ふられ女のクリスマス
わたしは『不幸』なんていう言葉とは無縁だと思っていた。
32年間生きてきて、これまでに特に困ったことは何もない。
子供のころからスポーツも勉強も得意で、何をやってもある程度までは上達した。
就職氷河期と言われていたけれど、あっさり上場企業の総合職に就職できた。
女性では珍しいといわれた管理職のポストにもついている。
恋愛だって人並み以上に楽しんできたつもりだし、友達もたくさんいる。
容姿にコンプレックスは微塵もない。
自分でいうのも何だけど、シミひとつない磨き上げた肌も、20代前半からずっと
保ってきたプロポーションも、つやのある髪も、まだまだ自信が持てるレベルだ。
そして学生時代から付き合ってきた彼に、もうすぐプロポーズされて結婚するはず。
来年あたりには子供だってできるかもしれない。
・・・なんて、当たり前のように思っていたけれど。
神様は、そんなわたしに、きっちり落とし穴を用意してくれていた。
それも、この32歳のクリスマスイブに。
クリスマス前。
わたしは休日を1日つぶして、会社の友人や可愛がっている後輩たち数人と一緒に買い物に出かけた。
赤と緑を主体にきらびやかな電飾が彩る街の中。
にぎやかなクリスマスソングも耳に心地よく響く。
女同士で大騒ぎをしながら、それぞれ自分の彼氏へのプレゼントを選んだり、
イブのデートに来ていく洋服を、あれでもない、これでもない、と物色したり。
流行りのお店でランチをとって、お互いの彼のノロケ話に嬌声をあげる。
ああ、なんて楽しい季節なんだろう。
わたしは普段、仕事が忙しくてなかなかオシャレに手が回らない。
だからこそ、クリスマスくらいは彼の前で一番きれいな自分を見せたくなる。
化粧品に洋服、アクセサリー。こういうイベントの前、女性はなにかとお金がかかるのだ。
デパートの洋服売り場ではみんなで試着大会。
どれが似合う?こっちのほうがいい?傍からみているとおかしいくらい、その表情は真剣そのもの。
わたしが真っ白で素敵なワンピースをみつけて試着したとき、後輩のメグミが言った。
「先輩、すごくキレイ!!そんな姿みたら、彼氏もびっくりですよね!!」
メグミはいつも気を遣って、優しいことを言ってくれる。
ほかの友人たちも、「よく似合うね」「ほんと素敵!」なんて大げさにほめながら、
まるで店員さんみたいにそのワンピースを買うように勧めてくる。
わたしも悪い気はしなくて、結局、そのワンピースを買った。ちょっと高かったけれど。
次は彼へのプレゼント。今年は時計にしようかな。
メグミは彼にネクタイをプレゼントしたいと言って、紺色の素敵なネクタイを選んでいた。
さすが、元アパレルにいただけあって、センスがいいなあ。
そんなふうに思ったことを、覚えている。
クリスマスイブ前日、年末の絡みでどうしても片付けたい仕事があり、彼に電話を入れた。
「ごめんなさい、明日は本当は朝から会いたかったんだけど、仕事で・・・」
彼は文句ひとつ言わずに、明日のイブは夜の遅い時間に会うことを快諾してくれる。
「いいよ。仕事が忙しいのはいいことだから。明日の夜、楽しみにしているよ」
さすが、わたしの選んだひと。仕事に理解があるって素敵よね。
ところが、いつも融通のきかない上司が珍しく気をきかせて、
「あしたはクリスマスイブなんだから、彼氏とデートしておいで」
と、わたしの仕事を代わってくれた。
うわあ、奇跡。ちょっとサンタを信じてもいいかも。
これでイブは朝から彼に会える。そう思うと心も浮き立つような気持ちで、
上司に何度も何度もお礼を言った。上司は苦笑いを浮かべている。
「君にもそういう女性らしいところがあるんだね」なんて嫌味をいわれたりしたけど、
まったく気にもならなかった。
上司の気が変わらないうちに、と荷物とコートをつかんで、さっさと会社を後にした。
建物の外へ出ると、12月の凍えるような風が吹き抜ける。
彼に電話を入れなくちゃ。そう思ってケータイを持ったまま、ふと考える。
明日は久しぶりに彼のマンションに行ってみようかな。
朝、いきなり訪ねてびっくりさせてやろう。
部屋のカギだって持っている。起こさないように、そっと入って、
寝起きの彼に抱きついてやろうかな、なんて柄にもないことを考えた。
そう。それが、間違いのもと。
クリスマスイブの朝。まだ暗いうちから目が覚めた。
今日はやっと、彼に会える。
最近はお互いに忙しくて、1か月に2回も会えればいいほうだった。
さあ、わたしは朝から大忙し。髪を洗って綺麗に巻き、
メイクもクリスマス仕様でちょっと華やかにキラキラさせて、
例のワンピースを鏡の前で身につけて、それに一番合うブーツやコートやバッグを探し、
何度も何度も着替えてみたり。
ああ、ひさしぶりだな、こういうの。なんだか自分の中に「女」が戻ってきたような気持ちになる。
仕事に必死すぎて、普段はオッサン化してしまっているかもしれない。気をつけなきゃ。
仕上げに、これまた今日のために新しく買った新作の香水をたっぷりとふって、
鏡の前で微笑んでみる。
うん、完璧。これで惚れない男はいないはず。
彼の喜ぶ顔が目に浮かぶ。
わたしはうれしさに緩む顔を引き締めて、彼のマンションに向かった。
マンションについたのは午前9時。
日差しが出てきて、そんなに寒くはない。なかなかのデート日和。
休みの日だし、きっとまだ寝てるはず。ふふ、どんな顔で驚くか楽しみだな。
ちょっとわくわくしながら、エレベーターのボタンを押す。
エレベーターから降りた後、ヒールの踵を鳴らさないように静かに廊下を歩く。
足音で気付かれたら楽しくないじゃない。
彼の部屋のドアはもう目の前。
わたしは物音をたてないように、慎重にカギを差し込んだ。
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ドアを開けて、そっと中に入る。玄関は薄暗く、明るい外の光から目が慣れず、
はっきりとは様子がわからない。
でも。
なんだろう。ちりちりと違和感を感じる。
前に来た時と、なにかが違うような。違う場所に迷い込んだような、妙な感覚。
とりあえず、部屋の奥へ進む。
リビングのテーブルにはグラスがふたつ。ビールの空き缶がいくつか転がっている。
床には脱ぎ散らかされた洋服。そのうち1枚は、どうみても女性物のワンピース。
拾い上げてみて、息をのむ。
それは、まさに今わたしが着ているものと、まったく同じワンピースだった。
そして。
寝室のドアをゆっくりと開ける。もう、だいたい予想はついている。
部屋の真ん中に置かれた大きなベッドに、
彼ともうひとり、見覚えのある女性が寄り添って眠っていた。それも、裸で。
わたしは自分でもちょっと驚くほど冷静な声で言った。
「もう朝よ?おはよう」
先に目を覚ましたのは、彼のほうだった。
慌てて起き上り、わたしの姿と隣の女性を見比べて頭を抱えている。
「・・・今日は、仕事じゃなかったのか」
「めずらしく上司が気を遣ってくれたのよ。
・・・お楽しみのところ、邪魔してごめんなさいね」
ポケットから彼の部屋のカギを取り出し、扉のすぐ横にある棚の上に置く。
そこには解かれたプレゼント包装と、ネクタイが無造作に置かれている。
軽くため息。
「じゃあ、わたし帰るね。カギはここに置いておく。サヨナラ」
寝室を出ようとすると、今度はとなりに寝ていた相手が目を覚ました。
「・・・あれ?どうして?」
メグミは下着もつけずに、素っ裸のままベッドを出て、わたしに歩み寄る。
「先輩、ごめんなさい・・・ちょっと、いいですか?」
メグミはわたしの腕をひいて寝室を出た。そしてリビングで洋服を拾い上げて身につける。
「あーあ、バレちゃいましたねえ。ま、いいんですけどね、別に」
メグミはケラケラと笑う。
「わたし、前に先輩を迎えに来た彼氏さんをみて、気に入っちゃったんですよね。
もうみんな知ってますよ?先輩の彼氏とわたしがつきあっていること」
ああ、そうなのか。頭の中がしんしんと冷えていく。
「彼に言ってたんです。そろそろ先輩と、ちゃんと別れてくださいって。
私たち、来年の春には結婚するんです」
なるほど。
ちょうど寝室から出てきた彼に尋ねた。
「ねえ、いまの、本当?」
「・・・君には申し訳ないと、思っている」
彼が深々と頭を下げる。メグミの勝ち誇ったような顔。軽く自分のおなかを撫でて見せる。
「2カ月なんです。ふたりの、赤ちゃん」
メグミのことだから、しっかり排卵日を確認したうえでコトに及んだのだろう。
見事にやられた。わたしは苦笑する。
「・・・そう。じゃあ、お幸せに」
「先輩、待ってください」
彼の部屋を出てすぐ、メグミがマンションの廊下まで追いかけてきた。
これまでに見たこともないような、敵意をむき出しにした表情。すごい顔。
「先輩、いつも仕事でみんなにえらそうなことばっかり言って、自分だけ出世して。
みんなに嫌われてるって知ってましたか?
私ももうすぐ寿退社しますし、もう先輩のお世話になることもないと思います」
そして、吐き捨てるように言った。
「死ねよ、ババア」
メグミはアハハ、と大きな声で笑いながら、彼の部屋へ戻って行った。
そのまま彼のマンションを後にして、ただあてもなく歩き続けた。
クリスマスイブの街はケーキを売る声も賑やかで、やたらとカップル達が目につく。
あーあ。せっかく上司がくれた休日が無駄になっちゃった。
せっかく朝から頑張ったんだけどなあ。
ショーウインドウに映る、クリスマス用に作り上げた自分の姿を横目に見る。
このまま家に帰るものもったいない気がして、
ぼんやりと、ただ右足と左足を交互に前へ前へと出す行為に専念した。
いちばん足が綺麗に見える、ハイヒールの踵を鳴らしながら。
10年。
彼と付き合ってきた歳月は長いのに、別れは一瞬で、あまりにもあっけない。
あのひとはメグミと寝るとき、どんな気持ちだったのか。
わたしは、メグミやほかのみんなからそれほどまでに嫌われるようなことをしてきた?
わからない。
でも、もっとわからないのは、どこまでも静かな自分のこころ。
失恋した時、オンナって、もっと泣きわめいたりするんじゃなかったっけ。
驚きはしたものの、悲しくも悔しくもない。
わたしはどこかが壊れているのかもしれない。
いったいどれくらい歩き続けただろう。
自慢のハイヒールの上で、足が悲鳴をあげはじめる。こんなことなら途中で運動靴でも買えばよかった。
痛む足を押さえながら、小さな川を挟む橋の上で立ち止まった。
空には灰色の雲が流れている。もしかすると雪になるかもしれない。
橋の欄干につかまって、さらさらと流れる水を見つめていると、すぐ横から声がした。
「ちょっと、おねえさん。だいじょうぶ?」
声の主は若い男性だった。
真っ白なコートに洒落た巻き方のマフラー、赤い髪。右の耳に小さなダイヤのピアス。
白い肌に映える真っ赤な唇。
「・・・ホスト?勧誘?」
「違うよ。おねえさん、死にそうな顔してるからさあ。ちょっと気になって。
目の前で飛び込まれちゃ、夢見が悪いでしょ?」
そういう割には、全然心配そうでもなくクスクスと笑う。
そうか、わたしはそんな顔をしていたのか。なんとなく、肩の力が抜ける。
「今朝、10年つきあった彼を後輩に寝取られたの」
言葉にしてみると、ひとことで済む。簡単。
「そう・・・。せっかく彼のために頑張ってオシャレしたのにねえ」
男性は憐れむように言う。
顔が熱くなる。見ず知らずの他人に、見透かされているのが悔しい。
「死にたいのかなあ、わたし。もう、どうでもよくなってきた」
ぽつりと言葉が漏れる。自分でもよくわからない。
雲の色が濃くなり、ちらちらと雪が舞い始めた。
男性は、柔らかな声で言う。
「もったいないよ。もちろん、僕に助ける義理はないんだけれど」
わたしはいつの間にか顔をくしゃくしゃにして、声をあげて泣いていた。
見ず知らずのひとの前で。感情が一気に溢れだす。苦しい、もう、苦しい。
「ねえ、ここにいたら凍死しちゃうよ。ちょっと暖かいところで休憩しよう」
この誘い文句は、ホテルにでも連れて行かれるのだろうか。
まあ、ちょっといい男だしそれでも構わない。もう別に、どうなってもいい。
そう思って、わたしはぼろぼろと泣きながら、男性の後ろについて歩いた。
男性はホテル街へは向かわずに、住宅が立ち並ぶ通りへと入って行った。
雪の降り方がだんだんと強まる。視界が白と灰色におおわれていく。
そして、ふいに立ち止まる。そこは小さな花屋の前だった。
店先に置かれたポインセチアの鉢植えに、うっすらと雪が積もり始めている。
男性は店先から奥をのぞきこんで大きな声を出す。
「サトシーー。お客さんだよー」
「あれ?おまえ・・・」
店の奥から面倒くさそうに出てくる人影が見える。
派手な金髪、耳には大量のピアス。浅黒い肌に鋭い目つき。
サトシと呼ばれた男性がわたしを見てニヤニヤと笑う。
「ジュンが女連れって、すげえ。珍しいこともあるもんだな」
ジュンというのがこの男性の名前だろうか。
「ふふ、このひと元気ないみたいだからさあ、ちょっと元気にしてあげてよ」
「はあ?なんだよ、それ。・・・まあ雪もすごいし、とりあえず中に入れよ」
確かに、雪が猛烈な勢いで降り始めている。寒さで手が凍えそうだ。
店の中はあたたかく、がちがちに固まっていたこころまでほぐされていくようだった。
ジュンはわたしを拾った状況を簡単にサトシに説明した。
サトシは、さほど興味もなさそうに相槌をうちながら、言う。
「で、おまえ、なんで俺のところへ連れてきたんだよ。関係ねえだろうが」
たしかに。
ジュンはあっさりと言う。
「だって、おねえさん放っておいたら死んじゃいそうだったから。ほら、寂しそうでしょ?
なぐさめてあげたいけど、僕は女のひとは無理だから」
「だからって俺のとこへ連れてくるなよ」
「いいじゃん、ちょっと抱いてあげれば。おねえさんの気が晴れるかもしれないし。
サトシもスッキリできるし」
サトシは慌てて、「そんな露骨なことを言うもんじゃない」とか、「おまえのそういう考え方がおかしいって普段から言ってるだろう」と必死の形相で言い返し「ジュンは、別に減るもんじゃないし一発くらいいいんじゃないの」と笑う。
わたしを置き去りにして、よくわからない方向へ話が進んでいく。
「ちょ、ちょっと・・・あの、わたし別にそんな・・・」
「あ、僕、もう行かなきゃ。あんまりひとりにしておくと同居人がスネちゃうから。
またね、おねえさん。サトシに可愛がってもらいなよ」
ジュンは言うだけ言って、さっさと花屋を出て行った。
サトシはがっくりと肩を落とす。
「あいつ・・・もう、面倒事をいつでも押しつけやがって・・・。あー、もう」
パン、と自分のひざを叩いてから、わたしのほうを向いて床に座り込む。
「まあ、いいよ。せっかく来たんだし、話くらいなら聞かせてもらう。
クリスマスイブの夜に急にひとりっていうのも、たしかに寂しいモンだよな」
愛嬌のある八重歯を見せて、ニッと笑う。
わたしもなんだか肩の力が抜けて、彼と別れたことや、後輩に言われたこと、
あれもこれもこころの中に溜まっていたものをさんざん吐きだした。
全然知らないひとだから、よけいに話しやすかったのかもしれない。
「・・・で、死にたくなった?」
「どうかな。わからないの。でも生きているのがどうでもよくなった」
わたしは正直に言う。
毎日やるべきことをきっちりやって、悪いことをした覚えもないし、
友達や後輩に恨まれるようなことをした記憶もまるで無い。
ただまっすぐに自分の道を進んできたつもりなのにこんな目に合うのなら、
明日からもう、なんのために頑張っていけばいのかわからない。
サトシは言う。
「そりゃ、そういうこともある。自分が悪くなくても、納得いかない目にあうこと、な」
わかったようなこと、言っちゃって。ちょっとイライラする。
「さっきのあいつ、俺の弟みたいなもんなんだ。
俺たちはガキのときから納得いかないことばっかりの中で育ってきたからな」
サトシはぽりぽりと頭をかく。
「ふたりともさあ、ガキの頃に売られたんだよ、親に。世の中には変態も多くてな。
ジュンは女みたいな顔でキレイな分、俺よりもひどい目に遭ってた・・・って、
こんな話、興味無いよな、ごめん。まあ、昔のことだけどな」
わたしはあまりにもサラリと語られる壮絶な話に息をのむ。
ガラス張りの壁越しに、雪は勢いを増して降り積もっていく。
「いや、それでもさあ、なんていうの、生きてるとそれなりに楽しいこともあるんだよな。
友達と馬鹿騒ぎしたり、こう、俺は花が好きだから花屋になろうと思ったんだけど、
やっていくなかでそれなりに人生って捨てたもんじゃねえなって、思うときがあるんだ」
ぽつりぽつりと語られる花屋の話は、ぐいぐいとわたしを引き込んでいく。
サトシは目を優しげに細めて話し続ける。
「あんた、たぶん俺よりずっと年上だろ?生意気なこと言うみたいだけどさ、
やっぱり、いま死のうなんて、ちょっともったいないよ」
もったいない、か。心の中でその言葉を反芻する。
「そんな見る目のない男なんかじゃなくて、来年にはものすごいイイ男をつかまえてるかもしれないし」
サトシの言葉に、わたしは思わず笑った。
そして後に続けて、
「そうね、宝くじに当たっちゃうかもしれないしね」
と言ってやる。
「そうそう、スカウトされてスーパーモデルになるかもしれないし」
「歌手になって大成功するかもよ」
「落ちてたハンカチひろったら、それが実はアラブの大金持ちの王子様のもので」
「そうそう、玉の輿まっしぐらね」
ふたりで声をそろえて笑った。
ああ、今日はなんていう1日だろう。
朝からウキウキしたりびっくりしたり、泣いたり笑ったり。
いつのまにか気分はすっかり良くなって、わずかではあるけれど、
自分の中に気力のようなものが戻ってきているのに気がついた。
サトシは思い出したように、店の隅に置いてある小さな鉢植えを持ってきた。
「これさ、よかったら持って帰ってよ」
鉢植えには土が入っているだけに見える。
「なに?これ」
「土の中に球根うえてあるからさ、水だけやっていれば春になったら花が咲く。
だからそれまで、ちょっと試しに頑張って生きてみなよ」
春。そのころには、わたしは今よりも人生を楽しんでいるのだろうか。
わたしはお礼を言って、鉢植えを受け取った。
「今日は、急にごめんなさいね。・・・また来てもいいかな」
わたしの言葉に花屋は笑う。
「ここは花屋だからな。お客さんならいつでも大歓迎」
「わかった。次は恋人ができたら、彼の誕生日には必ずここでお花を買うわ」
「それは楽しみだな。100本ほどの薔薇の花束、用意しておきますよ、お客様」
サトシがうやうやしく頭を下げる。
まったく、面白い子。
わたしは背筋をピンと伸ばして、自慢のハイヒールの踵を鳴らしながら店を出た。
灰色の空に雪はまだ降り続いている。両手を上にあげて背伸びをする。
ああ、なんだかスッキリした。あの年下の男の子たちに感謝しなくては。
わたしは雪に濡れたアスファルトの上をゆっくりと歩き出す。
なにか素敵なことがまっているかもしれない、明日に向かって。
(おわり)