輪廻
(語り部:東山誉一)
これだけの怖いお話が登場したのですから、少し変わったお話をさせて頂いても宜しいでしょうか?
いつもとは少し、毛色の違うお話です。ですが、怖い話には違いありませんので。
皆さん、ウロボロスというものを御存知ですか? そうですね、尾を飲み込む蛇と表現したら御理解頂けるでしょうか。
循環性、永続性、始原性、無限性、完全性の象徴のようなものです。自分はそこまで詳しくないので、間違っているかもしれませんが。
つまり、ループと言えば早い話ですね、自分はそう解釈しています。ああ、ですが同じループでも、メビウスの輪とは少し違うループの話です。
何が違うのかと言いますと、ウロボロスは頭と尾が存在します。メビウスの輪は迂曲した一本の輪です。ループという点では、同類のようなものかもしれませんけれど、今回は始点と終点が存在するという点で、ウロボロス的解釈をして頂いた方がいいのではないかと思っています。
はい、始点と、終点のあるループの話ですよ。自分が話したいのは。
そして、今こうして話している百物語も、ループという点では一緒ではありませんか? 始まりがあって、終わりもあります。けれどそこからまだ連鎖が始まる、恐怖の。
今こうして話している自分はこの空間、時間に点として存在しています。君達も一緒ですよ、点として存在して同じ様な「怖い話」を紡いで、線にしているではありませんか……。そうして百話を巡ったら、円になります。ですが百話を本当に語り切るかは判りません、九十九話で終了するかもしれませんから。
百話を語り終えると「何か」が起こるというのが、ここでは通説なのですね? 兎も角、今我我が行っている事は、ウロボロス的ループに通ずるものがあるのではないですか?
果たして本当にループが始まるのかという事実は、百話目になってみないと判りません。いつの間にか百物語が開始されていて、現在は自分が話しています。これだけの話を聞いていましたから、今が何話目かは忘れてしまいましたけれど。自分は途中なのか、それとも最後か……もしかしたら最初かもしれません。
……ああ、一話目は君の番でしたか? ですが、それが本当に最初の一話なのでしょうか? 一と零で表すならば、一話目に話した君が始まりです。ですが、それはあくまで数字上の話でしかないでしょう。
最終的に円になるならば、数字など関係ありませんよ。百話を話して一話に戻るのならば、もしかしたら、二十九話が始まり五十九話が終わるかもしれません。
……何が言いたいかと? 尾を飲み込む頭は何処だろうという話をしています。始点――物事のそもそもの始まりは何処でしょうか。
ループというのは、特定の条件が満たされるまで、一連の命令を繰り返す事です。これは逆を言えば、条件が満たされないと永遠にその一連の命令が繰り返される――そう言う事でしょう。
一話目から始まり、今自分の番が来ています。そして、最初に事前に発言した筈です。いつもとは違う話をさせて下さいと。これは、一種の賭け事の様なものではないでしょうか。ループを終焉に導く為に。
一体何のループかと? この百物語の事ですよ。ある特定の条件が満たされなければ、いつまでも繰り返します。ですが、今回はどうやらその条件が満たされたようですね。
幾度となく繰り返しで漸く、辿り着く事が出来ました。それを「知った」……少し語弊が招きますね。「思い出した」と言う方が相応しいでしょうか。兎に角、発見できたのはこの話をする直前でした。
このループがメビウスの輪であるならば、終わりも始まりも存在しません。永遠に同じ事を繰り返し、思い出す事もなく、それが規定のルールになっているのです。何処までも伸び続ける平行線で、終わりの無い円であった筈です。
ですが、これはウロボロス、終わりも始まりも存在します。確かに頭は尾を食らいつき、円を描いていますが、その尾を口から解放してしまえば円は線になるでしょう? 少なくとも、一つの循環がなくなる事になります。
仮に外さなくとも、始点が変更されるならば、終点もそのままではありません。似通ったループでも、少しは改変された未来や結末になる筈なのです。それが再び戻るとしても、それを繰り返していれば何れは何かが変更、もしくは変換されるのです。
ですから、自分はいつもとは違うお話をさせて頂きました。
始点は変更されたのですよ、後は待機していればいいのです。