五章
五章
「応援呼びましょう! もう警察でもいい! あいつら、AKまで持ってやがる!」
弾の切れた拳銃を持った男の泣き言は、絶え間ない銃声にかき消された。
街中でライフルを使った銃撃戦など、一昔前には考えられなかったことだが、今の嘉神町では十分に起きることだった。
それは突然の中華マフィアによる襲撃で、襲われたのは平田興業だった。
中華マフィアは、何人もの仲間がASHに殺されていた。そして、ビジネスパートナーである蔵鷹組の構成員も。だが彼等は、もう一つのビジネスパートナーであり、蔵鷹組の傘下である組織、平田興業だけが無傷であることを知った。そこで平田興業の人間を捕えて拷問にかけ、平田興業がASHを雇ったという事実を掴んだのだ。
中華マフィアは、舐められたらおしまいだと息巻いて実力行使に出た。
彼等は中国製のAK47まで持ち出して容赦の無い攻撃を続ける。これは警告などという生ぬるいものではなく、完全に制裁だった。対する平田興業は、拳銃しか持っていない。
あっという間に勝負は決まり、中華マフィアは平田を包囲した。
これでまた、嘉神町の勢力図が少しだけ変わる――はずだった。
「おいおーい、もっとバンバン撃たないとつまんねーだろうよ」
突然、彼等の背後、部屋の入口から少年の声が聞こえた。
「何だ、おまえは!」
中華マフィア達が振り返り、少年に銃を向ける。その気になれば、あっという間に少年を蜂の巣にできる状態――だというのに、少年は余裕の表情を浮かべていた。
「日本語、お上手だね」
次の瞬間、少年が動き――中華マフィア達は、反射的に引き金をひく。
拳銃から、ライフルから、ショットガンから、無数の弾丸が飛び出す。
そして、そこには蜂の巣となった死体が生まれた――ただし、中華マフィア達の。
少年は両手で二丁の拳銃をかまえていた。途中、死体が持っていたものを拾ったのだ。
弾のなくなった拳銃をポケットにしまうと、死体の山を見て笑った。
「ギャハッ! 弾丸に弾丸が当たるわけねーだろ! ヘタクソ!」
ひとしきり笑うと、少年は唖然とした表情で座り込む平田を見つけ、彼に話しかけた。
「よ、オッサン。無事か?」
平田は見知らぬ少年にオッサンと呼ばれても、にやにやと笑うだけだった。
普通の少年だったら半殺しにしているが、平田はこの少年の正体に察しがついていた。
「あ、あんた……ASHだろ? 殺し屋のASH……だろ?」
少年はにやりと笑ったあと、わざとらしく表情を引き締めた。
「そうだ。俺が殺し屋バレットだ――なーんてな! ギャハッ!」
バレットと名乗った少年は、つばを飛ばしながら下品に笑った。
「蔵鷹組のクソどもも殺してやったんだから感謝しろよ? オッサン、あいつらうざいと思ってただろ? クソ弱かったし。あ、金は持ってたけど。邪魔なやつらがいなくなったんだからよ、ここらで気張って天下取ってくれよ? お?」
平田は蔵鷹組の人間を殺してくれとは言ってない。ウェイの指示だ。平田は言い返したかったが、この状況でバレット相手にやることではない。
「そ、そうだな……ただ、部下は今のでやられちまったから、しばらく動けねえけど」
「んー、そっかそっか。そりゃ大変だ」
バレットは平田の返事を興味なさそうに聞き流し、きょろきょろと辺りを見回した。
「まさか、あんたが助けにきてくれるとはな。事情はわからんが助かった。ありがとうよ」
「そーそー。助けてもらったら、ありがとうを言わないとねー。年下相手でも頭は下げられるのは偉いねー。オッサンは器がおっきいなー。ボスの器ってやつ? やっぱ天下取れるわー」
周辺の死体から金や使えそうな武器をあさりつつ、バレットが気のない返事をする。それでも平田は、バレットのご機嫌を取ろうと必死だった。
「本当に感謝してるよ。これで、中国人も蔵鷹組も怖くねえ。あんた、これからも守ってくれないかな? 金は払うからさ。まだ、他にも敵はいるんだよ」
その言葉で、それまで平田を見ようともしなかったバレットが振り返った。
「――なあ、オッサン。朝、小鳥がチュンチュン騒いでるの聞いたことあるだろ? あれってさ、縄張り争いしてるんだってよ。知ってた?」
「あ? ああ……そうなのか。知らなかったな」
突然、妙な話を振られて平田はとまどったが、とりあえず話を合わせてみる。
「だよなー、知らないよなー。どっちが勝っても関係ねえしさ」
バレットは近くにあった中国人の死体から、ショットガンを取り上げた。
「ま、なんだろうとうるさいからさ、全部追っ払っちまうに限るよな――バン! って」
ショットガンを平田に向け、撃つ仕草をした。平田は渇いた笑いを浮かべる。
「そ、そうだな……はは……あの、ところで、警察がきちまうから逃げてえんだが――」
バレットは「ああ、そっか」とうなずく。そして、ショットガンを平田に向けた。
「警察、きちゃうか。じゃ、早く片付けないとな――バン! って」
ショットガンから飛び出した弾が、平田の体を穴だらけにする。口で言うのと同時に、平田へ向けていたショットガンを本当に撃ったのだ。
「あ、ごっめーん。本当に撃っちゃった。許してくれるカナ? ……ふんふん、そっかそっか。許してくれるのか。さすが、オッサンは器がおっきいねー……ギャハハハ!」
平田の死体を相手にした寸劇が、よほど面白かったのか、しばらく笑い続けた。
ひとしきり笑って満足すると、ショットガンの銃口で平田の死体をつついて遊びだした。
「あーのーな。どっちが勝とうが俺には関係ないんだよ、小鳥ちゃん」
平田で遊ぶのに飽きると、バレットは死体あさりに戻る。自分のポケットやベルトに金やカード、そして銃を詰め込んでいると彼の携帯が鳴った。面倒くさそうに携帯のディスプレイを見ると、そこには「ジジイ」という表示。
数日前から何度も着信はあったが、面倒なので無視していた。しかし、今のバレットは大変に機嫌が良かったので、鼻歌を歌いながら電話に出た。
「はーい、バレットでーす。ジジイ、まだ起きてたの? てか生きてたの?」
(バレット。おまえ、何をしている。なぜ、平田興業を襲った)
「あ? ……すげえな、よくわかったじゃん。さすがに情報網だけはすげえよ、ジジイ」
(なぜ、襲ったのだと聞いている)
「だってよクソジジイはさー、敵が全員死ねばいいと思ってるんだろ? だから、代わりにやってやったんだよ。俺って優しいからさー。ジジイにも優しいんだよー」
(違う。彼等を対立させることが目的だった。それにより、他の勢力も巻き込むことができる。そこに隙ができるからな。だが、その計画も終わりだ。全員死んで、対立などあるものか。空いたスペースを取られて終わりだ。わしらにそんな目立つことはできん)
「そーですかー、ごめんなさーい。ジジイが次の相手言わねえから、暇だったんでーす」
(暇つぶしで平田興業も殺したのか……まあ、いい。おまえの言うとおりに、敵が減ったことは間違いない。報酬は払おう)
「おいおい! ずいぶんと話がわかるじゃねえか! 俺は感動したぜ?」
(そうか、それはよかった。では、報酬の受け渡し場所を伝えよう。ついでに、その報酬を持ってきた人物は殺していい――というか、殺せ。その報酬も込みで渡そう)
バレットは、にやりと笑ってウェイの言う場所と日時を頭に刻み込んだ。
「お兄ちゃん、電話鳴ってる」
朝、学校へ行く準備をしていると、美悠が悠斗の携帯を指さした。
振動する携帯には「課長」と表示されていた。久慈のことだ。その表示名を見た瞬間、緊張したが、美悠の手前、平静を装った。
「ん、ありがとう――」
「クラスの女子じゃないのー? この前の人とかぁー」
「んなわけないだろ。仕事の上司だよ」
ブツブツと文句を言う美悠をなだめ、悠斗は通話ボタンを押した。
「もしもし」
(玖藤だな? 僕だ)
すでに聞き慣れた声だが、電話をかけてくるのは初めてだった。
「久慈さん……? どうしたんですか、こんな朝早くから」
(バレットが動いた。ウェイの言っていた、中華マフィアも平田興業も全滅だ)
「え……それって、まだウェイが何かしてるとか?」
(いや、ウェイは電話で違うと言ってきた。僕はこれから、直接ウェイと会ってくる。いつでもこちらに来られるようにしておけ。それだけだ)
「ちょ、ちょっと! 俺、これから学校に――」
(八課が最優先だと最初に言っただろう。じゃあな)
久慈は一方的に電話を切ってしまった。いつもどおりの一方的な会話だ。
ため息を吐いて携帯をしまう悠斗を、美悠はいぶかしげな視線で見ていた。
「お兄ちゃん、誰から?」
「ああ……バイト先から。忙しくなりそうだから、今日は早めに来てくれって」
悠斗はごまかしながら、美悠を車椅子に座らせるために抱きかかえた。すると、美悠は悠斗の首筋に、ぎゅっとしがみついてくる。
「セセリ姉も学校来ないし。お兄ちゃんまで変なことになったら……美悠、嫌だからね」
「美悠……」
悠斗は美悠の背中をぽんぽんと叩きながら、あやすように言う。
「俺だって、美悠と離れるのは嫌だよ。だから、変なことはしない。仕事は忙しいかもしれないけど、それだけだ。変な心配するな――さ、学校に行こう」
悠斗は美悠を車椅子に座らせる。美悠はそれ以上、何も言わなかった。
嘉神町の、とある高級台湾料理店で、久慈はウェイとテーブルを囲んでいた。
台湾料理の高級店はめずらしい。この店はウェイの意地のようなものだった。
大きなテーブルの上に料理が並んでいるが、どれにも手はつけられていなかった。
「久慈、台湾料理は嫌いか? 遠慮をされては、もてなす側として心苦しい」
「話が終わったら、ご馳走になろう――それよりもバレットの襲撃、どういうことだ?」
ウェイはお茶を一口飲むと、めずらしく神妙な表情をした。
「電話でも伝えたが、襲撃はバレットの独断だ。私は抗争を広げようと考えていただけで、敵が消えれば良いとは考えていなかった。当面の敵が消えても、新たな敵が出てくるだけだ」
「混乱が続けば隙が生まれる。そこに、つけいる隙があると」
争いが続けば、人や金が動く。それが大きければ大きいほどに。ウェイはその動きを上手く利用して自らの力を強めようとしており、久慈もそれを理解していた。
「そうだ。安定は弱者にとっては苦痛でしかない。それを求めるのは、今の強者だけだ」
「立場上、聞き捨てならない言葉だが、言いたいことはわかった。バレットの独断だということは認めよう――ジョーカー、捨てるタイミングを間違えたか?」
「あれは、ただ捨てるのではなく、破く必要がある――それは、君達にお願いしよう」
ウェイは、一枚のメモ用紙を久慈に差し出した。
「明日の夜十時、バレットはこの廃ビルに来る。注意しろ、殺しにくるぞ」
久慈はメモに目を通すと、ポケットにしまった。
ウェイがバレットを呼び出した場所は、嘉神町の外れにある廃ビルで、久慈も知っている場所だった。ここならば悠斗やレジナが少しぐらい暴れても大丈夫だろう。
「わかった。バレットは、八課が必ず始末してみせよう」
「頼んだぞ――さて、少し冷めてしまったが昼食にしようか」
話が終わり、せっせと料理を取り分けるウェイを見て、久慈は呆れた表情をした。
「なあ、ウェイ。僕達は一緒にランチを取るような仲だったか?」
「私達には敵も味方もないだろう。ただ、因縁があるだけだ」
「因縁も縁のうち、か」
ウェイは綺麗に料理を取り分けると、それを久慈に渡した。
「そういうことだ。そして、私は八課と縁を深めておいて損はないと思っている」
久慈はその皿を素直に受け取ると、苦笑しながら言った。
「敵になっても、味方になっても――な」
放課後、悠斗は携帯を見て、メールも着信もないことを確認した。
授業中も携帯を気にしながら過ごしていたが、結局、鳴ることはなかった。
悠斗は帰宅したあと、いつもの服に着替えて「ビハイブス」へ向かった。
店内には、他の三人がすでに待機している。
いつもどおりカウンター席に座っていた久慈は、悠斗が来たのを見ると、全員を側に集めて状況の説明をはじめた。
「平田興業への襲撃だが、犯人はバレットで間違いない。そして、バレットの独断だ」
「ウェイが指示を出したわけではないのだな?」
わざわざ確認をしたのはレジナ。彼女は人一倍、ウェイを嫌っているようだった。
「ウェイに会ってきたが、僕はウェイの言い分を信じることにした。襲撃したところでウェイは得をしない。あれは利害が絡んでいる分には信用できる。それに――」
久慈はポケットから一枚のメモ用紙を取りだして、カウンターに置いた。
「バレットの呼び出しにも成功したそうだ。信じるしかあるまい」
全員が久慈の置いたメモを覗き込む。そこには待ち合わせ時刻と場所が書いてあった。
待ち合わせの場所は、「端木ビル」といって、二年前から取り壊し予定のまま、放置されている雑居ビルだった。時刻は、明日の午後十時。
「みんな、覚えたな? リノス、このメモ用紙は処分してくれ」
久慈がメモをリノスに手渡すと、リノスは灰皿の上でそれを燃やしてしまう。
「さあ、ここからは簡単な話だ。レジナと玖藤は待ち合わせ場所にいって、バレットを倒してこい。捕まえられればベストだが、無理はするな。殺してかまわん」
「殺せって、そんな簡単に言われても……」
さらりと殺害を許可する久慈に悠斗はとまどった。当然のことだ。
「玖藤、何が問題だ。任務の難易度か? それとも倫理の方か?」
「両方ですよ――いえ、わかってます。ちょっとごねただけです。やります」
「そうだな。誰かがやるべきことなら、できる者がやるべきだ――とはいえ、おまえの出番はないかもしれん」
「え? どういうことですか?」
久慈は、緊張感なくリノスからコーヒーを受け取っているレジナを親指で示した。
「これが強いからな。滅茶苦茶に強い。ASHの中でも規格外だ」
強いのは平田興業への聞き込みで知ってはいたが、まさか規格外レベルだとは。
「あの、そんなに強いんですか?」
「そんなにだ。格闘は圧倒的、銃も無駄。並のASHでは相手にもならない――だが、レジナ一人で世界征服はできないんだ。どうしてだか、わかるか?」
悠斗は首を横に振った。久慈の説明では、どう考えても無敵の存在だ。
「わからんか――レジナ、全力ならどれくらい持ちそうだ」
レジナは久慈に話を振られてから、ゆっくりとコーヒーに口を付ける。久慈の言葉が聞こえていなかったように見えたが、一口飲むと満足したのか、ようやく答えた。
「全力なら、五分だな。充電は三日というところか」
「と、いうことだ――レジナは強いが、全力を出すと五分しか動けない。そして次に全力で戦えるのは三日後だ。強いが、大変に燃費が悪い」
「五分動いて――三日の充電!?」
あまりの燃費の悪さに声をあげる悠斗。レジナは、むっとした表情で反論した。
「私が全力で動くには、「レジナ・セル」という、私だけが持つ、特別な血液細胞を動かす必要がある。だが、全力だとその細胞が持たず、段々と破壊されていくのだ」
「その、「レジナ・セル」が壊れるまでの時間が、五分ってこと?」
「そうだ。ある程度、「レジナ・セル」が壊れると、全力の動きを維持できなくなる。その時間が五分だ。「レジナ・セル」は私の体内で作られるが、元にの数に戻るまで、三日はかかる。ただ、その五分で大抵のASHは倒せるのだ。馬鹿にされる覚えはないぞ」
「い、いや……馬鹿にはしてないけど……ちなみに充電してる間って、動けないの?」
「む……動けるが……並みのASHと同程度か……少し、下ぐらいの力しか出ないな……」
レジナは悔しそうな表情で言うが、並みのASHならば上等ではないだろうか。
しかし、これでようやく、悠斗は自分の役目を理解した。
「じゃあ、レジナが力を使い果たしたときの控えが、俺なんですね」
レジナが戦闘中に動けなくなったら。または休んでいる間に襲われたら、悠斗はレジナを守るなり、抱えて逃げるなりすればいい。
久慈は悠斗の言葉を聞くと、「間違いではないんだが」と前置きしてから付け加えた。
「きつい案件なら、二人同時の投入が理想だな。戦力の逐次投入になるのは避けたい。それに簡単な案件ならば玖藤に任せたい。緊急事態のためにレジナを温存できるからな」
久慈が言っているのは、ようするに「悠斗はフル稼働」ということだ。
「い、いや……あの、そういえば、俺の体内にも「レジナ・セル」があるんですよね? そうしたら、俺だって全力で動くのはやばいんじゃ……」
悠斗は身体を維持するためにレジナの血を飲み、「レジナ・セル」を補給している。それが切れると、悠斗は理性を失ってしまうのではなかったか。
そこまで考えたところで、悠斗は自ら解決法に気がついた。
「あ――使った分、レジナから血をもらえばいいのか」
誰に言うでもない悠斗の言葉に、リノスは「正解です」と答えて説明をはじめた。
「悠斗様は基本的な能力が高いのです。普通の状態で、大抵のASHよりも、充電中のお嬢様よりも強い。そして普通に戦っている分には、ほとんど「レジナ・セル」を消費しません」
「短期決戦型のレジナと、長期稼働型の玖藤というわけだな」
久慈がリノスの説明に捕捉を加える。リノスは頷き、話を続けた。
「そのままでも強いのですが、悠斗様も「レジナ・セル」を使うことはできます」
「使う? 「レジナ・セル」を?」
「はい。お嬢様と同じで、全力を出すということですね。「レジナ・セル」を消費して力を解放すれば、さらに強い能力を発揮できるはずです」
「さらに強い能力って……そう言われてもな……」
ただでさえ、悠斗は自分のASHとしての能力をよく知らない。それなのに、さらに強い能力があるというのだ。それに、「レジナ・セル」の消費とは、どうすればいいのだろうか。
「悠斗様の遺伝子配列の中に、不明な配列がありました。恐らく、そこが力の解放に関わる箇所だと思われるのですが――何でしょうね。楽しみですね」
リノスは、にっこりと笑って言うが、悠斗にしてみたら冗談ではない。
「ぶっつけ本番でわからない能力を試せって? 勘弁してくれよ……」
「お嬢様。悠斗様になにかアドバイスを」
リノスに話を振られたレジナは、空を見つめて何かを考える。
「私は研究所で訓練をしたが――身体というか、血が熱くなるんだ、不思議なものでな」
「熱く?」
悠斗には、さっぱりわからない感覚だった。
「研究員達は、「レジナ・セル」が反応しているのだと言っていた。人間の身体は危機を察すると、普段は使わない力を発揮して危機を脱しようとする。火事場のなんとやらだな。私達の場合には、「レジナ・セル」を使うことが、それに当たるのだろう」
「えっと……つまり?」
「悠斗がわからなくても、身体が方法を知っているから――死にかければわかる」
それを聞いた瞬間、リノスが棚の奥から何かを取りだしてカウンターに並べた。
ブラスナックル、ブラックジャック、バール、レンチ――その他、各種の鈍器達。
「さて!」
「さて、じゃなくて。リノスさん、片付けて?」
「そうですか? 簡単には死なないんですから大丈夫ですよ。死ぬほど痛いだけで」
「お、俺は実戦で実力を出すタイプなんで! 死ぬほど痛いと、きっと死にますし!」
リノスが残念そうに「死なないのに」と呟きながら、数々の鈍器(使用感あり)を片付けると、久慈は二人のやり取りを見て、「馬鹿が」と吐き捨てた。
「玖藤、僕は未知の能力を計算に入れるほど馬鹿じゃない。おまえに期待してるのは超身体能力と超再生能力。そして、それを長時間運用してもらうことだけだ」
「そ、そうですか。頑張ります」
「それも出たとこ勝負だけどな……とりあえず、死なずに帰ってこい」
「もちろん、そのつもりです」
悠斗にはASHの戦闘というものがわからない。そもそも、自分がどのぐらい戦えるのかもわからない。超再生能力だけは体験済みなので理解しているが。
だから、とにかく実戦を経験して生き残ることを考えていた――もちろん、臆病もある。
久慈はそれを知ってか知らずか、「それでいい」と答え、これからについて話した。
「明日――急な話だが、明日にはバレットと戦うことになる。玖藤とレジナは、出来る限りの準備をしておけ。リノスは二人を手伝うように」
リノスは「了解です」と、姿勢を正して答えた。
「なお、これから明日の午後十時までは、バレットより悪質でない限り、どんな事件が起きても八課は出動しない。全員、勝手に暴れたりせず体力を温存するように。解散」
久慈は全員が頷いたのを見ると、地下へと降りていった。
悠斗はリノスと顔を見合わせ、気合いを入れる。
「よし――準備するか!」
「頑張りましょう、悠斗様。後悔のないよう、できるだけのことを」
「ま、頑張れ」
レジナだけはいつもどおりのテンションで、定位置のソファーへ戻り、寝た。
「お嬢様は任務に慣れておりますから。今は鋭気を養うのが、お嬢様のお仕事です」
リノスが苦笑しながら、すかさずフォローを入れる。
「いや、いいけどさ……それで、何をしよう。地下で格闘訓練?」
「いいえ。今から悠斗様には、銃火器について学んでいただきます。相手はおそらく、銃火器を持っているでしょう。知識があれば対応もできますし、奪って使うこともできます」
「なるほど……でも、ここに銃火器なんか……」
「ありますよ。少々、お待ちください」
そういうと、リノスは地下へ降りていった。
ほんの十分ほどで、銃火器が大量に入った、大きな箱を抱えて戻ってくる。
警察装備の拳銃やショットガンに、嘉神町に溢れている、粗製トカレフの数々。
そして、サブマシンガンやAK47に、見慣れない筒のようなもの。
「ねえ……どうして、こんなに武器があるの?」
「スポンサーが斑鳩大佐ですから。そっち方面には強いんです」
悠斗はそういうことに詳しくないが、これらすべてが自衛隊装備だとは思えない。
「そういう問題じゃない気もするけど……リノスさん、これは?」
悠斗が、見慣れない筒のようなものを指差してたずねる。
「RPG7です。対戦車ロケットランチャーとしては、とても有名ですね」
「ですね、って言われても知らないですよ。戦車と戦う予定があるんですか」
「建物に打ち込めば、市街でも有効な武器です――さ、一つずつ覚えましょう」
そして、それから数時間。悠斗はリノスから、各武器の使い方、威力や装弾数、向けられたときの対処法――本当に有効な対処法があるのかはわからないが――などを教わった。
「では悠斗様。リボルバーを目の前に突きつけられたら、どうしますか?」
「じゅ、銃口に指を突っ込めば撃てなくなります」
「そうですか。では答え合わせをしましょう。指を突っ込んでください。見事に発射して悠斗様の指を木っ端微塵にしてみせます。すぐ治るでしょうから、さあどうぞ」
「ごめんなさい……」
結局、リノスの授業が終わったのは午前三時のことだった。みっちり八時間の授業だった。
「よく頑張りました。あとは身体能力と気合いでカバーしてください。次回があれば、そのときは実際の射撃訓練、分解と組み立てもやりましょう。それでは」
疲労でカウンターに突っ伏す悠斗を尻目に、リノスは銃火器を箱に詰めると、照明を消して地下へと降りていった。常夜灯である壁の間接照明だけが、悠斗を照らしていた。
「疲れた……帰らなきゃ……でも帰るのも面倒くさい……」
悠斗がうなっていると、机にくっつけている顔の横にグラスが置かれた。
「ん――?」
リノスが戻ってきたのかと思い、悠斗が顔をあげると、横にはレジナが座っていた。
「帰る前に、一息ついたらどうだ?」
レジナが置いてくれたグラスの中には、ブラッドオレンジジュースが注がれていた。
悠斗はグラスとレジナを交互に見る。
「――何か、入ってる?」
レジナは以前のできごとを思いだして笑った。
「酒も血も入っていない。安心して飲め」
「そっか。ありがとう」
悠斗はジュースに口を付けた。濃厚な甘みと酸味が口の中に広がる。
リノスの授業は休憩時間すらなかったため、何か口にすること自体が久しぶりだ。
「美味しいか?」
組んだ手の上に頬をのせたレジナが、悠斗にたずねた。彼女の顔にかかった銀色の髪が、猫のような金色の瞳が、淡い光を反射して光る。
悠斗は改めてレジナの美しさに見とれて、返事ができなかった。
「――どうした? 気に入らないなら、別のものを用意するか?」
二人きりだからか、距離が近いからか。それとも店内が暗いせいか――レジナの声に、いつもの刺々しさはなかった。ささやくような声が、悠斗の耳をくすぐる。
「いや――うん。美味しいよ。これでいい。これが良かった」
「ふふっ――なんだそれは」
レジナは喉の奥で小さく笑う。その目は、まだ悠斗を眺め続けていた。
悠斗は、雰囲気とレジナの美貌に、すっかりあてられていた。
(こんな美人が、どうしてASHになったのだろう。八課にいるのだろう)
――レジナのことが知りたい。レジナに自分のことを知ってもらいたい。
悠斗は勢いと雰囲気にまかせて、レジナにその気持ちをぶつけることにした。
「ねえ、レジナ。レジナのこと、聞いてもいい?」
不器用に。真っ直ぐに。なにしろ、そんなことをするのは初めてだったから。
どう考えても複雑な環境で育っているレジナだ。聞いたら不機嫌になるかもしれない、答えてくれないかもしれない。
だが、悠斗の心配は杞憂だった。
「私のことか――いいぞ、何が聞きたい?」
レジナは不機嫌になることもなく、悠斗の頼みを受け入れた。それが、ただの気まぐれなのか、悠斗に心を許しているからなのかは、わからない。
だが、それがどんな理由だとしても悠斗は嬉しかった。大袈裟だが、告白が成功したときというのは、このような気持ちかとも思った。
「えっと……じゃあ、どうしてASHになったか……聞いてもいいかな」
その質問を聞くと、レジナの眉がピクリと動いた。
さすがに聞いてはいけない質問だったかと、悠斗はすぐさま後悔した。
「答えたくなければ、いいんだ。そりゃ、いろいろあるだろうし」
「いや――まあ、悠斗ならいいだろう。私の子供なのだしな」
あいかわらず、レジナは悠斗のことを子供だという。少し複雑な気分だが、それで親近感を持ってくれるのならば、まあいいかと、悠斗は前向きに考えることにした。
「私は幼い頃、身体が弱くてな。十までは生きられないだろうと言われていた」
「え……レジナが? いや、変な意味じゃなくて」
「嘘はつかん――お父様は私を助けるために、研究中の技術、オグマ式を使うことにした。おかげで私は、長い時間を「アメツラボ」で過ごすことになった。だが、そのおかげで治療は成功し、私はASHとなった。そして副産物として得た能力から――レジナと名付けられた」
「レジナって……本当の名前じゃなかったんだ」
「固有のASHは、その能力などから名称が付く。本当の名前は――わからない」
「わからないって……斑鳩大佐は教えてくれないの?」
「お父様は、レジナとして生まれ変わった私を喜んでくれた。おまえはレジナに生まれ変わったのだ。強い命だからこそ与えられた「レジナ」の名こそが、おまえにふさわしい――そう言ってくれたから、私はレジナとして生きることにした。昔の名前は覚えていないから、愛着も何もない」
「それは、何というか――すごい話だな」
悠斗の素直な、しかし気の利かない感想を聞くと、レジナは鼻で笑った。
「ついでだ、それからのことも聞きたいか?」
「ああ、聞きたい」
レジナからの思わぬ申し出に、悠斗は素直に頷いた。
それからのこと、というのは、八課に入るまでのことだった。
「世間は未知の技術であるオグマ式を恐れている。それは仕方ないが、その不安を無駄に煽る要素があるんだ。それが、おまえも知っている――知らずにはいられなかった――」
「ASH犯罪、か」
レジナは「そうだ」と頷いた。
ASH犯罪――それが悠斗の両親と妹の足を奪った。
「ASH犯罪は人を、オグマ式の未来を傷つける。私はそれが悲しかった。自分の命を救ってくれた、お父様の愛するオグマ式が傷付くのが悲しかった」
レジナは熱っぽく語る。こんなにも感情をあらわにしたレジナを見るのは初めてだった。
これもすべて、自分を救ってくれた父への愛情なのだろう。
「対ASH犯罪のために、お父様は八課の創設を決めた。お父様は私に参加するか聞いてきてな。すぐに参加すると答えた。新しい命とレジナの能力があれば、きっと役に立てるから」
自分の命を救ってくれたオグマ式と、父である斑鳩。
それらが授けてくれた能力で、それらを守る――美しい話だ。
「そっか。よくわかった。うん、聞けてよかったよ。ありがとう、レジナ」
悠斗が思ったままの言葉をレジナに伝えると、珍しくレジナが照れた顔をした。
「そ、そうか……まあ、それからが大変だった。私は研究所から出たことがなかったから、世間知らずでな。この一年間、リノスや青秀には迷惑をかけた」
「一年? ああ、八課に入ってから一年か。そういや、八課っていつからあるんだ?」
「一年前だ」
「え? 八課が出来て一年で、レジナが八課に入って一年? それって……」
「そうだ。私は八課に入るまで――一年前まで、ずっと研究所にいた」
「えっ――ええっ?」
「嘉神町で初めて世間を知った。私はこの容姿で目立つし、色素が薄いせいか陽の光も苦手だから、夜の嘉神町しか知らないけどな」
レジナが経験している「世間」とは、夜の嘉神町のことをいうらしい。
「レジナ知ってる世間は、ちょっと特殊すぎるよ」
「らしいな。だが、私は自分の人生だけ過ごせばいい。特に問題はないだろう」
「まあ……それもそうか。俺も、人のことは言えないし」
悠斗だって、世間一般の学生と比べれば特殊な生活を送っているだろう。
最近はさらに特殊になった――ASHになってしまったのだから。
「さて、私が話せるのはこのぐらいだ。もう、いいか?」
「ああ、うん。レジナのことは、よくわかったと思う」
「そうか。なら、次は悠斗のことを話せ。私だけが話すのでは不公平だ」
「えっ? 俺の話? いいけど、知ってるだろ? 子供の頃、両親が襲われて――」
悠斗が自分の生い立ちを話そうとすると、レジナは「違う」と話を止めた。
「そうではない。普段の話だ。前に嘉神町で食事をしたとき、アルバイトの話をしてくれただろう? ああいう、普段の話をしろ。アルバイト以外でな」
以前、レジナと嘉神町をうろついたときに、バイトでの話はいろいろとした。嘉神町にあるいろいろな店や、人のこと。変わった客や、オカマの店長の話などだ。
「バイト以外っていうと……家とか、学校のこと?」
「そう、それだ」
「面白くないと思うけど……」
「おまえにとっては普通だろうが、私にはそれが珍しいのだ。研究所と「ビハイブス」以外での生活を知らないのだ」
「なるほど……じゃあ、何が面白いのかわからないから、適当に話すよ」
悠斗は、朝起きてから学校が終わるまでのことを、順を追ってに話すことにした。
途中、レジナがさまざまな質問をしては、答えを聞いてカルチャーショックを受けていた。
まず、リアルな学校生活を細かく知りたがった。学校についての知識はあるが、実際にどのような場所かは想像もつかなかったらしい。
学校の話を聞き終わると、「ソファーも無いのに、ずっと座っているなど無理だ。絶対に行きたくない。行かない」と、変な決心を強めていた。
また、悠斗の住まいや食生活の厳しさに、驚くというか恐怖していた。
特に悠斗が窓際でネギを栽培しているということが、信じられないようだった。
レジナにとって、悠斗の話は何もかもが新鮮で話はいつまでも続きそうだった。
しかし、そんなときだからこそ、時間の流れは速い。気がつけば、外は夜を終えて、朝を迎えようとしている。悠斗やレジナだけでなく、嘉神町全体が眠りにつく時間だ。
時計を見た悠斗は、さすがに話を切り上げようとした。
「レジナ、もうこんな時間だ。さすがに一度、帰らないと」
「ん――そうだな」
「こんな時間まで付き合わせて、ごめん」
「いや、話をねだったのは私だ。今日は話せてよかった」
「え……あ、ああ……俺も話せてよかったよ、本当に」
にこりと笑うレジナを見て、悠斗は動揺した。まさか、レジナがこんなことを言うとは。
だが、レジナの意外な発言は、それだけで終わらなかった。
「私は、こういう風に人と親しくなったことがなくてな――これが親しくなったということでいいのか? お互いのことを知って、一緒にいるというのが」
「そ、そうだね……」
これではまるで、本当に世間知らずの、普通のお嬢様ではないか。いや、お嬢様であるのは事実なのだが、普段のレジナは、普通のお嬢様と呼ぶには迫力がありすぎる。
「うん――そうか。親しくなるというのは、良いものだな。知らなかったよ」
そんなレジナの様子を見て、悠斗はリノスの言葉を思い出した。
(お嬢様は人との接し方を知らないのです。子犬のようなものです)
なるほど。これまでの高圧的な態度は、本当に接し方がわからなかっただけなのだ。
それを覚えれば、レジナにも素直なところはあった。確かにあった。
悠斗は、そんなレジナを素直に可愛いと思い、いつまでも見ていたかった――が、そういうわけにもいかない。家に帰れば、美悠の冷たい視線が待っている。
「それじゃ、レジナ。俺はそろそろ帰るよ。夜に備えて、寝ないといけないし」
これ以上、ここにいると変な気持ちになると思い、悠斗はさっさと帰ろうと背を向けた。
だが、動けなかった。レジナが袖を引っ張り、悠斗を引き留めていたからだ。
「悠斗。眠るのなら、地下にある私のベッドを一緒に使えばいい」
「え――?」
「その――嫌か?」
よし、整理しよう。今、俺は眠るために帰ると言ったのだが眠るのなら私のベッドで一緒に寝ましょうとレジナは誘っているけどそれは変な意味じゃなくてレジナは俺のことを子供だと思っているわけだし子犬は遊んだ相手と一緒に眠りたがるって聞いたことあるしようするに距離感がわからないんだレジナはこれまでは遠すぎて今は近すぎるだけだから落ち着け。
「レジナ!」
「嘘だ」
「ええっ!」
「悠斗が余裕そうなのが気に入らなかったからな。からかいたくなった」
ぽかんと口を開けている悠斗を見て、レジナは満足そうな顔をした。
「――親しくなれて良かったというのは本当だ。それじゃ、気をつけて帰れよ」
レジナは悠斗の袖から手を離すと、意地の悪い笑みを浮かべ、「帰れ」とばかりに、ひらひらと手を振った。
「え? あ、ああ……どうも……」
あれ? レジナってデレたんじゃなかったの? あの笑顔も嘘なのか? でも親しくなれたのは本当だって言ってたし――
(からかったのは、照れ隠しか?)
多分、そうなのだろうが、それを口に出せばレジナの機嫌を損ねることになる。
我ながらヘタレた考えだとは思いつつも、悠斗はレジナとの仲が前進したのは事実だと言い聞かせて、「ビハイブス」を出ようとした。
「なあ、悠斗」
外に出ようと扉に手をかけたところで、レジナに呼び止められた。
「なに?」
「一緒に寝ようと誘ったとき、何て答えようとしたんだ?」
あのまま、レジナが一緒に寝ようと言ったら。あの言葉が嘘じゃなかったら。
本当にそう答えたかはわからないが、悠斗は答えた。
「――また今度な、って」
自分で言っておいて照れた悠斗は、レジナの顔を見ずに「ビハイブス」を出ようとした。
扉を開けて外に出ようとしたとき、背後からレジナの声が聞こえた。
「――そうだな、また今度、な」
振り返るが、すでに扉はしまっている。
レジナの表情を見ることはできなかった。