七章
七章
八課は後処理を終え、「端木ビル」から「ビハイブス」に引き上げていた。
悠斗達の身体や装備のチェックなどを行うと、日付が変わりそうな時間になっていた
任務失敗で落ち込む悠斗達に向かって、久慈は淡々と事件の感想を述べた。
「残念なことではあるが、我々はこのチャンスを掴むことが出来なかった。小言の一つでも言いたいところだが、おまえ達で駄目だったんだ。責めることもできまい」
悠斗は、小さな声で「すいません」と呟いたが、久慈は無視した。
レジナは逃がしたことがショックだったようで、顔を上げようともしない。
久慈はレジナを見下したような目で見てから、今後の予定を語った。
「とにかく三日間だ。レジナが回復するまで八課は一切の出動をしない。どんなにバレットが暴れようと、被害を出そうと無視しろ。それがつらいなら、二度と失敗をするな。以上だ」
久慈の言葉に、全員が黙って頷いた。レジナが回復する前にバレットと戦えば、八課は全滅だろう。悠斗で勝つのは難しい。ならば、三日間は死んだふりしかない。
「お嬢様。お休みになられるなら、地下の自室に行かれたほうが」
心配したリノスが声をかけると、レジナは緩慢な動作で立ち上がった。
悠斗がレジナをなぐさめようと声をかけようとして、そのときだった。
ポケットに入れていた悠斗の携帯が振動し、着信をしらせる。
「電話……美悠からか」
今日は学校を休んで、それから顔を合わせることもなく八課に来たのだ。は早く帰って美悠に弁明するつもりだったが、時刻はすでに午前零時を回っていた。
これは怒っているなと、美悠の怒鳴り声を覚悟して、悠斗は電話を取った。
「もしもし? 美悠か?」
「――」
電話の向こうからは何の返事もない。これは相当だぞと、悠斗は必死で弁明した。
「いや、遅くなってごめん。でも、今日はそろそろ帰れそうだから。明日は休みだし、良かったら待っててくれるかな? 昨日のこととか、謝りたいから――」
そこまで一気にまくしてたると、電話の向こうから、ぶふっ、と息の漏れる音がした。
「美悠? どうした?」
(――おにいちゃぁぁぁ~ん。早く帰ってきてぇ~ん。ひとりぼっちはさびちぃの~……なんてな! ぎゃははははははは!)
聞こえてきた声は、美悠ではない。どこかで聞いたことのある声、下品な笑いかた。
「――バレット! おまえ、どうして美悠の携帯を!」
悠斗がバレットの名を叫ぶと、八課のメンバーは一斉に反応した。久慈とリノスが悠斗の元へ駆け寄ってくる。無気力だったレジナでさえも、その場で悠斗の方を見ていた。
「玖藤、続けろ。状況がわかるように、相手の言ったことを復唱するんだ」
携帯を当てているのとは逆の耳に久慈がささやく。悠斗は目で了解の返事をした。
(おにいちゃ~ん、黙り込んでどうちたのぉ~? お話してくれないと、美悠さびちい~)
「やめろバレット……どうして、おまえが美悠の携帯を持っているのか、答えろ」
(そらおめー、ここにいる妹ちゃんから借りたからよ)
「美悠が……そこにいるだと?」
状況を理解した久慈が舌打ちをする。リノスはつらそうに唇を噛みしめていた。
(いるよー。変わろうか? ……ほれ、お兄ちゃんだ。助けてーって叫んでみ)
少しの空白のあと、悠斗にとって、もっとも聞き慣れた声が聞こえてきてしまった。
(お兄ちゃん? お兄ちゃんなの?)
「美悠! 大丈夫か! 怪我はしてないか! どこにいるんだ!」
(うん……怪我はしてない……場所は……わからないよ。どこかの建物なんだけど……)
美悠は、隣りにいるであろうバレットを気にしながら答える。
とりあえず元気なようで、悠斗はほっと息をついた。
「美悠――何があったか、ゆっくりでいいから話してみろ」
(うん……でも、あの……)
美悠が話してもいいものか迷っていると、電話の向こうから、バレットの「全部話しておいてー。俺が言うの面倒くさいからー」という声が聞こえた。
美悠は「わ、わかりました……」と答えて、悠斗に状況を話しはじめた。
(あの……一時間ぐらい前に、家に突然この人がきて……あっという間に目と口をふさがれちゃって……それから、車椅子ごと抱えられて、気がついたらここに……)
一時間前というと、悠斗達が「ビハイブス」で事後処理をしているころだ。
バレットは逃げたあと、すぐに美悠をさらいにいったことになる。
「家……? どうしてバレットが、家を知っている?」
そういえば、最初に悠斗が襲われたときも、バレットは「玖藤美悠」と口走った。
バレットは、どうして悠斗と美悠の関係を知っていたのだろうか?
それだけのことを調べられる、独自の情報網でも持っているのだろうか?
(ねえ……美悠、どうして誘拐されたの? お兄ちゃん、この人と知り合いなの?)
「いや……それは……」
悠斗は返答につまる。伝えることはあるが――伝えたくはないからだ。
(――やっぱり、お兄ちゃんのやってる仕事って――きゃっ!)
「美悠っ! どうした美悠っ!」
美悠は話の途中で叫び声をあげ、そのまま会話が途切れてしまった。
そして、次に聞こえてきた声は、あの憎たらしい男の声。
(そういうわけですよお兄ちゃん。場所を教えるからさっさと来い。来たら殺すけどー、来ないと妹ちゃんを殺しまーす。あ、殺す前に遊ぼっかな? 色んな格好させて、お兄ちゃんって呼ばせるのとかどう? そんなこと駄目だよぉ、お兄ちゃーんって――ギャハハハ!)
「やめろ! わかった! すぐに行くから場所を言え! 美悠には手を出すな!」
(はいはい。それじゃ、「東愛ビル」な。地図はメールで送っておくから。あ、なんかこれってデートみたいじゃね? それじゃ玖藤君、またあとでねっ。遅れたらあたし怒っ――)
悠斗が電話を切ると、すぐに美悠のアドレスから「東愛ビル」の地図が送られてきた。
久慈は画像を見ると、悠斗が携帯を閉じるのを待って話しかけた。
「事情はわかった。妹を預かってるから来いというんだな? 向こうの要求は?」
「ありません。ただ、来たら殺すと。目的は俺の命でしょう」
久慈は爪をかじりはじめた。イライラしたときの、いつもの癖だ。
「そうかもしれんが――本命は、おまえじゃなくてレジナかもしれん」
「レジナですか? ……まさか! 今、レジナが動けないことを知っていて?」
「かもな……だが、どっちにしても結果は変わらん。今、レジナは戦えない」
「なら、俺一人でも行きます。それじゃ」
背を向けた悠斗の肩を、久慈が掴む。
「待て。八課は三日間、出動停止だと言ったはずだ。今回の被害者は一人。残念ながら、八課が無理をして動く状況ではない。七課に任せるんだ」
「――馬鹿言うなよ」
悠斗は久慈の手を払いのけ、振り向いた。
「俺は美悠のためにASHになって、八課に入ったんだ。その美悠が守れないなら、八課になんている意味がない。美悠を見殺しにするぐらいなら、それこそ死んだ方がましだ」
悠斗が久慈を睨む。怒りが限度を超えて、悠斗の目からは光が消えていた。
「それでも俺を止めようというなら、八課も敵だ。どうする? 久慈青秀」
これは課長ではなく、久慈青秀という男に対しての言葉だというアピール。
だが久慈は、「ま、そうなるだろうな」と平然と言った。
「緊急案件としてもいい。だがな玖藤、それでも僕は君を止める。やはり勝算がない」
「だから、勝てなくても俺は――」
悠斗の熱っぽい言葉を、うざったいとでも言いたげに、久慈は手で制した。
「レジナは戦えない。なら、他の戦力を追加しようじゃないか。全員、地下へ来い。斑鳩大佐を呼び出して、緊急ブリーフィングだ。特殊部隊を動かしてもらう」
「そんなこと……出来るんですか?」
「わからん。だが、それなりの戦力にはなるだろう。ASHにも火器は通じるんだ」
「あ、ありがとうございます!」
悠斗は明るい声で礼を言ったが、久慈の表情は厳しかった。
「却下だ」
モニターに映る斑鳩大佐が、簡潔に結論を述べた。
「民間人一人のために部隊は動かせん。再度の活動はレジナが回復してからだ」
「大佐、玖藤は妹のために八課に入りました。妹がいなくなれば、八課に残りません」
久慈が反論するが、斑鳩大佐は表情一つ変えることなく、同じ答えを繰り返した。
「却下だ。そんな考えならば八課には必要ない」
「大佐!」
「もう、言うことはない――切るぞ」
久慈の必死の呼びかけも、斑鳩大佐には聞こえないかのようだった。
やはり一人で行くしかないと悠斗が覚悟をしたとき、斑鳩に向かって叫ぶ声があった。
「お待ちください! お父様!」
レジナだった。美悠がさらわれたことがわかっても、口を開くことなく意気消沈していたレジナが、必死の表情で父を呼び止めた。
斑鳩は眉をピクリと動かすと、通信を切らずにレジナの言葉に耳をかたむけた。
「どうしたレジナ。言ってみろ」
レジナはモニターの前に歩み出ると、熱っぽく語り始めた。
「私は――私はお父様のために戦っています! もしもお父様に何かあれば、すべてを放り投げてお父様の元へと駆け付けるでしょう! 悠斗にとっての妹は、私にとってのお父様と同じなのです! 妹を守ることが、ASHとして生きる理由なのです! だから、どうか悠斗を助けてください! 戦えない私の代わりに、悠斗に力を貸してください!」
「レジナ……」
まさか、レジナがそこまで考えてくれるとは。そして、ここまで感情をあらわにして、父である斑鳩に助けをうったえるとは。悠斗も、そして久慈やリノスも思っていなかった。
「――レジナ、おまえがそんな愚かだったとは。父はおまえを見損なった」
これが助けを求める娘に対しての、父からの答えだった。
「私がおまえに期待しているのは、オグマ式を守ることだ、私や玖藤を守ることではない」
「おとう――さま――どうか、どうか――」
「答えは変わらん。却下だ。次は、そうならないように上手くやるといい」
「お父様――次は――次はないのです――愛する者は一人しかいないのです――」
すがるようなレジナの姿を見ても、斑鳩の態度は変わらなかった。
「おまえが愛すべきは父ではない。オグマ式だ。オグマ式の守護者として、父はおまえを大切に思っている。軽率な真似はせず、ゆっくりと休んでから任に戻れ――以上だ」
斑鳩は通信を切った。もう、モニターには何も映ってはいない。
レジナは、ただモニターの前で立ち尽くしていた。久慈は爪を噛み、今にも口からもれそうな斑鳩への悪態をこらえている。ただ、リノスだけが冷静さを保ち、悠斗に話しかけた。
「悠斗様――私はお嬢様の側にいる必要があります。協力できず、申し訳ありません」
本当に申し訳なさそうに頭を下げるリノスを、悠斗は制した。
「いいって。俺のわがままだっていうことはわかってる。見送ってくれるだけで十分だ」
「玖藤。八課の長として謝ることはしない。だが、おまえを止めることもしない」
久慈が悔しそうな表情で言うと、悠斗は頭を下げた。
「ろくに力になれなくて、すいませんでした」
「僕にもっと、力があればな――たった今をもって、玖藤を八課から解任する」
「はい、ありがとうございます。あの、もう一つお願いが」
「……あまり無理は言うなよ。それで? 願いとは?」
悠斗は、モニターの前で力無くうなだれるレジナを指差した。
「レジナも八課から解任してください」
「な――」
「悠斗様! 一体なにを!」
想像もしていなかった悠斗の言葉に、久慈とリノスが動揺する。
悠斗はレジナの元へ歩み寄り、声をかけた。
「レジナ、八課を離れろ。俺と行こう」
ゆっくりと顔をあげたレジナは、ぼんやりと悠斗を見る。
「悠斗……どういうことだ? 何を考えている?」
「レジナに見せたいものがあるんだ。一緒に来て欲しい」
「見せたい……もの?」
レジナは返事をしてはいるが、それは覇気が戻ったというより、悠斗の行動への興味だ。
それで十分とばかりに、悠斗はレジナを強い眼差しで見つめる。
「俺は美悠を助けてみせる。そして自分がASHであることを伝えるつもりだ。それで美悠に嫌われたとしても後悔はしない。美悠のことを愛してるから」
レジナは意外そうな表情で悠斗を見つめた。目には少し、光が戻ってきている。
「それが……悠斗の見せたいもの、なのか?」
「そうだ。俺が美悠を助けて、恐れられて、嫌われるところを見せてやる」
「そんなことをして……悠斗は、それでいいのか?」
「それに耐えられないなら、愛してなんかいない。レジナが落ち込んでるのは、斑鳩大佐に気持ちを否定されたからじゃない。斑鳩大佐を本当に好きなのか、自信がなくなったからだ」
その言葉を聞いた瞬間、レジナは声を荒げた。
「わかったような口をきくなっ! 私のお父様への気持ちも知らないくせに!」
レジナが怒りにまかせて悠斗の胸倉を掴む。だが、悠斗はまったく動じなかった。
「なら、レジナは自分の気持ちがわかってるのかよ! このまま斑鳩大佐の望むASHになって、ASHとしてだけ愛されて満足するのか? それでいいなら迷うな、泣くな! それが嫌なら、斑鳩大佐を捨てるか、愛されないまま愛してみろよ!」
レジナは力無く悠斗から手を離した。今の言葉が、よほど堪えたらしい。
「そんなの……いや、わかってはいる……でも、何を選んでも、私は……私は……」
とうとう虚勢を張る気力すらなくなり、レジナの声に涙が混じる。
レジナは自分でも気付いていた。もう、娘として父に愛されることはないと。
「大丈夫。だから、見せてやるって言ってるんだ」
悠斗はレジナの手をとると、力強く握った。
「俺が先に傷付いてやるから。それでも大丈夫なんだって、レジナに見せてやる」
「悠斗……」
「レジナがちゃんと選んだ答えなら、何でもいいんだよ。やっぱり斑鳩大佐が好きなら、それでいい。そうしたらさ、俺と一緒に未練がましく片思いしてればいいよ」
悠斗が、そんな情けないことを笑顔で言うと、レジナは穏やかな笑みを浮かべた。
「悠斗――馬鹿な話だが、私はやっぱりお父様が大事だ」
「うん」
「だから、やっぱり信じたい。愛し続けていたい」
「ああ、いいんじゃないか」
「そう決意するために――悠斗の決意を見せてもらうために――一緒に行こう」
レジナはしっかりと顔を上げて、悠斗の手を強く握りかえした。もう、レジナに迷いや悲しみはなかった。いつもどおりの強気な眼差しが、悠斗をしっかりと見つめている。
「そういうわけだ、青秀。私は悠斗についていく」
久慈はすっかり立ち直ったレジナを見ると、眼鏡を直しながらため息をついた。
「自分の愛を肯定するために、他人の愛を肯定する――馬鹿な話だ。レジナ、君はクビだ」
「ふふっ……これで八課のASHはゼロだ。青秀、おまえは無能だな」
「どうせ僕は、無能なおちこぼれキャリアだよ。ほら、部外者どもはさっさと出てけ」
久慈が、しっしと、悠斗とレジナを追い出すような仕草をする。
レジナは小さく笑いを浮かべると、なりゆきを黙って見守っているリノスに声をかけた。
「リノス、お前も来るか?」
リノスは、いつもとは違う笑顔――自然だが、少し冷たい表情を浮かべた。
「私の出番ではないでしょう。お嬢様は弱いのですから――お気をつけて」
「言ってくれるじゃないか。戻ったらお仕置きだからな」
「楽しみにしております。ちなみに武器庫は開いておりますから、窃盗はご自由に」
リノスはお辞儀をして、レジナを送り出した。
レジナは小さく、「ありがとう」と呟き、悠斗と一緒に通信室を出る。
途中、レジナは武器庫に寄った。出てきても銃は持っていなかったが。
準備を終えた二人は、「ビハイブス」の出口前で立ち止まる。木島が立っていた。
「これ、東愛ビルの地図だ。近くで車出せるようにはしとく。余裕があれば連絡しろ」
「木島さん、ありがとうございます」
木島は片手をあげてそれに応えると、地下に降りていった。
「悠斗。やるからには、必ず助けるぞ」
「助けるさ。美悠と俺とレジナ――三人分の未来をな」
二人は扉を開け、バレットの待つ「東愛ビル」へと向かった。
「止めなくてよかったのか?」
「お嬢様が独り立ちなさろうとしています。ならば、無事に戻るよう祈るだけです」
「リノスや僕が祈っても、神様は聞いてくれないだろう」
「神様じゃなくても、助けてくれる何か――何かに祈るんです」