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「ふう、飲んだ、飲んだ!」

「ああ、もう飲めないわ。お腹が一杯!」

 二人とも温泉水で膨らんだお腹を擦った。


「さっきまで平らだったのに、また膨らんじゃったわね」

「ああ、そうだな。おおっ、寒くなって来た。部屋に戻るか?」

「嫌よ、あの布団嫌い」

「じゃあ脱衣場の方へ行くか? ここにいたら風邪を引くぞ」

「どうせ、餓死するんだから、ここで風邪を引いてもどうって事ないわ」

「だけどな風邪は苦しいぞ、……しょうがない、俺は温泉に入る。どうせ誰も居ないんだからここで入っても良いよな」

「そうね、じゃあ私も入るわ。せめて月を眺めてから死にましょう」

 二人は脱衣場に行き、浴衣と下着を脱いで素っ裸になって戻って来て、露天風呂に入った。熟年夫婦同士、羞恥心など殆ど無い。第一異性だと思っていない。湯に浸かりながら長々と話し始めた。


「俺達は太っているから飢えには強いんじゃないか?」

「聞いたことがある。体に蓄えがあるから、こういう時には太っている方が長く持つって」

「それに温泉水がたっぷり飲めるから、餓死するまでには一ヶ月位は掛るんじゃないか?」

「えーっ! 一ヶ月も掛るの! 腹減るわねーっ!」

 早苗はがっかりした。一ヶ月も空腹に耐えられないと思った。


「でもその間に、何とか助かるんじゃないか?」

「どうして?」

「月曜日に無断欠勤するんだぜ。お前だってパートを無断欠勤する事になる。家に連絡しても無しのつぶてだ。段々大騒ぎになる。

 車で出掛けた形跡がある。俺に情報をくれた野村君がここに俺達が来た事を警察に言うだろう」

「警察に言うかしら?」

「ああ、俺はここに行く積りだって言ったしな。一週間位で警察はここに来るんじゃないのか?」

「その前に私達は殺されちゃうんじゃないの?」

「うっ! その手があったか」

「……さあ、上がるわよ。少しのぼせて来たわ」

「うん、俺も上がる」

 二人は何もする事が無く、風呂場用のイスに腰掛けて、互いの腹の出具合を鑑賞したりしていたが、

「ポン、ポン!」

 幹夫が自分の腹を叩いてみると、実に良い音がした。


「ポン、ポン!」

 次いで早苗も自分のお腹を叩いてみた。温泉水が一杯詰まった腹の鳴り具合は絶妙でなんとも良い音である。暫く叩いてみていたが、

「うう、寒い! 入ろう」

「私も!」

 寒さを感じて風呂に入った。しかし今度は直ぐ上がって、また温泉水を一杯飲んでから改めて二人一緒にフェンスの所へ行った。


「ここから横へ抜けられれば良いんだけど、高い塀があってとても無理だしな。覗き防止用といっても本当は逃げ出されない様にしてるんじゃないのか?」

「ああ、そうかも知れないわね。結局露天風呂側からは脱出出来ない様にしてあったんだ。まんまと罠にはまっちゃったのね、私達」

 どうしても逃げ出せないと悟って、二人とも暫く沈黙した。

 

「ここで腹を叩けば、麓の街に聞こえるんじゃないのか?」

 ふと思いついて幹夫が言った。

「そうねえ、でも分かってくれるかしら?」

「変な音がすると思うんじゃないのか?」

「成る程、長時間鳴っていれば、調べに来る人があるかも知れないわね」

「ああ、しかしあいつらが殺しに来るかもな」

「それは無いんじゃない?」

「何故だ?」

「さっき随分良い音をさせていたから、殺しに来るんだったら、とっくに来ているわよ」

「それもそうだな、じゃあやってみるか」

「うん!」

 こうして二人の腹鼓の合奏が始まった。


「ポン、ポン、ポポポン!」

 幹夫のリズムに、

「ポポン、ポン、ポン!」

 早苗が受ける。


「ポ、ポ、ポポン、ポ、ポ、ポポン!」

 幹夫がリズムを変えると

「ポポポッ、ポポポッ、ポポッポン!」

 早苗も変えて調子を合わせる。熟年夫婦の呼吸はピッタリ合って、なかなかの名演奏だった。中秋の名月の下で腹鼓を打つ二人は、まるで満月の夜に浮かれて出て来た古狸の夫婦が人間に化けているかの様だった。

 

 寒くなると温泉に浸かり、小用はお湯の排出口辺りでやってまた温泉水を飲む。また腹鼓を打つ。二時間近くもそうしていたがさすがに疲れて来た。

「そろそろ限界ね、嫌だけど部屋に戻りましょうか?」

 早苗は叩き続けて真っ赤になった腹を撫でながら言った。

「うん、そうだな、腹も減っているけど眠くなっちゃったよ。もう限界だ」

 二人はよろけながら脱衣場に戻り、タオルで体を拭いてから下着を着、浴衣を羽織った。足取りのおぼつかない二人は支え合う様にして部屋の前まで来た。


「あれ? おまるが無い」

 早苗は端に寄せた自分のおまるが無い事に気が付いた。

「あれ? 俺のも無いぞ」

「誰かが片付けたんじゃないの?」

「多分あの女将じゃないのか?」

「どうなのかしら? 兎に角部屋に戻ってみましょうよ」

「うん。薄氷の間、ここに間違いない」

 幹夫は名前を確かめてから襖を開けて部屋に入った。早苗も続いて入った。


「ああーっ!」

 二人一緒に驚きの声を上げた。そこは最初に来た時と家財道具などが同じ状態で、その上ちゃんと床が二つ並べて敷いてあった。敷布団も掛け布団も毛布も枕までもが揃っていた。

 二人は顔を見合わせたが、今度は掛け布団が動き出す気配は無い。余りに疲れていたので、直ぐ床に入って二人とも眠ってしまった。

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