニコラを構えた。

「やめろ! 全員、銃を下ろせ! 死にたいのか!」

 殺すな、ではなく、死にたいのかという久慈の声に、隊員達が動揺する。

「馬鹿が! そんな武器でASHが殺せるなら八課はいらん! 銃を下ろせ!」

 久慈が再度命令すると、隊員達は素早く銃を下ろした。

「それから、二度と玖藤をASHと呼ぶな。それは八課や僕への侮蔑だ。わかったか!」

「はっ! 申し訳ありませんでした!」

 隊員が武器をおろし、久慈と悠斗に敬礼をして詫びる。

 それでも悠斗はニコラを構えたまま、全員に聞こえるように言った。

「美悠を実験台にするな――絶対にするな――したら、殺す。斑鳩も協力者も、全員殺す」

 悠斗が力を入れている足下のコンクリートにヒビが入り、へこんだ。どれだけの力をかければ、そんなことになるのだろうか。隊員達は久慈の言葉が嘘ではないと実感し、恐怖した。

 久慈は威嚇を続ける悠斗の隣りへ行き、力強く宣言した。

「大丈夫だ。絶対に悪いようにはしない――みんな聞け! この子は八課が保護する! 誰にも渡すな! 「アメツラボ」にもだ! 斑鳩大佐には僕が話を通す! わかったか!」

「「「はっ!」」」

 隊員達の返事を聞くと、悠斗はようやくナイフを仕舞い、美悠の前をどいた。

「ふふっ――懐かしいな。おまえは、今も昔も立派にお兄ちゃんだよ」

 久慈が、悠斗の頭をぽんぽんと叩く。

 悠斗が不思議そうな顔をしていると、久慈はショットガンを構える振りをした。

「世界初のASHによる殺人事件――その犯人を独断で射殺して、出世街道から外れた馬鹿なキャリアがいてな。そいつは公安の変な組織に飛ばされて、課長をやっているそうだ」

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