(4)
「ええと、薄氷の間だよな」
廊下の右側にズラリと入り口が並んでいて、何番目だったか良く分からなくなったので入り口の上の方に書いてある部屋の名前を見ながら、歩いて行った。
「ああ、あったあった、ここだ。何だかちょっと違う様な気もするけどね……」
襖を開けて、中に入ってビックリした。
「あれ? 何にも無いぞ?」
確かにあった筈のテレビ等の調度品や、自分達の脱いだ服、テーブルすらも無い。部屋の奥の隅に玩具の様な物が二つ重ねてあるだけである。
「変だな?」
おかしいと思って、一旦部屋の外に出てみた。
「確かにここが薄氷の間だ。念の為に隣の部屋も調べてみようか。ここは霧氷の間。こっちは樹氷の間になっているぞ」
両隣を調べてみても部屋の名前も違うし、こっそり開けてみようとしたが全く開かなかった。
『どうなっているんだ?』
結局、元の部屋に戻ってみた。がらんとした部屋の少し奥の、何枚か重ねた紙の上に、小さな丸いパンの様な物が四つ置いてあった。
「何だこれは?」
手に取って見ると、それは正しくパンであった。その時、
「ギーッ、ガチャン!」
何かが閉まる音がした。
「な、何の音だ?」
幹夫は振り向きはしたが、それっきり音は聞こえなかったし、目の前のパンが気になっていたので、行って見はしなかった。
「敷いてある紙に何か書いてあるぞ。何々、これが今夜の夕食と明日の朝食で御座います。フランスパンはフランスコース、アンパンは日本コースで御座います、な、な、何だって!」
カッとなって、
「ば、馬鹿にしやがって。幾らダイエットの為だと言っても限度がある! も、文句をつけてやる!」
幹夫は走って廊下に出て行った。右へ行けば帳場がある。
「えっ! 何だ、塞がっているぞ! そう言えばさっきの音はこれだったんだ。ええい、畜生!」
力を込めて押したがびくともしない。防火扉の様なものらしい。
「はーっ! 駄目だ全然動かない」
諦めて部屋に戻った。紙にはまだ何か書いてあったので、それを読んでみる事にした。
「ええと、他に食事は一切御座いませんので大切にお食べ下さい。トイレは部屋の隅におまるが二つ用意してあります。紙はこれをお使い下さいって、なんじゃこりゃー!!」
幹夫は絶叫した。その後しばし呆然としている所に、
「ああーっ、いい湯だった。ちょっと狭かったけど、お月様が綺麗だったわ……」
何も知らずに早苗が帰って来た。
「あらっ? どうしたの? 何にも無いじゃない」
「こ、これが食事だそうだ」
「えっ、何これ? 小さいパンが四個あるだけじゃないの!」
早苗の目付きが険しくなった。
「ああ、フランスコースがフランスパン、日本コースがアンパンなんだってさ。今夜の分と明日の朝の分と二つずつ。食事はこれだけなんだって」
「…………」
早苗はちょっと目眩がした。フランスコースは当然フランス料理、日本コースは当然日本料理だと信じて疑わなかったのだ。
「それでね、トイレは……」
「そうそう、トイレは何処にあるの? 探したんだけど無いのよね。部屋の中にも無さそうだし」
「トイレは部屋の隅におまるが二つ用意してあるんだそうだよ、紙はこれを使えって」
幹夫はパンの下に敷いてあった紙を指差した。
「な、何それ!」
早苗が呆れて叫んだ。その時また、
「ギーッ、ガチャン!」
戸の閉まる音がした。
「ああっ!」
思わず叫び声を出して、幹夫は走って廊下に出てみた。今度は左側、露天風呂の方の防火扉が閉じていた。
「ええっ! どうなっているのこれ!」
後を追って来た早苗も叫んだ。幹夫は『完全に閉じ込められた!』そう思った。
「開けて! 開けて!」
早苗は防火扉を叩いて叫んでみたがしんと静まり返っていて、何の音もしない。二人は諦めて部屋の中に戻った。
暫く沈黙が続いた後で、
「話が上手過ぎると思ったんだよな」
幹夫ががっくり来た様子で言った。
「ねえ、これって監禁じゃないの?」
「言われて見ればそうだよな。ひょっとして俺達は罠にはまったのか?」
「きっとそうよ。今頃子供達に身代金要求の電話かなんか、行っているんじゃないのかしら? 一億円出せとか何とか」
「しかし、県外だし、子供達の事は何も話して無いぞ」
「それもそうだけど……」
「それに、俺達は金持ちじゃないし、息子達だって金持ちじゃない。普通狙わねえだろう?」
「あんたが罠だって言ったんじゃないの」
「うーん、考え過ぎなのかな?」
何が何だかさっぱり分からず、また暫く沈黙が続いた。
「あーっ、あれこれ考えたら、お腹が空いたわね。このパン食べましょうか?」
「でも、毒か何か入っているんじゃないのか?」
幹夫は冗談めかして言った。
「そうかも知れないわね。じゃあ、私が犠牲になって、全部食べてあげる」
「ま、待て。犠牲になるのは俺だけで良いだろう? 俺が全部食べてやるよ」
「私よ!」
「俺だ!」
二人は争う様にして結局フランスパンとアンパンを一個ずつ食べた。
「ああ、結構美味いじゃないか」
幹夫は舌で唇の周りに付いた僅かのあんこも舐め取って飲み込んだ。勿論早苗もそうした。何があっても食欲だけは旺盛な二人だった。
「ああ、美味しかったわね。でも明日の分まで食べちゃったのね」
「しょうが無いだろう、こんな一口で無くなる様なパンなんだから」
「そうねえ。あーあ、これだったら家に居た方がましだったわね」
「そうだよな。ああ、トイレに行きたくなった。俺は廊下の右の方でやるから、お前は左の方でやれば良いよ」
「分かったわ。つまずいたりしない様にしてね。零したら大変だから」
「お前もな」
廊下の右の防火扉の前には幹夫のおまるが、左のそれには早苗のおまるが置かれる事になった。
それから何もする事が無く部屋の中にいると眠気が差して来た。
「しょうが無いから寝るか?」
「そうしましょう」
早苗が押入れを開けて布団を取り出すと妙な事に気が付いた。
「あれ? 掛け布団が一つきりしか無いわ。毛布も何にも無い!」
「ええーっ! 何処まで俺達を苦しめれば気が済むんだ!」
二人は何とかしてここを逃げ出す方法を考え始めていた。