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「先ず、料金なんだけど、一人五千円ポッキリというのは本当かしら?」

「はい、全て込みでそのお値段にして頂いております」

「ああそう、それなら良いんだけど。……それでお宅は、ダイエット効果が売りなんですよね?」

「はい、その通りで御座います。もし一週間経っても、減量されない場合は電話一本入れて頂けば、その日に来て頂いて結構です。無料でご宿泊出来ます」

「とすると、今度の土曜日に行って、失敗なら次の土曜日にまた行っても良い訳よね」

「はい、勿論で御座います」

「ちゃんと食事も付くのよね?」

「ははは、食事無しという事は御座いません。安心しておいで下さい」

「そう、それなら良いのよ。それから……」

 早苗にしては珍しく躊躇った。


「何で御座いましょう」

「露天風呂の事なんですけどね、露天風呂はあるわよね?」

「はい、勿論御座います。二十四時間、健康に差し障りの無い程度になら、何度でも入って頂けます」

「それでその、男女は別々よね?」

「いえ、そのう……」

「一緒なの? だったら申し訳ないけどキャンセルするわよ。私そういうのって嫌いなの」

「いえいえ、当旅館には三つの露天風呂が御座いまして、混浴も御座いますが男女別々のものも御座います。手前の方から、男性用、混浴用、女性用となっております。

 元々は混浴用しかなかったのですが、お客様のご要望が御座いまして、三つに仕切らせて頂きました。仕切りはしっかりして御座いますので、覗かれたりする心配は御座いませんので、安心してお越し下さい」

「あー良かった! それで一安心だわ。それじゃあ、今度の土曜日の夕方頃に行きますので」

「はい、支度してお待ちしております。それでは失礼致します」


 予約はすっかり出来た。早苗は電話の内容を一通り幹夫に話した。

「なかなか感じの良い男の人だったわね」

「ああ、そうだな。でも良く露天風呂の混浴の事に気が付いたな」

「貴方は混浴の方が良かったんじゃないの? 若い女性の裸が見れて」

「まさか。見れるのは良いけど、見られるのがちょっと嫌なんだよね」

「ふふ、その立派なお腹じゃね」

「お前だって人の事は言えないぞ。布袋様みたいな腹をしている」

「そうなのよ、素敵な男性であればあるほど見られるのが恥ずかしいわ。だから私は混浴が大っ嫌いなのよ」

「ふーむ、珍しく意見が一致したな。当日は中秋の名月だよね。天気が良いといいね。露天風呂に浸かりながら満月を眺める。秋の夜だから涼しい風が木々の間を吹き抜けて行く。良いねえ、風情があって」

「そうよねえ。おまけにスリムになって帰って来るんですから、最高だわ。駄目ならまた行けるし、今年は良い事が余り無かったけど、どうやら運が向いて来たみたいだわね、ふふふふ」

 二人は良い事ばかりを想像していた。その気分は週末まで続いていたのである。


「いやーっ、こんな近い所にこんな良い所があるとはね、どうして今まで気が付かなかったのかなあ。噂も最近の事だしな」

「新しく出来た旅館なのかしら?」

「元々混浴だったものを直したんだろう?」

「ええ、そう言っていたわ」

「だったら、そう新しい訳ではなさそうだぞ」

「リニューアルオープン記念の特別サービスとか?」

「さあ、そこまでは聞いてないな。まあ行って見れば分かるさ」

「そうよね、ふふふ、楽しみ楽しみっ!」


 土曜日の夕刻。愛用の軽の乗用車で二人は出掛けた。三十分ほど大きな通りを走り左へ曲がってから、山道になる。

 しかし舗装がしっかりしている道路なので、ドライブは快適である。二十分ほどして少し高台に来た所からやや狭い道に入って、数分で目的地に着いた。

 家を出て五十分少々で着いた割には意外に山は深い。車を降りて見ると見通しが全く利かず、すっかり森の中に迷い込んだ様に思えた。そこに平屋の粗末な旅館があった。


「ああ、ここだ。友達から聞いた通りの場所にあった。看板に『楽珍旅館』って書いてある」

「な、何だか、薄気味悪いわね。本当に大丈夫なのかしら?」

「ははは、考え過ぎだよ。あーっ! 随分高い塀があるな。この先に露天風呂があるという訳か。それにしてもちょっと興ざめだな。まあ、これなら、絶対覗かれないだろうけどね。しかし風情が……」

「うーん、でも、考えようだわ。覗かれないという事は大事なことだもの」

「そ、そうだよな。まあ兎に角入ろうか」

「ええ」

 

 予想していたイメージとは余りに違うので、大いに戸惑ったが、少なくとも怖いお兄さんの出て来る雰囲気では無いと思って、中に入った。

 途端に二人とも思わず辺りを見回した。相当に古い建物である。掃除は行き届いている様だが全体がすっかり骨董品の様だった。


「いらっしゃいませ」

 古い建物に似つかわしい様な、旅館の名前の入ったはっぴ姿の番頭らしい男が現れて出迎えた。

「あのう予約していた相川ですが……」

「はい、お待ちしておりました、吉沢さん、お願いします」

 声からすると出迎えた中年の痩せぎすの男が電話の主に違いなかった。


「はーい、ただいま!」

 奥の方から小走りにやって来た、和服の仲居らしい三十歳位の女性が幹夫の持って来た鞄を持って、

「こちらで御座います」

 と先を歩いて行った。やや大柄なその女性はかなり力がありそうである。さほど重くは無いとはいえ、幹夫の鞄が如何にも軽そうに見えるのだ。

 玄関から廊下は右の方へほぼ真っ直ぐで、右側は壁、左側に部屋が幾つか並んでいる。その造りも何だか酷く殺風景である。


「こちらの薄氷の間で御座います」

「薄氷の間? 変わった名前ですね」

「はい、ダイエットに相応しい名前で御座いましょう?」

「はははは、そ、そうだね」

 仲居は顔立ちは可愛いが、怒ると何だか怖そうだった。


「さ、さっぱりした部屋だね」

 襖を開けて中に入ると、テレビ、冷蔵庫、電話、テーブル、座椅子、お湯の入ったポットと茶碗等、一通りの物は揃っているのだがどれもこれも古い物ばかりで、装飾品も殆ど無く、一言で言えば、みすぼらしかった。


 しかし吉沢と呼ばれた女性は慣れているのか、何の感情も無く事務的な話に入った。

「皆さん、そう仰しゃいます。それであの早速なのですが、料金の方、先払いとなっております。宜しいでしょうか?」

 先払いと聞いて、相川夫妻は顔を見合わせた。旅館でもホテルでも、ごく一部の特別な場合を除けば後払いと相場が決まっているのである。

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